25日に公開されたばかりの映画「GODZILLA ゴジラ」を観ました。わたしのブログ記事「今年の『こどもの日』は『怪獣の日』だった!」でも「GODZILLA ゴジラ」を紹介しましたが、とても観たかった映画です。

 「GODZILLA ゴジラ」は、二度目となるアメリカ版ゴジラ映画です。3・11のトラウマで日本では都市が破壊される映画は作りにくいとされていますが、このたびの新作はハリウッドが総力を挙げて作った作品だそうです。核兵器の脅威が怪獣という異形となって人間の世界を脅かす「ゴジラ」の本質に最新技術をもって迫りました。その結果、5月19日に北米で公開されたハリウッド版ゴジラが初日の興行収入が3850万ドル(約39億円)というロケットスタートに成功しました。ちなみにフランス、スウェーデン、ベルギー、スイス、ノルウェー、フィンランド、インドネシアでも、オープニング初日の興行収1位も獲得し、全世界の興収1位になったとか。日本で生まれたゴジラ映画が世界の映画界の頂点に立ったのです!

 ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。


「怪獣映画の傑作として映画史に名を残す『ゴジラ』を、ハリウッドが再リメイクした超大作。突如として出現した怪獣ゴジラが引き起こすパニックと、ゴジラの討伐に挑む人類の姿を壮大なスケールで活写する。メガホンを取るのは、『モンスターズ/地球外生命体』のギャレス・エドワーズ。キャストには『キック・アス』シリーズなどのアーロン・テイラー=ジョンソン、『ラスト サムライ』などの渡辺謙ら実力派が結集。ゴジラの暴れぶりもさることながら、凶悪度の増したデザインに息をのむ」

 またヤフー映画の「あらすじ」には、以下のように書かれています。


「1999年、日本。原子力発電所で働くジョー(ブライアン・クランストン)は、突如として発生した異様な振動に危険を感じて運転停止を決意。だが、振動は激しさを増して発電所は崩壊し、一緒に働いていた妻サンドラ(ジュリエット・ビノシュ)を亡くしてしまう。それから15年後、アメリカ軍爆発物処理班の隊員である、ジョーの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、日本で暮らす父を訪ねる。原発崩壊事故の原因を調べようと侵入禁止区域に足を踏み入れた二人は、そこで思いも寄らぬ光景を目にする」

 今回の「GODZILLA ゴジラ」の物語が1999年から始まるというのはなかなか意味深です。というのも前年の1998年には初のハリウッド版「GODZILLA」が作られているのですが、ファンの間ではどうしようもないクズ映画として扱われており、「あの映画はなかったことにする!」と言われているほどです。熱心なゴジラ・ファンにとっては今回の映画こそが初のハリウッド版「GODZILLA」だというのです。たしかに98年版はハリウッド・リメイクの悪い例のような作品で、同年のゴールデンラズベリー賞最低リメイク賞を受賞したくらいです。監督をはじめ製作陣にゴジラ愛がまったく感じられませんでした。だいいち、あの映画のゴジラは怪獣ではなく、単なる巨大なトカゲだったのです。99年という時代設定の背景には、ゴジラの黒歴史ともいえる98年の記憶をリセットしたいという意図が感じられます。

 では、今回の「GODZILLA ゴジラ」を観たわたしの感想はどうだったか? 率直に言って、「素晴らしい!」と「許せない!」、つまり「GOOD!」と「BAD!」という相反した思いが残りました。その理由を追って説明します。まず、「素晴らしい!」「GOOD!」のほうですが、これはもう見事なまでのゴジラ映画の王道を踏襲してくれたことに尽きます。日本の東宝が生んだ「ゴジラ」に最大級の敬意を表して、「これぞゴジラ映画!」という内容に仕上げてくれました。わたしのブログ記事『東宝特撮総進撃』にも書いたように、わたしは東宝の特撮映画が大好物で、その中核たる「ゴジラ」シリーズもほとんど全部観ています。ただし、平成ゴジラには興味がなく、もっぱら昭和ゴジラばかりですが・・・・・・。その昭和ゴジラの原点こそ、1954年(昭和29年)に製作された「ゴジラ」です。

