No.0193


 日本映画「夫婦フーフー日記」を小倉コロナシネマワールドで観ました。

 公式HPの「INTRODUCTION」には、「死んだはずのヨメが、笑って生きろと言っている。」「日本中が応援した闘病ブログ、待望の映画化!」として、以下のように書かれています。

「原作は、実在の闘病ブログを書籍化した『がんフーフー日記』(川崎フーフ著)。映画化にあたって、"死んだはずのヨメが、残されたダンナの前に現れる"という設定が加わり、切ないリアルと笑顔がこぼれるファンタジーが交錯。まさかの泣けるコメディが誕生した。主演は佐々木蔵之介と永作博美。
10年ぶりに夫婦役を演じ、息の合った掛け合いで物語りを紡いでいく。夫婦を支える友人・家族には、杉本哲太、佐藤仁美、高橋周平という実力ある演技派俳優陣が共演。監督は『婚前特急』の前田弘二。脚本は、『永遠の0』を手掛けた林民夫。必死に駆け抜けた493日間と、そこからはじまる未来。ユーモアたっぷりに、あたたかな涙に包んで贈る、夫婦の愛の物語」

 また公式HPの「STORY」には、「死んだはずのヨメが、ダンナの前に現れた!」「あの時伝えられなかった、本当の想いがあふれ出す」として、以下のように書かれています。

「作家志望のダンナ・コウタ(佐々木蔵之介)は、本好きなヨメ・ユーコ(永作博美)、と出会って17年目にしてついに結婚。直後、妊娠とガンが発覚し、幸せな結婚生活は闘病生活へ。ヨメの病状をブログで報告しはじめるダンナ。そして、入籍からわずか493日後、ヨメは亡くなった。 悲しみに暮れるなか、闘病ブログ出版の話が舞い込み、ダンナは『念願の作家デビュー!』と現実逃避。ところが、そこへ、死んだはずのヨメが現れた! 果たしてこれは幻影? 現実? ヨメのいない世界で、死んだはずのヨメと、ヨメが元気だった頃をふり返るダンナ。やがて、生きている間には伝えられなかった、それぞれの想いがあふれ出す――」

 この映画を観た感想ですが、まず「ちょっとシナリオが未熟というか整理しきれておらず、ストーリーがわかりづらいな」と思いました。正直な感想です。
 でも、「亡き妻が夫の前に現れる」という原作にはない設定は良かったと思います。わたしたちの周囲には、目には見えなくとも無数の死者がいます。「死者は生者とともに生きている」というわたしの信念を"見える化"したような内容でした。すなわち、「夫婦フーフー日記」には亡き妻であり母親の幽霊が登場するのです。そして、彼女は幽霊でありながらも夫や我が子を心配し、守ります。そう、この映画はいわゆる「ジェントル・ゴースト・ストーリー」と言えるでしょう。ブログ『押入れのちよ』ブログ『怪談文芸ハンドブック』にも書きましたが、「ジェントル・ゴースト・ストーリー」とは日本語に直せば「優霊物語」とでも呼ぶべき怪談文芸のサブジャンルです。

 これまで多くのジェントル・ゴースト・ストーリーが映画化されてきました。
 ブログ「天国映画」で紹介したように、ハリウッドでは「オールウェイズ」、「ゴースト~ニューヨークの幻」、「奇跡の輝き」などが有名です。 また、ブログ「ラブリー・ボーン」で紹介した映画などが代表です。
 日本でも、山田太一原作「異人たちとの夏」、浅田次郎原作「鉄道員(ぽっぽや)」などをはじめ、「黄泉がえり」、「いま、会いにゆきます」、「ツナグ」、さらにブログ「ステキな金縛り」ブログ「トワイライト ささらさや」ブログ「想いのこし」などで紹介した映画などが代表です。

 それにしても、「死者との再会」をテーマにした映画が多いことに改めて気づきます。というか、これこそ映画の最大のテーマではないでしょうか。わたしは、そもそも映画とは「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するグリーフケア・メディアであるように思っています。これまで、多くの映画に優しい幽霊たちが登場してきました。また、実際、映画を観れば、今は亡き名優たちに会えます。わたしが好きなヴィヴィアン・リーにだって、グレース・ケリーにだって、高倉健や菅原文太にだって再会できるのです。 ですから、幽霊映画というのは、ある意味で映画の本質であると思います。

