No.800


 東京に来ています。
 11月14日は会議ラッシュでしたが、朝一番、TOHOシネマズシャンテでドイツ・フランス・ベルギー合作映画「ぼくは君たちを憎まないことにした」を観ました。テロの犠牲者の遺族の物語で、まさに、ザ・グリーフ・ムービーといった内容です。グリーフケア委員会に参加する前に観たのですが、正直な感想は「うーん、違うな」でした。
 
 ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「2015年のパリ同時多発テロ発生から2週間の出来事を描いた、アントワーヌ・レリスの原作を基に描く人間ドラマ。テロで妻を失い、悲しみと不安の中で息子の面倒を見る男性が、テロリストに手紙を書く。メガホンを取るのは『陽だまりハウスでマラソンを』などのキリアン・リートホーフ。『湖の見知らぬ男』などのピエール・ドゥラドンシャン、『ラヴ・アフェアズ』などのカメリア・ジョルダーナらが出演する」
 
 ヤフーの「あらすじ」は、「2015年11月13日の朝。ジャーナリストのアントワーヌ(ピエール・ドゥラドンシャン)は、急いで仕事に向かう妻のエレーヌ(カメリア・ジョルダーナ)を息子のメルヴィル(ゾーエ・イオリオ)と共に見送った。その晩、同時多発テロがパリで発生し、エレーヌはテロに巻き込まれて命を落とす。幼い息子と残されたアントワーヌは、妻の命を奪ったテロリストに向けて、手紙をしたためる」です。
 
 アントワーヌ・レリスは、1981年、パリ生まれのジャーナリスト。パリ同時多発テロ事件で、バタクラン劇場にいた妻エレーヌ・ミュヤル=レリスを失いました。130人以上の死者が出る惨劇となりました。このテロで妻を失ったアントワーヌは、フェイスブック上でテロリストに「憎しみを与えない」と宣言、メッセージは世界を駆け巡り、3日間で20万回以上も共有されました。暴力と混乱のなかに灯された言葉、人間の尊厳――。最愛の妻をテロリストに奪われた夫が、小さな息子と共に生きる希望を綴じ込んだ、胸をゆさぶるドキュメントが、この映画の原作『ぼくは君たちを憎まないことにした』です。
 
 この映画を観た人の多くは、最愛の妻を失ったアントワーヌが犯人たちに「君たちを憎まない」とメッセージを送ったことについて感動したかもしれません。でも、わたしは、ちょっと違いました。そのメッセージが事件の直後であり、妻を亡くしたばかりのときに発せられたことに違和感をおぼえたのです。その言葉は、強がりであり、現実逃避の妄言のようにも思えました。映画では、亡くなった妻エレーヌが、急に入った仕事を優先して家族旅行をキャンセルしたり、幼い息子を夫に預けてお気に入りのロック・バンドのLIVEに男友達と出掛けたりと、良き妻・良き母とは思えません。そんな彼女はLIVEで盛り上がっている最中にテロ攻撃に遭い、男友達の腕の中で息絶えています。正直に言うと、彼女のそんな死に方もアントワーヌの言葉に繋がったのではないかと思えてしまいました。
 
 しかし、いくら強がりの言葉を吐いても、人間は自分の心に嘘はつけません。達観したメッセージによって、一躍時代の寵児となったアントワーヌでしたが、その後、精神に変調をきたします。妻を亡くした悲嘆がどんどん膨れ上がり、彼の心は悲鳴を上げます。彼が自身のグリーフをケアする方法が、亡妻の写真を見たり、録音されたメッセージ音声を聴いたり、遺された衣服の香りを嗅ぐことでした。まさに視覚・聴覚・嗅覚を総動員して、彼は自身のグリーフケアを行ったのです。その姿を見て、わたしは「彼は自死しないために、必死でセルフ・グリーフケアをしている」と思いました。本来、最大のグリーフケアの方法は葬儀ですが、彼は妻の葬儀や墓の問題から目を逸らし続けました。つまり、彼は妻が亡くなったという事実を認めようとしなかったのです。

隣人の時代』(三五館)
 
 
 
