9月6日の日曜日の夜、自宅の書斎でオーストラリアのホラー映画「ババドック 暗闇の魔物」をU-NEXTで観ました。2014年の作品ですが、「ホラー映画は悲しみの処理に役立つ」という仮説の正しさを証明すべく渉猟する中で出合った傑作。まさに、グリーフケア・ホラーでした!
映画.comの「解説・あらすじ」には、「1冊の絵本によって恐怖の底に突き落とされる母子を描き、シッチェス映画祭をはじめ世界各地の映画祭で絶賛されたオーストラリア製ホラー。夫を事故で亡くしたシングルマザーのアメリアは、学校で問題ばかり起こす息子サミュエルの扱いに悩まされていた。ある晩、サミュエルがアメリアの知らない絵本を持ってきて読んでほしいとせがむ。それは『ミスター・ババドック』というタイトルの不気味な絵本で、物語は途中で終わっていた。サミュエルが異様に怖がったことから絵本を破り捨てるアメリアだったが、捨てたはずの絵本がいつの間にか戻ってきてしまう。それ以来、彼女の周囲で不可解な出来事が次々と起きるようになり・・・・・・。『シャーロットのおくりもの』のエシー・デイビスが、精神的に追いつめられていく母親役を熱演した」と書かれています。
本作の監督は、ジェニファー・ケント。ラース・フォン・トリアー監督の「ドッグヴィル」(2003年)で助監督を務めた人ですが、本作「ババドック 暗闇の魔物」は彼女の長編初監督作品となっています。キャストはアメリア役にエッシー・デイヴィス、サミュエル役にノア・ワイズマンをはじめ、ダニエル・ヘンシュオール、ヘイリー・マケルヒニー、ティファニー・リンドール=ナイト、バーバラ・ウェスト、ベンジャミン・ウィンスピアーなど。本作は世界各国の映画祭で合計50部門以上にノミネートされ、35部門で賞を受賞するなど高い評価を受けました。第4回オーストラリア・アカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞、第20回エンパイア賞ベストホラー映画賞、第80回ニューヨーク映画批評家協会賞・第1回作品賞、2014年度ブラム・ストーカー賞脚本賞などを受賞しています。
アメリアは事故で夫を亡くし、息子のサミュエルと2人で暮らしています。だが、サミュエルは学校で度々問題を起こし、彼女の頭を悩ませていました。一方でサミュエルは、母親が本を読み聞かせると眠りにつくという面もありました。そんなある夜、サミュエルがアメリアに読んで欲しいと1冊の絵本を持ってきます。でも、『ババドック』というタイトルのその絵本は彼女の見たこともないもので、どこか薄気味の悪い絵本でした。それ以降、2人の周囲で次々と奇怪な現象が起きるようになります。アメリアやサミュエルが体験する恐怖は実際の超常現象というより、妄想や幻覚のように思えます。それぐらい、この母子はものすごく大きなストレスを抱えて生きているのです。
サミュエルは6歳になる少年ですが、誕生日を当日に祝われたことが一度もありません。なぜなら、それは彼の父親が交通事故死をした命日であり、アメリアにとって忌むべき日だったからです。彼女には夫との死別というグリーフがあり、その心の傷と息子の問題行動に悩まされる日々でした。ここで、ホラー映画には精神疾患の問題が付いて回ることに気づきます。ババドックは、心を病んだ母子の見た幻というか、うつ病のメタファーのようにも思えます。この可能性は幽霊や悪魔が登場するオカルト映画全般に言えますが、オカルト映画の金字塔「エクソシスト」(1973年)の監督ウィリアム・フリードキンは本作「ババドック 暗闇の魔物」について、「未だかつてこんなにぞっとする映画を見たことがない。」とツイッターで絶賛したそうです。
『ババドック』に限らず、子ども用の絵本で怖い内容のものは多いです。たとえば、モーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』やトミー・アンゲラーの『すてきな三にんぐみ』などの名作もその部類に入るでしょう。また、怖い本が実体化するという物語では、一条真也の映画館「スケアリーストーリーズ 怖い本」で紹介した2020年のアメリカ映画があります。かのギレルモ・デル・トロがストーリー原案・企画・製作を務め、自身の原点ともいえる児童書シリーズを映画化したホラーです。ハロウィンの夜。町外れの幽霊屋敷に入った高校生たちが見つけた本には、数々の怖い話が綴られていました。翌日から本を見つけた仲間が1人ずつ姿を消し、さらに本には毎夜新たな物語が書き加えられていきました。主人公は消息不明の高校生たちで、そこには彼らが最も怖いものに襲われる物語が書かれていたのでした。
本作「ババドック 暗闇の魔物」は、「ホラー映画は悲しみの処理に役立つ」という仮説の正しさを証明する作品かもしれません。本作におけるババドックは、夫を亡くした母親が抱える未消化の深い悲しみ(グリーフ)やトラウマの具象化であり、物語の結末は悲しみを無理に消し去るのではなく「受け入れて共存する」というグリーフケアの本質を描いています。映画に登場する不気味な黒い怪物「ババドック」は、単なる幽霊や悪霊ではありません。アメリアは、夫を事故で亡くした悲しみを心に抑え込んでいます。その抑圧された感情が怪物として現れます。育児のストレスや睡眠不足が重なり、悲しみは「怒り」や「破壊的なエネルギー」に変わります。怪物が見せる恐ろしい現象は、精神的に追い詰められた母親の心の混乱そのものを表しています。
もう12年も前に公開された作品なのでネタバレを恐れずに書きますが、物語の終盤で、アメリアは怪物と戦い、完全に消し去ることは不可能だと気づきます。地下室に閉じ込められていたババドックに対し、アメリアは対決の末に支配から脱します。そして、絵本に書かれていた対処法通りに、自分の中にある暗い感情をありのままに受け入れます。ラストシーンで彼女は地下室のババドックにミミズを与え、家の中で飼いならすように共存します。悲しみや喪失感は完全に消えることはありませんが、それに飲み込まれずに向き合って共に生きていくことが大切だと伝えているように感じました。実際に夫が亡くなった妻、父親を失った子が本作を観れば、グリーフが軽減される可能性はあると思います。