No.0142


 25日に公開されたばかりの日本映画「小さいおうち」を観ました。
 場所は、チャチャタウン小倉内の「シネプレックス小倉」です。名匠・山田洋次監督の新作ですが、平成の現在から回想する形で、昭和10年から終戦直後にかけて、東京郊外で暮らすある一家の日常が描かれます。その中でひそかに起こる恋愛事件を通して家族の絆の深淵に迫ります。

 ヒロインの女主人・時子を演じるのは松たか子。そして時子を慕う女中のタキには黒木華です。わたしは、HPの「プロフィール」にも「好きなタレント」として松たか子の名前を挙げています。わたしのブログ「告白」で取り上げた映画を観たときから、彼女こそ日本映画界におけるナンバーワン女優であると思っています。彼女が戦前の若奥様を演じる「小さいおうち」は前々から観るのが楽しみでした。

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「小さいおうち」の原作本と映画パンフレット


映画公式HPの「解説」には、「直木賞受賞のベストセラー小説を映画化 山田洋次監督が挑む、新しい世界とは――」のリードに続いて、次のように書かれています。この文章は、映画パンフレットにも掲載されています。


「数々の名作を世に送り出してきた山田洋次が、監督作82本目にして全く新しい世界へと踏み出した―。
 ことの始まりは、山田監督が偶然手にした一冊のベストセラー小説。
 2010年に第143回直木賞を受賞した、中島京子の『小さいおうち』だ。
 読了した直後、『自分の手で映画化したい』と熱望した山田監督は、すぐに作者に思いのたけを込めた手紙を書いた。
 50年を超える監督人生の中で"家族の絆"を描き続けてきた山田監督が、今作で初めて"家族の秘密"に迫る。
 家族の温かさを見つめてきたその目で、更に深く人間の心の奥底に分け入り、その隠された裏側までも描きだそうとする―
 そんな監督の情熱から生まれたかつてない意欲作が、ついに完成した」

 映画公式HPの「物語」には、以下のように5つのパートに分かれてストーリーが書かれています。このストーリーは、映画パンフレットにも掲載されています。


「遺された"自叙伝"」
 すべては、数冊の大学ノートから始まった。健史(妻夫木聡)の大伯母で、先日亡くなったばかりのタキ(倍賞千恵子)が遺した"自叙伝"だ。大学生の健史は、一人暮らしのタキの身の回りの世話に来るたびに、執筆途中の原稿を読むことを楽しみにしていた。そこには、まるで知らない国のような、昭和初期の日本が描かれていた。物語は、タキが山形から東京へ奉公に出るところから始まる。
(映画公式HP「物語」より)

「東京郊外に建つ赤い三角屋根の家」
 小説家の屋敷に1年ほど仕えた後、タキ(黒木華)は東京郊外の平井家に奉公することになる。赤い三角屋根の小さいけれどモダンな家には、玩具会社に勤める雅樹(片岡孝太郎)と妻の時子(松たか子)、まだ幼い一人息子の恭一が暮らしていた。初めて会った瞬間から、若く美しくお洒落な時子に、強い憧れを抱くタキ。時子は気さくで優しく、東京の言葉やマナーなど何でも教えてくれた。
 時子に尽くすことが何よりもうれしいタキは、恭一が小児麻痺で倒れた時も、毎日おんぶして、日本橋の病院へ通った。
(映画公式HP「物語」より)

「時子と板倉、初めての出逢い」
 新年、正月の準備が整った平井家に雅樹の会社の社長と社員たちが集まり、日中戦争と金儲けの話で盛り上がる。中に一人だけ、話の輪に入れない男がいた。デザイン部門の新入社員、板倉正治(吉岡秀隆)だ。
 上司から逃げ出した板倉は、恭一の部屋で眠ってしまう。客が帰り、雅樹も寝た後、ようやく目覚めた板倉は、タキの作った雑煮を食べながら、時子と映画や音楽の話で意気投合する。その日以降、板倉はレコードを聴きに平井家を訪ねては、時子と楽しそうに話していくのだった。
(映画公式HP「物語」より)

