金沢に来ています。9月14日、チュニジア・フランス合作映画「ヒンド・ラジャブの声」を初めて訪れた金沢シネモンドで観ました。あまりにも重い内容でしたが、上映時間の89分間ずっと一瞬の弛緩もなく観客に緊張を与え続けたという事実に感嘆。これは、ものすごい映画です!
ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「2024年にパレスチナ自治区ガザで6歳の少女ヒンド・ラジャブさんと彼女の親族、彼女たちの救助に向かった救急隊員らが殺害された実話を基に描くドラマ。攻撃を受けて車内に閉じ込められた6歳の少女からの緊急通報を受けたパレスチナの人道支援組織チームが救助に向かう。監督などを務めるのは『Four Daughters フォー・ドーターズ』などのカウテール・ベン・ハニア。サジャ・キラニ、『エルサレムの花嫁』などのクララ・フーリのほか、モタズ・マルヒース、アメル・フレヘルらが出演する」
ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「2024年1月29日、パレスチナの人道支援組織の1つであるパレスチナ赤新月社のボランティアチームが、ある緊急通報を受ける。その通報は、ガザで攻撃を受けた車の中に閉じ込められた6歳のヒンド・ラジャブさんからのものだった。ボランティアチームはラジャブさんとの電話をつないだままの状態で、彼女を車内から助け出すために駆けつける」
本作「ヒンド・ラジャブの声」を観て、わたしは強い怒りを感じました。悲しみや無力感ではなく、怒りを感じました。その怒りの矛先は幼い少女を攻撃するイスラエル軍というよりは、少女をすぐ救出に行けないシステムそのものでした。戦争時において、民間人の救出に向かう救急車を攻撃することは国際法で禁じられていますが、戦闘状態にある地区においてはルールが守られる保証はありません。そのため、敵軍の「攻撃はしない」という明確な意思を確認するまで、気の遠くなるような時間を要するのです。当然ながら、その間に救出すべき人間の生命は危険に晒されます。このような矛盾は戦争においてだけでなく、行政や企業の現場にも無数に存在すると思いました。政治家や経営者は必見です!
わたしは日々、映画によって多くの学びを得ていますが、本作「ヒンド・ラジャブの声」でも学ばせていただきました。実際に起きた痛ましい事件のこともそうですが、ヒンド・ラジャブを救おうとした赤新月社について初めて知ったことが多かったです。赤新月社は、主にイスラム教圏の国や地域で活動する人道支援組織です。 基本的に赤十字と同じ役割を持ち、人々の命や健康を守り、苦痛を減らす活動をします。災害や紛争の時に、敵味方関係なく人を救います。なぜ「新月(三日月)」なのかというと、キリスト教の十字架を連想させないためです。オスマン帝国の国旗の配色を反転させて作られました。イスラム教を連想させますが、マークに宗教的な意味はありません。赤十字と協力して平和のための活動を一緒に行っています。
本作は戦闘シーンは一切登場しませんが、紛れもなく戦争映画です。現在、一条真也の映画館「オデュッセイア」で紹介したハリウッドの超大作が公開中ですが、こちらも戦争映画です。しかし、同作で描かれているトロイア戦争は紀元前1200年頃に起こったとされています。一方、本作「ヒンド・ラジャブの声」の舞台となったイスラエル・ガザ戦争は現在進行形で継続中です。数千年の時間を経ても、人類は戦争を続けているわけです。戦争とは「死者の大量発生装置」であり、「グリーフの大量発生装置」にほかなりません。わたしはグリーフケアの啓蒙と普及に尽力していますが、最もその意義を訴えたいのは戦争を起こした為政者です。
戦争がなくならないのは、恐怖心や利益・権力の欲求、そして現状への不満を平和的に解決する仕組みや指導者・武器産業などの利害関係が絡み合っているからです。人間社会から戦争が絶えない背景には、「恐怖と安全保障のジレンマ」「利益と資源の欲求」「違いの不寛容と分断」「平和的変革の手段の不足」「組織的な利害の一致」などの理由があります。本作で描かれているイスラエルとパレスチナの武装組織ハマスなどの間で続く大規模な衝突は、2023年10月7日のハマスによる奇襲攻撃をきっかけに始まりました。
