アメリカ映画「クジラに落ちた男」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。想像していた以上に面白かったです。じつに良くできたパニック映画であると同時に、多くの学びを得ることができた作品でした。
ヤフーの「解説」には、「ピュリッツァー賞受賞作家ダニエル・クラウスによる小説を実写映画化。単身でダイビング中に巨大なマッコウクジラにのみ込まれてしまった青年のサバイバルを描く。監督・脚本は『誰も助けてくれない』などのブライアン・ダッフィールド。クジラの体内から脱出しようとする主人公を『WEAPONS/ウェポンズ』などのオースティン・エイブラムズが演じ、『ボーダーライン』シリーズなどのジョシュ・ブローリン、『リービング・ラスベガス』などのエリザベス・シューらが共演する」とあります。
ヤフーの「あらすじ」は、「一人でダイビング中、巨大なマッコウクジラに遭遇したジェイ(オースティン・エイブラムズ)。必死でもがくも、クジラが食べようとしていたダイオウイカと一緒にのまれてしまう。酸素がなくなるまであと1時間、極限状況に陥った彼はダイビングの師である亡き父・ミット(ジョシュ・ブローリン)からたたき込まれた教えを頼りに、クジラの体内からの脱出を試みる」です。
ダニエル・クラウスによる原作小説ですが、アマゾンの内容紹介には「クジラに丸呑みされ、タイムリミットは1時間――生還する唯一の鍵は、憎んでいた亡き父の教え」「ピュリッツァー賞作家が放つ珠玉の海洋小説」「巨大クジラに丸呑みされ、酸素残量は1時間。生還する唯一の鍵は、憎んでいた父に叩き込まれた教え──卓越したダイバーだが不器用な生き方しかできなかった父が、海で自ら命を絶った。17歳の息子ジェイはその遺骨を求め、海に潜るが・・・・・・。ピュリッツァー賞作家が放つ傑作海洋小説。全米図書館協会アレックス賞受賞、2023年ニューヨーク・タイムズ年間ベストブック選出」と書かれています。
小説といえば、アメリカ文学を代表する名作にハーマン・メルヴィルの『白鯨』(1851年)があります。白い巨大な鯨「モービー・ディック」を追い続ける船長エイハブ。その狂気と執念は、やがて乗組員全員を巻き込み、運命の海へと突き進みます。冒険、哲学、そして人間の本質が交錯する不朽の名作です。『白鯨』も『クジラに落ちた男』も巨大な白いマッコウクジラと人間の死闘を描いた海洋文学の金字塔であり、「人間と巨大クジラの対決・宿縁」という点で共通のモチーフを持っています。『クジラに落ちた男』は21世紀版『白鯨』と言えるかもしれません。
本作はディズニー映画です。「クジラに呑まれる」といえば、多くの人はディズニーのアニメ映画「ピノキオ」(1940年)に登場する巨大なクジラを連想するでしょう。名前はモンストロです。ゼペットおじさんとピノキオが、海の中でモンストロに次々と飲み込まれてお腹の中で再会します。ピノキオがお腹の中でたき火を起こし、その煙でモンストロにくしゃみをさせて脱出します。カルロ・コッローディの原作小説では、クジラではなく「恐ろしいサメ(イル・テッリービレ)」という名前の巨大な魚として描かれていました。ちなみに、このエピソードは、『旧約聖書』「ヨナ書」において神の命令から逃げた預言者ヨナが海に投げ出され、巨大な魚に飲み込まれた話がモチーフとされています。
原作者のクラウスはもともとダーク・ファンタジーの名手として知られていますが、「ニューヨーク・タイムズ」紙は「科学者の厳密さと詩人の感性を兼ね備えている」と評しています。そんなクラウス文学の根底にあるのは、物語に圧倒的なリアリティを与える精緻なリサーチ力だとされています。解剖学をはじめとする専門知識や、妥協のない徹底的な調査によって構築される世界観は、観る者を一瞬で物語へと引きずり込みます。その凄みは本作でも余すことなく発揮されており、「クジラの体内」という異空間をこれ以上なくリアルに描写。それは映画でも存分に生かされています。
本作では、真に迫る「説得力」と「解像度の高さ」でクジラの体内をリアルに表現していますが、追い詰められた状況下で生まれる主人公ジェイの恐怖や狂気、内面的な葛藤といった複雑な心理変化は徹底して描かれています。観客は息をのむほどの深い没入感を与えられますが、ジェイは今は亡き父親の教えを思い出しながら、最大の危機を乗り越えようとします。「父との葛藤と和解」というアメリカ映画お得意のテーマを本作でも明確に見ることができますが、亡父の教えを思い出しながら日々生きているわたしには感涙ものでした。また、ジェイがクジラに呑まれたのは、もともと彼が父の遺骨を探すために海に出たためであり、『孟子』やヘーゲル『精神現象学』の「親の埋葬倫理」を連想しました。
