No.0073
日本映画「わが母の記」を観ました。
ブログ『孔子』で紹介した「昭和の文豪」である井上靖が自身の家族との絆を書いた自伝的小説『わが母の記』が原作です。それを「クライマーズ・ハイ」などの原田眞人監督が映画化した家族ドラマです。樹木希林の熱演が大きな話題になっています。
モントリオール世界映画祭の審査員特別グランプリを受賞しています。
物語の時代は昭和39年ですから、わたしが生まれた翌年ですね。
小説家の伊上洪作(役所広司)は、長男でありながら、実母の八重(樹木希林)と距離を取っていました。幼少の頃に母の手で育てられなかったゆえの「わだかまり」が心にあったのです。しかし父が亡くなったのを機に、洪作は母と向き合うことになります。
認知症が進み、消えゆく記憶の中で、八重も息子への愛を確かめようとしていました。
主人公の洪作には役所広司、八重には樹木希林、そして洪作の琴子に宮崎あおいが扮しています。日本を代表する演技派俳優たちの共演は、見事なものでした。
ブログ「おかんの嫁入り」で、大竹しのぶと宮崎あおいの母娘役の演技を絶賛しましたが、今回も宮崎おあいの演技は素晴らしかったです。
怒った顔、悲しい顔、驚いた顔・・・・・これほど表情ゆたかな女優が他にいるでしょうか。 もちろん、樹木希林の演技はもう人間離れしているほどに凄みがあります。認知症の進行にあわせて、だんだん体が小さくなっていくさまは圧巻でした。
いつか、祖母役が樹木希林、母親役が大竹しのぶ、娘役が宮崎あおいという3大演技派女優の共演が見たいですね!
さて、この映画を観て思ったことは「久々に松竹らしい映画だなあ」ということでした。
特に、松竹映画の代名詞でもあった小津安二郎作品の影響を強く感じました。
そこには、四季が織りなす風景、奥ゆかしい言葉のコミュニケーション、そして単純ではない家族の絆が描かれていました。
実際に作中では小津映画の最高傑作である「東京物語」の話題が出てきますし、この「わが母の記」は明らかに小津映画へのオマージュであると思いました。
なんだか、キムラ緑子や南果歩が杉村春子や有馬稲子に、宮崎あおいやミムラや菊池亜希子が原節子や岩下志麻や司葉子に見えてきました。
小津映画には、「ローポジション」という独自のカメラアングルがありました。
これは、畳を中心とした日本家屋を映し出すのに最適なポジションであるとか、低い位置から家族の生活をじっくりと観察しているとか言われています。
いずれにしても、このポジションは映画を観ている観客の視線を安定させます。
「わが母の記」にも、このローポジションが随所で使われていたように思います。
また、ローポジションの他にも、小津映画には特徴があります。
それは、冠婚葬祭の場面が非常に多く登場することです。
小津の映画は、日本人の「こころ」が見事に描かれていることで有名です。
小津の作品には、必ず結婚式か葬儀のシーンが出てきました。
小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台であることを知っていたのでしょう。
この「わが母の記」にも、ラストで葬儀のシーンが登場します。
ラストシーンでは、亡くなって納棺された主人公の母親のクローズアップで終わりますが、こんなラストは映画史上初めてではないでしょうか。
樹木希林の娘婿である本木雅弘が主演した「おくりびと」とはまた違った形で、「納棺」や「葬儀」の存在感が大きかったと思います。
主人公の小説家は、原作者である井上靖の姿そのままです。
それにしても、全盛期の売れっ子ぶりには圧倒されます。
50万冊の著書の検印を家族総出で押す場面は、今では著者の検印が廃止されているので興味深かったです。主人公の東京・世田谷の自宅も、静岡の実家も豪邸ですが、その他にも軽井沢に別荘があり、そこに老いた母を引き取ります。
また、母の誕生日に高級ホテルを貸しきって楽団を呼んで盛り上げる。運転手を雇うために自動車を買い、留学する娘を見送るために一族総出で豪華客船で船旅をする。 これらを原作者の「ブルジョア趣味」と批判する人もいるかもしれませんが、わたしは「文豪の生活って、すごかったんだなあ!」とただただ感心するだけでした。
自伝的要素の強い『あすなろ物語』と『しろばんば』
また、『あすなろ物語』や『しろばんば』などの自伝的要素の強い作品を昔読んだわたしは、井上靖とその家族との関係が興味深かったです。
かつて主人公一家が台湾に赴任する際に、なぜか主人公だけが「土蔵のおばば」に預けられ、主人公は「母から自分は捨てられた」と傷つきます。
そして、「母は、自分のことなど愛していなかったのだ」と思うのです。
それだけに、主人公が少年時代に書いた詩を母が大切に持っていて、認知症の身でありながら暗誦するシーンは感動的でした。
また、その理由が、主人公の妻によって明らかにされたシーンは衝撃的でした。
しかし、これほど大切なことを妻は夫に一度も話していなかったとは!
