No.0055
映画「終着駅 トルストイ最後の旅」をDVDで観ました。
世界文学史に燦然とその名を残すロシアの大文豪レフ・トルストイと妻ソフィアの実話を映画化したものです。トルストイが妻との不和から高齢にもかかわらず家出をして、そのまま逝去したことは知っていましたので、この映画はぜひ観たいと思っていました。
ロシアの大文豪トルストイ。比類なき文学的才能と家柄、そして作家としての名声を得たトルストイは、莫大な印税も得ていました。
しかし、彼の残した遺言から大きな波瀾が巻き起こります。
彼は自著の著作権を家族ではなくロシア国民に与えようとしました。
そのため、家族の生活を考える妻ソフィアとの間に諍いが生じます。大きなストレスを感じたトルストイは、82歳で家出し、名もなき田舎の駅で客死するのです。
ソフィヤは「世界三大悪妻」などと言われましたが、すべては女としてトルストイを愛し、母として家族を守るための行動でした。
この映画は、極上の人間ドラマを世界的名優たちが演じる名作です。
「終着駅 トルストイ最後の旅」のDVD
およそ、トルストイほどの文学的成功を収めた作家も珍しいのではないでしょうか。
存命中からドストエフスキーやチェーホフらと並んで「ロシアの文豪」の名を欲しいまま にしました。西欧では、1880年代半ばには大作家としての評価が定着していました。 ロマン・ロランやトーマス・マンといったノーベル文学賞作家たちがトルストイの評伝を書きましたし、『チボー家の人々』のマルタン・デュ・ガールがノーベル文学賞を受賞したときの演説でもトルストイへの謝意を述べています。
2002年にノルウェー・ブック・クラブ「世界文学最高の100冊」を選びましたが、トルストイの作品である『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『イワン・イリッチの死』が選ばれています。また、現代英米作家125人の投票した『トップテン 作家が選ぶ愛読書』が2007年に刊行されましたが、世界文学史上ベストテンの第1位を『アンナ・カレーニナ』が、さらに第3位を『戦争と平和』が獲得しています。
トルストイは、日本でも多くの人々に強い影響を与えました。
明治時代には、森鴎外や幸田露伴といった文豪がトルストイの作品を翻訳しましたし、島崎藤村も愛読者でした。徳富蘇峰や徳富蘆花はトルストイと直接面会しています。
日露戦争に反対してトルストイが書いた論文「悔い改めよ」は、幸徳秋水や堺利彦らの「平民新聞」に掲載されて、社会主義者たちに広く読まれました。同論文は、与謝野晶子に「君死にたまふことなかれ」を執筆させたことでも知られています。
大作『大菩薩峠』を書いた中里介山も、トルストイの影響を受けた1人です。
また、大正時代最大のベストセラーである『死線を越えて』の著者であり、偉大な社会運動家でもあった賀川豊彦も、トルストイの影響で反戦思想を形成したとされています。
大正期には、白樺派の人々がトルストイの思想に感化されました。
武者小路実篤の「新しき村」運動、有島武郎の農地解放、さらには宮沢賢治も強い影響を受けています。まさに、トルストイほど多くの日本の文化人に愛された海外作家はいないと言っていいでしょう。そして、そういった日本人たちは、作家としてだけでなく思想家としてのトルストイを尊敬していたのです。
トルストイの思想とは「非暴力主義」という言葉に代表されます。
これにロマン・ロランやガンディーが深く共鳴しました。
ガンディーは、インドの独立運動でそれを実践しました。
トルストイ関連書の数々
このようにトルストイは、近代を代表する大思想家だったと言えるでしょう。
ロシア文学者の佐藤清郎氏は、著書『トルストイ 心の旅路』(春秋社)で、トルストイについて次のように述べています。
「私たちは、今、デジタル化、物質万能的、利便第一主義の時代のさなかにおります。しかし、もう一つの大きな文化――ブッダ、イエス、老子に代表される精神の文化のあることを忘れてはなりません。トルストイはもちろん、後者に属します。物はバランスを失えば、必ず倒れます」
ここで、ブッダ、イエス、老子といった「聖人」とともにトルストイが語られています。
実際、トルストイは多くの人々にとって偉大な「聖人」でした。
佐藤氏は孔子の名前は挙げていませんが、晩年のトルストイは『老子』とともに『論語』も愛読していたことが明らかになっています。おそらく、あらゆる宗教や哲学を超える「普遍思想」というものをめざしていたのではないかと思います。
トルストイの願いは、愛で世界中の人々を平等にしたいということでした。
彼のまなざしは「隣人愛」や「人類愛」に向っていたわけですが、それがトルストイ主義の急先鋒であったチェルトコフらに利用されたのです。いっぽう、妻ソフィアのまなざしは、ひたすら「夫婦愛」や「家族愛」にありました。
この「家族愛」vs「人類愛」という構図は、古代中国の儒家と墨家の思想的対立をも彷彿とさせます。「孝」で親子愛を、「悌」で兄弟愛を、つまりは「家族愛」を説いた儒家に対して、墨家は一種の博愛主義としての「兼愛」を唱えたのでした。
それにしても、トルストイはビートルズのはるか前に「All you need is love」と世界中に宣言していたのですから、考えてみれば凄いことです。
わたしもトルストイには大いに関心があり、一時期、関連書を読み漁りました。
そんなトルストイの風貌は、まさに聖人然としています。
それは、何といってもあの目の存在が大きいでしょう。
ロシアの作家ゴーリキーは、「トルストイの眼には、千の眼がある」」と言いました。
また、彼は「もし神のような人がいるとしたら、それはトルストイだ」とも言っています。
このような「神のような」トルストイは、当然ながら神格化されました。
この映画の中で妻のソフィアが、夫の崇拝者たちに向って「まったく、この人をキリストとでも思っているのかしら」と言い放つ場面がありますが、チェルトコフ率いるトルストイ運動一派による過剰な神格化こそ、彼の孤独な最期の原因となったのでした。映画の中では、運動一派に対してトルストイ自身は居心地の悪さを感じており、周囲との間には微妙なズレがあったことが描かれています。
わたしが一番好きなシーンは、トルストイが助手のワレンチンに「わたしは立派なトルストイ主義者じゃないよ」と語るところです。また、若き日の情事の思い出を嬉々と語るシーンも、トルストイの人間臭さがよく表現されていました。
結局、トルストイ主義者たちは等身大のトルストイを消し去りたかったのでしょう。それは、かつてのブッダやイエスの弟子たちと同じ心理が働いていたのかもしれません。ワレンチンがチェルトコフに、「あなたは偶像をつくりたいんだ」と言い放つ場面がありますが、まさに的確な表現だと思います。
映画が終了した後、エンドロールに、1914年にトルストイの全著作の権利がソフィアに委譲されたというテロップが入ります。
この言葉と、その年代を見て、わたしの胸は熱くなりました。
言わずと知れた1914年とは、あの第一次世界大戦が勃発した年です。
これから、人類は悪夢のような「戦争の世紀」を生きることになったのでした。
奇しくも、戦争のシンボル年ともいえる1914年に、トルストイとソフィアの夫婦愛の高らかな勝利宣言が為されたのです。わたしの信条に「結婚は最高の平和」があります。
著作権がソフィアに委譲されたとき、まさに最高の平和が示されたという気がしてなりません。『戦争と平和』とはトルストイの代表作の名前ですが、トルストイにとっての「平和」そして「終着駅」とは妻ソフィアの別名に他なりませんでした。
多くの方にぜひ一度観ていただきたい名作です。