日本映画「mentor」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。吉田恵輔監督の作品と知って「一筋縄ではいかない」ことは予想していましたが、予想以上に凄い映画でした。なんだか今年の日本映画は「凄い映画」ばかりで、「凄さ」がインフレを起こしているような気がします。
ヤフーの「解説」には、「アパート全焼事件を起こした過去を持つ男たちの前に事件の被害者が現れるドラマ。幼いころにアパートを全焼させた2人の青年の人生が、彼らのせいで妻子を失い、全身にやけどを負った男の出現によって大きく揺さぶられる。メガホンを取るのは『四月の余白』などの吉田恵輔。『東京リベンジャーズ』シリーズなどの磯村勇斗、ドラマ『彼女と彼氏の明るい未来』などの末澤誠也、『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』などの綾野剛のほか、木南晴夏、酒井若菜らが出演する」と書かれています。
ヤフーの「あらすじ」は、「幼いころに花火で遊んだことでアパートを全焼させ、さらに住人の埜本(綾野剛)の全身にやけどを負わせ、彼の妻子を焼死させてしまった龍之介(磯村勇斗)と拓海(末澤誠也)。それから15年が経ち、事件の記憶を遠ざけようとする龍之介と過去を引きずる拓海だったが、その前に埜本が現れる。彼らに恨みや怒りをぶつけずに、優しく接してくる埜本を警戒する龍之介だが、拓海は埜本に違う感情を抱いていた」となっています。
吉田監督の映画は、いずれも観る者の心をかき乱して不安にさせる点が共通しています。1作目は、一条真也の映画館「空白」で紹介した2021年の作品です。古田新太と松坂桃李が共演を果たしたヒューマンドラマで、万引きを目撃され逃走中に車と衝突した女子中学生の死をめぐり錯綜する、被害者の父親と事故に関わる人々の姿を描きました。わたしは、ブログに「これほど不快感のある、やりきれない、登場人物が全員不幸で、ひたすら辛い映画もなかなかないと思います。しかし、これほど感動する映画もなかなかありません」と書きました。多大なストレスを観客に与え続け、最後には少しだけカタルシスを与えるグリーフケア映画の大傑作でした。
一条真也の映画館「四月の余白」で紹介した2026年の作品も心を乱されました。元半グレで元受刑者という過去を持つ西健吾(一ノ瀬ワタル)は、海の見える地方都市で全寮制更生施設「みらいの里」を運営しています。自身の体験を糧に、道を踏み外しかけた子どもたちに体当たりで向き合う西でしたが、体罰も辞さない更生方針は教育関係者から批判されていました。ある日、彼は中学校教師の冬子(夏帆)から、手に負えない生徒・海斗(上坂隼人)を紹介されますが、西は一瞬にして海斗の狂気を見抜きます。吉田恵輔監督が思春期に出会った非行少年や彼らを取り巻くコミュニティの記憶を手繰り寄せ、暴力の連鎖と更生の可能性、その間でもがく人々の姿を描いた問題作です。最初は胸糞映画かと思ったら、最後の最後で希望の光のようなものが見えました。「人は変われるのか?」というテーマが胸に迫りました。
映画評論家の松崎健夫氏は、「空白」「四月の余白」「mentor」を吉田監督の三部作だと指摘していますが、わたしもそう思います。いずれも被害者と加害者の関係性を描いており、「どう赦すのか?」「赦さないのか?」「罪を贖うとはどういうことか?」「反省するとはどういうことなのか?」を問うており、加害者にセカンドチャンスを与えることの是非を考えさせる作品です。最新作の「mentor」では、綾野剛演じる埜本がアパートの火災によって全身にやけどを負い、さらには妻子が焼死してしまいます。その原因を作った龍之介(磯村勇斗)と拓海(末澤誠也)を埜本は赦すだけでなく優しく接するのですが、ちょっと常識では考えにくい対応です。彼はいわば「優しすぎる被害者」と言えるでしょう。多大なグリーフを抱えた埜本は明らかに無理をしています。愛する妻子を亡くし、自分の人生を奪われた彼にとって加害者を憎むことは当然だからです。
「優しすぎる被害者」である埜本の姿を見て、わたしは一条真也の映画館「ぼくは君たちを憎まないことにした」で紹介した2023年のドイツ・フランス・ベルギー合作映画を連想しました。2015年11月13日の朝。ジャーナリストのアントワーヌ(ピエール・ドゥラドンシャン)は、急いで仕事に向かう妻のエレーヌ(カメリア・ジョルダーナ)を息子のメルヴィル(ゾーエ・イオリオ)と共に見送りました。その晩、同時多発テロがパリで発生し、エレーヌはテロに巻き込まれて命を落とします。幼い息子と残されたアントワーヌは、妻の命を奪ったテロリストに向けて、手紙をしたためます。そこには「君たちを憎まないことにした」と書かれていましたが、わたしは大きな違和感を抱きました。愛する人の命を奪われた際、その相手を遺族が憎むこと自体は自然な感情であり、無理に聖人のように綺麗な言葉で覆い隠そうとすることはグリーフケアとはなりません。逆に、傷ついた心にさらにダメージを与える結果になるのではないでしょうか。
