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「バード・ボックス バルセロナ」

No.1406

NETFLIXオリジナルのホラー映画「バード・ボックス バルセロナ」を観ました。一条真也の映画館「バード・ボックス」で紹介した2018年の作品のスピンオフです。2023年に配信開始されましたが、前作の世界観を踏襲し、舞台をアメリカのカリフォルニアからスペインのバルセロナに移して、緊迫感溢れる物語が展開されます。主役は、スペインのスター俳優マリオ・カサス。さすがネトフリ!

正体不明の存在が人類を追い詰めるなか、セバスティアン(マリオ・カサス)は荒廃したバルセロナで生き延びようとします。ほかの生存者たちと不安定な協力関係を結び、街からの脱出を目指す中で、さらに不穏な脅威が姿を現します。見てはいけない恐怖と生存者たちの疑心が緊迫感を生みます。前作と同じ危機を別の場所から見つめ、生存者の選択と人間関係の揺れを濃く映し出します。原作はジョシュ・マラーマン。監督はアレックス・パストール、デヴィッド・パストール。出演はマリオ・カサス、ジョージナ・キャンベル、アレハンドラ・ハワードなど。

本作の舞台がバルセロナだと知って、わたしはちょっと切なくなりました。というのも、今年7月、業界団体の海外研修でバルセロナに行くはずだったのが戦争の影響で中止になったからです。サクラダファミリアを見学することを何よりも楽しみにしていたわたしとしては大いに落胆しました。しかし、本作「バード・ボックス バルセロナ」にはサクラダファミリアは登場しませんでした。

“それを見たら自殺したくなる”という謎の存在の脅威によって人類の人口は激減しました。歴史ある大都市バルセロナでも同様で、わずかな生存者たちは屋内に閉じこもった生活を余儀なくされています。やむを得ず外に出るときは目隠しを着用して行動するのです。この上もなく、不安かつ危険なことです。セバスチャンは、その数少ない人々と出会い言葉を交わすのですが、彼自身は目隠しをせずに行動していることがわかります。それに気づいたとき、驚きました。

セバスチャン以外にも、バルセロナの街には目隠しをせずに生きている人々がいました。彼らは邪悪な存在として描かれ、目隠しをした生存者たちに超常的な怪物をわざと見せて死に誘おうとするのでした。そんな彼らは「狂信者」と呼ばれますが、彼らの頂点には自信が神の使いだと信じてやまない1人の神父の存在がありました。その神父は怪物のことを「天使」と呼びます。前作では単なる怪物だったのに、本作では宗教的な意味を付与されているのです。

「リアルサウンド」のWEB記事で、映画評論家の小野寺系氏は、“それを見たら自殺したくなる”という部分に注目しています。前作の製作国であり原作小説が出版されたアメリカにおいて、ここ20年の間で自殺率が増加傾向を見せています。1つひとつの自殺は、個人それぞれの問題から引き起こされるものですが、それが増え続けているデータを見れば、明らかに政治や社会の状況が一定の影響を及ぼしている可能性があります。小野寺氏によれば、本作は自殺が増加傾向にあったり、知っている人間や身近な人たちが死を選んだときに感じる恐怖の構図を、SF的なサスペンスとして表現し直していたとも考えられるといいます。

わたしはグリーフケアの研究・実践を行う中で、自死の主要な原因が「うつ」であり、「うつ」を発症する機会として家族との死別の「グリーフ」が大きいことを知っています。愛する人との死別が「グリーフ」を生み、それが「うつ」を発症して「自死」に至るという流れですが、じつは本作ではまったく逆転現象が起きています。ネタバレにならないように控えめに書きますが、“それ”を見ても自死しない人間の中には「心の闇」があったというのです。セバスチャンも自死しなかった1人ですが、それは彼が最愛の者との死別の「グリーフ」を抱えていたからなのでした。

小野寺氏は、情報の不確かさが社会に引き起こす影響も指摘しています。人類史のなかでは、これまでもさまざまな国や地域において一般市民が戦争に参加させられたり、ある民族を大量に殺害するような行為によって犠牲者が生まれてきた事実があります。小野寺氏は、「とくに近年はSNSの発達によって、デマや扇動が伝わる速度や規模が大幅に増大し、それに端を発した事件も続々と起きています。そしておそろしいことに、誰もが煽動の熱狂に乗せられる可能性があるのだ。そんな情報を“見ること”自体が脅威になり得る時代に、われわれは生きている」と述べます。

それは反社会的なカルト宗教の広がりの構図とも無縁ではありません。本作の“狂信者”という要素は、その問題を追及したものだと考えられます。小野寺氏は、「やっかいなのは、カルト的な陰謀論や差別的な考えが、人間の情にうったえかけてくるところだ。われわれの持つ“自分たちの生活や家族を守りたい”という素朴な思いや、“悪事を許せない”という正義感、“幸せになりたい”という願いが利用されることで、誰の心のなかにも存在する先入観や偏見を正当化し、弱い立場の人々に害を及ぼす片棒をかつがされる結果になってしまうことが、往々にしてあるのだ」と述べます。

本作で描かれるのも、最も大事にしている存在を守りたい、一緒にいたいという、誰にとっても共感できる感情であり、それがかえって人の道を外れた凶行に向かわせてしまうという悲劇です。では、1人ひとりが脅威や迷妄から脱し、社会が健全化するためにはどうしたらいいのか。小野寺氏は、「その答えの1つになり得るのは、個人が自分の行動を立ち止まって、本当にそうすることが必要なのか、それがどんな結果を及ぼすのか、そして誰かの思惑に踊らされているのではないかということを、まず自分の頭で冷静に考え振り返るプロセスを踏むということではないだろうか」と述べます。

自分自身が信じているものを否定するのは、最も難しい行為だといえます。しかし、だからこそそれを成し遂げる者は、勇気ある存在だといえるとして、小野寺氏は、「その精神的なプロセスをこそ物語を通して伝えていると考えられるのだ」と述べるのでした。この小野寺氏のコメントには非常に感銘を受け、深く共感しました。わたし自身、「本当にそうすることが必要なのか」「それがどんな結果を及ぼすのか」「そして誰かの思惑に踊らされているのではないか」ということを自分の頭で冷静に考えたいと思います。

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