No.0091
日本映画「遺体 明日への十日間」を観ました。
ブログ『遺体』で紹介した本の映画化作品です。昨日開かれた全互協・事業継承委員会の会議でも、わたしが話題にした映画です。この映画の主人公・相葉常夫は西田敏行が演じていますが、元葬儀社の社員という設定になっています。正確には専門葬儀社ではなく冠婚葬祭互助会で、全互協のメンバーです。つまり、わたしたちの仲間なのです。
5日の朝、高野山大学准教授の井上ウィマラさんからメールが届きました。 井上さんはスピリチュアルケア学の第一人者であり、僧侶として世界平和パゴダで修行されたこともある方です。わたしとともに、「日緬仏教文化交流協会」の理事でもあります。井上さんからのメールは、2日に東北で開催された「東日本大震災と宗教者・宗教学者」というシンポジウムについての同時送信メールでした。そのシンポは、鎌田東二さんをはじめ、島薗進さん、玄侑宗久さんといった方々が参加されました。いずれも、ブログ「『こころの再生』シンポジウム」で紹介した、昨年7月11日に京都大学で開かれたシンポジウムでわたしが御一緒させていただいた方々ばかりです。
井上さんは、今回の東北でのシンポジウムに参加できずに残念であったことを告げられた後、メールに次のように書かれていました。
「ノンフィクション作家石井光太さん原作の『遺体』が映画化されて公開されています。被災地では直接触れることのできなかったことや宗教の原点やグリーフケアの最初の一歩を教えてもらったような気がいたしました。宗教関係の皆様にも、ぜひ見ていただけたらと思います」
有楽町スバル座で観ました
わたしは、東京で会議の間を縫って、有楽町スバル座で観賞しました。 映画の舞台は、 東日本大震災で被災した岩手県釜石市の遺体安置所です。
定年まで葬儀の仕事をし、その後は民生委員となった主人公・相葉常夫を中心に、遺体安置所で奮闘する人々の姿を映し出しています。医師、歯科医とその助手、市役所の職員、消防団員、警察、自衛隊、そして僧侶などその場に居合わせた人々は、膨大な量の遺体を前にして呆然とし、ただただ途方に暮れます。しかし、1人ひとりの遺体に優しく語りかけ、死者といえども人間の尊厳を守ろうと必死に頑張る相葉の姿を見て、他の人々も1人でも多く遺族のもとに帰してあげたいと思い、目の前にあるするべきことを黙々と行うのでした。相葉の「やるべし!」という言葉に励まされながら・・・・・。
上映開始10分で、いきなり遺体安置所のシーンが登場します。
そして、その後は終了まで延々とその場面が続きます。
まず、わたしが思ったのは、「よく、遺体安置所だけで映画を撮ったな」ということでした。日航の御巣鷹山墜落事故を描いた映画「沈まぬ太陽」にも凄惨な遺体安置所のシーンは出てきますが、それは映画全体の一部であり、あくまでメインは日航社内の人間関係にありました。しかし、この「遺体 明日への十日間」の場合は、本当に遺体安置所がメインの作品なのです。
まったく派手な場面もなく、ひたすら安置所での出来事が続きます。何よりも驚いたのは、東日本大震災における地震や津波の発生の瞬間のシーンがまったくなかったことでした。文字情報だけで大災害の様子を伝えているのです。とにかく、主役は無数の遺体そのものであり、それから遺体に接する人々なのです。ある意味で、前代未聞の映画ではないでしょうか。
井上ウィマラさんが書かれたように、この映画にはグリーフケアの原点があると、わたしも思います。そして、もうひとつ、スピリチュアルケアの原点も描かれています。葬儀の仕事をしていた相葉は、遺族に対してのグリーフケア、死者に対してのスピリチュアルケアの両方を見事に行っていきます。
具体的には、「死体」ではなく、尊厳をもって「ご遺体」と言うこと。
死後硬直している遺体の筋肉をほぐして、元通りの姿勢に戻すこと。
まるで生きている人間を相手にするように、遺体に言葉をかけること。
遺体の死に顔をきれいにするために、丁寧に化粧をしてあげること。
遺体と対面した遺族に真摯に対応し、必ず思いやりのある言葉をかけること。
すべてが、わが社が普段から心がけていることに通じており、大変勉強になりました。特に言葉だけでなく、これらのケア作業の様子を映像に収めたことは、今後の葬儀業界にとって大きな教育的・資料的価値があるのではないでしょうか。
それにしても火葬場が停止しているのに、遺体が体育館に続々と運ばれる場面は悲痛です。愛する家族を失ったのに、遺体をビニールシートの上に寝かせて汚れた毛布で包むだけの状態という遺族の辛さは想像するに余りあります。
それから、市の女性職員の思いつきで簡易な祭壇が設けられ、線香が用意されます。続いて、僧侶が現れて、お経を唱えます。それは法華経でしたが、その読経でどれほど多くの死者と生者が救われたことか!