「台風の夜の一瞬の出来事」
 ある時、大きな台風が関東地方を襲った。藤沢に出張した雅樹は帰って来ない。不安に震える時子とタキのもとを板倉が訪ね、激しい風雨も気にせず雨戸を打ちつけてくれる。やがて一帯は停電となり、板倉は泊まっていくことになる。真夜中過ぎ、玄関の扉の音に目が覚めた時子は、ソファで眠る板倉を揺り起こす。下駄箱で扉を押さえ、暗闇のなか寄り添う二人。
 その時、雷の光が、重なる二人の影を一瞬だけ照らし出す。
(映画公式HP「物語」より)

「時代に引き裂かれる想い」
 次第に、時子と板倉の"密会"の噂が広がり始める。贅沢を戒める国の政策が、人々の目を厳しくしていた。戦争は激化し、ついに板倉にも召集令状が届き、板倉は平井家に別れを告げにやって来る。翌朝、ただならぬ様子で出かけようとする時子を見て、板倉に会いに行くのだと直感したタキ。迷いに迷った末に、タキは時子を押しとどめ、ある一つの重大な提案をもちかける・・・・・
(映画公式HP「物語」より)

 映画館に入って、まず驚いたのは高齢の女性客が多いことでした。
 夫婦で来ている人もいましたが、ほとんどは老婦人同士、あるいは老婦人1人だけの人もけっこういました。この映画のテーマが「禁じられた恋愛」ということはすでに知られていますので、本格的なメロドラマ、それも「よろめきドラマ」を期待した御婦人方が大量に来館したのでしょうか。それとも、あの人たちにも遠い過去の「秘密」があって、この映画に吸い寄せられるように来たのでしょうか。

 映画を観終って、まず思ったのは「久石譲の音楽は素晴らしい!」ということ。
 メインテーマである「不倫」は、正直言って「どうでもいいじゃないか」と思いました。「戦時中だから、愛する二人は引き裂かれた」などというのは笑止千万で、今だって不倫は社会的に許されていません。石田純一の「不倫は文化だ」という発言はある意味で正しいと思うのですが、それを言った彼は猛烈なバッシングに遭いました。これぐらいの不倫、別に戦時中であろうがなかろうが、いつの時代にだって存在したでしょう。「だから何?」という感じですね。

 拙著『結魂論~なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)の中には「不倫映画を観る」というエッセイが収録されています。そこで、不倫映画の巨匠としてイギリスの名監督であるデビッド・リーンのことを書きました。
 1945年の「逢びき」、55年の「旅情」、65年の「ドクトル・ジバゴ」、70年の「ライアンの娘」と、リーンは不倫映画の名作を多く残しました。
 彼の一連の不倫映画の原点である「逢びき(Brief Encounter)」では、夫が妻の心変わりに知らない素振りで通します。そして不倫相手と別れた後の傷心の妻に、彼は「帰ってきてくれてありがとう」と優しく声をかけるのでした。

 「小さいおうち」の時子の夫である平井雅樹は妻の変心にどうも気づいていなかったようですが、わたしは「間抜けな旦那だなあ」と思いました。
 また、時子だけでなくタキにまで思わせぶりな言葉をかける板倉のことは「こいつ、単なる女たらしじゃないのか」とも思いましたね。
 「逢びき」は、世界の映画およびTVドラマにおける「メロドラマ」の原型を作ったとされています。その意味で、「小さいおうち」は「逢びき」のDNAを見事に受け継いだ作品であると言えるでしょう。いずれにせよ、禁じられた恋が燃え上がるのは古今東西に見られる普遍的な現象です。「恋愛の醍醐味は不倫にあり」というのは、もはや人間心理における「法則」と言えるかもしれません。

 というわけで、「不倫」というテーマなど、わたしの心を乱すことはありませんでした。それよりも、わたしの心を揺らしたのは映画タイトルにもなっている「小さいおうち」の外観や内装が、築80年の我が家に非常に似ていたことです。
 それもそのはず、我が家も戦前の昭和初期に建築された洋館ですので、応接間や和室をはじめ、本当に似ている部分が多かったです。また、家の中に置かれている家具なども、懐かしくてオシャレな昭和モダンそのものでした。

 舞台となる「小さいおうち」のセットも見事でしたが、この「小さいおうち」という言葉自体にさまざまな意味合いが込められています。「『小さいおうち』松たか子&黒木華 単独インタビュー」で、松たか子が次のように語っています。


「この家の中で起きていることって、本人たちにとっては大変な事件だったりするんですね。でも大きな世の中から見ればちょっとした出来事にすぎない。それが戦争であっという間に根こそぎ奪い取られてしまう。そういう何でもない日常の掛け替えのなさが、この言葉に込められているのかなって」

