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「時給三〇〇円の死神」

No.1415

10月2日から公開されている日本映画「時給三〇〇円の死神」をローソン・ユナイテッドシネマ小倉で観ました。お気に入りの福本莉子が出演しているのと「死」がテーマということで鑑賞したのですが、イマイチでしたね。ディテールがことごとく破綻していて、物語として成立していませんでした。

ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「死神のアルバイトを通して人間の醜さや優しさに触れる青年の姿を描いた、藤まるによるライトノベルを映画化したヒューマンドラマ。不幸な出来事が続いて生きる希望を失った男子大学生が、未練を残したまま亡くなった死者に寄り添い、あの世に送り出す『死神のアルバイト』に誘われる。主演をアイドルグループ『なにわ男子』のメンバーで『忌怪島/きかいじま』などに出演してきた西畑大吾と『お嬢と番犬くん』などの福本莉子が務め、渋谷凪咲、齋藤潤、小澤征悦などが共演。監督を『ストロベリームーン 余命半年の恋』などの酒井麻衣が務める」

ヤフーの「あらすじ」は、「家族や恋人のことで不幸が続き、生きる希望を失っていた大学生の佐倉真司(西畑大吾)は、同級生の花森雪希(福本莉子)に死神のアルバイトをしないかと誘われる。時給はたったの300円で、この世に思いを残したまま亡くなった死者に寄り添い、あの世に送るというものだった。アルバイトを最後までやり遂げた者には1つだけ願いがかなえられるという報酬があると知った佐倉は、疑念を抱きつつもやることにする」となっています。

藤まるによる原作小説は、2017年に刊行されています。アマゾンの内容紹介には、「『それじゃあキミを死神として採用するね』ある日、高校生の佐倉真司は同級生の花森雪希から『死神』のアルバイトに誘われる。曰く『死神』の仕事とは、成仏できずにこの世に残る『死者』の未練をはらし、あの世へと見送ることらしい。あまりに現実離れした話に、不審を抱く佐倉。しかし、『最後まで勤め上げれば、どんな願いも叶えてもらえる』という話を聞き、半信半疑のまま死神のアルバイトを始めることとなり――。初恋相手の幼馴染、出産直後の母親、虐待を受ける子ども・・・・・・様々な死者が抱える、切なすぎる未練、願いとは――。温かな涙が止まらない、ヒューマンストーリー」

本作の主人公である佐倉真司(西畑大吾)は、同級生の花森雪希(福本莉子)から声をかけられ、死神のアルバイトを始めるのですが、本作にとって重要と思われる「時給300円」の理由が明かされなかったのが消化不良でした。佐倉と花森がやたらとカップラーメンを食べるのも意味がわからないのですが、単に安いからでしょうか? 最近は物価高でカップラーメンも高くなっているので、時給300円では贅沢品かもしれませんね。カップラーメンといえば、彼らは日清のシーフードヌードルを釣り堀で食べるのですが、なんか違和感がありました。 

本作では、死者があの世に旅立つまでの未練を晴らすために「ロスタイム」が設けられ、それを死神がサポートするという設定になっています。死者の未練は各人それぞれです。出産するときに死者になった広岡加奈という女性は、この世に残していくわが子の行く末に未練を抱いています。わたしは長女が初孫を出産したばかりなので、彼女に共感しましたが、よく考えたら不可解な点が多々ありました。ロスタイムのあいだ、彼女は1人で赤ちゃんを育てているのですが、これはいくらなんでも変です。また、彼女のロスタイムのあいだ、夫が不倫をするのも異常です。なんだか物語の設定そのものが破綻しているように感じました。

四宮夕ちゃんという幼い少女のエピソードも違和感が残りました。彼女は母親から虐待を受けており、団地のベランダから突き落とされて墜落死した霊です。復讐のために「お母さんを殺したい」という願いを抱いているのですが、心中はじつに複雑で、死神たちをキリキリ舞いさせます。というのも彼女は母親から殺されたことは自覚していても、母親を愛しており、それが大きな矛盾となって、死神たちを苦しめるのです。少女を見守るホームレスのような男性の霊を小沢征悦が演じていますが、彼も屈折しており、「霊も一筋縄では行かないな」と思いました。

