映画「スノーホワイト」を観ました。
 『グリム童話』誕生200周年を記念して作られた新解釈の「白雪姫」です。
 誰もが知っている物語をまったく違う視点から大胆にアレンジしています。
 ブログ「アリス・イン・ワンダーランド」で紹介した映画のスタッフたちが、白雪姫と女王が死闘を繰り広げるアドベンチャーに仕上げました。

 監督は、CMディレクター出身のルパート・サンダーズ。戦う白雪姫ことスノーホワイトには「トワイライト」シリーズのクリステン・スチュワートが扮し、「モンスター」のシャーリーズ・セロン、「マイティ・ソー」のクリス・ヘムズワースが共演しています。 みんなが「白雪姫」の物語は知っていることと思います。
 でも、この作品では「魔法の鏡」「七人の小人」「毒りんご」「王子様のキス」といったあまりにも有名なシーンのイメージをことごとくズラしていって、観客の予想を裏切ります。 まあ、予想を裏切ることにこだわりすぎている観もありますが・・・・・。

 物語の舞台は、ヨーロッパにある王国です。おそらくドイツ周辺でしょうか。
 スノーホワイトは、王と王妃の間に生まれ、肌の白さがまるで雪のような美しさを持っていました。一家は仲むつまじく生活していましたが、王妃が事故によってこの世を去ってから、運命が大きく変わります。愛妻の死に大きなショックを受けた王は、ひと目ぼれした美女ラヴェンナを王妃として迎えます。
 ところが、ラヴェンナの正体は恐ろしい魔力を持った魔女でした。
 彼女は、結婚式の夜に王を殺してしまい、王国を乗っ取ります。
 そこから、父を殺されたスノーホワイトの大いなる復讐が始まるのでした。

 この作品を観て、すぐに「なんだか、『ロード・オブ・ザ・リング』を意識して作っているなあ」と感じました。唐突にトロルという怪物が登場する場面など、ちょっと意識しすぎではないかと思いました。でも、それを好意的にとらえる人もいるようで、たとえば映画評論家の平沢薫氏などは「映画.com」で次のように書いています。
 
「『ロード・オブ・ザ・リング』をどう超えるか。同作以降、すべての叙事詩映画、神話映画が直面せざるを得ないこのハードルに、本作は果敢に挑んでいる。そのための"技"が、相反する要素を掛け合わせることと、その際の"微妙なバランス"だ。そのバランスは、まるで化学実験のような綿密さで設計されている。『ロード・オブ・ザ・リング』系の写実的中世社会に、『グリム童話』の呪術的世界観を配合するとき、どの分量なら望んだ通りの化学反応が生まれるのか。そんな配合バランスの妙が、画面の隅々まで行き渡っている」

 わたしは、ファンタジーや神話を題材とした映画はほとんど観ていますが、「ロード・オブ・ザ・リング」には強い違和感を覚えました。
 ファンタジーについて書いた『涙は世界で一番小さな海』(三五館)でも述べましたが、しばらく前からファンタジー・ブームが叫ばれ続けています。
 『ハリー・ポッター』の大ヒットからはじまったブームはトールキンの『指輪物語』やルイスの『ナルニア国ものがたり』、さらにはル=グインの『ゲド戦記』などのファンタジーの歴史に燦然と輝く超大作のリバイバルも呼び起こし、これらの映画化も実現されてきました。わたしも映画化された作品をすべて観ましたが、気になったことがあります。
 それは、どの作品もハイライトが戦争シーンであることです。
 たしかに『指輪物語』を忠実に映像化した「ロード・オブ・ザ・リング」三部作などはアカデミー賞を独占しただけあって素晴らしいクオリティの作品でした。しかし、延々と続くスペクタクルな戦闘の場面にどうにも違和感をおぼえてしまったのは、わたし一人だけでしょうか。わたしは、「なぜ、癒しと平和のイメージを与えてくれるのではなく、ファンタジー映画に戦争の場面ばかり出てくるのか?」と素朴に思ってしまうのです。もちろん、「光」と「闇」の対立とか、「善」と「悪」の対決とか、いいたいことは何となくわかります。それでも、どうしようもなく湧いてくる違和感。それは、「世界を正義の光で満たす」といいながら、世界中の国々を侵略したキリスト教の歴史に対する違和感にも通じます。

 そして、「スノーホワイト」の後半が、まさに戦争シーンのオンパレードでした。    
 甲冑に身を包んだスノーホワイトには、違和感をおぼえずにはいられません。
 「ジャンヌ・ダルクじゃあるまいし!」と思ってしまいましたね。
 この映画で描かれている魔女ラヴェンナのシンボル・カラーは「黒」です。
 黒い鳥たちに囲まれ、つねに黒い衣装をまとい、そして黒い魔術を使います。
 一方、「白」の申し子であるスノーホワイトは白魔術を使わなければなりません。
 白魔術の最たるものこそ「愛」であり、そのシンボルとなる行為は「キス」です。
 『グリム童話』の中で最大の白魔術として描かれている「王子様のキス」が、この映画ではあまりにも軽く扱われているのが不満です。
 また、戦争シーンばかりに時間を費やさず、七人の小人と白雪姫の「心の交流」ももっと描いてほしかったです。「黒い森」が闇のシンボルのように描かれているとところは、森を切り拓いてきたキリスト教の歴史を連想させました。
 キリスト教にとって、森とは何よりも「悪魔」や「魔女」の住処だったのです。