 この映画には、松たか子、黒木華をはじめ、吉岡秀隆、妻夫木聡、倍賞千恵子、吉行和子、橋爪功、小林捻持、夏川結衣、林家正蔵、片岡孝太郎ら、実力派やベテランが結集しています。その多くは、わたしのブログ記事「東京家族」で紹介した映画に出演した俳優陣であることがわかります。両作品では、ともに橋爪功、吉行和子が夫婦役を演じており、シリーズ作品といっても違和感がないくらいです。

 「東京家族」は、かの小津安二郎の名作「東京物語」完成から60周年、そして山田洋次監督の監督生活50周年を記念して製作された作品です。
 この「小さいおうち」もまた、もうひとつの「東京家族」なのでしょう。
 老人となった恭一を演じた米倉斉加年など、「まだ元気だったのか!」と思う俳優さんもいて、新作の映画を観ることは一種の「安否確認」でもあることを痛感しました。もっとも、わたしのブログ記事「永遠の0」で紹介した現在公開中の映画に出演している夏八木勲はすでに故人であるわけですから、一概には言えませんが。

 また、「小さいおうち」で小説家を演じた橋爪功は「永遠の0」で主人公・宮部久蔵の生前の様子を宮部の孫たちに語る老人を演じていました。
 時子の夫・平井雅樹を演じた片岡孝太郎は、わたしのブログ記事「終戦のエンペラー」で紹介した映画で昭和天皇を演じていました。わたしは、「小さいおうち」を観ながらも、彼らが熱演した他の作品のイメージが次々に湧いてきました。

 「永遠の0」といえば現在大ヒット公開中ですが、「小さいおうち」と大きな共通点があります。ともに、火葬場のシーンで物語が開始するのです。
 「永遠の0」では、冒頭に夏八木勲扮する佐伯賢太郎が愛妻の火葬の場で泣き崩れる場面が登場します。「小さいおうち」の冒頭では、倍賞千恵子扮する布宮タキが孤独死し、その火葬の場面が登場します。そして、前者では三浦春馬扮する佐伯健太郎が、後者では妻夫木聡扮する荒井健史が、それぞれと縁のある故人の人生を探るという物語になっているのです。

 これまで火葬のシーンが出てくる映画といえば、伊丹十三監督の「お葬式」とか、アカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」などが思い起こされますが、いずれも葬儀そのものをテーマとした映画です。
 このように、大ヒット公開中の作品も含め、現代の映画に火葬場がよく登場するということは時代を象徴していると思いました。
 葬儀の場面とは、亡くなった人間の歴史=物語が生起する場所なのです。

 いま、「終活」ブームだそうです。そして、それは「自分史」ブームというものと連動しています。「自分史」と「終活」の両方をつなげたものが、わたしが監修した『思い出ノート』(現代書林)です。おかげさまで、好評をいただいています。
 「小さいおうち」という物語は、自分史の物語でもあります。
 とある屋敷で女中をしていた親類の老女タキが残した大学ノートを手にした青年が、そこに綴られていた恋愛模様とその裏に秘められた意外な真実を知るわけですが、タキが綴っていたのは、いわゆる「自分史」でした。そして、タキの「自分史」にはトラウマともいうべき若き日の罪が隠されていました。

 「一条真也の読書館」で紹介した『自分史の書き方』で、著者の立花隆氏は、「自分史」を書く上でトラウマ的な要素を書くことが重要だと述べています。
 自分史を書くときに出てくる大きな問題は、人には言いたくないし、書いたとしても人に見せたくない、そういうプライバシーの極致のような話があるということです。幼児期の虐待体験とまではいかなくても親との確執、学校や職場でいじめられた経験、配偶者や自分自身の不倫、他にもさまざまな人を傷つけたり、自分が傷ついたような体験など。著者は、それらの『トラウマ』とも呼べるような記憶も自分史に書くべきだと訴えます。
 特に、「自分史とは人間関係史でもある」という言葉が登場しますが、家族や恋人や友人の思い出は記憶から消すことはできません。

