No.0216


 Tジョイリバーウォーク北九州で、前日に公開されたばかりの日本・トルコ合作映画「海難1890」を観ました。もう、魂が震えるほど感動しました。今年観たすべての映画の中でナンバーワンです!

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「日本とトルコの長年にわたる友好関係をテーマにしたドラマ。海難事故に遭ったトルコ軍艦エルトゥールル号への日本人による救援と、トルコ人によるイラン・イラク戦争時の在イラン日本人救出という、両国の絆を象徴する二つの出来事を見つめる。監督は『精霊流し』『サクラサク』などの田中光敏。『臨場』シリーズなどの内野聖陽、『許されざる者』などの忽那汐里、『孤高のメス』などの夏川結衣らが出演する。約100年という歴史をまたいだ展開はもちろん、日本とトルコの知られざる物語にも胸を打たれる」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「1890年、和歌山県串本町沖。後のトルコであるオスマン帝国の親善使節団を乗せた軍艦エルトゥールルが座礁して大破、海に投げ出された乗組員500名以上が暴風雨で命を落とす。そうした過酷な状況下で、元紀州藩士の医師・田村元貞(内野聖陽)やその助手を務めるハル(忽那汐里)ら、地元住民が懸命の救援活動に乗り出す。イラン・イラク戦争中の1985年、日本政府は危機的状況を理由に在イラン日本人の救出を断念。そんな中、トルコ政府は彼らのためにある行動を取る」

 いやあ、この映画、久しぶりに腰が抜けるほど感動しました。それこそ、映画館にあまり観客がいなかったこともあり、嗚咽しながら観ました。

 ブログ『世界の偉人たちから届いた10の言葉』で紹介した本を読んで、1890年の「エルトゥールル号海難事故」と95年後の「テヘラン邦人救出劇」とが善意の鎖で繋がっていたことは知っていましたが、今こうやって2つの出来事の詳細を知り、湧き上がる感動を押さえることができません。

 2つの出来事については、映画公式HPの「STORY」に詳しく紹介されています。まずは、「1890年エルトゥールル号海難事故編」として、以下のように書かれています。

「明治中期の和歌山県紀伊大島の樫野地区。この地に暮らす医師・田村(内野聖陽)は、貧しい者を親身になって診察することから村民の信頼を集めていた。彼の傍にはかつて許婚を海難事故で亡くし、そのショックから口がきけなくなったハル(忽那汐里)が、いつも助手として付き従っていた」

 続いて、「1890年エルトゥールル号海難事故編」には書かれています。

「1889年親善使節団を乗せたオスマン帝国のエルトゥールル号が、イスタンブールから日本へ向けて出港した。帝国の威信を欧州に示すため、また明治天皇への謁見のための航海だった。船には名家の出であり海軍機関大尉のムスタファ(ケナン・エジェ)も乗り込んでいた。機関室を仕切るのは、部下の信頼厚い操機長のベキール(アリジャン・ユジェソイ)。長い航海の中で、ムスタファとベキールは階級を超えて、お互いに認め合い、友情が芽生えていった。翌年6月に天皇に謁見しスルタンの親書を渡し、同年9月親善使節団としての使命を終えて帰路についたエルトゥールル号は和歌山県樫野崎沖にて台風に遭遇。暴風雨の中、推進力が頼りとなり機関室への負担が増す。何とか持ちこたえようとベキールは必死に機関室を守るが、彼の奮闘も虚しく船は樫野崎沖で座礁、水蒸気爆発を起こす。島中に響き渡る船の爆発音を聞いた村民たちは岸壁に集まった。そこで発見したのは、漂着した膨大な数の死体と船の残骸だった。進んで漂流者を助けるべく荒れ狂う海へと飛び込んでいった漁師の信太郎(大東駿介)を先頭に、村民は総出で救出活動を行う」

