映画「ポンペイ」を観ました。
 ペルシャ帝国とギリシャ連合軍の戦いを描いた「300~帝国の進撃~」も同時上映されており、古代を舞台にした映画が続々と公開されています。
 一種のブームの観もありますが、わたしのブログ記事「ノア 約束の舟」で紹介した映画は大変楽しみにしていたにもかかわらず今ひとつの出来で残念でした。
 しかしながら、その後に観た「ポンペイ」は予想以上に面白かったです。

 映画公式HPの「INTRODUCTION」には、以下のように書かれています。


「西暦79年、ローマ帝国が誇る美しき海辺の都市、ポンペイは、ヴェスヴィオ火山の大噴火により地中に埋没した。押し寄せる火砕サージに飲み込まれた街は一瞬にしてすべてが炭化し、そして灰に埋もれ、10数世紀の眠りについた。監督は『バイオハザード』、『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』など、最先端VFXを巧みに操り、常に新しい映像体験で世界を驚かせてきたポール・W・S・アンダーソン。壮大なスケールで有史以来最大の大自然の猛威と、それに翻弄されながらも真実の愛に生命を賭けた若き男女の姿を描き出した。あなたは人類史上最大の悲劇を目撃する」

 また、映画公式HPの「STORY」には、「歴史上最も壮絶な悲劇が幕を開ける。」とのコピーに続いて、以下のように書かれています。


「ローマ人に一族を虐殺されたケルト人騎馬族の生き残り、マイロ(キット・ハリントン)は、奴隷となり復讐心を糧に無敵の剣闘士(グラディエータ―)へと成長していた。ある日、マイロはポンペイの有力者の娘、カッシア(エミリー・ブラウニング)の馬を助け、その瞬間二人は身分の差を超えて激しい恋に落ちる。8月24日、ヴェスヴィオ火山がまさに噴火しようとしていた。果たしてマイロは降り注ぐ火山岩をくぐり抜け、熱雲が街を覆い尽くす前に、自由を手にし、愛する人を救い出すことができるのか――」

 子どもの頃、『ポンペイ最後の日』という本を読みました。
 イギリスの作家エドワード・ブルワー=リットンが1834年に発表した歴史小説で、わたしが読んだのは柴田錬三郎が訳したというか、ほとんど翻案作品のような偕成社版でした。西暦79年、ヴェスヴィオ火山の爆発により火山灰に埋もれて消滅したローマ帝国の町ポンペイを舞台に、さまざまな登場人物たちによる正義と悪の相克が描かれますが、最後は火山の大爆発というカタストロフで幕を閉じる物語に、子ども心にも「人間のはかなさ」「大自然の脅威」を感じました。その後、長じてから映画「ポンペイ最後の日」も観ました。高校1年生のとき、父と一緒に生まれて初めてヨーロッパに旅行したのですが、そのときは実際にポンペイの遺跡を訪れました。

 映画「ポンペイ」ですが、ヴェスヴィオ火山の爆発はあくまで味付け程度に過ぎず、基本は身分差のある男女の悲恋を描いたメロドラマでした。イメージとしては「タイタニック」に似ています。「タイタニック」という映画には「愛」と「死」という人類普遍の二大テーマがありました。
 考えてみれば、古代のギリシャ悲劇からシェークスピアの『ロミオとジュリエット』、百田尚樹の『永遠の0』に至るまで古今東西の感動の名作は、すべて「愛」と「死」をテーマにした作品であることに気づきます。

 「愛」はもちろん人間にとって最も価値のあるものです。ただ「愛」をただ「愛」として語り、描くだけではその本来の姿は決して見えてきません。そこに登場するのが、人類最大のテーマである「死」です。「死」の存在があってはじめて、「愛」はその輪郭を明らかにし、強い輝きを放つのではないでしょうか。「死」があってこそ、「愛」が光るのです。そこに感動が生まれるのです。この「ポンペイ」も明らかにその系譜に連なる作品でした。

 この映画には古代ローマの闘技場で戦う剣闘士(グラディエーター)たちが登場しますが、彼らがじつに生き生きと描かれていました。戦闘シーンも迫力満点で、この映画を一級のエンターテインメントに仕上げていました。
 古代ローマの闘技場で戦う剣闘士の映画といえば、2000年に公開された「グラディエーター」が思い浮かびます。「ブレードランナー」や「エイリアン」のリドリー・スコットが監督を務め、第73回アカデミー賞作品賞を受賞しました。「グラディエーター」は、帝政ローマ時代中期を舞台とし、ラッセル・クロウ扮するローマ軍将軍マキシマス・デシマス・メレディウスの物語でした。そのラッセル・クロウが主演する「ノア 約束の舟」が同時に公開されているというのも偶然ですね。