「mentor」には3人の重要な登場人物がいます。1人目は、磯村勇斗が演じる益子龍之介です。幼少期に拓海と花火遊びをしてアパート火災を起こした青年ですが、過去の罪の意識に蓋をし、アーチェリーのオリンピック日本代表を目指して前を向こうとしています。アーチェリーといえば、メンタルが大切なスポーツですが、過去からの亡霊のような存在である2人の出現によって、彼の精神は多大なストレスを抱えます。しかし非常に興味深かったのは、ストレスがあった方がアーチェリー競技の成績が良く、そのストレスが消えたときに逆に成績が悪くなるという描写でした。まことに人間の「こころ」というものは不思議なものですね。
2人目は、末澤誠也が演じる上谷拓海です。龍之介と同じく花火遊びで火事を起こした青年で、 15年前のトラウマから抜け出せず、今も罪の記憶に苦しんでいます。末澤誠也は個人での映画初主演だそうですが、そうは思えないほどの素晴らしい演技でした。「Aぇ! group」のメンバーだそうですが、スタート・エンターテインメントの所属なのですね。前身のジャニーズ事務所時代から、木村拓哉、岡田准一、二宮和也、藤ヶ谷太輔、中島裕翔、重岡大毅、目黒蓮など、出身者も含めて多くの名優を生んできました。本作の役解禁時、末澤誠也は「磯村くんとは本当に子供の頃から仲良かったみたいに、撮影の合間でふざけ合っていました」とコメントしていますが、少年時代の花火のシーンや終盤の龍之介と拓海には 一条真也の映画館「我々は宇宙人」で紹介したアニメ映画を連想させるような「相棒」感がありましたね。
そして3人目は、綾野剛が演じる埜本潤です。15年前の火災でアパートを全焼させられ、妻子を失い、自身も全身に大火傷を負った被害者です。しかし、彼は加害者を恨むどころか拓海を優しく包み込み、拓海の「メンター(助言者)」的な存在となっていくのでした。綾野剛といえば、日本映画界を代表する俳優の1人ですが、本作でも顔にやけどを負った埜本を熱演しています。でも、彼が主役ではなく、磯村勇斗と末澤誠也の2人を光らせるバイプレイヤーといった印象でした。 一条真也の映画館「愚か者の身分」で紹介した2025年の日本映画でも、綾野剛は北村匠海と林裕太の2人を光らせました。この3人は、第30回釜山国際映画祭のコンペティション部門にて、揃って最優秀俳優賞を同時受賞するという快挙を成し遂げています。
本作は途方もなく暗くて重い内容ですが、ところどころコメディ要素もあり、埜本が亡き妻の妹の経営するスナックで「ふたりの愛ランド」をカラオケで歌うシーンは爆笑もので、一条真也の映画館「カラオケ行こ!」で紹介した2024年の日本映画を連想してしまいました。本作の役解禁時、磯村勇斗は「綾野剛さんがメンター役とお聞きした時、率直に嬉しかったです。それは、普段から僕のメンター的存在なので、同じ空間で再びお芝居ができることをとても楽しみにしていました。現場でも綾野さんの存在は、この作品を灯す炎のように僕たちを導き、メンターの明部と暗部の危うく揺れ動く輪郭に、僕たちは翻弄されました。そこに、末澤さんの鮮烈な存在感が、三人の関係にうねりを生み出し、物語に緊張と緩和を与えてくれました」とコメントしています。
磯村勇斗がコメントで述べたように、末澤誠也には確かに鮮烈な存在感がありました。最初は自己肯定感ゼロの陰キャとして登場し、アパート火災の被害者である埜本に会ってからは彼をメンターとして崇拝します。そして反省と謝罪が自身の長所であると自覚してからは、土下座の練習をしたり、謝罪パフォーマンスの上達に打ち込むという常識外の行動に出るのでした。謝罪に異様な情熱を見せる末澤の姿からは、フロイトなどの精神分析で言う「道徳的マゾヒズム」を感じました。あえて自分を責め立てたり罪責感を抱いたりすることで、痛みや罰を通じて裏返しの快楽を得る心理状態です。また、「これだけ丁寧に、繊細に謝っている自分」「謙虚で誠実な自分」に酔い、自尊心や道徳的な優越感を確認するための手段になることがあります。
本作のタイトルにもなっている「メンター(mentor)は、日本語で「指導者、助言者」と訳されます。ビジネスにおけるメンターは、自身が仕事やキャリアの手本となって、新入社員や若手社員に助言・指導をし、個人の成長や精神的なサポートする人を指します。そして、指導やサポートを受ける側は「メンティー(mentee)」と呼ばれ、メンターがメンティーに行う指導のことを「メンタリング(mentoring)」と言います。企業が人材育成を目的に「メンター制度」として導入するケースも多く、メンターは多くの場合、悩みや不安も打ち明けやすいように他部署など少し離れた所に属している、比較的年齢の近い先輩社員が選ばれます。しかし本作では仕事やキャリアの手本ではなく、「人生の師」といった意味で使われていますね。ちなみに、吉田恵輔監督のメンターは塚本晋也監督だそうですが、わたしのメンターは昨年帰幽された鎌田東二先生だったと思います。