No.0160
日比谷の「TOHOシネマズシャンテ」で「ジゴロ・イン・ニューヨーク」を観ました。「ジゴロ・イン・ニューヨーク」は、わたしのブログ記事「マダム・イン・ニューヨーク」で紹介した映画と同様に、ニューヨークを舞台とした作品です。非常にオシャレで大人の雰囲気を漂わせる映画でした。
「サエないオヤジ2人の物語」と聞いていたので、誰か中年男性を誘って一緒に観ようと思い、「出版寅さん」こと内海準二さんに白羽の矢を立てました。映画を観た後、本の企画で打ち合わせしたかったこともありましたが、何よりこの映画は内海さんにピッタリのような気がしたのです。もっとも、内海さんは「サエないオヤジ」ではなく「イケてるオヤジ」ですが。(微笑)
わたしが座席の予約をしたのですが、隣同士の席だとゲイのカップルに間違われるかもしれないと思い(苦笑)、通路側の前後の席にしました。もちろん、チビのわたしが前でノッポの内海さんが後です。
映画公式HPの「INTRODUCTION」には、「店が潰れた本屋の主人と、花屋でバイト中のサエない男が、ジゴロ・ビジネスを開業―?!」「ジョン・タトゥー&ウディ・アレンが、ニューヨークを舞台に繰り広げる、大人のラブストーリー」として以下のように書かれています。
「代々続くブルックリンの本屋を潰してしまった店主と、いい歳をして定職にも就かずアルバイトを転々とする男。
イケてないことにかけては、ニューヨークでもトップクラスの男たちが、なぜかジゴロ・ビジネスを始めることに―?!
ジゴロ=色男というお約束を完全に無視した本作を生みだしたのは、『バートン・フィンク』でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞したジョン・タトゥーロ。スパイク・リーやコーエン兄弟ら奇才監督の元で独特の存在感を見せる個性派俳優だ。そのスペシャルな才能を監督業でも発揮、監督デビュー作『マック/約束の大地』でカンヌ国際映画祭カメラ・ドールに輝き、続く『天井桟敷のみだらな人々』では同映画祭パルム・ドールにノミネートされた。
そして次なる監督作にと、タトゥーロが温めていたジゴロネタを耳にし、すっかり心を奪われたのが、名監督にして名優のウディ・アレン。アカデミー賞に史上最多24回ノミネートされ、脚本家としても同賞に16回ノミネートされ、そのうち3度受賞という超人的な足跡を映画史に残すアレンが、気に入ったあまりタトゥーロの脚本にあれこれ口を出し、遂にはタトゥーロとダブル主演で、14年ぶりとなる自身の監督作以外への出演を果たしたのだ!
全米の限定公開作品としては、今年第2位となる大ヒットスタートを記録、ニューヨークに笑いと幸せをばらまいた、ロマンティックなジゴロたちが、この夏日本にやって来る―」
また、「すべての女性たちに幸せをバラまく、小粋でおかしくて少し切ない、大人のための物語」として、以下のように書かれています。
「アレン扮する"ポン引き"のマレーと、タトゥーロ演じる"ジゴロ"のフィオラヴァンテという、脱力感溢れる奇妙なコンビのジゴロ業は、意外にも大繁盛。マレーはすっかり調子に乗るが、フィオラヴァンテがジゴロのご法度"客との恋"におちたことから、2人の運命は思わぬ方向へと転がっていく―。
フィオラヴァンテの最初の客で、彼に夢中になる裕福な女医パーカーには、『カジノ』でアカデミー賞にノミネートされ、ゴールデン・グローブ賞を受賞、世紀をまたいでトップスターに君臨し続けるシャロン・ストーン。フィオラヴァンテが恋におちる、厳格なユダヤ教徒の未亡人アヴィガルには、『橋の上の娘』のヴァネッサ・パラディ。ハリウッドとフランスが誇る二人の女優が、恋と触れ合いを通して人生を見つめ直す女性を、艶やかに演じている。
ニューヨークを舞台にした数々の作品で知られるアレンと、彼と同じく生粋のニューヨーク生まれのタトゥーロが案内役となり、この街の洗練された文化から、様々な人種が入り混じった人間味溢れる暮らしまで、たっぷりと見せてくれる。全編に奏でられるジャズの名曲、アレンのアドリブも楽しいシニカルで粋な会話、一夜だろうと本気だろうとロマンティックで切ない恋─観客にも小さな幸せをバラまきながら、失敗も成功もあるからこそ、人生は愛おしいと語りかける心温まる物語。大人のための映画を待ちわびていた、あなたへお届けします―」
