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「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」

No.1414

10月2日、福岡市周辺の自社施設を回った後、話題の日本映画「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」をキノシネマ天神で観ました。ヴェネチア国際映画祭で「金の小獅子賞」を受賞した作品ですが、公開直前に上映館が全国29館から9館に縮小され、非常に鑑賞しづらい状況となっています。内容は衝撃的でした。これほど観客に反戦意識を強く植え付ける映画は他にないのではないでしょうか?

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『ほかげ』などの塚本晋也監督が、戦争の現実と戦争加害者の葛藤を描いた反戦ドラマ。ベトナム戦争に従軍したアレン・ネルソン氏によるノンフィクションや同氏の証言を基に、18歳で入隊した若者が帰還後も戦地での記憶に苦しむ日々を映し出す。主人公をブロードウェイ俳優のロドニー・ヒックス、彼の治療にあたる精神科医をオスカー俳優のジェフリー・ラッシュ、主人公の活動を支援する人物を塚本監督作『野火』などのリリー・フランキーが演じるほか、マーク・マーフィー、タチアナ・アリらが出演する」

ヤフーの「あらすじ」は、「アフリカ系アメリカ人のアレン・ネルソン(ロドニー・ヒックス)は、差別と貧困から抜け出すべく18歳でアメリカ軍に入隊する。ベトナム戦争へ送られた彼は戦場の現実を目の当たりにし、徐々に人を殺すことへのためらいが薄れていく。やがて帰国するも、わずかな賃金しか得られず、さらに戦場で経験した加害の記憶に苦しむようになる。23歳で家を追い出されてホームレスとなり、孤独と絶望の中で生きるアレンの支えとなったのは、退役軍人病院でカウンセリングを行う精神科医ニール・ダニエルズ(ジェフリー・ラッシュ)の存在だった」です。

原作本はもともと2003年に講談社から刊行されましたが、2010年に講談社文庫入りしています。アマゾンの内容紹介には、「戦火が絶えない2026年、今こそ読むべき命の話。子どもたちに向けて『ほんとうの言葉』で語られる戦争体験。貧困と人種差別から解放されるために18歳で入った海兵隊。そこでの訓練で、人を殺すことのためらいや、罪の意識が薄れていく。やがて戦地に赴くことになり、降り立ったのは、ベトナム。『ほんとうの戦争は無慈悲で残虐で愚かで、そして無意味です』著者の口から静かに語られる、殺し合うことの悲惨さ、命の尊さが心を揺さぶる。命について考える一冊」と書かれています。

本作の主人公であるアレン・ネルソン(ロドニー・ヒックス)は、ベトナム戦争で経験した加害の記憶に苦しみ、ホームレスとなります。そんな彼に高校時代の同級生である女性教師が声をかけ、アレンは彼女が担任を務める小学校で戦争の体験談を話すことになります。そこで、彼は1人の少女から「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」という衝撃的な質問を受けるのでした。この問いは、かつて日本で話題になった「なぜ、人を殺してはいけないのか?」という問いに通じるように思いました。1997年の神戸連続児童殺傷事件(少年A)などを契機に、日本の社会やメディアで大きな議論となった深遠な哲学的・倫理的質問です。大人や識者からは「自分がされたら嫌だから」「他者の痛みを想像できるから」「社会の秩序や法律が禁じているから」といった多様な回答が示されてきました。この問いには唯一絶対の正解はなく、命の尊厳、共感能力、法規範、そして自他の生を肯定する倫理の基礎を考えるための重要なテーマとして、現在でも教育や心理学の現場で議論され続けています。アレンに質問をした少女が、その後でアレンに対して行ったことには驚かされ、涙が出ました。

孤独と絶望の中で生きるアレンの支えとなったのは、退役軍人病院でカウンセリングを行う精神科医ニール・ダニエルズ(ジェフリー・ラッシュ)の存在でしたが、ニールはアレンに対して「なぜ、人を殺したのか?」と執拗に問いを重ねていきます。最初は「戦争だから」「上官の命令だから」「殺さなければ、自分が殺されるから」などと他責の答えを口にしていたアレンでしたが、あまりにも執拗な質問責めに音を上げて、ついに「殺したかったから」と本音を口にします。このニール医師のカウンセリングの様子はとても参考になりました。アレンの葛藤、恐怖、罪悪感、赦し、再生・・・さまざまな感情が作中に見えてきますが、それらが見えてくるのは彼自身の語りがあったからです。語りによる自分自身に対しての気づきによって自分の心が何を欲しているか、望んでいるかを思うこと、そして自分自身に何ができるのかを模索し、実行し、変わっていく様子はとても見ごたえがあるものでした。この語りを可能としたニール医師の問いかけが素晴らしかったです。グリーフケアの在り方を模索するわたしにとって、大きな学びとなりました。

