No.0041

 
 今朝も寒いですね。今から松柏園ホテルで「月次祭」と「平成心学塾」が開かれます。 さて昨夜、映画「武士の家計簿」をレイトショーで観ました。
 磯田道史のベストセラー『武士の家計簿~「加賀藩御算用者」の幕末維新』(新潮新書)が原作ですが、これを森田芳光監督が映画化しました。
 江戸時代末期の金沢が舞台ということで、わたしは鑑賞を大変楽しみにしていました。

 ブログ「ノルウェイの森」で紹介したように、映画「ノルウェイの森」のパンフレットはLPレコードを模していましたが、本作品「武士の家計簿」は算盤を模しています。 その算盤はケースで、中には家計簿を模したパンフレットが入っているという具合です。 最近の映画パンフレットは、本当に凝っていますね。
 さて、パンフレットの冒頭にある「イントロダクション」には次のように書かれています。

「古書店で偶然発見された家計簿。それは国史研究の通念を覆す大発見となった。日々の買い物、親戚付き合い、子どもの養育費、冠婚葬祭――家計簿から鮮やかによみがえる、幕末に生きた下級武士一家の暮らしぶり。この家計簿をつけた武士、猪山直之が本作の主人公である。代々加賀藩の御算用者(経理係)として仕えた猪山家の跡取り息子として、家業のそろばんの腕を磨き、才能を買われて出世する。しかし、当時の武家の慣習によって出世する度に出費が増え続け、ついには家計が窮地にあることを知った直之は、ある"家計立て直し計画"を宣言する。それは、家財を売り払い、家族全員で質素倹約して膨大な借金の返済に充てることだった。体面を重んじる武士の世にあって、世間の嘲笑を浴びながらも、知恵と工夫で日々の暮らしを前向きに乗り越えようとする猪山家の人々。見栄や世間体を棄てても直之が守りたかったもの、そしてわが子に伝えようとした思いとは――。本作は、激動の時代を世間体や時流に惑わされることなく、つつましくも堅実に生きた猪山家三世代にわたる親子の絆と家族愛を描いた物語である」

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算盤と家計簿を模した映画パンフレット

 この映画を観て、いくつか感じたことがありました。
 まず、この映画は金沢映画であるということ。
 わたしは日本で最も美しい町こそ金沢であると思っているのですが、この映画には金沢の自然、風俗、祭り、そして人々の生活が豊かに描かれています。
 金沢城や浅野川の情景も美しいですし、素晴らしい加賀友禅も出てきます。
 この映画を観ると、すぐにも金沢に行きたくなりました。

 それから、この映画は冠婚葬祭映画であるということ。
 堺雅人演じる直之、仲間由紀恵演じるお駒の祝言、すなわち結婚式をはじめ、袴着という子どもの成長儀礼、そして中村雅俊演じる猪山信之の葬儀など、この映画には次から次に冠婚葬祭の場面が登場します。
 ブログ「小津安二郎展」に書いたように、日本映画の巨匠である小津安二郎彼の作品には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。 小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。
 この「武士の家計簿」の森田芳光監督も、そのことを理解していたようです。
 冠婚葬祭がいかに家族の絆を結びなおす文化装置であるかをよく描いています。
 また、加賀百万石の風土に根ざした冠婚葬祭の作法などの描写は、金沢で冠婚葬祭業を営むわたしにとって最高の参考資料となりました。
 ぜひ、サンレー北陸のみんなも、この映画を観てほしいと思います。

 冠婚葬祭映画であり家族映画である「武士の家計簿」には、さまざまな家族関係が生き生きと描かれています。
 たとえば、直之とお駒の夫婦関係。直之による質素倹約計画に素直に従う妻のお駒が、なんだか楽しそうにしているので、「貧乏が楽しいのか?」と尋ねると、妻は「貧乏だと思うと楽しくありませんが、工夫だと思えば楽しいです」と答える場面は良かったですね。 直之とお駒の夫婦は、一家の緊縮財政の中で、どんなに家計が苦しくとも冠婚葬祭はもちろん親戚付き合いを大切にします。
 映画の中には、「一族つまり親戚は大事だから。いざという時に助けてくれるのは親戚しかいないから」といったようなお駒のセリフが出てきて、とても印象的でした。
 ブログ「コラム『血縁』」で書いたように、家族や親戚という血縁に勝る「縁」など、この世に存在しないということを再確認する言葉でした。
 たとえば、松坂慶子演じる常とお駒の姑と嫁の関係。ふつう姑と嫁といえば人間関係が難しいのがお決まりですが、この二人はじつにうまくやっているのです。 松坂慶子が随分ふくよかになっていたので、ちょっと驚きました。ふくよかな松坂慶子はなぜか藤原紀香に似ていました(笑)。

