映画「ザ・ウォーカー」を観ました。
 舞台は、世界が最終戦争によって崩壊した近未来です。
 人類最後の本を運び、ひたすら西へと歩く男を描くサスペンス・アクションです。

 デンゼル・ワシントンが「マトリックス」の製作者と組むというので、以前から観ることを楽しみにしていました。
 それ以上に、楽しみだったのは、本が重要な役割を果たす作品ということです。
 デンゼル・ワシントン演じる主人公イーライは、ある本を大切に持ち運びますが、その本には何が書かれているのか?
 西洋人にとって、1冊の本、"THE BOOK"といえば、あの本しかありえません。
 そうです、わたしが最近ブログで取り上げた本ですね。
 その本をブログに書いたことはまったくの偶然です。わたしも驚きました。

 本の正体についてはこのへんにしておいて、わたしが興味深かったのは、主人公が愛用しているi-Podの存在でした。
 彼はi-Podで好きな音楽を聴くことを何よりの心の慰めにしているのですが、そのi-Podがバッテリー切れして聴けなくなってしまいます。
 その瞬間、主人公にとってのメディアとは本だけになってしまうのです。
 わたしが常々「本は究極のメディアである」と述べているのは、戦場においても無人島においても本は読めるからです。
 i-Podだろうがi-Padだろうが、はたまたキンドルだろうが、そういった21世紀型メディアはいずれも、本に比べて致命的な欠陥を持っています。
 それは、バッテリーが切れたら機能を果たせないということです。つまり、デジタル・メディアというものは、すべて電気がなくては無用の長物になってしまうのです。

 人類史上最大・最高の発明とは何でしょうか?
 石器・文字・鉄・紙・印刷術・拡大鏡・テレビ・コンピュータといった大物の名が次々に頭のなかに浮かびます。
 なかには動物の家畜化、野生植物の栽培植物化といった答もあるでしょうし、都市、水道、民主主義、税金、さらには音楽や宗教といった答もあるかもしれません。その答は、人それぞれです。
 しかし、現代人の社会や生活に最も多大な影響を与えているという意味において、人類最大の発明は電気であると、わたしは思います。
 より正確に言うなら、電気の実用化です。
 たしかにコンピュータは人類史上においてもトップクラスの大発明でしょう。
  しかし、テクノロジーの歴史の研究者が決ってもちだす効果的な質問は「ある一つのものが開発されるには、何を知る必要があったか」というものです。
 たとえば、シリコンチップの発明がなければ、現在あるようなパワーと順応性ともったデスクトップ・コンピュータ、さらにはノート型パソコンは生まれなかったはずです。次々とあらわれるテクノロジーをこうした姿勢で見ていけば、必要とされる技術が扇状に拡がることになります。
 これをイギリスの行動生物学者パトリック・ベイトソンは、歴史家が時代をさかのぼるにつれて、どんどん分岐していく木の根であると表現しています。根によっては、疑いもなく他より重要なもの、明らかに他より多くの可能性を与えるものがあります。
 またベイトソンは、過去2000年で最大の発明を「電気の実用化」だとしています。
 コンピュータにはもちろん電気が必要ですし、わたしにとって生活上欠かせないもの、蛍光灯、エアコン、DVDプレーヤーなどの恩恵を受けられるのも電気のおかげです。
 さらには、飛行機・電話・映画・テレビといった近代の大発明はすべて電気なくしては開発もありえなかったのです。

 電気の実用化によって、20世紀の百年間はそれまでの人類の歴史をすべて加算した合計よりも、はるかに多くのテクノロジーを生みだしました。
 その最先端の成果が、i-Padやキンドルなのです。
 そして、これらのデジタル・メディアは「本を殺す」存在であるとも言われています。
 しかし、この映画に描かれているように、デジタル・メディアは電気がなければ使い物になりません。
 一方、本はいつでも、どこでも読めます。
 もっとも、それには条件が2つほど付きますが。
 1つは、読む者に視力があること。
 かつて、アメリカのテレビドラマ・シリーズ「トワイライトゾーン」の一話に、本の虫の男の物語がありました。 彼は、誰にも邪魔されず、思う存分に本を読める世界を夢見ます。
 ある日、核戦争が起こって、世界が滅亡してしまいました。
 本の虫である彼だけは、奇跡的に生き延びて、「人類最後の男」となります。
 そして、彼はなんと図書館の書庫に閉じ込められてしまうのです。
 彼の前には一生かかっても読み切れない膨大な本の山があります。
 ついに、「誰にも邪魔されず、思う存分に本を読める世界」という彼の長年の夢がかなうのか?しかし、残酷な運命が待っていました。
 彼の眼鏡が壊れてしまい、極度の近眼である彼はまったく本が読めなくなってしまったのです。数多い「トワイライトゾーン」の物語の中でも、もっとも怖い話でした。

 本を読むためのもう1つの条件とは何か。
 それは、照明の存在です。暗くては本は読めません。
 もっとも、人工照明に限らず、日光や月光といった自然の灯りでもよいわけですが。
 いずれにせよ、視力と照明がなければ本は読めない。
 こうなると、本でさえ究極のメディアではなくなりますね。
 では、視力や照明がなくても読めるような究極のメディアなど存在するのでしょうか。
 結論から言えば、存在します。ちゃんと、この映画に登場します。
 わたしには、この映画自体がデジタル・メディアへのアンチテーゼのように感じました。
 超バーチャル・リアリティを実現する究極のデジタル社会を描いた「マトリックス」の製作者がこんな映画に関わるとは面白いですね。

 最後に、この映画を観ながら、わたしはあるSF映画を思い出していました。
 フランソワ・トリュフォー監督の「華氏451」です。 SF小説の巨匠レイ・ブラッドベリの名作『華氏451度』を映画化した作品です。
 華氏451度というのは、本が発火する温度ですね。
 そう、「華氏451」は読書という営みを禁じられ、本という本が燃やされる近未来が描かれているのです。そのことを考えながら、「ザ・ウォーカー」を観ていたら、ラストに「華氏451」そのものの世界が登場して、大いに納得しました。
 間違いなく、「ザ・ウォーカー」は「華氏451」へのオマージュだと思います。
 それにしても、読みたい本を自由に読める社会に生きることは幸せなことですね。
 今から、「ザ・ウォーカー」に出てくる"あの本"を読んでみようかな?

  • 販売元:角川書店
  • 発売日:2011/06/24
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