映画公式HPの「STORY」には、「失業中の本屋の元店主と、サエない花屋のバイト男が、ジゴロを開業?!」「ニューヨークの街にしあわせをばらまく、小粋で笑えて、心温まるラブストーリー」として、次のように続きます。
「『希少な本を買う人が、今では希少になった』と、自分の商才の無さを棚に上げ、友人のフィオラヴァンテ(ジョン・タトゥーロ)にボヤくマレー(ウディ・アレン)。ニューヨークはブルックリンで、祖父が始め、父が引き継いだ本屋を、彼の代でたたむことになったのだ。妻が働いているとはいえ、4人の子どもを抱えて失業したマレーは、偶然舞い込んだ儲け話に飛びつく。かかりつけの皮膚科の女医パーカー(シャロン・ストーン)から『私とレズビアンのパートナーとのプレイに男を入れたいの』と相談されたマレーは、『一人いるけど、1000ドルかかるよ』と持ちかけたのだ。
マレーの頭に浮かんだのは、定職にも就かず、家賃も払えず、数日前から花屋でバイトを始めた友人フィオラヴァンテだった。イケメンとは程遠いことを十分自覚しているフィオラヴァンテは、最初はマレーの話に頭がおかしくなったのかと呆れる。しかし、『君はモテた。セクシーだ』などとおだてられるうちに、すっかりマレーのペースに乗せられ、気付いた時には取り分は6対4なんてことまで決めていた」
「『まずは、お試しさせて。私と彼の二人で』と注文するパーカーと商談成立、モダンアートで飾られたハイセンスなパーカーの高級マンションで、フィオラヴァンテはジゴロデビューを果たす。フィオラヴァンテが持ち帰った封筒には、500ドルの"チップ"も入っていた。
フィオラヴァンテの稼ぎっぷりにすっかり味をしめたマレーはポン引きの才を発揮、軽快なフットワークと絶妙な営業トークで客層を広げていく。商売は大繁盛、どうやら女性の気持ちを理解できるという、フィオラヴァンテの"隠れた才能"が、彼女たちを惹きつけるらしい。
すべての女性を敬愛するがゆえに、ふと罪悪感に囚われるフィオラヴァンテ。そんな時もマレーに、これは女性の自尊心を持ち上げる"善行"だと諭され、またまた気が付けば、『ヴァージル&ボンゴ』という、自分たちの新しいコンビ名まで決めていた」
「そんな一方でマレーは、ある女性に熱心なセールスを繰り広げていた。マレーのような不マジメなユダヤ教徒ではなく、厳格な宗派の高名なラビの未亡人アヴィガル(ヴァネッサ・パラディ)だ。まだ若く美しい彼女が、夫の死後ずっと喪に服している姿を見たマレーは、「人は触れ合いが必要だ」と説得し、フィオラヴァンテの"セラピー"を受けることを承諾させる。
フィオラヴァンテのアパートで、優しく背中をマッサージされたアヴィガルは、ハラハラと涙を流す。『ずっと誰も私の体に触っていないから・・・・・・』という彼女の涙のワケに、心を揺さぶられるフィオラヴァンテ。
2人は普通の恋人同士のようにデートを重ね始める。
2人の恋は、ジゴロにとっては"ご法度"、ユダヤ教徒にとっては"禁忌"だった。ある日、アヴィガルに想いを寄せる幼馴染のドヴィ(リーヴ・シュレイバー)の告発で、マレーは無理やりユダヤ法の審議会にかけられてしまう。ポン引きの罪は"石打ちの刑"だという、まるで中世の裁判だ。ちょうどその頃、フィオラヴァンテも自らの恋のせいで、ある窮地に陥っていた―。
果たして、2人の恋の行方は? そして、マレーの運命や如何に」
「ジゴロ・イン・ニューヨーク」は冒頭からJAZZで始まり、最後まで洒落た都会的な音楽が流れていました。主演のタトゥーロも苦味走ったジゴロを好演していましたが、なにしろ1957年生まれで、現在は57歳です。くたびれたジゴロという印象は免れませんでした。わたしにとって「ジゴロ」といえば、やはり「アメリカン・ジゴロ」でのリチャード・ギアの姿が思い浮かびます。
