No.0334


 映画「ダンケルク」を観ました。一条真也の映画館「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」で紹介した映画を日本を出国する直前に観たのですが、「ダンケルク」を観たことによってチャーチルの偉業がよく理解できました。

 ヤフー映画の「解説」には以下のように書かれています。

「第2次世界大戦で敢行された兵士救出作戦を題材にした作品。ドイツ軍によってフランス北端の町に追い詰められた連合軍兵士たちの運命と、救出に挑んだ者たちの活躍を描く。監督は『インセプション』などのクリストファー・ノーラン。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』などのトム・ハーディ、『プルートで朝食を』などのキリアン・マーフィ、『ヘンリー五世』などのケネス・ブラナーらが出演。圧倒的なスケールで活写される戦闘シーンや、極限状況下に置かれた者たちのドラマに引き込まれる」

 また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。

「1940年、連合軍の兵士40万人が、ドイツ軍によってドーバー海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の猛攻にさらされる中、トミー(フィオン・ホワイトヘッド)ら若い兵士たちは生き延びようとさまざまな策を講じる。一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し、民間船の船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)は息子らと一緒にダンケルクへ向かうことを決意。さらにイギリス空軍パイロットのファリア(トム・ハーディ)が、数的に不利ながらも出撃する」

 第二次世界大戦の西部戦線における戦闘の1つに「ダンケルクの戦い」があります。ドイツ軍のフランス侵攻の1940年5月24日から6月4日の間に起こった戦闘です。追い詰められた英仏軍は、この戦闘でドイツ軍の攻勢を防ぎながら、輸送船の他に小型艇、駆逐艦、民間船などすべてを動員して、イギリス本国(グレートブリテン島)に向けて40万人の将兵を脱出させる作戦を実行しました。映画「ダンケルク」に描かれている「ダイナモ作戦」です。

 Wikipedia「ダンケルクの戦い」の「背景」には以下のように書かれています。

「1939年9月1日にポーランドへ侵攻し勝利したドイツ軍は、『まやかし戦争』の期間を経て、1940年5月10日に突如オランダとベルギー、ルクセンブルクに侵攻、これらを破った後の5月17日以降に北フランスを席捲した(ナチス・ドイツのフランス侵攻)。ドイツ軍は戦車や航空機を駆使した電撃戦を展開、その火力と機動力を集中運用する新戦法によってフランス軍とイギリス軍を中心とした連合軍主力の後方を突破すると、ドーバー海峡まで駆け抜けてこれらを包囲し、ダンケルクへ追い詰めた」

 Wikipedia「ダンケルクの戦い」の「経過」には以下のように書かれています。

「イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは、イギリス海外派遣軍とフランス軍、約35万人をダンケルクから救出することを命じ、イギリス国内から軍艦の他に民間の漁船やヨット、はしけを含む、あらゆる船舶を総動員した撤退作戦(作戦名:ダイナモ作戦)が発動された。ドイツ軍はアラスの戦いでの連合軍の反撃を、近く行われる連合軍の本格的な反攻作戦の端緒と誤認し、酷使した機甲部隊の温存をはかり、また空軍大臣ヘルマン・ゲーリングの大言壮語もあって、ドイツ空軍による攻撃でこれを阻止しようとした」

 続けて、Wikipedia「ダンケルクの戦い」の「経過」には以下のように書かれています。

「しかしイギリス空軍の活躍と、砂浜がクッションとなって爆弾の威力が減衰したことなどもあり、連合軍のほとんどは海からの脱出に成功した。なおこのとき、カレーで包囲されていたイギリス軍部隊はドイツ軍を引きつけておくために救出はされなかった。この部隊の犠牲もダイナモ作戦の成功の一因であった。この戦いで、イギリス軍は約3万人の兵員を捕虜として失い、戦車や火砲、トラックの重装備の大半の放棄を強いられた。数十万の兵士がほぼ丸腰で帰還、イギリス軍は深刻な兵器不足となる。しかしこの撤退は人的資源の保全という意味では大きな成功を収めた」