本作を観て、わたしが感銘を受けたのはジェイが絶体絶命の状況の中で諦めずに、なんとかして危機を脱しようと知恵を絞る姿です。そこには、「あるものでなんとかする」という積極的な姿勢がありました。いま手元にある道具や材料、リソースを最大限に活かして、目的を達成する工夫や姿勢です。これは介護現場の自助具づくりや、料理でレシピに頼らず余り物で作るなど、日々の暮らしに根ざした知恵です。インドの「ジュガール(アジャイル文化)」など、世界中にあるサバイバルな問題解決のメンタリティに通じます。受動的に「なんとかなる」と待つのではなく、能動的に「なんとかするさ(自分で道を作る)」という主体的な生き方や、仕事における「なんとかする力」として語られます。
海洋映画としての本作のハイライトは、ともにクジラに呑まれたダイオウイカとジェイとの死闘です。ダイオウイカは無脊椎動物の中で世界最大級であり、全長は4.5mから大きいものでは10m以上(過去には14m〜18mの説も)に達します。一方、マッコウクジラは歯のある哺乳類としては世界最大級で、深海に潜る能力を持ちます。水深数百メートルから2000m近くまで潜り、超音波(エコーロケーション)を使って暗い深海でエサを探します。胃の内容物の95%以上がイカ類であり、ダイオウイカも重要なタンパク源となっています。両者の関係は、マッコウクジラがダイオウイカを一方的に捕食している関係が基本です。
さて、人間が実際にマッコウクジラに呑み込まれると、窒息や溺死、強い筋肉による圧迫などにより、生還は極めて困難であると考えられています。クジラの中で人間を丸呑みできる喉を持つのはマッコウクジラのみとされています。マッコウクジラの胃は4つに分かれており、第1の胃は非常に厚い筋肉の壁で、咀嚼できない代わりにイカの爪や吸盤の攻撃に対抗するため強力な力で餌を押し潰します。体内に取り込まれた場合、胃の中の強烈な圧迫、酸素不足による窒息、または海水による溺死に至る可能性が高いとされています。生物学者の調査によると、実際に人間がマッコウクジラに呑み込まれて生還した確実な記録や事例はなく、科学的・生態的に考えて人間が呑み込まれる事態は「ほぼ不可能」とか。
わたしの愛読書に一条真也の読書館『サメに襲われたら鼻の頭を叩け』で紹介した本があります。SNSで一方的に誹謗中傷されたり、走行中に車のブレーキが急に効かなくなったり、クレジットカードが不正に使われたり、乗った飛行機が今にも墜落しそうになったり・・・人間生きていると、さまざまな危機に遭遇しますし、中には「絶体絶命」というシチュエーションもあるでしょう。本書は、わたしたちが直面してもおかしくない100のシチュエーションと、そこを乗り切るための術とヒントを解説した一冊です。「決してあきらめてはいけない。『知識』は必ず『ピンチ』を救う」というメッセージが全編から伝わってきます。

「サンデー新聞」2020年3月7日号
『サメに襲われたら鼻の頭を叩け』の中には、海中でサメに襲われるというシチュエーションでの対処法も書かれています。サメを見かけたら、脅かさず静かに浮上するか、岩陰などに隠れるのが賢明なのは言うまでもありません。しかし万が一の場合は、サメの鼻か、目を攻撃するといいとか。オーストラリアの例では、頭から上半身を食われかけた男性が辛うじて伸ばした手の先に、テニスボールくらいのサメの目玉があったので、これを力一杯握り潰したところ、サメが思わずアゴを緩めて口を開け、その隙に逃れたことがあったといいます。ちなみに同書には、マッコウクジラに呑み込まれたときの対処法は書いていません。
本作の主人公ジェイを演じたオースティン・エイブラムスは、一条真也の映画館「WEAPONS /ウェポンズ」、「バイオハザード」で紹介したホラー映画にも主演しています。「バイオハザード」ですが、医療品の配達人として働くブライアン(オースティン・エイブラムス)は、とある病院で「取扱注意」と記された医療バッグを託され、ラクーンシティ総合病院へ向かうことになります。いつも通り車を走らせるブライアンでしたが、路上に飛び出してきた血まみれの女に衝突したことから事態は急展開。想像を絶する事態に次々と見舞われ、命がけのサバイバルに巻き込まれていくのでした。それにしても、本作と言い、オースティン・エイブラムスは絶体絶命の主人公を演じさせたら無双ですね!