 「ポンペイ」では、主人公マイロと黒人奴隷アティカスとの友情も、けっしてベタつかず、ほどよい感じで感動的に描かれていました。それにしても、奴隷制度というものがいかに「人間尊重」に反しているかが、この映画を観てもよくわかります。「人間尊重」といえば、出光興産の創業者である出光佐三翁の座右の銘でしたが、彼は生涯を通じて「奴隷になるな」ということを訴え続けました。奴隷といっても本当の奴隷ではありません。具体的には、「黄金の奴隷になるな」「法律・組織の奴隷になるな」「権力の奴隷になるな」「理論と数の奴隷になるな」「主義の奴隷になるな」ということです。要は、「自分は絶対に奴隷にはならない」というプライドが大切なのです。

 さて、「ノア 約束の舟」は「人類史上最古にして最大の謎」を描いた作品で、「ポンペイ」は「人類史上最大の悲劇」を描いた作品という触れ込みです。わたしは、この「人類史上」という言葉にとにかく弱いのです。(苦笑)
 「大仰な」と言うなかれ。ノアの方舟伝説やポンペイ滅亡の史実は、西洋の人々の「こころ」に多大な影響を与えてきました。「ノア 約束の舟」は水によるカタストロフ、「ポンペイ」は火によるカタストロフが描かれています。

 火と水。わたしは、ここに人類の謎があるような気がします。
 人類がどこから来て、どこへ行こうとしているかの謎を解く鍵があるように思います。もともと世界は水から生まれましたが、人類は火の使用によって文明を生みました。ギリシャ神話のプロメテウスは大神ゼウスから火を盗んだがゆえに責め苦を受けますが、火を得ることによって人間は神に近づき、文明を発展させてきたのです。そして、文明のシンボルとしての火の行き着いた果てが核兵器でした。

 「ヒロシマ ナガサキ」という原爆のドキュメンタリー映画があります。
 その映画に登場する広島で被爆した男性が「原爆が落ちた直後、きのこ雲が上がったというが、あれはウソだ。雲などではなく、火の柱だった」と語った場面が印象的でした。その火の柱によって焼かれた多くの人々は焼けただれた皮膚を垂らしたまま逃げまどい、さながら地獄そのものの光景の中で、最後に「水を・・・・・」と言って死んでいったといいます。 
 命を奪う火、命を救う水という構造が神話のようなシンボルの世界ではなく、被爆地という現実の世界で起こったことに、わたしは大きな衝撃を受けました。考えてみれば、鉄砲にせよ、大砲にせよ、ミサイルにせよ、そして核にせよ、戦争のテクノロジーとは常に「火」のテクノロジーでした。火焔放射器という、そのずばりの兵器など象徴的です。

 『リゾートの思想』(河出書房新社)や『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)にも詳しく書いたように、天国や楽園とは豊かな水をたたえた場所です。人類における最初の戦争は、おそらく水飲み場をめぐっての争いではなかったでしょうか。それほど、水は人間の平和や幸福と深く関わっていると思うのです。そして、火は文明のシンボルです。いくら核兵器を生んだ文明を批判しても、わたしたちはもはや文明を捨てることはできません。歴史的に見れば、戦争が文明を生み出したと言えるでしょうが、その不思議な戦争の正体とは間違いなく火であると、わたしは思います。そして、自動車もエアコンもスマホもパソコンも、みな火の子孫なのです。その最たる子孫こそ、原子力発電所であったことは言うまでもありません。


 わたしたちは、もはや火と別れることはできないのでしょうか。
 しかし、水は人類にとって最も大切なものであることも事実です。
ならば、どうすべきか。わたしは、人類には火も水も必要なことを自覚し、智恵をもって火と水の両方とつきあってゆくしかないと思います。人類の役割とは、火と水を結婚させて「火水(かみ)」を追い求めていくことではないでしょうか。「火水(かみ)」とは「神」です。これからの人類の神は、決して火に片寄らず、火が燃えすぎて人類そのものまでも焼きつくしてしまわないように、常に消火用の水を携えてゆくことが必要ではないかと思います。

 最後に、わたしはヴェスヴィオ火山の爆発によるポンペイの滅亡を「人類史上最大の悲劇」とはまったく思いません。「人類史上最大の悲劇」とはヒロシマナガサキに原爆が落とされたことだと思っています。ポンペイの人々は自然の猛威によって焼かれました。しかし、ヒロシマナガサキの人々は人間の悪意によって焼かれたのです。これ以上の悲劇があるでしょうか?

  • 販売元:ギャガ
  • 発売日:2014/12/02
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