No.0210
映画「パパが遺した物語」を観ました。これで3日連続の映画鑑賞です。映画に飢えていたのかもしれません。シルバーウィーク用の公開作品には観たいものがなく、ずっと映画館から遠ざかっていました。ブログ「岸辺の旅」およびブログ「ポプラの木」で紹介した映画はレイトショーでの鑑賞でしたが、4日は日曜日ということもあり、昼下がりのシネコンで観ました。
ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。
「『レ・ミゼラブル』のラッセル・クロウとアマンダ・セイフライドが共演し、小説家の父親と愛する娘との関係を過去と現在を交錯させながら描いたドラマ。心に傷を負いながらも娘との生活を立て直そうとする父の葛藤と、トラウマを抱える娘の姿をつづる。監督は、『幸せのちから』などのガブリエレ・ムッチーノ。ダイアン・クルーガーやオクタヴィア・スペンサーといった実力派キャストが出演。孤独なヒロインの苦悩と亡き父との絆に心を打たれる」
また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「1989年のニューヨーク。小説家のジェイク(ラッセル・クロウ)は妻の死で心に傷を抱えながら、男手一つで幼い娘ケイティ(カイリー・ロジャーズ)を育てていた。さまざまな問題が降り掛かる中で、彼は自分と娘の物語の執筆を進めていた。25年後、心理学を学ぶケイティ(アマンダ・セイフライド)は、ある出来事により人を愛せなくなってしまっていた。そんなある日、父のファンだというキャメロン(アーロン・ポール)と出会う」
主人公が作家の物語だというので、かなり楽しみにしていたのですが、観終えた感想は「ちょっと予想していた感じとは違うな」でした。正直言って、あまり感動はしませんでしたね。妻の死、あるいは母の死から立ち直るグリーフケアの物語を想像していたのですが、そういった描写はほとんど見られませんでした。もっと、そのへんを描いてほしかった!
幼いケイティを養っていく力のないジェイクに対して、妻の姉夫妻はケイティを養女に迎えたいと提案します。彼らの申し出に対してジェイクは反発し、なんとか1人で育てようとします。しかし、経済的に破綻している上に、妻を失った交通事故以来の病魔に侵されているジェイクには悲劇が待っていました。客観的に見て、たしかにジェイクにはケイティを育てる能力はありませんでした。その意味で、妻の姉夫妻はけっして悪い人間ではなく、むしろ身内の幸福を真剣に考える慈悲深い人々であったと思います。
それでも、執筆にかかりっきりになっているジェイクの姿には心を動かされました。やはり、作家は書いているときが一番美しい。しかし、ジェイクはかなりの有名作家であるにもかかわらず、つねに経済的には困窮していました。わたしは先日、某出版関係者から聞いた「現代の日本人で、純粋に小説だけを書いて食べていける人は5人ぐらいしかいませんよ」という言葉を思い出していました。その5人の中には、村上春樹氏や東野圭吾氏の名前もしっかり入っていたので、「そんなに作家は大変なのか!」と思いました。
しかし生前のジェイクは作品を評価されず、名声にも経済的にも恵まれませんでした。しかし、遺作となった「父と娘」が死後に高く評価され、ついにはピュリッツァー賞を受賞するのでした。わたしは、この場面を観て、「作家は死後に評価されることもある」という当たり前の事実を改めて痛感しました。日本でも、宮沢賢治などは生前まったく評価されませんでした。
ひとたび作家の手によって生み出された作品は、死後も他人から読まれる運命にあります。そして、「パパが遺した物語」では、ジェイクの遺作が大人になったケイティの運命を大きく左右するのでした。わたしはジェイクのような小説家ではありませんが、「作家」と呼ばれる存在ではあります。もうこれまでに多くの本を書いてきました。本を上梓するにあたって、いつも思っていることがあります。それは「この本は娘たちや、孫や、子孫が読むかもしれない。彼らが読んでも恥ずかしくない本を書こう。彼らが一条真也を少しでも誇りに思ってくれるような本を書こう」ということです。
わたしの本は、いつも自分が希望しているほどには売れません。今でも執筆依頼が絶えないということは、そこそこには売れているみたいです。でも、「この本をベストセラーにして多額の印税を得たい」と思ったことは一度もありません。いつも、「この本の出版によって、世の中を少しでも良くしたい」と思って書いています。いくら綺麗ごとのように思われても、本当のことですから、仕方ありません。わたしは「天下布礼」の一環として本を書いたり、各種の連載コラムを書いているのですから・・・・・・。
明日10月6日に発売される「サンデー毎日」からはいよいよ新連載「一条真也の人生の四季」がスタートします。親しくしている編集者の中には「週刊誌なんだから、少しは弾けて下さいよ」とか「ハチャメチャな一条さんを期待していますよ」などとも言われているのですが、そうはいきません。
わたしはもともとオッチョコチョイな人間ではありますが、やはり影響力のあるメディアに書かせていただくときは安易に受けを狙わず、書くべきことを書きたいと思っています。よって、ど直球で行きます!
それにしても、この映画を観て、書くという行為の偉大さを再認識しました。
最近、ある方のすすめで、「君が僕の息子について教えてくれたこと」というドキュメンタリー番組をNHKアーカイブスで観ました。ブログ『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』で紹介した自閉症の少年・東田直樹さんが書いたエッセイを、作家のデイビッド・ミッチェルが英語に翻訳し、世界中でベストセラーになるという奇跡の実話です。ミッチェルは世界的に著名な小説家で、ブログ「クラウド・アトラス」で紹介したSF映画の原作者でもあります。彼自身が自閉症の息子を持つ父親であり、「この本は世界中の自閉症患者とその親に光を与える」と思ったそうです。わたしは、このドキュメンタリーを観て、しみじみと泣きました。しみじみと泣けましたそして、書いて表現することの素晴らしさを痛感しました。これまで飛行機乗りはたくさんいましたが、飛行という行為の秘密を文章で伝えることができたのはサン=テグジュペリだけです。自閉症の秘密を明かした東田さんはサン=テグジュペリのような人だと思いました。
本当に、一冊の本をきっかけに奇跡の物語がつながっていく現実があることを、わたし自身もよく知っています。「パパが遺した物語」では、ジェイクが書いた物語がケイティの恋人の愛読書でした。父が書いた本の愛読者と娘が恋に落ちる・・・・・・こんなに素敵な話はありません。
わたしも2人の娘と結ばれる相手にはぜひわたしの本を読んでほしいと思います。しかし、この映画でがケイティが『父と娘』を読んでいる場面は登場しなかったように思います。果たして、娘は最愛の父の物語を読んで、どのように感じたのでしょうか?
娘の幸せを願わない父親はいません。
わたしも2人の娘たちが幸せな人生を送ってほしいと心から願っています。そして、なによりも素晴らしいパートナーと出会えることを願っています。彼女たちの花嫁姿を想像しただけで涙腺が緩みそうですが(苦笑)、結婚をテーマにした気になる映画をネットで見つけました。
それは「縁〜The Bride of Izumo〜」という作品です。 出雲地方で9月13日から先行公開されているようです。いずれ、東京や福岡でも公開されるのであれば、ぜひ観たいです。出雲大社による初めての映画撮影全面協力のもと、佐々木希を主演に迎え、神話の国・出雲を舞台に紡がれる人々を結ぶ<縁(えにし)>の物語を描いた感動のヒューマンストーリーだそうです。これは、もう絶対に観なければ!