No.0115
映画「ニュー・シネマ・パラダイス」を観ました。
言わずと知れた、映画史に残る有名な作品です。
これまでもビデオやDVDでは何度か観賞しています。
このたび、初めて映画館のスクリーンで観ました。
原題は「Nuovo Cinema Paradiso」で、1989年のイタリア映画です。監督、脚本は、ジュゼッペ・トルナトーレ。出演は、フィリップ・ノワレ、ジャック・ペラン、サルヴァトーレ・カシオ、マルコ・レオナルディ、アニェーゼ・ナーノなど。音楽をエンニオ・モリコーネが担当しており、映画音楽の歴史に残る名曲として知られています。この映画は、89年のカンヌ国際映画祭審査員特別賞および同年のアカデミー外国語映画賞を受賞しています。日本における初公開は、1989年12月でした。東京・銀座4丁目にある「シネスイッチ銀座」で40週にわたって連続上映されました。わずか200席の劇場で動員数約27万人、売上げ3億6900万円という驚くべき興行成績を収めました。この記録は、単一映画館における興行成績としては、現在に至るまで未だ破られていません。
この映画が日本初公開された1989年当時、わたしは東京に住んでいました。しかし、シネスイッチ銀座で「ニュー・シネマ・パラダイス」を観る機会には恵まれませんでした。このたび、ついに映画館で鑑賞することができた次第です。場所は、北九州市の小倉北区砂津にあるシネプレックス小倉です。わたしのブログ記事「映画都市の楽しみ」に書いたように、北九州市は今や日本を代表する「映画の都」であり、映画の鑑賞条件が抜群に優れているのですが、わたしは特にシネプレックス小倉を愛用しています。なにしろ、自宅から車で5分、会社からだと3分の距離にあるので、便利なことこの上ありません。最新の話題作を観るとき、東京の映画館では窮屈な思いをしなければなりませんが、小倉ではそんな心配は無用。さらに朝は「新・午前十時の映画祭」として、往年の名画を楽しむことができます。そう、この「新・午前十時の映画祭」で、待望の「ニュー・シネマ・パラダイス」が上演されたのです。この日をずっと待っていました。どうしても、映画館そのものをテーマとした作品を映画館で観たかったからです。
この映画のストーリーを簡単に紹介すると、ローマに住む中年の映画監督であるサルヴァトーレ(ジャック・ペラン)は、アルフレード(フィリップ・ノワレ)という老人が死んだという知らせを受けます。アルフレードは、かつてシチリア島の小さな村にある映画館・パラダイス座で働く映写技師でした。
「トト」という愛称で呼ばれていた少年時代のサルヴァトーレ(サルヴァトーレ・カシオ)は大の映画好きで、母親の目を盗んではパラダイス座に通いつめていました。トトはやがて映写技師のアルフレードと心を通わせるようになり、ますます映画に魅せられていきます。アルフレードから映写技師の仕事も教わるようになったトトでしたが、映画フィルムの出火から火事になり、アルフレードは重い火傷を負った上に失明してしまいます。
その後、焼失したパラダイス座は「新パラダイス座」として再建。そこで少年トトは映写技師として働きます。思春期を迎えたトトは初恋を経験、それから兵役を経て成長し、ついには映画監督として活躍するようになりました。成功を収めた彼のもとにアルフレードの訃報が届き、映画に夢中だった少年時代を思い出しながら、トトは故郷のシチリアに30年ぶりに帰って¬きたのでした。
ところで、映画館で観た「ニュー・シネマ・パラダイス」ですが、もっと感動するかと思っていましたが、意外にも、それほど感動しませんでした。それどころか、今回は大きな違和感を感じてしまいました。多くの人々が、「人生最高の映画」とか「心に残る名画」として、この映画の名を挙げているにもかかわらずです。
かつてビデオやDVDで観たときには大きな感動を覚えたのに、自分でも心の変化に少し驚きました。シネプレックス小倉で上映されたのは約2時間の劇場版ですが、他にも約3時間の完全版があります。それでは完全版を観ていれば感動したかというと、どうもそれは違うような気がします。わたしが感動しなかった理由は、別のところにあると思うのです。
まず、わたしは主人公が30年も故郷に帰らなかったというのが納得いきませんでした。親類縁者が皆無というのならまだしも、故郷には年老いた母親が住んでおり、しかも彼女は息子の帰りをずっと待っていたのです。それでもサルヴァトーレが帰郷しなかったのは、アルフレード老人から「絶対に帰ってくるな」と言われていたからです。アルフレードは、サルヴァトーレの母親が息子を呼び戻そうとしたとき、彼女を叱ったそうです。わたしは、サルヴァトーレの母親が可哀想で仕方がありませんでした。彼女は戦争未亡人なのですが、女手ひとつで苦労しながら2人の子どもを育て上げたのです。そんな母親を30年も放置しておくとは、わたしには到底理解できません。
