No.0035


 映画「冬の小鳥」を観ました。
 東京滞在中は、なるべく東京でしかできない体験を心がけています。
 この映画も、ミニシアターの殿堂である神保町の岩波ホールで上映されたものです。
 韓国とフランスの合作映画で、さまざまな映画賞も受賞しています。
 また、ネットでの評価が非常に高く、興味を持ちました。

 舞台は、1975年の韓国ソウル郊外です。
 9歳の少女ジニはよそ行きの服を着せられて、大好きな父と一緒に旅に出ます。
 しかし、旅行のつもりで連れてこられた場所は、児童養護施設でした。
 「わたしは孤児じゃない! パパが必ず迎えに来る」と強く父を信じるジニは、新しい環境や周囲に決して馴染もうとせず、反発と抵抗を繰り返します。
 しかし、そのうちに11歳の少女スッキには心を許すようになります。
 仲良くなった2人は一緒にアメリカへ養子に貰われていくことを夢見るのですが、結局はスッキだけが旅立っていきます。ジニは再び孤独になるのです。

 とにかく観ているだけで、たまらない気分になる作品です。
 ラストシーンが切なく、涙を押さえられません。映画の中に神父の説教の場面が出てくるのですが、「父よ、なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」というイエスの叫びが紹介されます。この叫びは、まさにジニの心の叫びそのものでした。
 映画パンフレットに寄稿している映画評論家でフランス文学者の野崎歓氏は、「どの場面からも、おびえ、怒り、悲嘆に暮れる子どもの心の震えがひしひしと伝わってくる」と書いています。親に捨てられた少女の姿に、誰もが涙を誘われるでしょう。

 救いになっているのは、この映画には悪人が出てこないことです。
 施設の園長をはじめ、神父やシスターたち、施設で働くスタッフ、里親になるアメリカ人夫妻にいたるまで、登場する大人たちはすべて善人として描かれています。
 ジニを捨てる父親でさえも、悪人としては描かれていません。
 そして、こういった作品にありがちな子ども同士のいじめもありません。
 施設の子どもたちは、みな、善意の贈り物であるケーキや玩具などに大喜びし、養子が決まった仲間を笑顔で送り出してあげます。養子となって施設を出てゆく子どもには、残される子どもたちがみな整列して、日本でいう「蛍の光」を歌います。
 このセレモニーの場面は、映画の中で何度も登場しました。切ないといえば切ないシーンですが、一種の通過儀礼あるいは卒業のセレモニーとして非常に興味深かったです。

 この映画は、実際に韓国から養子としてフランスへ渡ったウニー・ルコント監督の実体験から生れているそうです。ルコント監督は、「ほとんどの部分は創作だが、9歳だったときの心のままに書いた」と語っています。そのため、主人公ジニの感情の動きをはじめ、強烈な説得力のある作品に仕上がっています。
 また、この映画に悪人が登場しないのは、過酷な現実の中にあっても、あくまで人間を信じようとするルコント監督の祈りのようなものかもしれません。
 韓国語の原題は「旅行者」ですが、日本版タイトルは「冬の小鳥」となりました。
 実際、この映画には傷ついて死にそうな小鳥が登場します。
 野崎氏は、この小鳥について次のように書いています。

「傷ついた小鳥が、冬の日、冷たい雨に打たれてふるえている。濡れそぼち、羽をけば立ててふくらんだ姿がたまらなくいじらしい。少女二人が小鳥を介抱し、餌を与え、助けてやろうとする。だが実際のところ、彼女たち自身、ほとんどその小鳥と変わらない身の上なのである。どうして空から堕ちてきたのか小鳥が知らないのと同様、自分たちはなぜ父母に見捨てられてこの場所にいるのか、彼女たちには理解できないのだ」