 続いて、「1890年エルトゥールル号海難事故編」には書かれています。

「田村とハルも救護所で、膨大なけが人の手当てに追われた。田村を敵視する島の医師・工藤(竹中直人)や遊女・お雪(夏川結衣)も治療や看護に協力し、村民が一丸となっての救助作業が続く。意識を失い、海中に沈もうとしていたムスタファは、信太郎によって助け出された。救護所に運び込まれたムスタファは呼吸が止まっていて、その姿に亡くなった許婚の亡骸を重ね合わせたハルは茫然とする。田村に檄を飛ばされ我に返ったハルは、懸命に心臓マッサージを行い、やがてムスタファは息を吹き返した。翌日、生き残った乗組員は69名と判明。操機長のベキールを含め、実に500名以上が犠牲になった大惨事だった。村長・佐藤(笹野高史)は、亡くなった人すべてに棺桶を用意して丁重に弔ってやりたい言い、村民は蓄えてきたわずかな食料も提供して、生存者の看病に当たった。意識を取り戻したムスタファは、自分が生き残ったことに罪悪感を覚えて苦悩する。その彼を、言葉はわからないながらも支えようとするハル。やがて応急手当てを終えた船の生存者は島から移送されていったが、ムスタファは行方不明者の確認と遺留品の回収のため島に残った。漂着物を綺麗に磨いて母国の遺族に返そうとしている子供や女たちの姿、懸命に不眠不休で治療に当たってくれた田村、死の淵から生還させてくれたハル、自分を海中から救ってくれた信太郎、そして死者に対して礼を尽くす村民たち。ムスタファの胸には人を想う日本人の深い真心が刻まれたのだった」

 「海難1890」を観て、わたしは孟子を連想しました。
 孔子の思想を継承し、発展させた孟子は「性善説」で知られ、人間誰しも憐れみの心を持っていると述べました。

 孟子は言います。

 幼い子どもがヨチヨチと井戸に近づいて行くのを見かけたとする。誰でもハッとして、井戸に落ちたらかわいそうだと思う。それは別に、子どもを救った縁でその親と近づきになりたいと思ったためではない。周囲の人にほめてもらうためでもない。また、救わなければ非難されることが怖いためでもない。してみると、かわいそうだと思う心は、人間誰しも備えているものだ。さらに、悪を恥じ憎む心、譲り合いの心、善悪を判断する心も、人間なら誰にも備わっている。

 かわいそうだと思う心は「仁」の芽生えである。悪を恥じ憎む心は「義」の芽生えである。譲り合いの心は「礼」の芽生えである。善悪を判断する心は「智」の芽生えである。人間は生まれながら手足を4本持っているように、この4つの心を備えているのだ、と。

 見たこともない異国の兵士たちの命を救った樫野の村民たちの心には「仁」「義」「礼」「智」が備わっていたのです。

 また、もうすぐクリスマスです。 この季節にふさわしい物語といえば、何といってもアンデルセンの「マッチ売りの少女」ですが、この名作も連想しました。

 雪の降るおおみそかの晩、街をさ迷うみすぼらしい身なりのマッチ売りの少女がいました。少女は寒さのあまり、1本も売れなかったマッチをともして暖をとろうとします。マッチをともすたびに、きれいな部屋、ごちそう、クリスマスツリーなどの不思議な光景が浮かんできます。そして最後には、亡くなったはずの懐かしいおばあさんの姿が浮かんできました。 翌朝、街の人々は少女の亡骸を目にします。

 最後には、こう書かれています。

「この子は暖まろうとしたんだね。と、人々は言いました。けれども、少女がどんなに美しいものを見たかということも、また、どんな光につつまれて、おばあさんといっしょに、うれしい新年をむかえに、天国にのぼっていったかということも、だれひとり知っている人はありませんでした」(矢崎源九郎)

 この短い童話は、いろんなことをわたしたちに教えてくれます。

 まず、「死は決して不孝な出来事ではない」ということ。伝統的なキリスト教の教えではありますが、「マッチ売りの少女」は、「死とは、新しい世界への旅立ちである」ことを気づかせてくれます。 さらに、この物語には2つのメッセージが込められています。

  1つは、「マッチはいかがですか?マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願していたとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということです。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」という意味だったのです。これがアンデルセンの第1のメッセージでしょう。

 そして、第2のメッセージは、少女の亡骸を弔ってあげなければならないということ。行き倒れの遺体を見て見ぬふりをして通りすぎることは人として許されません。死者を弔うことは人として当然です。このように、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の2つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」なのです。「海難1890」には、その人類普遍の「人の道」が見事に描かれていました。

 内野聖陽が熱演した医師・田村の「どこのもんでも、かまん! 助けなあかんのや!」というセリフは「義を見てせざるは勇なきなり」ということであり、人間尊重精神としての「礼」そのものでもあります。