本作には、ベトナム戦争の悲惨さが見事に描かれています。ベトナム戦争の映画は多いですが、特に知られているのがフランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979年)です。ジャングル奥地に自分の王国を築いた、カーツ大佐(マーロン・ブランド)の暗殺を命じられるウィラード大尉(マーティン・シーン)。道中、さまざまなベトナム戦争の惨状を目の当たりにしながら、ウィラードは4人の部下と共に哨戒艇で川を上っていきます。ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』を基に、コッポラが私財をなげうってまで完成させた戦争映画。狂気に満ちたベトナム戦争の混沌を、幻想的かつ圧倒的な映像美で描き出した大作です。

また、オリバー・ストーン監督の「プラトーン」(1986年)も有名です。クリス・テイラー(チャーリー・シーン)がベトナムにやって来たのは1967年。大学を中退してまでベトナムに志願したのは、次々と徴兵されてゆく彼と同年代の若者たちのほとんどが、少数民族や貧しい者たちだった事に対する義憤からでした。しかし、いきなり最前線の戦闘小隊に配属されたテイラーにとって、戦争の現実は彼の想像をはるかに超えた過酷なものでした。

そして、スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」(1987年)があります。キューブリックがホラー映画史に燦然と輝く金字塔である「シャイニング」(1980年)以来、久々にメガホンを取った作品で、G・ハスフォードの原作を基にベトナム戦争の狂気を描いています。徴兵された若者が、次第に戦闘マシーンとして人間性を失っていく様を冷徹な視点で追います。前半の過酷な訓練と、後半の市街戦を通じて戦争が人間を変質させる恐怖が描かれています。ホラー映画よりも怖い映画でした。

本作がベトナム帰還兵のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を扱っている点では、1978年のアメリカ映画「ディア・ハンター」を思い出しました。ベトナム戦争に赴いて心に傷を負った3人の若者の生と死を描いたマイケル・チミノ監督の渾身の一作です。彼らの故郷であるペンシルヴァニアの田舎町を描いた淡々としたタッチが、一転、戦場では苛酷なまでの描写に切り替わり、よりいっそう戦争の悲惨さを訴えかけます。中でも“ロシアン・ルーレット”の迫真性はただ事ではなく、それが再び繰り返されるクライマックスにはどうしようもないやりきれなさが漂います。アカデミー作品・監督・助演男優・音響・編集賞を受賞。テーマ曲の美しさは本作にも通じますね。

「地獄の黙示録」「プラトーン」「フルメタル・ジャケット」「ディア・ハンター」はいずれも映画史に燦然と輝く名作です。そこで描かれたベトナム戦争の惨状は観客の心を痛めるものでしたが、本作「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」の戦場シーンはそれらの名作たちを凌ぐものでした。そのリアリティは群を抜いており、観客はまさに戦場に居合わせている錯覚にとらわれます。実際のアレン・ネルソン氏は、ベトナム戦争への出征で心に傷を負い、生還後に自らの体験を語り続けた元米海兵隊員です。戦場で受けた深い傷を抱えながら、日本各地で1200回以上の講演を行い、多くの人に「戦争とは何か」を問いかけ続けました。

さて、そもそも、ベトナム戦争とは何か? 
それは、1955年から1975年まで続いた、社会主義陣営の北ベトナムと資本主義陣営の南ベトナムによる分断・内戦であり、冷戦期の代表的な代理戦争です。1954年のジュネーブ協定により、ベトナムが北緯17度線で南北に分断されたことが発端でした。北側は社会主義の「ベトナム民主共和国」(ソ連・中国が支援)、南側は反共主義の「ベトナム共和国」(アメリカが支援)が対立しました。1964年のトンキン湾事件を契機に、アメリカ軍が大規模な軍事介入と北爆(北ベトナム爆撃)を開始しました。

ベトナム側のゲリラ戦(ベトコン)や1968年の「テト攻勢」により戦況が泥沼化し、アメリカ国内で反戦世論が高まりました。1973年のパリ和平協定でアメリカ軍が撤退した後、1975年4月30日に南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)が陥落し、北ベトナム側の勝利で終結しました。その後、1976年に南北が統一され、「ベトナム社会主義共和国」が成立しました。アメリカにとっては建国以来初の事実上の敗戦となりました。この戦争は、多くのアメリカ人にとって深い心の傷を残したとされます。

ベトナム帰還兵であるアメリカ人の多くがPTSDに苦しんだ大きな理由は、彼らが敵国の兵士ではなく民間人を殺したからです。ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の構成員の多くは、日中は農作業に従事し、夜間はゲリラとして戦闘に参加する農民でした。ベトナム戦争時、ベトコンの地方ゲリラは専用の軍服ではなく、一般の農民と同じ黒い農民服(ブラックパジャマ)を着用していました。そのため、昼間は農民として畑仕事をしながら、夜には戦闘員や補給活動を行うという二面性を持っていました。米軍や南ベトナム政府軍にとって、味方(一般市民・農民)と敵(ベトコン)の区別をつけることが極めて困難であり、これがゲリラ戦を長期化させる大きな要因となりました。