「長い時間を置いてから帰れば、故郷はお前を温かく迎えてくれる」というアルフレードの言葉も気に入りません。たしかに映画監督としての名声を得たサルヴァトーレは故郷の人々から成功者として迎えられました。
しかし、故郷とは賞賛されるために帰る場所ではないでしょう。
第一、サルヴァトーレが映画の世界で成功することができたのも、母親やアルフレードや劇場で働く人々のおかげではないでしょうか。
サルヴァトーレは、「血縁」も「地縁」も捨てた人間です。そんな人間が大都会に出て、少しばかり成功したからといって何になるのでしょうか。わたしは、このような映画が日本で大ヒットを記録した1989年頃から「血縁」と「地縁」が日本で希薄化していき、「無縁社会」化の現象が始まったような気がしてなりません。
こんな大事なポイントを今頃になって気づく自分にも呆れています。ネットでこの映画の感想を見ると、「映写師の老人のただのわがままで主人公の人生を壊した映画」という意見がありました。また、「映画好きの少年が映画ビジネスで成功するきっかけを作った映写技師の老人の映画」という見方もありました。映画を観て感じることは人それぞれですが、それぞれ的を得ていると思います。
それから、この映画を久々に観直してみて、アルフレードが映写技師という仕事にさほどの誇りを抱いていないように感じられました。彼は小学校も卒業しておらず、自分に学がないことに強いコンプレックスを持っていました。映写技師の職に就いたのはなりゆきで、「他にやろうとする人間がいなかったからだ」と語っています。それでも、少年トトには映写技師の仕事が魅力的に見えます。
「ぼくは映写技師になりたい」というトトに向かって、アルフレードは「やめたほうがいい。こんな孤独な仕事はない。たった一人ぼっちで一日を過ごす。同じ映画を100回も観る。仕方ないから、ついついグレタ・ガルボやタイロン・パワーに話しかけてしまう。夏は焼けるように暑いし、冬は凍えるほど寒い。こんな仕事に就くものじゃない」と言うのです。
わたしは、映写技師アルフレードの姿から、「一条真也の読書館」で紹介した愛読書『星の王子さま』の内容を思い出しました。
『星の王子さま』には、夜と昼のめまぐるしい交代に合わせて休みなく街頭の灯を点けたり消したりする点灯夫が登場しますが、彼についてこう書かれています。
「点灯夫が街灯に灯をともすとき、それはまるで彼が新しい星や一輪の花を誕生させたかのようです。彼が街灯の灯を消すときに、その花も星も眠ります。これはとても素敵な仕事です。素敵だから本当に役に立つのです。」
わたしはこの言葉が大好きで、よく社員の前でも話します。
わが社は接客サービス業ですが、お客さまに接する現場スタッフも、総務や経理などの現場をサポートするスタッフも、ともに本当に役に立つ素敵な仕事をしているのだということを説明します。
でも、この点灯夫のエピソードには注意点もあります。もともと彼の仕事は役に立つ素敵な仕事だったのですが、仕事を自分の中で義務化してしまい、自分で自分をどんどん忙しくしていきました。そして、ついには、意味もなくめまぐるしく灯りを点けたり消したりするようになってしまいました。
彼は自分を見失ってしまったのです。点灯という仕事からは意味が失われ、単なる目的と化してしまったのです。
わたしは、アルフレードという人物を気の毒に思いました。
なぜなら、彼は本当は素敵な仕事をしていたのに、自分でその価値や意味に気づかなかったからです。本当は、映画という芸術は、監督がいて、俳優がいて、カメラや照明や音響などのスタッフがいて、劇場の支配人がいて、切符売りの係がいて、そして映写技師がいて、その他にも大勢の人々がいて成り立っているのです。だから、「自分も映画産業を支えている1人なのだ」という自覚と誇りがあれば、アルフレードの人生はもっと豊かなものとなったでしょう。
アルフレードは不幸な火事を起こしてしまいますが、それも彼自身の不注意によるものでした。自身も大きな障害を負ってしまいますが、彼はプロフェッショナルとしては失格でした。そして、その不幸の根底には、自分の職業に対するプライドの欠如があったように思えてなりません。