「アメリカン・ジゴロ」は1980年に公開されたアメリカ映画で、監督はポール・シュレイダーです。主人公ジュリアンは、ビバリーヒルズの金持ち婦人を相手に稼ぎまくるジゴロ。リチャード・ギアの衣裳は、まだ無名に近かったジョルジョ・アルマーニが担当しました。わたしも、この映画で初めてアルマーニの服を知り、その魅力に取りつかれた思い出があります。
また、この映画はリチャード・ギアの出世作として知られます。2年後の1982年には、名作「愛と青春の旅立ち」が公開されました。
また「ジゴロ・イン・ニューヨーク」は「ユダヤ教」および「ユダヤ人」が大きなテーマとなっています。それを描いた場面を観て、わたしは「アニー・ホール」を連想しました。1977年制作のアメリカ映画で、ウディ・アレン監督によるニューヨークを舞台としたロマンスコメディです。ここでもユダヤ人であることにこだわるアレンの姿が延々と描かれており、「アニー・ホール」が「ジゴロ・イン・ニューヨーク」のルーツであるような気がしました。
この映画には数多くの名言が登場しましたが、わたし的には、冒頭で書店を閉店することになったアレンがつぶやく「稀少な本を求める人が稀少になった」や、タトゥ-ロが言った「読書する女は好まれない」といったセリフが印象に残りました。しかし、映画を観終わった後に内海さんが言った「女が好きなものは、本と映画と演劇と花さ」というセリフも心に残りました。
それにしても、タトゥ-ロ演じるジゴロの客は美人ばかりでしたね。特に、皮膚科の女医を演じたシャロン・ストーンの美しかったこと! 「氷の微笑」や「硝子の塔」などで妖艶なヒロインを演じた彼女に魅せられたまもですが、その彼女がジゴロを買う客を演じるとは、ちょっと複雑な心境ですね。上戸彩チャンが主婦売春のドラマに出るのと同じくらいショックです。(笑)
この映画のポイントの1つはユダヤ教ですが、ラビを中心として戒律を忠実に守る人々が描かれていました。ラビの未亡人アヴィガルはいつもカツラをかぶっていますが、現代においても髪を他人に見せてはいけないという厳格な戒律が生きているとは驚きです。夫の死後、アヴィガルは深い悲しみに包まれました。ユダヤ教というのは豊かなグリーフケアの文化を持っていることでも知られ、アメリカにはグロフマンという有名なグリーフケア・カウンセラーのラビがいます。わたしはグロフマンの言葉をアレンジして、「親を亡くした人は、過去を失う。配偶者を亡くした人は、現在を失う。子を亡くした人は、未来を失う。恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」という言葉を『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)で紹介しました。
わたしは何度かニューヨークを訪れたことがありますが、黒ずくめのユダヤ教徒たちの姿をよく見かけたことを記憶しています。実際、ニューヨークには多くのユダヤ教徒、ユダヤ人が生活しているのでしょう。
もちろん、ニューヨークにはユダヤ人だけでなく、さまざまな民族が暮らしています。この映画の最後で、カフェにいたリオとフィオラヴァンテがフランス人の美女と出会う場面があります。英語とフランス語でちぐはぐなコミュニケーションになるのですが、リオは「言葉は通じないほうが恋愛には都合がよい」みたいなニュアンスのことを言ったのが印象的でした。
この言葉は、まさに現在上映されているもう1本のニューヨーク映画「マダム・イン・ニューヨーク」につながっていきます。9月にニューヨークを訪れた際、さまざまな国の人々に出会うのも大きな楽しみです。
映画館を出た後、有楽町のガード近くの店で内海さんと飲みました。まるで「ブレード・ランナー」に出てくるようなワイルドな店で、わたしたちは外の席でホッピーを飲んで焼き鳥を齧りながら、出版界の明るい未来について語り合いました。すると、激しい雨が降り出しました。ふと周囲を見ると、明らかに日本人ではないアジアの人々や、アメリカ人らしき人々の姿も目に入りました。すでに東京は「リトル・ニューヨーク」の観がありますが、2020年のオリンピックを控えて、ますます多くの外国人たちが東京を訪れることでしょう。「異文化交流」そして「異文化理解」の重要性は高くなるばかりですね。