 さらに立花氏は「トラウマ」を書くことは「癒し」につながるとして、述べます。


「誰しも、ずっと心の片隅に置いたまま、わざと触れずにおいた、心の中のわだかまりのようなものを、みんな大なり小なり、もっているはずである。それについて書くことで、そのわだかまてちたものがほぐれてくる。自分史を書くことには、そのような癒し効果のようなものがある。
 これは、フロイトの発見した、精神分析療法の理論と同じである。心の中のトラウマ(精神的外傷、心の傷)になっている部分を直視し、自分の心の奥底にそのようなトラウマがあったが故に、自分の心に特別な歪みが生じていたのだと認識する、その認識を得たとたん、心の歪みは消えていくというのがフロイトの洞察であり、彼の実践的治療法だった。たしかにこの理論そのままのことが自分史を書く作業の中でも起きるということを、わたしは何度も経験している」


 実際、辛い過去をそのまま綴って「自分史」を書き上げたタキは号泣しますが、そのとき「癒し」を経験したのかもしれません。

 タキの秘密を知った親類の青年・荒井健史も最後に号泣します。健史を演じるのは妻夫木聡ですが、わたしは彼のことを「日本一の泣き男」と呼んでいます。
 わたしのブログ記事「涙そうそう」ブログ「ジョゼと虎と魚たち」にも書きましたが、妻夫木聡が別れの場面で泣く演技は最高です。韓国の葬儀では「泣き女」という職業があるそうですが、妻夫木聡こそは日本一の「泣き男」だと思います。

 その彼が扮する健史がタキの自分史の内容にケチをつける場面がいくつかありました。いわく、戦前がそんなに明るかったはずはない、戦時中で食糧難の時代にトンカツなど食べられるはずがない、戦前・戦中世代は軍国主義に洗脳されていた・・・・・・などなどですが、これなどは「永遠の0」を観て感動の涙を流した人々にはストレスを覚える場面ではないでしょうか。

 過去を現代の視点から見てはなりません。その当時にしか存在しなかった、その当時を生きた人にだけしかわからない歴史の真実というものがあるのです。それを現代人の浅知恵で安易に批判することは許されません。それは、切腹や特攻といった自死的行為においても同じであると思います。
 山田監督は、松たか子ら出演者に「この時代はこうだったと紋切り型の歴史観で決め付けないで、想像力を働かせることをやめないでほしい」とリクエストしたそうですが、さすがは日本映画界を代表する名匠であると思いました。

 「小さいおうち」は、女中という職業の物語でもあります。
 今では「お手伝いさん」とか「家政婦」などと呼びますが、戦前は「女中」という言葉が平然と使われていました。「『小さいおうち』松たか子&黒木華 単独インタビュー」で、黒木華が次のように語っています。


「わたしはまず女中という職業自体になじみがなかったので、資料を読ませていただいて。撮影現場では素朴に『目の前の仕事をきちんとやろう』と思っていました。多分、タキちゃんはそういう子だろうと思ったので。
 あとは山田監督が実際に、小さい頃おうちに女中さんがいらっしゃったらしくて、そのときのお話も聞いて参考にしました。映画の中の坊ちゃん(時子の息子・恭一)とタキちゃんの関係は、子どもの頃の山田監督の思い出と重なるところがあるとおっしゃっていたんです」

 わたしは、生家が旅館(昔の松柏園ホテル)でしたので、周囲には仲居さんたちがたくさんいました。そのうちの1人から、幼少の頃に「坊ちゃんは、お母さんがいっぱいいて良いねえ」と言われたことがありますが、本当にそんな感じでした。また、わたしの実家にもいつもお手伝いさんがいました。
 ですので、戦前のタキのような女性の仕事ぶりも何となくわかります。
 映画パンフレットに「女中が身近だった時代」というコラムが掲載されています。
 その冒頭で、生活史研究家の小泉和子氏が次のように書いています。


「大正末から昭和戦前という時期は、史上最も家事が大変だった時代である。家事の大変さというと、電気もガス・水道もなかった江戸時代とか、男尊女卑の明治時代を思い浮かべるが、実は近代化と西洋化が進んできたこの時期こそが最も大変だったのである。たしかに近代化によってレベルは上がったが、その分、負担も大きくなったのである」

 石鹸と洗濯板で洗う洗濯、和服と洋服の二本立てになった衣服、食べ物の種類はもちろん調理器具や食器類も飛躍的に増えた料理・・・・・生活は豊かになった一方で、同時に煩雑繁多となり、家庭を圧迫していきました。この波をまともにかぶったのが新中間層と呼ばれた人々でした。小泉氏は次のように書きます。