 この映画、貧しい住民たちが500体以上の遺体のすべてに棺桶を用意しようとしたり、自分たちの生活に必要な漁を休んででも遺体の回収に努めたりと、死者に対する「礼」の心に溢れていました。それに深く感謝したエルトゥールル号のムスタファ大尉は住民たちに対して深々と礼をします。それに対して、住民たちも姿勢を正して返礼をする。この場面を観て、わたしは泣けて泣けて仕方がありませんでした。たとえ、言葉が通じなくとも、敬礼やお辞儀という「かたち」によって「こころ」は通じるのです。「海難1890」ほどに「礼」の素晴らしさを描いた映画をわたしは知りません。

 「礼」といえば、孔子は「礼楽」として、音楽の大切さも説きました。
 この映画には素晴らしい音楽が登場しました。
 「故郷の空」です。原曲は、スコットランド民謡ですが、作詞は「蛍の光」で有名なスコットランドの国民的詩人であるロバート・バーンズです。
 1888年(明治21年)に、大和田建樹と奥好義による唱歌集「明治唱歌 第一集」の1篇として発表・紹介されています。

  映画では、この曲を海難事故で生き残ったトルコ人兵士がトランペットで吹き、先に旅立った仲間たちを追悼していました。また、トルコ人たちが母国に帰るとき、樫野の村民たちが「夕空晴れて秋風吹き 月影落ちて鈴虫鳴く 思へば遠し故郷の空 ああ、我が父母いかにおはす♪」と歌いました。それは哀愁に満ちていて、思わず涙が流れ出ました。

 「故郷の空」といえば、高倉健が主演した「ホタル」(2001年)にも登場しました。在日朝鮮人で特攻隊員だった金山文隆を演じた小澤征悦がハーモニカで吹いたのです。ちなみに、小澤征悦は「海難1890」にも田村医師の親友の海軍士官役で出演していました。

 また、映画公式HPの「STORY」には、「1985年テヘラン邦人救出劇編」として、以下のように書かれています。

「1985年のイラン・テヘラン。イラン・イラク戦争の停戦合意が破棄され、空爆が続く地下避難壕でトルコ大使館の職員ムラト(ケナン・エジェ)と日本人学校の教師・春海(忽那汐里)は出会い、協力してけが人の治療に当たった。別れ際、ムラトは春海の無事を祈りお守りを渡す。膠着する戦時下で、サダム・フセインが48時間後にイラン上空を飛行するすべての飛行機を無差別攻撃すると宣言。日本大使・野村(永島敏行)は外務省に救援機を要請するが、就航便が無かった日本では迅速な対応が難しい状況にあった」

 「1985年テヘラン邦人救出劇編」には、以下のようにも書かれています。

「春海と日本人学校の校長・竹下(螢雪次朗)は生徒たちの安否を確認し、国外退去の手続きを取るように伝えて回っていた。その間にも他の国々では救援機が到着し自国民を乗せてテヘランから脱出、徐々に日本国民だけが取り残されていく。日本大使館を訪れた春海と竹下は、野村から打つ手がないことを知らされる。トルコの救援機が最後の搭乗になることを知った春海は、トルコの救援機に日本人が乗れるよう頼んでほしいと野村に進言。日本の官民からの要請を受けたトルコのオザル首相は、自国民を危険にさらすことになるという周囲の反対を押し切り、日本人の為の救援機の追加派遣を決断する。この報を聞き、春海はテヘラン脱出を諦めていた日本人技術者・木村(宅間孝行)の家に向かった。本当にトルコの救援機に乗れるのか、不安を抱く木村の家族と空港に向かう。ところが街は脱出しようとする人でごった返し、混乱を極めていた。その中で春海はムラトと再会、一緒に空港へと向かう」

 「1985年テヘラン邦人救出劇編」には、以下のようにも書かれています。

「しかし、空港へ到着して安堵したのもつかの間、そこには救援機を待つトルコ人たちで溢れていて、それぞれがチケットを求めてカウンターに詰め寄っていた。その状況を見た日本人たちは、飛行機に乗ることを諦めかける。そのときムラトが進み出て、チケット取得に群がるトルコ人に向かって語り始める。『今、絶望に陥っているこの日本人を助けられるのはあなたたちだけです。決めるのは、あなたの心だ』と。その言葉を聞いたトルコ人たちは、かつて日本人が示してくれた真心を思い出していく・・・・・・」