ベトコンは、地主による搾取に苦しむ農民層へ土地の再分配などを約束することで支持を広げ、農村部を主な活動基盤(解放区)として勢力を拡大しましたが、わたしは歴史を振り返って、このときのベトコンの戦術は間違っていたと思います。結果的に多くの非戦闘員の命が失われてしまったからです。もちろん、ベトコンも祖国を守るために必死だったのは理解できます。本作の中でアレンを含むアメリカ兵たちから拷問を受けた後に殺されるベトコンの兵士が「なぜ、ベトナムまで来て、わたしたちを殺すのか? わたしたちは自分たちの自由のために戦っている。君たちもアメリカに帰って、黒人の自由のために戦え!」と叫ぶシーンがあります。そのとき、ベトナムの戦地にいたのは貧しい黒人がほとんどだったのです。この叫びを聞いたとき、わたしは魂を揺さぶられた気がしました。

それから、ベトナム戦争帰還兵にPTSDが多かったのは、現地での「トラップ」の存在も大きな理由の1つとされています。解放民族戦線(ベトコン)や北ベトナム軍がジャングルに多様なブービートラップ(仕掛け罠)を多用し、圧倒的な物量を誇るアメリカ軍を精神的・肉体的に苦しめました。主な罠である「パンジ・スティック」、鋭く尖らせた竹を落とし穴や地面の草むらに敷き詰めた罠です。先端に動物の糞尿や毒を塗り、負傷した兵士に破傷風や感染症を引き起こさせる工夫がなされていました。金属探知機に反応しないため、視覚での発見が極めて困難でした。

他には、「クマ狩り罠・落とし穴」がありました。踏むと木枠や仕掛けが作動し、鋭い釘や竹のスパイクが足や体を挟み込む仕組みです。「爆発物・不発弾の再利用」もありました。アメリカ軍が落とした不発弾や手榴弾、地雷を回収し、ワイヤーなどと繋いで踏むと爆発する即席の仕掛け爆弾として再利用されました。このようなトラップは、アメリカ兵に大きな心理的恐怖を与えました。どこにいても足元に死傷の危険が潜んでいるという恐怖から、米兵の戦意を大きく削ぐ役割を果たしたのです。同時に、効率的な足止めともなりました。殺傷だけでなく、負傷者を後送するために人員や医療リソースを割かせることで、米軍の部隊全体の機動力を低下させる高度なゲリラ戦術として機能したのです。

本作はPTSDのカウンセリングの物語でもありますが、じつは当時は療養法が確立されていませんでした。ベトナム戦争は、多くの帰還兵が深刻なPTSDを発症したことで、精神医学においてこの疾患が正式に認知される契機となった戦争です。敵味方の識別が困難なジャングル戦や、ゲリラ戦による極度の緊張。帰国後、英雄として迎えられず、反戦運動の高まりの中で社会的な批判や冷遇にさらされたこと。1980年に米国精神医学会が「PTSD」という診断基準を設けるまで、心の傷が適切な治療や理解につながらなかった歴史があります。PTSDの主な症状には、激しいフラッシュバック(戦場の記憶の再体験)、 不眠、悪夢、感情のコントロール喪失、アルコールや薬物への依存、家庭内暴力、社会適応の困難などがあります。

本作は「暴力」についての映画でもありました。アレンは、幼少期に父親の暴力に悩まされていたのです。戦争は国家による究極の暴力であり、戦場での極限状態やトラウマは、世代を超えて家庭内暴力や虐待などの連鎖を引き起こす社会問題となっています。近代の軍隊は、平時には許されない暴力を国家が容認する組織であり、絶対的な服従や生命の軽視が特徴とされます。戦場の過酷なストレスは、兵士に深刻な幻覚や身体症状(歩行困難など)を引き起こす「戦争神経症」をもたらしましたが、長年その事実は隠蔽されてきました。戦後、兵士らが抱えた心的外傷(トラウマ)が十分にケアされないまま家族に委ねられた結果、家庭内で暴力を振るうといった深刻な歪みが生じました。戦争体験やそこから生じた歪んだ支配・暴力は、子や孫の世代の人間関係や家族観にも影を落とし、痛みが引き継がれ続けています。


「キノシネマ天神」の前で

ところで、本作はわたしの長女の婿が一早く鑑賞していました。ブログ「父の三回忌」で紹介した9月20日の法宴で彼が本作を鑑賞したことを知りました。「戦争映画の概念が変わりました!」という彼の一言で「早く観たい!」と思った次第です。じつはもうすぐ長女は出産予定なのですが、本作にはアレンがベトナム人女性の出産に立ち会うというシーンがありました。それを見た婿は何を思ったのでしょうか? それにしても、上映直前になぜ29館から9館へと公開規模を縮小したのでしょうか? それに対して配給元のキノフィルムズが明確な回答をしていないため、いろいろな憶測を呼んでいます。いわく、「バックに共産党がついているため、自民党が圧力をかけた」とか、「沖縄での米兵の無法ぶりが描かれているため、アメリカ政府が圧力をかけた」などの陰謀論的推測が目立ちます。他には、「興行的に厳しいと公開直前に判断したのでは?」との現実的な意見もあります。いずれにせよ、大きな反響を呼んで、東京ではソールドアウト状態(この日のキノシネマ天神はガラガラでしたが)なのですから、ぜひ上映館を増やすべきだと思います。


「キノシネマ天神」の3番シアターで鑑賞しました

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