「日常の家事だけでない。看護、出産、来客の接待、年中行事、冠婚葬祭と、あらゆることを家で行っていた時代である。家族も多かった。女中がいなくては成り立たなかったのである。このため当時は女中部屋がないような家でさえ女中を置いていた」

 多くの家庭が女中を置くことができたのは、農村の窮乏があったからです。
 小泉氏は映画「小さいおうち」に関連して、次のように述べています。


「タキが初めて奉公に出てきた昭和10年前後、農村は深刻な状況にあった。中でもタキの故郷山形県をはじめとして東北地方の困窮はひどく、欠食児童や娘の身売りが続出し、一県で年1万人以上が県外に売られたという。貧しく学歴もない娘がまともな仕事につこうとすれば女工か女中しかなかったのである」


 昭和10年といえば、わたしの父が生まれた年です。
 かの「二・二六事件」が起こったのは昭和11年ですが、事件発生の背景には東北の農村の困窮がありました。当時の日本は格差社会だったのです。

 そして、「女中が身近だった時代」の最後には次のように書かれています。


「ひとつの屋根の下で暮らすため、いきおい家族と女中との関係は密接である。タキと恭一少年に見られるような、慈しみ、慕われる『子供とねえや』の関係も多かった。しかしその一方、性の問題も深刻だった。自由に襖で開け閉めできる無防備な女中部屋、対するに男性の性道徳にきわめて寛容な社会である。立場の弱い女中が主人や息子に犯されるというのは日常茶飯事だった。婦人雑誌には数多くの体験談が載っているが、妊娠した結果追い出され、自殺に至ったというケースも枚挙にいとまがない。それでも男性側にはお咎めなしというのがほとんどであった。幸い『小さいおうち』の主人は品行方正な紳士だが、この映画の背景にあったのは以上のような世界だったのである」

 それでも、女中には嫁入り前の家事見習いという意味合いもありました。
 女中に縁談を紹介して嫁に出してやる家も少なくなかったそうです。
 この映画でも、時子がタキの母親代わりとして「あなたは、わたしが幸せにしてあげる」と言うシーンがありますが、ここでわたしはハンカチを濡らしました。

 雇い主が使用人を家族の一員と見て、絶対的に信用し、守ってやる。この姿に「人間尊重」の姿を感じたのです。時代は違いますが、映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64 ]」で、堀北真希が演じた六子が鈴木オートから嫁に出る場面にも、女中文化の良き名残が感じられます。
 「小さいおうち」のタキも、奥様である時子を母のように、また姉にように慕っていたのではないでしょうか。出光佐三らが唱えた家族主義経営の原点ともいうべき姿が丘の上の赤い三角屋根の家にはあったのです。

 最後に、この映画、とにかく松たか子が美しかった!
 わたしは彼女に見とれっぱなしでした。着物を着た若奥様姿は大変美しく、洋装姿も美しく、台所に立つ割烹着姿さえ美しく見えました。20代の若い女性にはない30代の色気というものを見事に醸し出していましたね。夫の部下の青年に恋をする彼女は、非常に情熱的な女性だったと言えるでしょう。
 映画パンフレットの「時代にまつわるキーワード」には、彼女がマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』を愛読していたと書かれています。アメリカの南北戦争を舞台に、気性の激しい南部女性スカーレット・オハラの恋の運命を描いた長編時代小説で、1936年(昭和11年)に出版、39年(昭和14年)には映画化されています。パンフレットには「許されない恋に悩みつつ、これを愛読していた時子は、オハラのような気高く強い女性に憧れながら自己を投影させていたのかもしれない」と書かれています。

 『風と共に去りぬ』は、わが青春の愛読書でした。
 映画「風と共に去りぬ」も大好きで何十回と観直しています。
 そして、スカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リーこそはわが理想の女性でした。わたしが日本一の女優と思っている松たか子演じる時子がスカーレット・オハラに憧れていたとは、なんだか嬉しくなりますね。映画が終わって外に出てみたら、「新・午前十時の映画祭」という往年の名画上演のポスターが目に入りました。現在は「慕情」をやっているそうですが、なんと次回は「風と共に去りぬ」だそうです。ああ、時間に余裕があれば、デジタル化されたわが青春の映画をスクリーンの巨大画面で観てみたい!そんなことを考えながら、「小さいおうち」が描かれたエレベーターに乗り込むわたしでした。

  • 販売元:松竹
  • 発売日:2014/08/08
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