 ゴジラというのはもはや単なる「怪獣」ではなく、日本人にとっては「神」のような存在であると言えます。つまり、日本人の無意識に深い影響を与える存在だと言えるでしょう。わたしのブログ記事「東京の不安」では、東日本大震災直後の2011年3月13日に福島原発事故での放射能の不安について書きました。わたしは、「放射能」といえば反射的に「ゴジラ」を連想します。
 わが書斎には、ゴジラの大型フィギュアが置いてありますが、54年に製作された映画「ゴジラ」は怪獣映画の最高傑作などというより、世界の怪奇映画史に特筆すべき最も陰鬱で怖い映画だったと思います。それは、その後に作られた一連の「ゴジラ」シリーズや無数の怪獣映画などとは比較にもならない、人間の深層心理に訴える名作でした。ある心理学者によれば、原初の人類を一番悩ませていたのは、飢えでも戦争でもなく、「悪夢」だったそうです。「ゴジラ」の暗い画面と黒く巨大な怪獣は、まさに「悪夢」を造型化したものだったのです。

 子ども向けにシリーズ化されたゴジラや、リバイバルされた平成ゴジラは正義の味方であったりして愛嬌さえありましたが、最初の「ゴジラ」は途方もなく怖い存在だったのです。その意味で、今回の「GODZILLA ゴジラ」は怖くもあり、人類も救ってくれるということで、まさに荒ぶる神そのものでした。
 その神としてのゴジラは、「自然」の化身でもあります。「ゴジラ」ではなく、「GODZILLA」。この英語の中には「GOD」の文字がしっかり入っています。しかし、一神教が崇める「GOD」は自然の化身ではありません。それは、あくまでも自然を生み出す唯一絶対神なのです。ですから、「GOD」の文字をその身中に隠しながら、大いなる自然神でもある「GODZILLA」とは一神教も多神教も超越した新しいタイプの「破壊神」なのです。

 今回の映画は、「破壊神」としてのゴジラを見事に表現していました。その造形も98年版にような巨大トカゲではなく、立派な「怪獣王」でした。その意味で、この映画を「素晴らしい!」と思いました。
 特に、ゴジラが咆哮する姿が最高でした。暴れるシーンよりも、吠えるだけのシーンのほうがずっと良かった。映画評論家の町山智宏氏は「あの咆哮シーンを見ただけで、この映画に関わった人々のゴジラ愛がよく理解できた」と述べていました。町山氏はまた、「ゴジラの咆哮シーンは、歌舞伎役者が見栄を切るのと同じ。監督はよくわかっている」とも言っていましたが、まったく同感です。まったく、あの雄叫びを聞くと、ゾクゾクしますね。

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水爆大怪獣映画・・・54年版のDVDパッケージ


 次に、この映画を「許せない!」と思った理由を述べましょう。
 2011年3月11日、東京電力福島第一原子力発電所1号機で水素爆発が発生しました。この「水素爆発」という言葉を聞いた瞬間に連想したのも、やはりゴジラでした。なにしろ、映画「ゴジラ」のサブタイトルは「水爆大怪獣映画」だったのです。この映画が作られた54年は、日本の漁船である第五福竜丸が、ビキニ環礁でアメリカの水爆実験の犠牲になった年です。当時の日本人には、広島、長崎で原爆を浴びたという生々しい記憶がしっかりと刻まれていました。ゴジラは、人間の水爆実験によって、放射能を自己強化のエキスとして巨大化した太古の恐竜という設定です。世界最初で唯一の被爆国である日本では、多くの観客が放射能怪獣という存在に異様なリアリティをおぼえ、震え上がりました。

 そして、ゴジラの正体とは東京の破壊者でした。アメリカを代表する怪獣であるキングコングがニューヨークの破壊者なら、ゴジラは東京を蹂躙する破壊者なのです。54年の映画「ゴジラ」では、東京が炎に包まれ、自衛隊のサーチライトが虚しく照らされます。その光を浴びて、小山のような怪獣のシルエットが、ゆっくりとビル群の向こうに姿を現わします。それはもう「怪獣」などというより、『旧約聖書』に出てくる破壊的な神そのものです。海からやって来たゴジラは銀座をはじめとする東京の繁華街をのし歩き、次々に堅牢なビルが灰燼に帰してゆくのです。その後には、不気味なほどの静けさが漂っています。

 でも、「ゴジラ」の怖さの正体は、東京を破壊する怖さではありません。その怖さは、「核」そのものメタファーであるゴジラが東京に近づいてくるという怖さなのです。怪談でいえば、幽霊が登場してからよりも、登場するまでの心理的なストレスこそが怖いのです。わたしが持っている東宝特撮映画DVDコレクション「ゴジラ」(ディアゴスティーニ・ジャパン)のパッケージの裏には、「水爆実験により海底で眠っていた大怪獣"ゴジラ"覚醒! 大東京に迫り来るゴジラの猛威!!」と書かれています。その意味で、福島原発の爆発事故によって最悪の事態となり、東京に放射能が降り注ぐという不安は、放射能怪獣ゴジラが接近してくるという不安にも通じていました。

