No.0162
23日公開の日本映画「喰女―クイメ―」を観ました。
帰省中の長女を誘ったのですが、「怖い映画は苦手だからパス」と言われました。ならば「思い出のマーニー」や「STAND BY ME ドラえもん」でも良かったのですが、わたしがどうしても「喰女―クイメ―」を観たかった!
「ヤフー映画」の「解説」では、「『一命』の三池崇史監督と市川海老蔵が再びタッグを組み、有名な歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」を題材に描く衝撃作。柴咲コウがヒロインを演じ、虚構と現実の世界が交錯しながらもつれ合う男女の愛と狂気を浮き彫りにする。『悪の教典』などの伊藤英明や『ミロクローゼ』などのマイコ、『永遠の0』などの中西美帆らが共演。身の毛もよだつような戦慄の物語に背筋が凍る」と書かれています。
また、「ヤフー映画」の「あらすじ」には、以下のように書かれています。
「舞台『真四谷怪談』の看板女優である後藤美雪(柴咲コウ)の推薦により、彼女と付き合っている長谷川浩介(市川海老蔵)が相手役に選ばれる。二人はお岩と伊右衛門にふんすることになり、鈴木順(伊藤英明)と朝比奈莉緒(中西美帆)らの共演も決定する。こうして舞台の稽古がスタートするのだが・・・・・・」
わたしが大のホラー映画好きということはご存知かと思いますが、この映画、けっこう楽しみにしていました。なぜなら、日本を代表する怪談であり、ジャパーニーズホラーの元祖でもある『東海道四谷怪談』の最新映画化であり、主演の伊右衛門は歌舞伎界のスターであり、今年の日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した市川海老蔵が務めるからです。しかも、お岩さんは柴崎コウ。監督は、日本映画界を代表するヒットメーカ―の1人である三池崇史というのですから、これは観ないわけにはいきません。
市川海老蔵は、2010年に歌舞伎で伊右衛門を演じて以来、映画化を熱望していたそうです。彼はこの作品の企画に名を連ね、製作から公開まで作品を牽引してきたとか。彼の先祖は代々、伊右衛門を演じてきたのです。
それで鑑賞後の感想ですが、正直言って、つまらなかったです。
「四谷怪談」を演じる役者たちが主人公で、彼らが演じる役柄と現実での彼らの関係がうリンクしているのですが、とても無理がある。柴咲コウが演じる美雪が狂乱する場面も、市川海老蔵演じる長谷川が制裁を受ける場面も「どうして、そこまで」という感じで、まったく理解できませんでした。
おそらくは、多くの観客がそうだったのではないでしょうか・・・・・・。
観客といえば、わたしが入った劇場にはなぜか中学生の女子がグループで来ていたのですが、冒頭から濡れ場のシーンが大画面で登場して、みんな声なき悲鳴を上げていました。(苦笑)また、エロだけでなく、グロな場面も多く、未成年者が鑑賞するのには適さない内容だったかもしれませんね。
この映画は、「四谷怪談」を舞台で演じる役者たちの私生活を四谷怪談仕立てにするという二重構造となっています。どこまでが現実で、どこからが妄想なのか、よくわからないのですが、劇中劇として演じられている「四谷怪談」の場面だけは安心して観ることができました。劇中劇の舞台装置や美術、それを撮影しているカメラワークなどは素晴らしかったです。つまり、現代劇の部分よりも劇中劇のほうがずっと良かったです。
ならば、二重構造などといった複雑なことはやめて、最初から「四谷怪談」の映画版として作ったほうが絶対に良かったと思います。
鶴屋南北の『四谷怪談』は、日本を代表する怪談文学です。
わたしのブログ記事「グリーフケアとしての怪談」にも書いたように、わたしは怪談の本質には「グリーフケア」の要素があると思っています。怪談研究家の東雅夫氏によれば、興味深いことに、日本では100年おきに怪談ブームが起きています。100年前のハレー彗星襲来時にも、多くの怪談が書かれました。また、泉鏡花などを中心として百物語の会も頻繁に開催されました。わたしは、秋成の『雨月物語』も、南北の『東海道四谷怪談』も、八雲の『怪談』も、すべて「慰霊」と「鎮魂」の文学であったと思っています。そして、それらの作品は同時にグリーフケア文学でもあったように思えてなりません。
東氏は日本文化に多くの史実を踏まえつつ、著書『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』(学研新書)において、次のように述べています。
「要するに、われわれ日本人は、怪異や天変地異を筆録し、語り演じ舞い、あるいは読者や観客の立場で享受するという行為によって、非業の死者たちの物語を畏怖の念とともに共有し、それらをあまねく世に広めることで慰霊や鎮魂の手向けとなすという営為を、営々と続けてきたのであった」
怪談は夏に好まれますが、夏といえばお盆です。
東氏は、「仏教における回向の考え方と同じく、死者を忘れないこと、覚えていること―これこそが、怪談が死者に手向ける慰霊と鎮魂の営為であるということの要諦なのだ」と述べています。
「グリーフケア」とは、喪失体験に基づく悲しみを癒すことです。
そして、喪失体験とは死別だけではありません。
愛する者が自分から離れていくという体験も喪失体験です。
その意味で、芝居の中の伊右衛門に、現代に生きる長谷川・・・・・・彼らが女性を裏切ったゆえにキツいお仕置きを受けるという物語は、裏切られた女たちから見ればグリーフケアの物語になっているとは言えないでしょうか。
でも、この映画にも見所はありました。嫉妬に狂った美雪が大量の薬物を摂取した後、バスルームである行為をする場面は「エクソシスト」以来の衝撃と言えるかもしれません。怪奇マンガの名作として名高い『魔太郎がくる!』でお馴染みのあの名セリフが飛び出したのにも驚きました。
あと、脇役でありながら伊東英明が異様なまでの存在感を発していました。正直、彼がこれほどまで演技力があるとは思いませんでしたね。ある意味で、主演の海老蔵を超える迫力がありました。
ちなみに、海老蔵や伊東英明といえば「遊び人」としてのイメージが強いですが、あと1人、インパクトのある男優を探すとしたら、ずばり押尾学ではないかと思います。いずれ、押尾学が芸能界に復帰した際には、怪談映画で女に呪い殺されるような役がふさわしいかもしれません。
なお、この映画のイメージソングは、かの華原朋美が歌っています。
しかも、歌っている曲は中森明菜の「難破船」!
朋ちゃんが「難破船」を歌うというのも、ある意味でホラーですが、この映画のイメージには非常に合っています。この秀逸なセンスがあれば、押尾学の起用も難しくはないような気がするのですが・・・・・・。
「リング」にしろ「呪怨」にしろ、心霊をテーマとしたJホラーの名作は、もっとテンポが早いというか、恐怖が波状攻撃で襲ってくるという感じです。その点、この「喰女―クイメ―」のテンポはかなりスローです。「かったるい」と思う観客もいるかもしれませんが、この緩いテンポは2000年に公開された三池監督の名作ホラーである「オーディション」にも通じます。ずっと緩慢な時間が過ぎて行って、突然、暴力的なカットが続きます。このスタイルが三池監督の作風なのかもしれません。そして、妄想と現実の境がわからなくなるという点も彼の作風なのでしょうか。三池崇史という映画人の才能が炸裂した「オーディション」に比べて「喰女―クイメ―」が消化不良であったことは事実です。