すぐに話していれば、主人公母子はもっと早い段階で和解できたのに!
でも、妻は「それでいいんですよ。捨てられたと思ったからこそ、あなたは素晴らしい小説をたくさん書けたんですから」とつぶやくのです。そのセリフには、ゾッとしました。
結局は、この夫婦の間には会話がなかったということでしょう。
そして会話がなかったのは、主人公の両親も同様でした。
夫を亡くした八重は、三國連太郎扮する主人公の父親のことをまったく思い出さずに、他の男性のことばかり思い出します。この主人公も、自分が死んだら、妻から完全に忘れ去られるのかもしれません。今日、結婚記念日を迎えたわたしは、「もっと夫婦の会話をしなければ!」と痛感した次第です。
「わが母の記」映画パンフレット
さて、タイトルからも明らかなように、この映画のテーマは「母」です。
ブログ「23回目の結婚記念日」で、ナフコの深町会長夫人のことを書きました。
深町会長夫人には「内助の功」についての御指導もいただきましたが、最初に言われたのは「あなたが立派になられたのはお母様のおかげですよ。お母様にいつも感謝しなくてはいけませんよ」とのお言葉でした。
じつは、深町会長夫人はわたしの母と同年齢なのですが、いつも「あなたのお母様は本当に素晴らしい方ですよ」と言って下さるのです。
ブログ「『母の日』と『金婚式』」で母のことを書きましたが、母は足が不自由で、現在は自宅からあまり外に出ません。当然、わたしが実家に会いに行く形になるわけですが、わたしが出張帰りに土産物などを持参して行くと、いつも喜んでくれます。また、わたしの新刊が出版されると、いつも大量に買ってくれて病院の先生方などに配ってくれているそうです。本当に、ありがたいことだと思っています。
昨日、世界孔子協会の孔健会長をお見送りしてから実家に寄りました。
祝賀会の引き菓子である紅白饅頭を母と一緒に食べて、お茶を飲みました。
わが母と「母の日」に
母は嬉しそうでしたが、途中で母の父親、つまりわたしの祖父の話になりました。
祖父は栗田光十郎という名で、「松柏園」を作った実業家でした。
祖父は大変な読書家で、特に『論語』を愛読していたそうです。
母の名前は「徳子」というのですが、この名は祖父がつけました。
そして、松柏園ホテルの「松柏」も、わたしの本名である「庸和」という名前も、祖父が『論語』から取ったものでした。わたしは、生まれたときから『論語』の子だったのです!
そして、父である佐久間進も『論語』を愛読し、幼いわたしに「礼」の思想を教えてくれました。祖父や父のDNAを受け継いだわたしが「孔子文化賞」を受賞したことは、3代にわたるリレーの結果です。そして、その傍らには、いつも母の大きな愛がありました。
そんなことを考えながら、「わが母の記」を観たら、涙が止まらなくなってきました。
長女が誕生日にプレゼントしてくれたカルバン・クラインのハンカチがグショグショになってしまいました。本当に「家族」というものは、何よりも有難いものです。