No.0143
SF映画「エリジウム」をDVDで観ました。わたしのブログ記事「第9地区」で紹介した映画のニール・ブロムカンプ監督・脚本による2013年のアメリカ作品です。
荒廃してしまった地球と「エリジウム」と呼ばれるスペースコロニーが舞台です。
マット・デイモン、ジョディ・フォスターなど、豪華な顔ぶれが出演しています。
この映画の存在は知っていましたが、タイミングが合わずに公開中は映画館で観ることができませんでした。しかしその後、「ムーンサルトレター」を交換している鎌田東二先生から昨年末に以下のようなメールを頂戴したのです。そこには「NPO法人東京自由大学の加藤一郎さんから、以下のような質問メールが届きました。関係ありますよね?ご教示くだされば幸いです」と書かれており、加藤氏のメールが転送されていました。その内容は「『鎌田東二オフィシャルサイト』のムーンサルトレターにエリジウム・スペース社の宇宙葬の話がありますが、ご存知かと思いますが、今年公開された映画『エリジウム』も宇宙の理想郷の話でしたので、やはり関係あるのでしょうか?」というものでした。
わたしのブログ記事「宇宙葬」に書いたように、エリジウム・スペース社のトマ・シベ(Thomas Civeit)CEOは、元NASAの技術者で、なんとハッブル望遠鏡の開発者でもあります。その彼が、宇宙に関する情報サイトとして有名な「astropreneur.jp」でインタビューに答えています。記事は、「【インタビュー】宇宙葬を手がけるスタートアップ『エリジウム・スペース』」というタイトルですが、その中で、拙著『ロマンティック・デス~月と死のセレモニー』(国書刊行会)を読んでの中で共感し、宇宙葬事業をスタートしたと書かれていたのです。
そのため、わたしも「エリジウム」という映画のタイトルは気になっていたのですが、すでに劇場での公開は終了していたため、2月のDVD発売を待つしかなかったのです。そして、このたび、ようやくDVDが発売されたため観賞したという次第です。最初に「ジョディ・フォスターもトシを取ったなあ!」と思いました。
映画「エリジウム」は宇宙葬だけではなく、医療の理想郷であるガンダム級のスペース・コロニーとそれをめぐる社会の問題を描いた作品でした。
「理想郷」を渉猟した『リゾートの博物誌』
『リゾートの博物誌』で「エリュシオン」を紹介
ところで、「エリジウム」とは何でしょうか?
これはラテン語で「Elysium」と綴ります。善人が死後暮らすという理想郷,極楽浄土のことです。おそらくは、ここから宇宙葬のエリジウム・スペース社は社名の由来にしたのでしょう。映画では英語風に「エリジアム」と発音していましたが、もともとはギリシャ語で「Ηλυσιον」と綴り、「エリュシオン」と発音しました。
フランスのシャンゼリゼもエリゼ宮(大統領府)もこれに由来するそうです。
ちなみに「エリュシオン」は、古今東西の理想郷を渉猟した『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)でも紹介されています。
公式HPの「ストーリー」には、以下のように書かれています。
「舞台は2154年、人類は二分化されていた。エリジウムと呼ばれる、汚れ無き人造スペースコロニーに住む富裕層と、人口過剰で荒廃した地球に住む貧困層とに。地球の住民は、蔓延する犯罪と貧困から逃れようと必死だった。この二極化した世界の平和の架け橋となる唯一の人物、それはマックス(マット・デイモン)だ。平凡な彼には、エリジウムになんとしても行かねばならない理由があった。不安定な状態の中、デラコート長官(ジョディ・フォスター)と強硬な軍隊に立ち向かうという危険な任務を彼は仕方なく受け入れる。自分の命はもとより、地球上の全人類の未来のために! 」
さて、109分のこの映画を観終って、思ったことは「これは、いわゆるユートピア映画だな」でした。「エリジウム」の語源となった「エリュシオン」は死後の理想郷でしたが、この映画では未来のユートピアが描かれているのです。
「ユートピア」とか「楽園」とか「天国」とか「理想郷」といった言葉はよく混同されますが、厳密には違います。というか、その本質は決定的に異なります。
まさに、わたしは『リゾートの博物誌』や姉妹本といえる『リゾートの思想』(河出書房新社)でそのことを詳しく述べたのでした。
理想郷の図式(『リゾートの博物誌』より)
人類は古来から理想郷と呼ばれるさまざまな憧れの場所のイメージを抱いてきました。理想郷は3つに区分けすることができます。
すなわち、「ユートピア」と「パラダイス」と「ハートピア」です。
まずユートピアは、プラトンが『国家』で、トマス・モアが『ユートピア』で、カムパネッラが『太陽の都』で描いた姿をみてもわかるように、ユートピアとはつまるところ政治・経済的理想郷でした。つまり、ユートピアとは「理想都」なのです。
それは、そのまま社会主義のテーマに受け継がれました。
また、文学におけるユートピアはSFというジャンルで描かれました。しかし、SF作家たちはバラ色のユートピアを描くようでいて、じつは反ユートピアとしての「ディストピア」を主に描いてきたのです。
次にパラダイスは、楽園や黄金時代の記憶です。
それは、人類が淡い夢のように大切に心に抱いているものです。
さらに、「島の楽園」と「山の楽園」の2つに分かれます。「島の楽園」は、東洋では蓬莱や竜宮、補陀落、西洋では『オデュッセウス』のカリュプソー、西の果てのヘスペリデスの園、シュメールの聖地ディルムンなどです。「山の楽園」は、東洋では須弥山、チベットのシャンバラ、中国の桃源郷、日本の高天原、西洋ではエデンの園、ギリシャ神話のオリュンポスなどが代表だと言えます。