 あまり共感できる部分のなかった「ぼくは君たちを憎まないことにした」ですが、わたしは心を動かされた場面もありました。アントワーヌの妻がテロの犠牲になったことを知って、息子のメルヴィルが通っている幼稚園の児童の母親たちが「心よりお悔みを申し上げます。わたしたちに、何かできることをサポートさせて下さい」とアントワーヌに申し出る場面です。彼女たちは毎日、交代でアントワーヌ親子の食事を作りたいというのです。この場面を見て、わたしは「これこそ隣人愛の発露だ。そういえば、『隣人祭り』が誕生したのもパリではないか」と思いました。詳しくは、拙著『隣人の時代』(三五館)をお読みいただければと思いますが、せっかくの隣人たちの申し出にアントワーヌは気乗りせず、メルヴィルに至っては提供されたスープの味を「うんちみたいだった!」とディスる始末。それを聞いた相手は傷ついているのに、そのまま無言で立ち去るアントワーヌは終わっていると思いました。
 
 この映画を観た前日、一条真也の映画館「限界境界線 救出までの18日間」で紹介した韓国映画を観ました。タリバンの人質になった韓国人救出のためにアフガニスタンに向かった外交官と、現地の工作員による決死の交渉作戦を描いていましたが、現在もイスラエル・ガザ戦争でイスラム組織ハマスによって人質が拉致される悲劇が再現されています。ブログ記事の中で、わたしは「イスラエル・ガザ戦争では、多くの人々が亡くなり、多くのグリーフが生まれ続けています。どうしても戦争を止められないのが人類の性であるなら、グリーフケアとはそんな人類が編み出した悲しきワザであり、人類が存続するための知恵なのかもしれません」と書きました。タリバンも、ハマスも、パリ同時多発テロを起こした連中も、すべてイスラム教の過激派です。
 
「グリーフケアとは人類が編み出した悲しきワザであり、人類が存続するための知恵」というわたしの発言を読んだサンレーの瀬津式典長から「私は常々、争いや戦争は人間ひいては生き物が進化のために背負った業だと考えております。社長のご指摘の通り、グリーフケアがそれへのカウンターとしますと、その最たるかたちであるといたしますと、それを業とする私たちの使命は悲嘆のケアによる人類という種の維持はもちろん、その進化へも寄与する途方もないものではないかと考えた次第でございます」とのLINEが届きました。瀬津式典長は神社の禰宜という神職ですが、その鋭い見方には唸りました。
 
 また、サンレーのグリーフケア推進部の市原部長からは「ケアを行っていく上で必ず認識していなければならないことのひとつに、クライアントとケア者には、どんなに同情し、共感していても必ず違いがあるということだと思います。だからこそその違いを知った上で、ありのままを受け止めてあげることは重要なことです。さまざまな宗教や価値観があり、その違いを受け止めていかないから、戦争や争いが起こっていくように思います」とのLINEが届きました。市原部長は日本に30人しかいない上級グリーフケア士の1人ですが、グリーフケアの現場からの貴重な意見であると思いました。
 
 わたしは、妻を殺害した犯人たちに対して、アントワーヌが「ぼくは君たちを憎まないことにした」と発言した背景には、妻と共に130人もの人々が犠牲となった事実があるように思います。犠牲者の多い無差別テロということで、悲しみがシェアされ、自身に降りかかった悲劇が抽象化されたのではないでしょうか。もし妻だけが、妻1人だけが殺害されたとしたら、彼はその殺人犯に「ぼくは君を憎まないことにした」と言えるのか? 思うに、あまりのショックと悲しみのあまり、アントワーヌは妻の死を現実として受け止めず、抽象化しようとしたのではないでしょうか? それは、彼が頑なに妻の葬儀の段取りや墓の問題から逃避し続けたことからも明らかです。彼は強がり、あるいは綺麗ごとを言いましたが、わたしは愛する人の命を奪われた場合、その奪った相手を遺族が憎むことは自然な感情であると思います。また、憎き犯人が死刑になることは遺族にとって確実にグリーフケアになるとも思います。
 
「ぼくは君たちを憎まないことにした」を観て、最も心が痛んだのは、残された幼いメルヴィルという男の子の「ママ、ママ...」と亡き母を探す姿でした。死については、子どもの年齢と発達段階に沿って説明することが重要です。何も語らないことはその話がタブーであることを示唆し、子どものグリーフの解決にはなりません。説明は簡潔で、直接的であるべきで、子供に質問があるなら正直、かつ素直に説明をするように心がけるべきです。米国国立がん研究所によると子供のグリーフの表現には、「僕(私)のせいで死んじゃったの?」「僕(私)や他の人(兄弟や親を含む)にもそういうことが起こるの?」「これからはだれが僕(私)の世話をしてくれるの?」というな3つの重要テーマがあるといいます。のように、幼児は自分の安全を保証してもらいたいという気持ちがあるので、その点に関する不安を解消することが重要です。