 やがて、スッキとジニの介抱も空しく、衰弱した冬の小鳥は息絶えます。
 2人は児童養護施設の庭に小鳥のお墓を作るのですが、その場面はかのフランス映画の名作「禁じられた遊び」を連想させました。こんなところにも、躍進著しい韓国映画と伝統あるフランス映画の合作の成果が出ているように思いました。
 映画には、スッキが旅立った後に残されたジニが小鳥を埋葬したように、庭に穴を掘って自分で自分を埋葬しようとするシーンがあります。
 わたしは、こんなに悲しいシーンは観たことがありません。ある意味で映画史上において、子どもの悲しみが最高に表現された名場面ではないでしょうか。

 さて、わたしはこの映画を観ながら、次女のことをずっと考えていました。
 いま、次女は10歳です。9歳のジニと11歳のスッキのちょうど間です。
 そして、ジニはまだ子どもであり、スッキは大人への入り口に立っています。
 わたしは、これから成長して大人になってゆくわが娘の幸せを願うことはもちろん、世界中の児童養護施設にいるであろう彼女と同年代の子どもたちのことを考えました。
 ジニは75年に9歳なら、66年生まれということになります。
 ということは、わたしの妻と同い年であることに気づきました。ルコント監督自身も妻と同年齢なわけですが、そう思うと、この映画がいっそう近くに感じられました。

 また、わたしは高校3年生の長女のことも考えました。
 長女はボランティアや福祉に関心があるようで、これまでホームレスの人たちへの炊き出しや児童養護施設への訪問などに積極的に参加してきました。
 さらには、わが社がサポートしている「隣人祭り」なども手伝ってきました。
 「大学では、社会の構造について学びたい。そして将来は、少しでも社会が良くなる仕事がしたい」と言っており、最近はヴェーバーやドラッカーの本なども読んでいます。 昨日、「なぜ、この社会には恵まれない人たちがいるのか」というテーマで長女が書いた小論文を読みました。これは、父親であるわたしもずっと考えてきたテーマです。

 わが社では、毎年11月18日の創立記念日に、北九州市内の老人施設にお菓子などをお配りしているのですが、同時に市内の児童養護施設にもお菓子や文房具などをお配りしています。児童養護施設には、親がいないお子さん、または何らかの事情で親と離れて暮らしているお子さんが生活しています。人数が多いので、文房具なども不足しがちなようです。あるとき、クレヨンのセットをお配りしたことがあるのですが、しばらくして社長であるわたし宛にお礼状と一枚の絵が届きました。その絵には大きな赤い花が描かれていました。手紙を読むと、そこには次のような内容が書かれていました。

「今までクレヨンのセットが園に一つしかなかったので、赤などはすぐ減ってしまって使えなかった。自分は赤い花の絵が描きたかったのだけれど、描くことができなかった。サンレーさんが新しいクレヨンをたくさんプレゼントしてくれたので、やっと描くことができます。最初に描いた絵は、社長さんにプレゼントします」
 わたしは、この手紙と赤い花の絵を前にして涙がとまりませんでした。
 このモノ余りの世の中で、このお子さんたちはなんとモノを大切にし、また感謝の気持ちというものを持っているのだろうと思って感動したのです。
 いくら親がいても感謝の気持ちを持たず、わがまま放題の子どもはいくらでもいます。
 このお子さんたちを育てている園の先生たちに心から尊敬の念を抱きました。

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2009年4月30日付「読売新聞」朝刊より

 また、北九州市にサーカスが来たときは、市内の児童養護施設のお子さんたちを全員招待することにしています。最近、木下サーカスが来たときも一日の興行を借り切って、お子さんたちを招待させていただきました。
 みんな非常に喜んでくれました。わが社には数え切れないほど多くのサーカスの絵とお礼の手紙が届いたことは言うまでもありません。それを、わたしが読み、社内報に掲載して全社員も読みます。みんな、感動します。
 自分以外の誰かの「こころ」と自分の「こころ」がつながったことに感動するのです。
 本当は、自分の子どもだけでなく、世の中の子どもはみんな自分たちの子どもであるはずです。この映画を観て、わたしは「子どもたちに何ができるのか」と考えました。

  • 販売元:紀伊國屋書店
  • 発売日:2011/06/25
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