この場面ほど、宗教者の役割が見事に表現されたシーンはないでしょう。
そして、ついに棺が届き、物語は新展開を見えます。
ようやく人間らしい葬儀が可能になった瞬間でした。
じつは、わが全互協がこのとき大量の棺を現地に届けました。
わたし自身、当時の広報・渉外委員長であり、社会貢献基金も担当していたので、いろいろと思い出があります。ですので、棺が現地に届いた場面を観たときは、熱いものが胸にこみ上げました。
あのとき、全互協のメンバーは本当に一致団結して、よく頑張りました。
大量の棺を用意して下さった愛知冠婚葬祭互助会さん、それを群馬の倉庫で保管して下さったメモリードさん、その他の全国の互助会さんもみんな善意で動いて下さいました。この映画のエンドロールには、「協力」としてサンファミリー釜石典礼会館、「撮影協力」としてライフシステム日典ラサ中山といった被災地のセレモニーホールの名もクレジットされています。すべて、全互協の仲間たちです。わたしは、仲間たちを心から誇りに思います。
東日本大震災は未曾有の大災害でした。わたしは、この大災害で日本国民は「何が人間にとって本当に必要か」ということがわかったように思います。
電力・ガス・ガソリン・水・食・薬・・・これらは、すべて必要です。
電話(携帯電話)やトイレットペーパー、紙オムツ、歯ブラシなどが不足しました。
ホテルやコンビニが都市のインフラであることも証明されました。
そして、「葬式は必要!」ということも明らかになったような気がします。普通の火葬ができなかったとき、多くの人たちが葬儀の意味を痛感しました。 ある意味で、民主党政権ではなく国民自身が「事業仕分け」をしたのです。「この事業は絶対に必要」「これは、今のところ不要」という仕分けをしたのです。
今回、電力と並んで葬儀の必要性が見直されたように思えてなりません。
いわゆる電力産業というのは、基幹産業を代表するものです。
どこの地方でも、地元産業界のリーダーは電力会社です。
原発事故の直後、電力業界のサムライたちは、自らの危険を顧みず、決死の覚悟で福島第一原発へと向かって行きました。
わたしは、あのサムライたちに心からの敬意を捧げたいと思いました。
そして、被災地で多数の御遺体と向き合い、多くの方々の「人間の尊厳」を守っている「おくりびと」たちにも心からの敬意を捧げたいと思いました。
現地に派遣されたエンゼルメイクの方々は、ひとりで1日100体もの御遺体をきれいにしてあげたそうです。
この映画に、中学生の娘を津波で亡くした母親が登場します。深い悲しみの淵にある彼女は、何があっても、わが子の亡骸の傍らを離れようとしません。
この母娘は、わが妻と次女の姿に重なって、わたしは涙が止まりませんでした。
そして、ようやく秋田の火葬場に空きができて、娘の遺体が火葬されることになったとき、稲葉ら安置所の人々に深々と一礼するのでした。
火葬にされた遺体は、まだ幸いだったと言えるでしょう。
また、棺に入れた遺体も幸いでした。
大震災から時間が経過するにつれ、あまりに傷みすぎて棺には入れられず、納体袋に入れられた遺体も多かったのです。
さらには、いくら傷んでいても遺体があるだけで幸いでした。
遺体の見つからないまま葬儀を行った遺族も多かったのです。あのとき、普通に葬儀があげられることがどれほど幸せなことかを、日本人は思い知りました。
それほど、津波による死者の遺体は、かなりの損傷を受けていました。
現地に派遣されたエンゼルメイクのスタッフたちは、その傷んだ遺体を1人づつ丁寧に顔を拭き、体を洗い、亡骸を人間らしくしてあげたのです。彼らのことを思うだけで、今でも涙が出てきます。原発で放水作業をした消防隊員は「英雄」と称されましたが、被災地の「おくりびと」たちも本当に立派でした。
わたしは、葬祭業は「こころの基幹産業」であると確信しています。
「遺体 明日への十日間」の映画パンフレット
この映画は俳優陣も豪華で、西田敏行、佐藤浩市、佐野史郎、柳葉敏郎、緒方直人、筒井道隆、國村隼らの名演技が光ります。また、酒井若菜や志田未来といった若手女優たちの演技も素晴らしかったです。特に、酒井若菜が恩人の遺体を見つけて泣き崩れるシーンは圧巻で、わたしも貰い泣きしました。
これほど悲惨な映画もないように思えますが、現実はもっと悲惨でした。
スクリーンの中の遺体安置所はこの世の地獄のようにも思えますが、それでもまだ遺体はきれいに描かれていました。
そして、何よりも映画は「匂い」が表現できません。
本当は、遺体安置所で働いた人々はものすごい匂いの中にいたのです。 わたしたちは、それを絶対に忘れてはなりません。
しかし、映画でリアルな遺体安置所を描けるはずもありません。またドキュメンタリーに近づくと、上映の機会が限られてしまいます。この映画の描写は、商業映画としてはギリギリの適切な表現であると思います。わたしは、アカデミー外国語賞を日本映画で初めて受賞した「おくりびと」のように、世界中の人たちにこの映画を観てほしいです。1人でも多くの日本人にも観てほしいです。
誰よりも、一番観てほしい人は島田裕巳さんです。
あの大津波で、「葬式は、要らない」という考え方は流れ去りました。
この映画は『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)で取り上げました。