No.974
東京に来ています。出版関係の打ち合わせの後、イタリア・フランス映画「チネチッタで会いましょう」をヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。映画撮影所が舞台と知って、映画好きのための「映画の映画」かなと思っていましたが、実際はかなり政治寄りの内容でしたね。
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『息子の部屋』などのナンニ・モレッティ監督によるヒューマンドラマ。5年ぶりの新作撮影に臨む映画監督が、次々と降りかかる災難の中で自らを見つめ直す。時代の変化についていけない主人公をモレッティが自ら演じ、同監督作『3つの鍵』などのマルゲリータ・ブイ、『さすらいの女神(ディーバ)たち』などで監督としても活動するマチュー・アマルリックのほか、シルヴィオ・オルランド、バルボラ・ボブローヴァらが共演する」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「チネチッタ撮影所での新作撮影を控える映画監督・ジャンニ(ナンニ・モレッティ)。5年ぶりの撮影は順調にスタートしたかと思われたが、俳優たちは的はずれな解釈を主張し始め、プロデューサーであり40年連れ添った妻からは別れを切り出されてしまう。さらに撮影資金を調達していたフランスのプロデューサーが警察に捕まり、資金難で撮影は中断。映画監督としての地位を築き、家族を愛しているにもかかわらず疎外感にさいなまれたジャンニは自らの人生を見つめ直す」
主演のナンニ・モレッティは、イタリア出身の映画監督、俳優、脚本家です。40歳にして世界三大映画祭すべてで賞を受賞した、イタリアを代表する監督です。監督作品では脚本も書き、主演をすることもあります。1994年、「親愛なる日記」でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞し、三大映画祭を制覇。2001年には「息子の部屋」でパルム・ドールを受賞。この2作はカイエ・デュ・シネマ誌の年間ベスト映画にも選ばれています。2007年にはカンヌ国際映画祭にゆかりの深い監督たちのオムニバス作品「それぞれのシネマ」に参加。2011年にも「ローマ法王の休日」がパルム・ドールにノミネート、2012年には審査委員長を務めるなど、カンヌ国際映画祭と縁が深い監督です。世界の映画界におけるレジェンドですね。
映画「チネチッタで会いましょう」のタイトルにも登場するチネチッタ(Cinecittà)は、イタリア・ローマ郊外エウローパにある映画撮影所です。イタリア語で映画を意味するcinemaと都市を意味するcittàを合わせた造語で、原義は「映画都市」です。1930年代に、イタリアの指導者のベニート・ムッソリーニ統領の下、イタリア初の大規模な映画撮影所として建設。イタリア最大かつヨーロッパでも有数の映画撮影所であり、大規模な屋外セットやスタジオ、フィルム編集設備などが備えられています。
1935年には隣接してイタリア国立映画学校が設立されイタリアを代表する有名映画監督を輩出した他、日本人映画監督の増村保造がここで学んだことでも知られています。第二次世界大戦中には連合国軍の空襲を受け一部破損したが、戦後はフェデリコ・フェリーニ監督 の「甘い生活」(1960年)、「8 1/2」(1963年)や ルキノ・ヴィスコンティ監督の「白夜」(1957年)など、1950年代から1960年代にかけてのイタリア映画のみならず「ベン・ハー」(1959年)などアメリカ映画も撮影されました。いずれも、映画史に残る傑作ですね。
1980年代には、イタリア映画の衰退を受けて収益が悪化し破産の危機に陥りましたが、国営化されることで危機を乗り切りました。なおこの前後に、フェデリコ・フェリーニがチネチッタそのものをテーマにしたドキュメンタリー的映画「インテルビスタ」(1987年)を制作しています。映画撮影に使用される機会こそ減ったものの、ローマ地下鉄A線の駅ができ、周辺に新興住宅街やオフィスビル、大規模なショッピングセンターが建設されるなど賑わいを見せています。テレビの収録に使われることも多く「カナーレ5」(Canale5)の番組「グランデフラテッロ(Grande Fratello)」では、毎年収録や中継にチネチッタを利用しています。
チネチッタは撮影所のため団体予約などの例外を除いて一般公開はされていませんでしたが、2011年4月29日から11月30日までの期間限定で初めて一般観光客に向けて公開されました。主要スタジオへの立ち入りは不可能ですが、展示会場がメイン棟に特設され、「ベン・ハー」や「クレオパトラ」(1963年)、「グラディエーター」(2000年)などで作成された美術小道具や、「甘い生活」におけるマルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグの着用した衣装、「戦争と平和」(1956年)においてオードリー・ヘプバーンが着用した衣装、フェリーニ直筆の絵コンテや資料類などが展示されています。また、「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2002年)と「グラディエーター」などが撮影されたオープン・セットのガイドによる団体見学も行われました。
そんなチネチッタを舞台とした映画とあって、わたしは、一条真也の映画館「エンドロールのつづき」、「エンパイア・オブ・ライト」、「フェイブルマンズ」、「オマージュ」などで紹介した一連の「映画のための映画」かなと思って期待したのですが、実際はもっと政治寄りの内容でガッカリしました。フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979年)とか、マーティン・スコセッシ監督の「タクシー・ドライバー」(1976年)といった監督名や作品名は出てくるのですが、名前だけで終わりました。もっと突っ込んでほしかった!
正直に言って、「チネチッタで会いましょう」はあまり面白い映画ではありませんでしたが、唯一笑ったのが、モレッティ監と交渉するNETFLIXの担当者が、「わが社では世界190カ国で観られます」と何度も繰り返すことでした。モレッティ監督は天下のNETFLIXを完全におちょくっていますが、190カ国の人々が同じ映画を観るというのはやはり偉大なことだと思います。モレッティ監督はなかなかのイケオジなのですが、映画のラストでソ連が崩壊し、「ソ連と決別したイタリア共産党のもと、イタリア国民は幸せに暮らしたのであった」というオチには「おいおい」と思ってしまいました。