 この映画では、祖父と孫の関係も情緒豊かに描いていました。
 伊藤祐輝演じる猪山成之の幼少時には、二人の祖父がいました。
 父方の祖父、つまり直之の父である猪山信之(中村雅俊)と母方の祖父、つまりお駒の父である西永与三八(西村雅彦)です。
 雅彦は、算盤修行を嫌う孫に向かって、「殿様の子は殿様になるが、それ以外の家の子はお家芸で身を立てねばならぬ。お前の家のお家芸は、算盤と筆じゃ」と諭します。
 また、満月の夜、孫を背負って散歩していた信之は急に具体が悪くなって倒れこみ、帰らぬ人となります。倒れる前に、月の満ち欠けの図を懐から取り出し、「月はこうやって満ちて欠けるのじゃ。人の命も同じじゃ」と言って、夜空の満月を指差す場面がありました。 まさに、わが社がいつも発信しているメッセージでした。
 わたしは、大変驚くとともに嬉しくなりました。
 ブログ「死は最大の平等」に書いたように、先日のNHKドラマスペシャル「坂の上の雲」での「子規、逝く」には、子規の魂が夜空の満月めざして飛んでゆく場面がありました。 やはり、月とは人の命のシンボルであり、月こそは死後の魂の赴く場所であるというイメージは普遍的なのでしょう。

 そして、直之と成之の親子関係。刀よりも算盤を重んじる父の直之に不満を抱き、何かと反発する息子の成之でしたが、お家芸の算盤を見込まれて官軍の大村益次郎にスカウトされるというチャンスをつかみます。
 信之から直之へ、直之から成之へ。代々、算盤を生業としてゆくその姿に、わたしは「孝」というものの本質を見たような気がしました。
 親から子へ、先祖から子孫へ、「孝」というコンセプトは、「DNA」にも通じる壮大な生命の連続ということなのです。
 この映画に出てくる算盤は、まさに「孝」を形にしたものであると思いました。

 さらに、この映画は、経理というものをテーマにした珍しい作品です。
 わたしは、前にわが社の「全国経理責任者会議」において、「経理というのは単なる財務ではなく、経営全体の流れを読んで理というものを明らかにする重要な仕事である」と述べました。そして、「経理とは財務にあらず 経営の流れを読みて理(ことわり)を知る」という短歌を詠んだことがあります。
 猪山家の緊縮財政を断行した直之は、「世間体などよりも家の存続が第一。家が潰れてしまえば、世間体どころの話ではなくなる」と考えたのです。
 企業において最優先事とは「ゴーイング・コンサーン」すなわち、その存続であると言われますが、まさに直之は猪山家の「ゴーイング・コンサーン」を優先したのです。
 その意味で、この映画は「マネジメント時代劇」でもあります。
 家族の愛用の品まで売らせた直之を家族のみんなは恨めしく思いますが、結果として直之は家族を救ったのです。
 彼は、刀ではなく、算盤で家族を守った武士だったのです。
 わたしは、直之の生き様を見て、わたしの実の弟を連想しました。
 ブログ「借金返済」にも書いたように、わが社はかつて膨大な借金に苦しんでいましたが、なんとか、ほぼ完済することができました。
 その最大の功労者こそ、大手都市銀行を辞めてわが社に入社し、わたしをサポートしてくれながら財務内容の改善を進めてくれた弟のおかげなのです。 直之が猪山家を救ったように、弟はわが社を救ってくれたのだ、その結果として多くの社員の家族をも救ってくれたのだと、あらためて感謝の念が湧いてきました。

 最後に、パンフレットの「イントロダクション」に書かれている次の文章を紹介しましょう。 この映画が作られた意義を的確に表現していると思いますので。
 「物語の背景となる幕末から明治は、世の中の秩序や価値観が大きく変化した時代。歴史上に名を残す英雄が活躍する一方で、これまで表舞台に立つことのなかった人々は、日本の大変革期を一体どう生きたのか? 猪山家の生き方は、金融破綻、地価下落、リストラ、家族の断絶や孤独死など、様々な社会問題に直面している現代の私たちに、先行き不透明な時代を生き抜くためのヒントを教えてくれるだろう」

  • 販売元:松竹
  • 発売日:2011/06/08
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