そして、ハートピア。「心の理想郷」を意味するわたしの造語ですが、人間がこの世に生まれる以前に住んでいた世界であり、死後、再び帰る世界です。そこは平和で美しい魂のふるさとなのです。ユートピアが政治的・経済的理想郷としての「理想都」であるのに対して、ハートピアは精神的・宗教的理想郷としての「理想土」です。つまり、彼岸であり、霊界であり、極楽浄土であり、天国なのです。
というわけで、映画「エリジウム」はハートピア映画ではなくユートピア映画であると思った次第です。映画の中に登場したユートピアは、高度な科学技術により老いや病から解放され、水と緑にあふれた理想都市でした。
その最大の特徴は、どんな病気でも治すことができる特殊な装置があること。
カプセルのようなものに体を横たえると、コンピューターが「○○の箇所にガンを発見しました」とか「白血病を認知しました」とか「致死量の放射能を感知しました」などと病症を告げ、その次の瞬間には治療してしまって「完治しました」と告げるのです。映画に登場する地球に住む労働者で、事故で大量の被爆をしたため余命5日と宣告されたマックスは、この装置の存在を知り、厳しい移民法で出入りが制限されているエリジウムへ潜入を試みるのでした。
この「どんな病気でも治すことができる特殊な装置場面」が登場する場面は非常に新鮮というか、「これはアリだなあ」と思いましたね。
ここまでパーフェクトな医療器械は無理としても、このイメージに近いものは近未来に実現できるのではないでしょうか。例のiPS細胞とかSTAP細胞の理論を組み合わせれば、可能性があるような気がします。まあ、わたしは専門家ではないので、わかりませんけどね。でも、このような装置のイメージを示すだけでも、未来に大きな影響を与えることは間違いないでしょう。実際、SF小説に登場した多くの夢の機械は科学者や技術者たちにインスピレーションを与えてきました。
医療ユートピアとしての"月"を論じた『ハートフル・ソサエティ』
ところで、「医療ユートピア」としてのエリジウムは宇宙空間に浮かんでおり、地球上から見ることができます。まるで地球の衛星である月のようですが、月は現実に「医療ユートピア」となりえます。わたしなりの理想社会実現のための書ともいえる『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「デザインされる生老病死」では、月が未来の医療に与える影響について書きました。
現在、月面の開発がさまざまな形で計画されていますが、地球ではどうしても治らず苦しめられた病気が、月面に来ると嘘のように治ってしまうケースがいろいろと考えられると言われています。その代表例が、筋肉、関節、骨などの病気です。地球上では、車椅子の生活を強いられたり、寝たきりになってしまうこともあります。しかし、重力が地球の6分の1である月では、体重も6分の1になり、松葉杖や車椅子なしで歩くことができるかもしれないのです。
地球上では放っておけば悪くなる一方の関節炎やリューマチは、月面ではみるみるうちに快癒していく可能性もあるのです。
循環器系や呼吸器系の病気の治療にも月面は最適の場所です。
動脈硬化など心臓にプレッシャーがかかると危ないような病気には、低重力は大きな効果を示すに違いありません。月面基地や月面ホテルなどの建造物内は温度と湿度が一定に保たれますから、喘息などの呼吸疾患を持つ人にもハンディキャップはなくなります。月で立つことは、地球で寝ているよりも疲れないのです。地球では電車の席が空くと、みんな争って座りたがりますが、これは重力のなせるわざ。月面では、24時間連続立ったままでも、それほど疲れません。
いわゆる老人性痴呆症は身体が不自由になるところからはじまるというのが定説ですが、その意味で月面は、老人が肉体的に快適に過ごすには格好の場所なのです。そのような老人たちがいったん月に住んだら、地球は帰りたくないほど辛いところだと思うかもしれません。
わたしは、空に浮かぶエリジウムは、月のメタファーであると思いました。
さて、「ユートピア」という考え方が社会主義につながったことを先に述べましたが、映画「エリジウム」も社会主義的なテーマを秘めています。
「椅子は硬いほうがいい」という知的好奇心に富んだブログの「エリジウムの語源は?」という記事には、アメリカの未来学者であるウィリアム・ホーデンによれば「エリジウム」、は現代社会が直面している諸問題を観客に見せていることが紹介されています。それは、以下のような問題群です。
●Identity vs Humanity (法的根拠と人間性)
●Class vs Equality (階級と平等性)
●Security vs Justice (治安と正義)
●Technology vs Enviroment (科学技術と環境)
●Poverty vs Health (貧困と健康)
さらに、この映画には以下のような問題があるといいます。
●Status vs Re-Boot (「現状維持」か「リブート」か)
「リブート」というのは「再起動」という意味ですが、ジョディ・フォスター演じるデラコート防衛長官がクーデターのために準備した「リブートプログラム」は、反対側の人間であるマックス(マット・デイモン)の手に落ちます。ここで、「リブートプログラム」は政権奪取の手段ではなく、新世界秩序構築のための手段に一変。
ウィリアム・ホーデンは、ここに「いつまでも現状維持を許すのか,それとも人々を拘束している社会契約を書き換える道を探すのか」という、この映画最大の主題があるといいます。このようなウィリアム・ホーデンの意見を中心に、アメリカではこの映画の解釈で盛り上がっているそうです。
ところで、わたしは、今年の夏、エリジウムを訪問する予定です。
2014年7月には、エリジウム・スペースが最初のロケットを打ち上げるというので、ぜひ、アメリカまで打ち上げを見に行きたいと思っているのです。そして、トマ・シベCEOにお会いすることを楽しみにしています。わたしのブログ記事「月への送魂」で紹介した宇宙時代のセレモニーも、いつか見ていただきたいですね。