 今回の「GODZILLA ゴジラ」には、オープニングでで水爆実験の古い記録映像がコラージュとして流されます。いずれもアメリカによる水爆実験ですが、これらの実験がなんと「ゴジラを殺すために」行われたという話になっているのです。つまり、ゴジラは原爆や水爆といった核兵器とはまったく無縁の怪獣として描かれているのです。もともと、ゴジラとは核実験の影響で怪獣化した恐竜という設定でした。それが最初から放射線を吸収する能力を持った古代生物という設定に変えられているのです。そして、この映画でのゴジラは「自然のバランスを保つために出現した」存在、まるで「エコロジーのシンボル」のような存在になっています。

 一方で、放射能を食料として生きる「MUTO(ムトー)」という怪獣が登場します。この映画では、放射能を必要とするムトーの雄・雌2匹と、自然のバランスを保とうとするゴジラが戦うという構図になっているのです。このムトー、じつに気持ちの悪いデザインです。一見、「ゴジラの逆襲」に出てきたアンギラスのようでもあり、羽があって飛行するところはラドンのようでもあり、2匹いるところはモスラの幼虫のようでもあります。しかし、ムトーはアンギラスでもラドンでもモスラでもありません。強いて表現するならば、「デビルマン」に出てくるデーモンのような不快指数の高い生き物です。

 この映画に出てくるのは水爆実験のシーンだけではありません。冒頭に、地震が原因と思われる原子力発電所の臨界事故の場面が出てきます。多くの人々が原子炉の炉心近くに取り残され、原子炉建屋や放熱塔は爆発し倒壊します。さらには、放射能汚染による立ち入り禁止区域まで登場するとあっては、これはもう福島第1原子力発電所事故を連想しない人のほうが少ないでしょう。では、核兵器や原子力の怖ろしさを描いているのかというと、まったくそうではありません。津波や避難所、核貯蔵施設のシーンも次々に登場しますが、これらは単なる怪獣映画を盛り上がるための刺身のツマでしかありません。わたしは、「ハリウッドよ、あまりにも日本を馬鹿にしていないか?」と怒りをおぼえました。

 わたしが最も怒りを感じたのは、アメリカという国家の人類史上最悪の悪業である原爆投下についてのくだりでした。「ヒロシマ」という単語が渡辺謙扮する芹沢猪四郎博士の口から出てくるのですが、それも芹沢博士の父親が広島原爆で亡くなったことをアメリカ人の軍人に伝えるシーンでした。どう考えても、芹沢博士の父親が広島原爆の犠牲者というのは年齢の辻褄が合いません。映画評論家の町山智宏氏もこの場面を観たとき、「それはないだろ!」と思ったといいますが、わたしも同じでした。

 でも、それよりも、わたしが腹を立てたのは、芹沢博士の告白を聞いた米軍司令官のようなアメリカ人が悲しそうな表情をして終わりだったことです。つまり、たった1人のアメリカ人が広島原爆という悲劇に同情を示したことで、アメリカそのものの罪が許されたような描き方をしていることでした。
 こんな、とってつけたような形で原爆の問題を処理されるとは、日本人として激しい怒りを覚えます。もっとも、アメリカ人の多くは原爆投下について悪かったとは思っておらず、第二次世界大戦で戦っている米軍兵士の命を救うために不可欠な正義の行為であったと認識しているそうなので、その意味では少しは評価できる場面だったのかもしれません。
 実際、これまでのハリウッド映画に原爆投下に対する反省などは微塵も見られませんでしたから・・・・・・。

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「毎日新聞」7月26日朝刊


 しかし、何よりも怒髪天を衝く思いを抱いたのは、「ヒロシマ」の一言だけで済ませて、もう1つの「ナガサキ」という言葉が出てこなかったことです。
 わたしのブログ記事「小倉原爆スクープ!」に大量のアクセスが集中していますが、わたしは長崎原爆にはひとかたならぬ思い入れがあります。もともと、わたしは、長崎の原爆記念日に対する国民やメディアの関心が広島のそれに比べて低いことを不満に思うと同時に疑問に感じていました。なぜ、広島の原爆は長崎の原爆より重いのか? 人類最初と2番目、14万人の犠牲者と7万4000人の犠牲者という差はありますが、「最初だからとか、死者の数が多いからといって偉いわけではないだろう!」といつも憤慨していました。

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2013年8月9日「毎日」「朝日」「読売」「西日本」新聞朝刊広告


