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時には懺悔を

No.1392

葉月晦日、日本映画「時には懺悔を」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。9番シアターでしたが、ここは映写機の関係なのか画面が暗くて残念でした。画面と同様に内容も暗かったですが、最後には希望の光が見えたところが良かったです。一条真也の映画館「私はあなたを知らない、」で紹介した作品に続いて、こちらも重量級の感動作!

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『告白』などの中島哲也監督が、打海文三のミステリー小説を映画化。それぞれに過去を抱えた大人たちが、今を懸命に生きる少年との出会いを通じて人生の活路を見いだす。『渇き。』などで中島監督と組んだ門間宣裕が共同で脚本を担当。『ドライブ・マイ・カー』などの西島秀俊が主人公を演じ、『ラストマイル』などの満島ひかり、中島監督作『来る』などの黒木華のほか、宮藤官九郎、柴咲コウ、佐藤二朗、役所広司らが共演する」

ヤフーの「あらすじ」は、「死んだほうがマシな人間と呼ばれた探偵の米本(佐藤二朗)が殺害される。元同僚の佐竹(西島秀俊)と修行中の助手・聡子(満島ひかり)は事件の真相を追ううちに、過去に起きた新生児誘拐事件にたどり着く。米本は死の直前、9年前に失踪して現在は父親の明野(宮藤官九郎)と暮らす少年・新のことを調べていた。重度の障害がありながらも今を懸命に生きるその少年は、傷ついた大人たちの心を動かしていく」となっています。

本作には、重度の障害を抱えた子どもたちの介護をする親たちの姿が描かれています。その親は、24時間・365日、ひとときも気が抜けません。また、ずっと家にいなければならず、外出もできません。「映画は、もう1つの人生への入口です。」というのは「一条真也の映画館」のキャッチコピーですが、もう1つの人生とは輝かしいヒーロー的人生やサクセス・ライフだけではありません。それは、反対に自分が望まなかった人生への入口でもあるのです。自分が本作に登場する親の立場になったことを想像してみました。すると、大好きな映画館はもちろん、出張にも行けず、それどころか会社にも行けません。著書の執筆はおろか、ブログさえ書けないかもしれません。それを考えたら、本作で描かれている世界の深刻さが少しだけ理解できました。

本作では、実際に重い障害のある子どもたちが当事者として出演し、俳優陣との共演や自然な演技が大きな話題となっています。役者としてカメラの前に立つ彼らの存在自体が作品に圧倒的な力強さをもたらしています。中島哲也監督は、出演する子どもたちがカメラの前でリラックスし、普段通りの自然な表情や動きを出せるよう、母親や専門家のケアのもとで時間をかけて撮影環境を整えたといいます。俳優陣も日本映画界屈指の豪華キャストですが、特に宮藤官九郎演じる謎の男と障害のある少年との交流などが描かれ、宮藤の軽やかでありながら深みを感じさせる演技や、西島秀俊、黒木華らのリアルな人間描写が絶賛されています。

本作では、柴咲コウや黒木華が重度の障害のある子を産んだ母親を演じています。その地獄のような日々の中で、彼女たちは「この子を産まなければ良かった」とか「可愛いと思ったことは一度もない」などと言います。それは疲弊しきった彼女たちの魂の叫びであり、それを聴いたとき、わたしは泣けて仕方がありませんでした。でも、障害のある子たちが周囲の大人を励まし、勇気を与える場面もあって救われた気がしました。この映画を観ながら、わたしは「コンパッション」という言葉がずっと頭に浮かんでいました。「コンパッション」とは、キリスト教の「隣人愛」、仏教の「慈悲」、儒教の「」、すなわち「思いやり」のことです。

わたしは、障害のある人々の存在は、人間社会にとって最も大切な「思いやり」を生み、人類の本能である「相互扶助」のスイッチを入れるものではないかと思います。「コンパッショナリー・カンパニー」を目指すわが社は、「すべての人が輝くことのできる儀式を提供したい」という想いから、児童養護施設に入所・出身するお子さんたちへ七五三や成人式の晴れ着を無償提供し、記念写真の撮影を行うプロジェクトを実施しています。本作を観て、わたしは障害のあるお子さんにもぜひ、「あなたが生まれたことは正しい」「あなたの成長を世界は祝福している」というメッセージを届けるべく、何か新しいプロジェクトを考えたいと思いました。すべての人の存在を肯定することが、わが社のミッションである「人間尊重」、すなわち「」の精神だからです。

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