 さらに、Wikipedia「ダンケルクの戦い」の「その後」には以下のように書かれています。

「フランス軍はダンケルク撤退以後は雪崩を打ったように崩壊。ドイツ軍は13日、パリ占領。更に2日後、1916年の戦闘で敗北したドイツ軍因縁の地、ヴェルダンに進撃、フランスはついに6月21日に講和(降伏)を申し込み、翌22日、受諾された。漁夫の利を得ようとフランス降伏の12日前に参戦していたイタリアのベニート・ムッソリーニは、『死の床の重病人に宣戦布告した』と批判されている」

「ダンケルク」は戦争映画としては地味な作品ですが、それだけに戦争のリアリティを感じます。「とにかく生きて祖国に帰りたい」という兵士たちの想いに胸を打たれました。イギリス軍兵士を乗せた救命艇が魚雷の攻撃を受けるシーンでは、多くの兵士が海水の中に沈み、生命を失った者も多くいました。わたしは、この場面を観て、一条真也の映画館「タイタニック3D」で紹介した映画で多くの豪華客船の乗客が海の藻屑になっていくシーンを連想しました。
 タイタニックの海難事故も悲惨でしたが、氷山に追突して数時間後に沈没して溺死するのと、魚雷を浴びて数秒後に沈没して溺死するのとでは、どちらが苦しいか。そんなことを考えたりしました。

「人類史上最大の戦争」であった第二次世界大戦について思うことは、あれは「巨大な物語の集合体」であったということです。日本だけを考えても、真珠湾攻撃、戦艦大和、回天、ゼロ戦、神風特別攻撃隊、ひめゆり部隊、沖縄戦、満州、硫黄島の戦い、ビルマ戦線、ミッドウェー海戦、東京大空襲、広島原爆、長崎原爆、ポツダム宣言受諾、玉音放送...挙げていけばキリがないほど濃い物語の集積体でした。

 その視線を世界に広げれば、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻(まやかし戦争)、フィンランド侵攻(冬戦争)、ロストフの戦い、モスクワの戦い、スターリングラード攻防戦、マリアナ沖海戦、インパール作戦、パリ陥落、ノルマンディー上陸、ヒトラー自殺・・・この他、アウシュビッツの物語もあれば、アンネ・フランクの物語もあれば、「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ一家の亡命、シンドラーのリストの物語もありました。そして、その中に「ダンケルク」の物語もあったのです。

 それぞれ単独でも大きな物語を形成しているのに、それらが無数に集まった巨大な物語の集合体。それが第二次世界大戦であったと思います。実際、あの戦争からどれだけ多くの小説、詩歌、演劇、映画、ドラマが派生していったでしょうか......。「物語」といっても、戦争はフィクションではありません。紛れもない歴史的事実です。わたしの言う「物語」とは、人間の「こころ」に影響を与えうる意味の体系のことです。人間ひとりの人生も「物語」です。そして、その集まりこそが「歴史」となります。そう、無数のヒズ・ストーリー(個人の物語)がヒストリー(歴史)を作るのです。

 大きな歴史の中には、無数の個人の死があります。
 映画「ダンケルク」で強烈な印象を残したのは、17歳の若さで命を落としたイギリス人少年の存在です。彼はずっと劣等生として親を嘆かせながら生きてきましたが、いつかは親を喜ばせるために「新聞に載るような偉業」を成し遂げたいと願っていました。イギリス人兵士の救出のための民間船に乗り込んだ彼は、不幸な事故で命を落としてしまいます。
 それは、あまりにもはかない、かげろうのような人生でした。しかしながら、彼は小さな記事ながらも英雄として新聞に写真入りで掲載されるのでした。この場面を観て、わたしは泣けて仕方がありませんでした。ヒストリー(歴史)の中にはヒズ・ストーリー(個人の物語)があることを、わたしたちは忘れてはなりません。

  • 販売元:ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント
  • 発売日:2017/12/20
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