パレスチナ自治区であるガザを攻撃するイスラエルはユダヤ人の国です。『旧約聖書』にも書かれているように、ユダヤ人はもう2000年間、その国を失って差別されてきました。その国を失った理由も、ユダヤ教の神と契約して、その通りに生きようとしたためでした。それで、2000年間、国のない民として非常に差別され続けた。ナチスには、ホロコーストで皆殺しされそうになりました。現在、イスラエルでユダヤ人たちは2000年ぶりに支配する側に回りました。ずっと支配されてきた民が、いったん支配をする側に回ったら、やはり独裁的に振る舞うわけです。なぜ、2000年の長きにわたるグリーフがコンパッションに昇華していかないのか。それを思うと、悲しいですね。
この世界は不条理なことだらけですが、最も不条理なことは戦争です。メディアとしての映画では、戦争という不条理をそのまま正面から描くのではなく、子どもの目を通して描いてきた歴史があります。たとえば、「禁じられた遊び」(1952年)、「ミツバチのささやき」(1973年)、「パンズ・ラビリンス」(2006年)・・・・・・子どもの目を通して戦争の狂気を描いた一連の作品群があります。最近では、一条真也の映画館「大統領のケーキ」で紹介したイラク映画、
一条真也の映画館「白パンと独裁者」で紹介したドイツ映画が印象的でした。しかし、本作「ヒンド・ラジャブの声」の衝撃は群を抜いています。なぜなら、ヒンド・ラジャブという6歳の少女の肉声が使われているからです。
本作では電話というメディアが非常に重要な役割を果たしますが、多くのレビュアーが一条真也の映画館「THE GUILTY/ギルティ」で紹介した2019年のデンマーク映画を連想したと語っています。主人公が電話の声と音を通して誘拐事件の解決を図ろうとする異色サスペンスです。同作が長編初監督作となるグスタフ・モーラーが、緊急ダイヤルの通話を頼りに誘拐事件と向き合うオペレーターの奮闘を描きます。警察官のアスガー・ホルム(ヤコブ・セーダーグレン)はある事件を機に現場を離れ、緊急通報司令室のオペレーターとして勤務していました。交通事故の緊急搬送手配などをこなす毎日を送っていたある日、誘拐されている最中の女性から通報を受けます。そこからは観客に息もつかせぬ緊迫のドラマが展開していくのでした。
本作「ヒンド・ラジャブの声」を一緒に観たサンレー北陸の大谷賢博部長(上級グリーフケア士)も「THE GUILTY/ギルティ」を連想したそうですが、「電話の向こうにいる助けを求める人の姿は見えない。ただ、声だけが届く。だからこそ、その声を聴くこと、想像すること、そして何とかして相手のところへ手を伸ばそうとすること、その難しさを感じました。いつ切れるか分からない電話を通して、こちら側に届いてくる小さな声。けれど、声が届いたからといって、必ずしも簡単に救えるわけではないということ。そこに、グリーフケアにも通じるものを感じました。悲しみや絶望を抱えている人は、大きな声で『助けて』と言えるわけではない。声を発する人もいれば、声を発せない人もいる。沈黙そのものが、助けを求める声であることもあるということ」との感想をLINEで送ってくれました。
大谷部長は、「グリーフケアの現場において、私はその声を聴き取れているだろうか、聴き取ったその人を『安全な場所』まで連れて来ることができるだろうか、と深く考えさせられました。そして、この映画を観て『ケア者のケア』の重要性にあらためて気づかされました。助けようとする人もまた、その声によって傷つき、悲しみを抱えることになる。救いたいと思っても救えないことがある。その現実を受け止めることもまた、ケアする側にとって大きな負担になるのだという現実。誰かの悲しみに耳を澄ますためには、ケアする側にもまた、自分自身の心に耳を澄ます時間が必要なのだと思いました」とも述べています。わが社では、これからも「ケア者のケア」に注力したいと思います。
電話の声だけで相手を励まし、相手を救おうとする赤新月社のオペレーターたちには大変なストレスがかかっています。会話内容によって、相手の命が助かるかどうかが決まるのです。そこにカウンセラーが常駐していることも理解できますが、わたしは戦争の現場でなくとも、損害保険会社の事故受付といった民間の会社でも同じようなストレスは存在するのではないかと想像しました。事故を起こしてパニックになっている顧客は保険会社の人間に対して暴言を吐いたりするようですが、くれぐれもそのような愚かな行為は慎みたいものですね。最後に、本作で描かれた事件は不幸な結末に終わりましたが、映画化によってヒンド・ラジャブさんの存在を世界中の人々が知り、彼女のために祈ったことはによって、必ずやその魂が安らかであることを信じています。