 「終戦60周年に思う 月面聖塔は地球の平等院」の「記憶の選択と集中」の章にも書きましたが、先の戦争についての記憶は、戦後に「選択と集中」が行われました。8月15日を終戦記念日としているのは実は日本だけで、連合国をはじめとした諸外国はポツダム宣言を正式に受け入れた9月2日を終戦記念日としています。占領の末期からメディアが過去を記念すべき日として徐々に提示しだしたのは、広島に原爆が落とされた8月6日と8月15日でした。それ以外の記念日、例えば満州事変の始まりである盧溝橋事件の7月7日、真珠湾攻撃の12月8日、長崎に原爆が落とされた8月9日、降伏文書に調印した9月2日は、ほとんど取り上げられることはありませんでした。さらに、9月8日の講和条約調印日、4月28日の講和条約発効日も忘れられていました。ここには記憶の「選択と集中」があったわけです。

 「8月6日」の記憶についても、終戦まで広島の被害の詳細は日本政府によって隠蔽され、その後の占領期にはアメリカ軍による厳しい情報統制の対象となりました。8月6日の「朝日新聞」社説で原爆について言及されたのは、占領末期の1949年になってからです。つまり、戦後日本で原爆の記憶はローカルなものにとどまっていました。その意味では、「8月6日」は占領終了後に、国民的記憶として新たにつくられたと言えます。
 さて、日本以外の諸外国が真の終戦の日としている9月2日、太平洋上のミズーリ号の上で調印を交わされました。その際、アメリカは二本の星条旗を掲げて来ていました。一本は、真珠湾で奇襲を受けたときのホワイトハウスに掲げられていた旗。そして、古びたもう一本は、なんと、1853年にペリーが黒船に掲げていた国旗でした。アメリカは、「もともとお前たちの国を開いてやったのは、われわれだということを忘れるな!」という強烈なメッセージを残したのです。

 そういったことを思い出すと、この映画での"とってつけたような"広島原爆のエピソードに怒りが湧いてきたのです。先に、ゴジラは「悪夢」の造形化であると述べました。54年に製作された映画での初代ゴジラは日本にとっての「悪夢」である原爆のメタファーであり、アメリカそのもののシンボルでした。しかしながら、ハリウッドで製作された今回のゴジラはアメリカの「悪夢」でもあります。アメリカ人にとって大きなトラウマになっているとされるハワイの真珠湾攻撃や9・11同時多発テロを連想させるシーンも登場しました。


 でも、やはりゴジラは、9・11を連想させるようにアメリカだけでなく、3・11を連想させるように日本にとっての「悪夢」でもある・・・・・・。
 アメリカと日本にとって共通の問題といえば、わたしの心には自然と「沖縄」の基地のイメージが出てきます。そういえば以前、『沖縄はゴジラか』花田俊典著(花書院)という本を読んだことがあります。
 ハリウッド版ゴジラは、沖縄のメタファー? 
 ならば、2匹のムトーは中国と北朝鮮でしょうか? 

 あれこれ書いてきましたが、「GODZILLA ゴジラ」が面白い映画であることは事実です。日本人としての心情を度外視すれば、「怪獣映画史上最高傑作」と言えるかもしれません。でも、それも140億円以上という巨額の製作費あってのことです。日本で作られる映画はせいぜい10億円であることを考えれば、こんな凄いゴジラ映画を作ってしまったことが、これからの東宝にどれだけ迷惑がかかるか想像もつきません。

 おそらく、東宝が今後どれほど優れた怪獣映画を作ったとしても、この映画と比較されて「チャチ!」と言われるのがオチでしょう。もともと、ゴジラはアメリカの水爆実験によって太古からの眠りを覚ましました。アメリカという国がゴジラを生んだのです。そして、いま、ゴジラ映画の最高傑作がアメリカから生まれたという現実に一抹の淋しさを覚えるのはわたしだけ?

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この戦利品(ゴジラ・グッズ)の数々を見よ!


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大人買いしたDVDの数々を見よ!


 まあ、そんなことを言いながらも、わたしは、やっぱりゴジラ映画が大好き!
 映画鑑賞後、わたしはパンフレットのみならず、記念メダル、下敷き、それに扇子まで購入してしまいました。これからの猛暑は、この扇子で乗り切ります。(笑)さらには、「GODZILLA ゴジラ」の公開とゴジラ生誕60周年にあわせて記念発売された東宝怪獣映画&特撮映画のDVDも大人買いしてしまったオイラでござんす。ガオーーッ!!(苦笑)

  • 販売元:東宝
  • 発売日:2015/02/25
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