No.0076


 オウム元幹部の菊地直子容疑者の逮捕、内閣改造、さらにはW杯最終予選で日本が快勝発進・・・世間が何かと騒がしいですが、わたしは岩波ホールで映画を観ました。
 ブログ「グリーフケア講演」に書いたイベントを終えた後、わたしは都営三田線で板橋区役所前駅から神保町まで行きました。神保町駅で降りると、ちょうど岩波ホールの地下に出て、目の前に映画の看板が・・・。「オレンジと太陽」という作品でした。その内容を知ったわたしは、どうしても観たくなり、衝動的にチケットを購入したのです。

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岩波ホールの「オレンジと太陽」の看板

 岩波ホールの「オレンジと太陽」の看板

 マーガレット・ハンフリーズ原作の『からのゆりかご 大英帝国の迷い子たち』を基に映画化した作品で、「イギリス史の恥部」と飛ばれる児童移民の実態に迫る感動作です。
 19世紀から1970年までイギリスがひそかに行っていた、強制児童移民という恐るべき真実が明らかにされています。なんと13万人もの英国児童が実の親から引き離されて、オーストラリアの渡り、過酷な労働などを強いられていたというのです。
 このような史実、わたしはまったく知りませんでした。
 イギリスを代表する巨匠ケン・ローチの息子であるジム・ローチが、今回初のメガホンを取っています。「奇跡の海」のエミリー・ワトソンが、主人公の社会福祉士マーガレット・ハンフリーズを演じています。

 1986年、イギリスのノッティンガムでソーシャルワーカーとして働いていたマーガレットは、結婚して子どもにも恵まれ、幸せな生活を送っていました。
 ある日、彼女は、1人の女性から衝撃的な告白を聞きます。
 当時児童養護施設にいた4歳の彼女は、かつて船でノッティンガムからオーストラリアまで送られたというのです。そのことをきっかけに、マーガレットは強制児童移民に関して調査を進めていきます。次第に、莫大な数の子どもが強制的に移民させられていたことが明らかになり、彼らの親探しのためにイギリス・オーストラリア両政府に働きかけますが、もちろん両政府は知らぬ顔を通しました。
 また、移民の仲介にカトリックの教会が関わっていたことが事態を複雑化させ、マーガレットは自身がPTSDになるほどの心理的迫害を受けます。
 それをサポートしたのは、マーガレットの愛する夫でした。
 「自分は本当は誰なのか」を知りたいという移民の子どもたちの願いをかなえるべく、巨大な権力と闘ったハンフリーズ夫妻の姿は、かの多くのユダヤ人の生命を救ったオスカー・シンドラーや杉原千畝の姿に重なりました。そう、「オレンジと太陽」は「シンドラーのリスト」と並べられるべき社会的大問題を独自の視点で描いた名作でした。
 タイトルの「オレンジと太陽」は、オーストラリアに連れて行かれる子どもたちが大人に言われた、「太陽が燦燦と輝いて、オレンジがいくらでも食べられる所に連れていってやる」という言葉から来ています。オレンジと太陽とは、戦後のイギリスに住む貧しい人々にとっての憧れのシンボルだったのです。

 この映画で、ハンフリーズ夫妻の糾弾に反論する人物が、「現在でこそ、"家族の絆"ということが重視されるが、かつては児童の生活環境を優先した」と発言します。
 この言葉には一理も二理もあって、実際にオーストラリアに移民して孤児院に入らなければ、ロンドンのスラム街で飢え死にしていた児童が大量にいたことも事実なのです。
 かの「救貧法」の伝統もあり、イギリスという国は社会福祉には前向きな国でした。
 問題は、イギリスとオーストラリア両国の間に入った慈善団体や教会にあったのです。
 現在、日本では育児放棄としての「ネグレクト」が大きな問題になっています。わが子を死に至らしめるまで虐待したり、食事を与えずに栄養失調死させるような親も続出しています。そのような親から児童を引き離そうとするとき、親も児童も「嫌だ、離れたくない」と頑強に拒絶する現状を思うと、なんとも複雑な気分になってきます。
 それにしても、強大な権力や世間の偏見に負けずに、「子どもたちを救いたい」という一念を貫き通したハンフリーズ夫妻には心からの尊敬の念をおぼえます。

 「映画.com」では、評論家の森山京子氏がこの「オレンジと太陽」を「裸の1500マイル(Rabit-Proof Fence)」と一緒に以下のように論じています。
 「オーストラリア史の隠された事実を映画で見るのはこれが2度目だ。ひとつはフィリップ・ノイス監督の『裸足の1500マイル』(2002)。1930年代から70年代まで続いたアボリジニ差別政策に抵抗した少女の物語だ。当時の政府は、アボリジニの血統を絶やすため、少女を強制隔離し、収容所に入れてイギリス社会の使用人にするべく教育。さらに白人男性と結婚させて混血児を産ませるという残酷な政策を実施していた。アボリジニの少女を救うための福祉政策だと称していたのだからあきれる。  この『オレンジと太陽』で描かれるイギリスからオーストラリアへの児童移民も、身よりのない子供を労働者として育てるためという建前で、イギリス政府の承認のもと、教会や慈善団体が実施していたのだという。だがその実態は児童虐待以外の何ものでもなかった。人道という隠れ蓑を着た白人権力者社会のなんという傲慢さ。そして暴力。その真実を知るためにも、見逃してほしくない作品だ」

 このコメントを読んで、わたしは未見の「裸足の1500マイル」が観たくなりました。 また、森山氏は続けて次のようにも述べています。

「だが、ジム・ローチ監督が描こうとしたのは権力への怒りだけではない。悲劇的な子供たちの体験エピソードをたんたんと語りながら、そこをサバイバルしてきた生きる力の強さにも目をとめている。連れてこられたその日から40年間床磨きをしてきたという女性にも、修道院での虐待をサバイバルして事業家になった男性にも、働くことで生活を築いてきた自負がみなぎっている。そして、その先に彼らが求めているものは、自分の出生を知ること。主人公マーガレット(エミリー・ワトソン)の調査で明らかになる<児童移民>の実態に驚き、この問題がどう決着するのかという不安で張りつめていた緊張の糸が、母親がどんな人か知りたいという彼らの思いに辿り着いたとたん、ふわりと解け、涙腺がゆるんだ」

 2日の通夜に参列させていただいた故・新藤兼人監督は、多くの作品でさまざまな社会的問題を取り上げました。新藤監督ほど「志」の高い映画監督はいなかったように思いますが、この「オレンジと太陽」にも志の高さを感じました。
 最後に、ハンフリーズ夫妻の孤独な闘いは世界的に認められて、多くの支援者を生み出しました。そして、ついにはイギリス・オーストラリア両政府は強制児童移民の被害者に対して正式に謝罪したのです。この事実を知ったわたしは、『論語』に出て来る「徳は孤ならず、必ず隣あり」という言葉を思い出しました。
 ハンフリーズ夫妻こそは、「義を見てせざるは勇なきなり」を実践された人たちです。 ノーベル平和賞とは、このような方々に与えられるべきであると個人的に思います。

  • 販売元:角川書店
  • 発売日:2013/03/29
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