 最大の不満は、スノーホワイトを演じた主演のクリステン・スチュワートがイマイチだったことです。「トワイライト」のような現代劇では美しく演じることができても、白雪姫といえば「美」の象徴です。もっと、スクリーンに映っただけで輝くような圧倒的な美女であったほしかった。イメージとしては、若い頃のブルック・シールズとかナタリー・ポートマンといったところでしょうか。もう1人の主役といえるラヴェンナは、シャロン・ストーンダイアン・クルーガーなどが演じてもサマになったと思います。
 でも、シャーリーズ・セロンの演技は素晴らしかった。完璧でした。
 モデル出身の美貌を持ちながらも、さまざまな役柄に果敢に挑んできた彼女だけあって、悲しい狂気に満ちた魔女を見事に演じきっていました。
 彼女は、撮影に入る前、スタンリー・キューブリック監督のホラー映画「シャイニング」を観たそうです。そして、ホテルという密閉空間にいることで頭がおかしくなってしまうというジャック・ニコルソンの演技を役づくりの参考にしたそうです。

 シャーリーズ・セロンの悪女役といえば、映画「モンスター」が思い出されます。
 彼女は、インタビューで次のように語っています。
 「『モンスター』のアイリーンとラヴェンナは、同じ悪でも全く違う、両極にいる人間だった。でもアイリーンもラヴェンナも、涙を流すシーンがショッキングだったって言われることがあるわ。それはみんなが、悪人が自分たちと同じ感情を持っている人間だと思いたくないからなのよ。人が悪いことをしてしまったとき、周りの人間は『あいつと自分は違う』と思うはず。だからその『悪』が人間的な感情を見せたときに、わたしたちは、彼らが自分と同じ人間であることに気付いてとても恐ろしく感じるのよ。だけど、わたしは誰にでも悪人になりうる要素があると思っているわ」
 うーん、深いですね。それにしても哲学的なコメントで、シビレます。
 この「スノーホワイト」という映画、セロンの魅力ばかりが目立つ作品でした。こうなったら、彼女には「眠れる森の美女」の魔女役や「シンデレラ」の継母役も演じてほしい!

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死のイメージの宝庫としての「メルヘン」

 最後に、「スノーホワイト」のルパート・サンダーズ監督は、「メルヘン」というものをよく理解していなかったように思えてなりません。
 「白雪姫」に代表される『グリム童話』は、一般に「メルヘン」と呼ばれます。
 大正時代に日本に入ってきた「メルヘン」というドイツ語が「童話、またはおとぎ話」と訳されたためです。しかし、いくら童話と訳されても、本来のメルヘンはけっして子どものための物語ではありませんでした。太古の時代にまでさかのぼる超感覚的なことがらを具体的に表現したものがメルヘンの奥底には潜んでいます。そこでは、象徴と現実、この世とあの世とが混ざり合っていて、不可能なことが可能になります。まさに、メルヘンとは死のイメージの宝庫なのです。そこには霊的真実がたくさん隠されているのです。

 神秘哲学者ルドルフ・シュタイナーは、メルヘンを人間の魂の根源から湧き出てくるものとして非常に重要視しました。彼は教育思想家としても大きな足跡を残しましたが、子どもの心を荒廃させないためにはメルヘンを毎日読んで聞かせてあげることが大切だと考えていました。今でも、シュタイナー思想にもとづいた教育を行なう幼稚園では、メルヘンをお話しする時間が必ずあります。
 メルヘンはいつも、「昔々あるところに......」という言葉ではじまります。
 シュタイナーは、それこそ「真のメルヘン」の出だしなのだといいます。
 1つのメルヘンの中には、土地や民族、あるいは時代を超えて存在する、ある共通の真理が含まれているからというのが、その理由です。
 シュタイナーは「メルヘン」というものを、民族の想像力が生み出した「民話」や、大人が子どものために書き下ろした「ファンタジー」と厳密に区別して考えていました。メルヘンは、「人間存在そのもの」について何か根源的なものを表わしているというのです。

 ドイツ語の「メルヘン」の語源には「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包しているのです。このイメージこそは、メルヘンは人類にとって普遍的であるとするシュタイナーの思想そのものです。 人類の歴史は、いわゆる「四大文明」からはじまりました。その4つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。そして、大事なことは河は必ず海に流れ込むということ。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということ。
 チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出ます。人類も、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは河の流れとなって大海で合流するのではないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。
 それがユングのいう「集合的無意識」の本質ではないかと、わたしは考えます。
 そのようなことを、『涙は世界で一番小さな海』に書きました。
 ご関心のある方は、ぜひお読み下さい。

  • 販売元:ジェネオン・ユニバーサル
  • 発売日:2013/06/05
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