東京から北九州に戻りました。9月29日、一条真也の映画館「私たちは、ちょうどいい。」で紹介したアメリカ映画に続いて、フランス映画「モネと時間旅行」を同じヒューマントラストシネマ有楽町で観ました。完全にわたし好みで、最高に面白かったです。これは今年の一条賞大賞の候補作品です!
映画.comの「解説」には、こう書かれています。
「「スパニッシュ・アパートメント」「ダンサー イン Paris」のセドリック・クラピッシュ監督が、ある家族に遺された古い屋敷と1枚の絵画をめぐる謎を、現代と19世紀ベル・エポックというふたつの時代を交差させて描いたドラマ」「劇中には印象派の巨匠モネをはじめ、ルノワール、セザンヌら実在した芸術家たちが次々と登場。カルティエのCM撮影でクラピッシュ監督に見いだされたアブラム・バプレが現代パートの主人公セブ、『スザンヌ、16歳』のスザンヌ・ランドンが過去パートの主人公アデルを演じ、バンサン・マケーニュ、ポール・キルシェ、セシル・ドゥ・フランス、オリビエ・グルメら豪華キャストが脇を固めた」
映画.comの「あらすじ」は、「ノルマンディーの草原に佇む古い屋敷。100年以上にわたり閉ざされていたその屋敷の相続権を持つのは、互いに面識のない30人以上の一族だった。土地開発のため屋敷を売るよう迫られ、一族を代表して屋敷の調査をすることになったセブ、アブデル、セリーヌ、ギイの親戚4人は、そこで印象派の作品らしき絵画と、先祖アデルの手紙や写真を見つける。19世紀にノルマンディーからパリへと旅をし、ベル・エポックの時代を生きた女性アデル。彼女と絵画にまつわる家族の秘密が解き明かされたとき、それぞれの人生に新たな扉が開かれる」です。
本作の冒頭には、フランス・パリのオランジュリー美術館にある「睡蓮の間」が登場します。ここは、クロード・モネの巨大な連作「睡蓮」を体感できる2つの楕円形の部屋があり、巨大な横長の「睡蓮」が合計8枚展示されています。モネの希望通り、天井から自然光が入る明るい温室のような空間で鑑賞できます。朝から日没までの光景や、雲・柳・水面の反映が描かれています。わたしはオランジュリー美術館の「睡蓮の間」を訪れたことがありますが、ブログ「イマーシブ プラネタリウム ―モネ―」にも書いたように、もともとモネの「睡蓮」が大好きだったので、大感動しました。
本作のラストではもう一度、オランジュリー美術館の「睡蓮の間」に飾られたモネの「睡蓮」が登場しますが、クロード・ドビュッシーの「月の光」がBGMに使われていました。それが本当によくマッチしており、「睡蓮」と「月の光」は最初から不可分の関係にあるような気さえしました。ドビュッシーの「月の光」は拙著『慈経 自由訳』(三五館)のYouTube動画でもBGMにも使われていますが、なぜ睡蓮に合うのか? それは睡蓮とは基本的に月だからです。日蓮といえば日本仏教史上の巨人ですが、その名は「日」すなわち火=太陽と「蓮」すなわち水=月を象徴しています。同じく日本仏教史上の巨人である「空海」と同じく、「日蓮」という名は陰陽が合体した名前であり、そこでは蓮(睡蓮)とは月そのものなのです。
本作では、現在と過去のシーンが交錯しています。過去とはベル・エポックなのですが、わたしはベル・エポックが大好きなので嬉しかったです。ベル・エポックとは、フランス語で「美しい時代」や「古き良き時代」を意味し、一般に19世紀末から第一次世界大戦が勃発する1914年までの、パリを中心に繁栄した華やかな文化・社会の時代を指します。
産業革命を経て経済が成長し、ボン・マルシェ百貨店などの消費文化やカフェ文化が栄えました。1900年の第5回パリ万国博覧会はその頂点でした。また、電気の普及や自動車の登場など、人々の生活が大きく近代化。さらには、アール・ヌーヴォー(アネモネのデザインなど)が流行し、印象派から新たな絵画表現へとつながる活気あるアートシーンが形成されました。本作で描かれたパリの美しいこと!
そんなベル・エポックのパリにノルマンディーからやってきたアデルは、パリに向かう客船の中で若い画家と写真家に出会います。パリでは、写真家の叔父に会うために訪れた高級レストランで「伝説の女優」として名高いサラ・ベルナールに遭遇します。本作では、他にもシャーマニズムの薬草であるアヤワスカの力を借りたアデルの子孫がタイムトリップして(コリン・ウィルソンの「大脳タイムマシン」という言葉を連想しました)ベル・エポック時代のモネをはじめ、ルノワール、セザンヌ、ドガなどの姿を見ます。そこには、写真家のフェリックス・ナダールもいました。モネたちが1874年に歴史的な第1回印象派展を開いたアトリエの持ち主であり、親交が深かった人物ですね。
集められたアデルの子孫たちは、彼女の秘密や自分たちのルーツを探るためにアデルが住んでいたノルマンディーの古い家を探索するのですが、そこで次々に思わぬ発見をします。そして、彼らは自分たちのルーツについて想像を超えた結論に達するのでした。わたしは、先祖の人生を子孫たちが探る姿を見て、しみじみと感動しました。わたしたちは先祖と子孫という大きな河の流れの「あいだ」に生きている存在です。先祖がいなければ現在の自分は存在せず、大切にすることで生きる軸や感謝が生まれます。本作はその真実を見事に描いていました。また、アデルの人生を辿ることによって、歴史(HISTORY)を作っているのは男性の物語(HIS STORY)だけでなく、女性の物語(HER STORY)もあるという事実を示しています。
また、本作にはベル・エポック期の絵画と写真という2つのアートが交錯するようすが描かれており、とても興味深かったです。19世紀、ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールによる「ダゲレオタイプ」やウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットによる「カロタイプ」など、写真技術の草創期が幕を開けました。それまで「現実を本物そっくりに記録する」という役割を独占していた絵画は、写真の登場によってその存在意義を激しく揺さぶられることになります。しかし、画家たちは写真を敵視するだけでなく、むしろ新たな表現のための強力なツールとして活用し始めます。さらには、フェリックス・ナダールが「動く写真」としてのシネマトグラフを公開するエピソードもあり、映画文化が華やかに幕を開きます。時代の胎動が感じられ、ワクワクしました。
写真といえば、スマホ全盛の現在、たったの2分間で19世紀に撮影されたすべての写真と同じ写真が生まれているそうです。写真だけではなく、動画もスマホで撮影されています。拙著『映画の観方』(産経新聞出版)にも書きましたが、静止した瞬間を封印する写真が「時間を殺す芸術」であるのに対し、かけがえのない時間をそのまま保存する動画や映画は「時間を保存する芸術」であると、わたしは定義しています。さらに映画の「時間を保存する」力は「時間を超える力」を生み、人間を「死すべき運命」から解放して自由にすることさえできます。過去・現在・未来・・・・・・映画は、あらゆる時間を旅することができるのです。その意味で、本作の邦題にある「時間旅行」とは「映画」の別名でもあります。絵画・写真・映画の本質を描き切った「モネと時間旅行」は、かつてないメタ・メディア映画と表現できるかもしれません。とにかく大傑作です!