学校に行かずに新パラダイス座の映写技師を務めるようになったトトに向かって、アルフレードは「それはいけない。貧乏くじを引くぞ。学校には行ったほうがいい」と忠告する場面があります。アルフレードはまた、「人生は、おまえの観てきた映画よりもずっと困難だぞ」ともトトに忠告します。父親が戦死したトトにとって、アルフレードはまさに父親代わりでした。アルフレードも父親の心境で、非常に現実的なアドバイスをトトに与えたのでしょうが、そこには映画には描かれなかったアルフレード自身の不遇な人生が反映していたのだと思います。いずれにしても、「故郷には帰ってくるな」というアドバイスだけはトトは従う必要はありませんでした。もし亡くなったのがアルフレードではなく、自分の母親だったら、どうするつもりだったのでしょうか。30年も会いに行かないまま母親の死に目にも間に合わなかったら、彼の人生は完全に不幸でしょう。
アルフレードの人生は火事による失明で一変しました。
じつは、火事の原因となる屋外の壁に映像を投影したとき、彼は助手のトトに向かって「目に見えるものしか信じられないからな」と言います。「目に見えるもの」とは「映画」そのものだったのでしょうが、興味深いことに失明してからのほうがアルフレードはよく見える人になりました。彼は「盲目でもよく見える」人になったのです。わたしは、この場面からも『星の王子さま』を連想しました。
わたしの名言ブログ「サン=テグジュぺリ(1)」に書いたように、「大切なものは目に見えない」というのが『星の王子さま』の最大のメッセージだからです。
なんだか、トトを演じたサルヴァトーレ・カシオ少年が「星の王子さま」に見えてきました。いずれにせよ、ジュゼッペ・トルナトーレ監督は『星の王子さま』を意識していたように思います。きっと、「見えるもの」も「見えないもの」も素晴らしいというようなことが言いたかったのではないでしょうか。わたしには、そう思えました。
この映画のラストシーンは、あまりにも有名です。サルヴァトーレは、アルフレード老人の未亡人から形見としてフィルムを受け取ります。葬儀の後、ローマに戻ったサルヴァトーレは、試写室で老人の残したフィルムを鑑賞するのですが、それは、昔、映画館でカットしていたラブシーンを繋ぎ合わせたものでした。このシーンは映画史に残る感動の場面として知られていますが、中には「あんなことして何が面白い」「老人の変態度がわかる」といった意見もあるそうです。
たしかに最初に観たときはわたしも感動したラストシーンでしたが、この年齢になって観ると、素直に感動できないというか、それよりも30年も老いた母親を放っておいた行為のほうが心に日かかりましたね。ちなみに故・淀川長治さんはあのラストシーンを見て、ジュゼッペ・トルナトーレ監督が老練された監督に違いないと思ったそうです。しかし、「ニュー・シネマ・パラダイス」が長編第2作目であることを知って大変驚いたとか。
最後に、この映画には往年の名画がたくさん登場します。
ざっとタイトルを挙げても、「どん底」「駅馬車」「揺れる大地」「チャップリンの拳闘」「にがい米」「白い酋長」「ジキル博士とハイド氏」「風と共に去りぬ」「掠奪された七人の花嫁」「青春群像」「ユリシーズ」「さすらい」「嘆きの天使」「街の灯」「白雪姫」「カサブランカ」「ロビンフッドの冒険」「素晴らしき哉、人生!」「夏の嵐」・・・・・etc.これらの名画をテレビやDVDやブルーレイではなく、映画館で観ることの僥倖を思ってしまいます。
これまで書いてきたように、久々に「ニュー・シネマ・パラダイス」を観ましたが、以前とは大きく違う感想を抱きました。これは、おそらく観賞時の年齢とか人生経験も関わってくるのだと思います。その意味では読書も同じで、同じ古典でも読む年齢によって印象がまったく異なってきますね。
読書といえば、「一条真也の読書館」で紹介した『キネマの神様』には、最重要場面を含めて何度か「ニュー・シネマ・パラダイス」の名が登場します。
「ニュー・シネマ・パラダイス」は「映画」の映画であり、「映画館」の映画です。ここには、映画と映画館への愛が最高に表現されています。
やはり、トトが映画の魔力にとらわれる前半部分は素晴らしい!
そして『キネマの神様』という小説は、そのまま「ニュー・シネマ・パラダイス」という「映画」と「映画館」の映画へのオマージュになっているのです。
この映画は『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)で取り上げました。