そして、本作には川辺で佇む1人の少年が登場します。彼はいつもそこにいます。いつからいるのかわからないほど、昔からそこにいます。そして、階段に腰かけて俯いています。おそらく、彼は地縛霊だと思われます。地縛霊とは、死亡したときにいた土地や建物、あるいは物に執着や未練を残し、その場に留まり続けるとされる霊のことです。 自分が亡くなった場所や、生前に強い執着があった場所から動けないとされています。死の自覚がないことや、強い未練、恨み、トラウマなどが主な理由と言われています。佐倉と花森は半年間のバイトが終了した後、自分の希望が叶えられるという特典があるのですが、なんと2人ともこの川辺の少年のためにその特典を使います。

本作のオープニングとラストは雨の日のシーンです。いくつもの傘がスクリーンに登場する中、佐倉は花森と出会うのです。冒頭では、生きる希望をなくして死人のようになっていた佐倉が死者に魅入られたのだと思いました。もともと、「雨」と「霊」とは深い関係があります。詳しくはブログ「雨の日、霊を求めて」に書きました。雨が降ると、自然と死者のことを考えてしまいます。おそらく、雨音には心の奥の深い部分を刺激する何かがあるのかもしれません。わたしは、雨音を聞きながら孔子のことを思うことが多いです。孔子は儒教という宗教を開きました。儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。

孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンでした。雨を降らすことも、葬儀をあげることも同じことだったのです。雨乞いとは天の「雲」を地に下ろすこと、葬儀とは地の「霊」を天に上げること。その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。ということで、わたしが「幽霊」に強い関心を持つのも「人の道」につながっているのかもしれません。そう、「霊を求めて」は「礼を求めて」に通じるのです。孔子の母の話をしましたが、本作では「母親」が大きなキーワードになっています。さまざまな母と子の葛藤や愛情が描かれているのです。

さて、死神が登場するということで、
一条真也の映画館「死神バーバー」で紹介した今年6月公開の日本映画を連想しました。仕事もプライベートもうまくいかず、いら立っていた佐伯美帆(桜井日奈子)は階段で足を滑らせます。意識を取り戻した彼女は、目の前にいた新米の死神・サクマ(日穏)に怪しげな美容室「冥供愛富」に連れていかれます。そこでは死神美容師たちが亡くなった人にお色直しを施し、魂が冥土に送られる前に現世にいる大切な人たちとの最期の別れを手助けしていました。その後、サクマのミスで美帆の本当の死は数日後であることが判明し、彼女は死を迎えた人たちとの交流を通じて自身の人生を振り返ります。

「死神バーバー」も、「時給三〇〇円の死神」も、いくつかのショート・ストーリーが連なる連作ドラマとなっています。思いもかけず亡くなって死神に連れて行かれるのは、夫婦で経営する喫茶店の奥さん、漫才師の片割れ、コンカフェ嬢に貢ぐ中年男性などですが、いずれの物語も切なくて、ちょっと泣かせます。彼らはこの世の最後に大切な人に想いを伝えるのですが、わたしは一条真也の映画館「想いのこし」で紹介した2014年の日本映画を連想しました。金と女に目がない青年が、ひょんなことから現世に未練を遺した幽霊たちを成仏させようと奔走しながら騒動を巻き起こしていくさまを、涙と笑いを交えて綴る物語です。

「想いのこし」には、考えることは金と女のことばかりで、お気楽に毎日を過ごすことがモットーの青年・ガジロウ(岡田将生)が登場します。ある日、交通事故が縁となって幽霊となったユウコ(広末涼子)ら、3人のポールダンサーと年配の運転手に出会う。小学生の息子を残して死んだのを悔やむユウコをはじめ、成仏できぬ事情を抱える彼らは遺(のこ)した大金と引き換えに無念の代理解消をガジロウに依頼。それを引き受けた彼は、花嫁姿で結婚式に出席したり、男子高校生に愛の告白をしたりと、それぞれの最後の願いをかなえていくのでした・・・・・・。

死神が登場する物語はホラーではなく、ファンタジーがほとんどです。ファンタジーのような非日常的な物語ほど、細部のリアリティが必要であるというのがわが持論です。「想いのこし」も、「死神バーバー」も死者の魂が救われるハートフル・ファンタジーですが、細部のリアリティがきちんとしており、物語として成立していました。その点、本作「時給三〇〇円の死神」はそうではありませんでした。原作は読んでいませんが、おそらく脚本の失敗ではないかと思います。残念です。福本莉子は儚げで、とても可憐でしたけど。

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