 それにしても、国民が生命の危機に晒されているときに自衛隊機を派遣するのに、いちいち国会の承認を得る必要がある日本という国の憲法が、いかに役立たずのインチキ憲法であるかを思い知りました。また、「帰りの安全が保障されなければ救援機を飛ばせない」と回答した日本航空にも怒りを感じます。そんな日本人を見捨てるような航空会社を国をあげて救う必要などなかったのではないでしょうか。それとも、あのとき稲盛和夫氏がJALの会長であったら、果たしてどういう決断をしたか・・・・・・・「海難1890」を観ながら、わたしはそんなことを考えました。終戦70年の今年、安保関連法案が成立して本当に良かったと心から思います。そういえば、1985年テヘラン邦人救出劇の際、「トルコは日本のカネが欲しくて救援機を飛ばした」と書いたのは「朝日新聞」です。まったく許せませんね!

 わたしは、数年前にトルコに行ったことがあります。 イスタンブールの美しさが今も忘れられません。
 レストランでは、トルコの王様にも変身しました。 先日、ある人から「海外でもう一度行きたい国はどこですか?」と訊かれたのですが、わたしは「トルコ」と答えました。世界遺産も多くて、歴史と文化の豊かな国です。なによりも親日なのが嬉しいですね。 それに、トルコライスがとっても美味しいし(笑)!

 しかし現在、トルコへの観光旅行は難しくなっています。
 その原因は、もちろんイスラム国の存在です。
 少し前まではトルコは米国主導の反イスラム国同盟へ参加すると見られていましたが、トルコのシリア政策の失敗が足かせとなって、前進していません。また、米国がイスラム国の撲滅を中東の最重要課題として取り組んでいるのに対し、トルコの見解は違うようです。 たとえイスラム国を撲滅したとしても、問題の根を絶たないうちは、近い将来に同種の脅威が生まれると見ているのです。もともと、イスラム国はサダム・フセインの呪いから誕生した集団です。

 暴力の時代が何度目かの幕を開けた今、すべての日本人、いや人類にこの映画を観てほしいと思います。人類は無慈悲に他国民や異教徒を殺す愚かな存在でもありますが、一方で慈悲をもって他国民や異教徒を助ける存在でもあります。ブログ「ボクは坊さん。」で紹介した映画のチケットを大量に購入して、わが社の社員に配りましたが、大いなる「礼の映画」である「海難1890」こそ、すべてのサンレーグループ社員に観てほしいです。
 さらに言えば、この映画には「完全な礼」が描かれています。というのも、礼は一方的に示されるだけでは不完全であり、返礼を受けて初めて完成するのです。ですから、日本人が示した「礼」を95年後にトルコ人が返したことによって、国境を越えた大いなる「礼」が実現したのでした。 わたしは、もう感動で涙が止まりませんでした。

 わたしは、『ハートフル・ソサエティ』(三五館)で「人は、かならず『心』に向かう」と述べ、『隣人の時代』(三五館)では「助け合いは、人類の本能だ!」と訴えました。そんなわがメッセージが間違っていないことを「海難1890」を観て、確認しました。いま、「人間は捨てたもんじゃない」と思います。

 メガホンを取った田中光敏監督は、じつは、わが家に来たことがあります。
 映画「精霊流し」のロケ現場として、わが家の提供を打診されたのです。
 そういえば、あの映画も内野聖陽が主演でしたね。多くの日活スタッフとともに、ご本人も来られましたが、わが家の大量の映画ビデオソフトに驚かれていました。結局、「家を何日か明け渡してほしい」と言われて、わたしが「それは出来ません」と断りました。あのときは、「『キューポラのある街』で多くの日本人を北朝鮮に憧れさせた日活だけに、非常識なことを言うなあ!」と思ったものです。しかし、あの監督さんが、こんな素晴らしい映画を作られたことを知って、シンミリとしました。とにかく、泣き過ぎてマブタが腫れましたね。おすぎサンではありませんは、もう一生分泣きました!
 映画館を出ると、巨大クリスマスツリーが輝いていました。

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  • 発売日:2016/06/08
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