 あと、佐々木蔵之介演じるコウタが「なんとか自分の本を出したい」と願っている作家志望の青年であるという設定が興味深かったです。自分の著書を出すためには、それが今は亡き愛妻の闘病日記でも構わないという彼の想いは切実ですが、そんな彼に周囲の人々、特に亡きユーコの兄弟や親友たちは違和感を抱きます。このへんは、わたしも考えさせられました。わたしは、本には「出すべき本」「出しても出さなくてもどちらでもよい本」「出してはいけない本」の三種類があると思います。いま大きな話題となっている、神戸連続児殺傷事件の犯人である元少年Aが書いた『絶歌』などは絶対に出版してはいけない本です。

 でも、亡き妻が本好きであったことから、供養の意味もあってコウタはこの映画の原作である『がんフーフー日記』を書き上げ、出版します。生前から「とにかく書けよ!」とコウタを叱咤激励してきたユーコは「才能なんかなくたって、書き続けりゃいいんだよ!」と励ましますが、コウタからは「書き続けるっていうのが、一種の才能なんだよ」と泣きながら答えるのでした。このように1冊の自著を出すことに苦しむコウタの姿を見て、わたしは「本を書いて出版できるということは幸せだな」「本を書き続けられることに感謝しないと・・・」などと思いました。

 それから永作博美の幽霊役はなかなかチャーミングでした。
 がんの闘病で苦しむ姿は痛々しかったですが、熱演でした。
 20歳の女子大生を演じても違和感がありませんでしたね。
 一方、佐々木蔵之介の20歳はちょっと無理がありました。
 それにしても、ユーコはある食べ物が大好物で、それを食べるしーんがやたらと映画に出てきました。大腸がんの告知を受けて実家に帰っているときも食べていましたが、その後、様態が急変して緊急入院したりしていました。わたしは「あの食べ物と大腸がんの因果関係はないのかなあ」などと考えてしまいました。だって遺伝が最大の要因であるとしても、がんは食生活にも深く関係していると思うからです。

 コウタとユーコは17年間も友人関係にありました。それだけに、意を決してコウタがユーコにプロポーズする場面は感動的でした。
 ブログ「あと1センチの恋」で紹介した映画にも共通しますが、「じつは好きだった」というのが最高のドラマを生むのです。劇画家の柴門ふみ氏も著書『恋愛論』の中にそんなことを書いていたように記憶しています。

 この映画には、結婚式の場面も葬儀の場面も登場します。 ある意味で冠婚葬祭映画ともいえる作品なのですが、それはこの映画の最大のテーマが「家族」だからです。家族を描くには冠婚葬祭の場面が最適なのです。たとえば、「日本映画界の巨匠」であった小津安二郎の映画には、必ずと言ってよいほど結婚式か葬儀のシーンが出てきました。小津ほど「家族」のあるべき姿を描き続けた監督はいないと世界中から評価されていますが、彼はきっと、冠婚葬祭こそが「家族」の姿をくっきりと浮かび上がらせる最高の舞台だと知っていたのでしょう。

 そして、「夫婦フーフー日記」には"ぺ~"という名前の赤ん坊が登場しますが、家族の「未来」のシンボルとして描かれています。幼い我が子を残して死んでいくユーコには大いなる「悔い」もあったでしょうが、我が子がこの世で生きることによって自分も「生き続ける」のだという安心感もあったように思います。その「生命の連続」の感覚を古代中国では「孝」と呼びました。

 永作博美といえば、ブログ「四十九日のレシピ」で紹介した映画でも主役の百合子を好演していました。じつは、わたしは昔から永作博美がお気に入りでした。アイドル時代から好感を持っていましたが、女優になってからもその演技力に魅せられてきました。たとえば、「その日のまえに」や「八日目の蝉」などの演技も素晴らしかったです。「四十九日のレシピ」の死者を想う役も良かったですが、「夫婦フーフー日記」での幽霊役もなかなかでした。

  • 販売元:エイベックス・ピクチャーズ
  • 発売日:2015/11/04
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