No.375
大ヒット中の映画「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」の3D吹き替え版を観ました。本当は「ヘレディタリー/継承」が観たかったのですが、北九州では上映されていませんでした。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『ハリー・ポッター』シリーズの原作者J・K・ローリングが脚本を手掛け、エディ・レッドメイン演じる魔法動物学者を主人公にしたファンタジーシリーズの第2弾。パリの魔法界にやって来たニュート・スキャマンダーたちの戦いが展開する。敵役のジョニー・デップ、若き日のダンブルドア役のジュード・ロウらが共演。監督は、前作に引き続きデヴィッド・イェーツが務める。新たに登場する魔法動物も活躍」
ヤフー映画「あらすじ」には、こう書かれています。
「ニュート・スキャマンダーエディ(エディ・レッドメイン)は、学者として魔法動物を守るため、不思議な空間が広がるトランクを手に世界中を旅している。ある日、捕まっていた"黒い魔法使い"グリンデルバルド(ジョニー・デップ)が逃亡する。ニュートは、人間界を転覆させようと画策するグリンデルバルドを追い、魔法動物たちと一緒にパリの魔法界へ向かう」
この映画は、J・ K・ローリングによる『ハリー・ポッター』シリーズのスピンオフ作品である『幻の動物とその生息地』を原作とした映画3部作の2作目です。1作目は、一条真也の映画館「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」で紹介した作品ですが、じつに2年の時間を経て2作目が作られました。ちょっと時間が空いたのと、わたしの記憶力が悪いせいで、登場人物たちの関係などがよく理解できず、ストーリーを追えなくなってしまいました。そのせいで、途中で眠たくなってしまいました。パリの見世物小屋の雰囲気などは素晴らしかったですが......。
今回の「ファンタビ」で圧倒的な存在感を示しているのは、なんといっても"黒い魔法使い"を演じるジョニー・デップです。じつは、わたしは彼と同年齢ということもあって、密かに彼を応援しています。ちなみに、キアヌ・リーブスも同い年で、トム・クルーズは1つ上、ブラッド・ピッドは1つ下です。「それが、どうした!」と言われれば、「すみません、何でもありません」と謝るしかありませんが。(苦笑)
主人公ニュートの恩師ダンブルドアの若き日を演じたジュード・ロウも良かったです。デップとロウの2人を見ているだけで「元は取れた」感がありました。
さて、「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」の「黒い魔法使い」とは、いわゆる「黒魔術師」のことです。拙著『法則の法則』(三五館)で、わたしは「黒魔術」について書きました。
魔術とは何か。それは、人間の意識つまり心のエネルギーを活用して、現実の世界に変化を及ぼすことです。そして、魔術には二種類あります。心のエネルギーを邪悪な方向に向ける「黒魔術」と、善良な方向に向ける「白魔術」です。そして、「黒魔術」で使われる心のエネルギーは「呪い」と呼ばれ、「白魔術」で使われる心のエネルギーは「祈り」と呼ばれます。
『法則の法則』(三五館)
かつて流行した「引き寄せの法則」で使われる心のエネルギーは「呪い」に近いものであると思います。錬金術の先にある魔術とは、「黒魔術」だからです。なぜなら、それは自らの現状を否定し、宇宙に呪いをかける行為にほかならないからです。
「20世紀最大の黒魔術師」と呼ばれたアレイスター・クロウリーという非常に有名なオカルティストがいます。彼は、人間の心のエネルギーを利用して、セックスをはじめとしたあらゆる欲望を叶える魔術を開発しました。その主著の題名は『法の書』といいます。黒魔術師クロウリーも、「法則ハンター」だったのです。しかし、彼の使った心のエネルギーは「呪い」であるとして、後世の多くの人々から厳しい批判を受けました。
ある意味では、クロウリー以上に巨大な黒魔術師であったとされているのが、かのアドルフ・ヒトラーです。クロウリーをはじめ、神秘作家のW・B・イエイツ、アーサー・マッケン、アルジャナン・ブラックウッドなどのメンバーが集まっていた魔術結社「ゴールデン・ドーン(黄金の夜明け教団)」の隆盛によって、十九世紀末のヨーロッパでは魔術の復興が爆発的に流行しました。これを政治の世界で利用しようとしたのがヒトラーでした。
「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」には、ジョニー・デップ扮する"黒い魔法使い"グリンデルバルドが多くの聴衆を前に演説するシーンが登場します。過激な主張によって人々がたやすく分断されていくさまからは、現在のアメリカ大統領であるドナルド・トランプを連想する人もいるかもしれません。原作者のJ・K・ローリングは、人が自由であること、多様であること、社会が寛容であることの重要性を訴えてきた人物であり、トランプ政権に批判的なのは間違いありません。
しかし、この映画の時代背景が1920年代という、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期であることを考えれば、グリンデルバルドのモデルがアドルフ・ヒトラーであることが火を見るより明らかであると言えます。心理学者ユングは、「ヒトラーは真に神秘的な呪術師の範ちゅうに属する人間である。彼は予言者の目をしている。彼の力は政治的なものではない。それは魔術である」と述べました。ナチスとオカルティズムとの密接な関係については現在ではよく知られています。実際、ヒトラーの人生にはつねに魔術の影がつきまとっていました。
1889年、オーストリアの田舎町ブラウナウで下級税官吏の四番目の子どもとして産声をあげたヒトラーは、中学を中退して、ウィーンに出ます。そこで芸術に目ざめた彼は画家を志しますが、美術アカデミーの入試に失敗します。街頭の絵描きやペンキ画工として浮浪者に近い貧困生活を送りましたが、とめどのない知識欲を持つ彼の心は輝いていました。ウィーンは魔術的な教養と能力を身につけるためには最高の舞台だったからです。
ヒトラーは時間の許す限り、毎日図書館に通い、閉館まで読書をしたそうです。彼は、古代ローマ、東方の宗教、ヨーガ、オカルティズム、占星術、催眠術などに関する書物をむさぼり読みました。とくに熱中したのは、エジプトの『死者の書』、インドの古典である『リグ・ヴェーダ』と『ウパニシャッド』、ゾロアスター教の聖典『ゼンド・アヴェスタ』、そして『聖書』などであったといいます。彼は、人類史の大いなる「隠された秘密」、ひいては宇宙の「法則」を読み取ろうとしていたのでしょう。
ヒトラーの著書『わが闘争』(上下巻・平野一郎&将積茂訳、角川文庫)を読めば、人間の平等を否定し、弱肉強食を肯定することこそが宇宙の「法則」にしたがうものだと、ヒトラーが考えたことがよくわかります。その結果が、人類史に最大級の汚点を残すユダヤ人の大虐殺でした。アウシュビッツなどの強制収容所へ送られて虐殺されたユダヤ人犠牲者の総数は約600万人にのぼるといいます。ヒトラーは、ユダヤ人のみならず、人類そのものに対して「呪い」をかけたのです。
このヒトラーの民族主義的世界観の基本には、優者が劣者を駆逐するという「優生思想」があります。その源流をたどれば、明らかにダーウィンの進化論における「適者生存の法則」や、メンデルの遺伝学における「優性の法則」にまで行き着くことは否定できません。もっとも、そこにヒトラーが独自の解釈を加えたのも事実ですが......。
いずれにしても、「法則」というものが「確信」につながり、それが「信念」を生む。その「信念」は善悪に関わらず「実行」に移される。まさに「法則」とは、取り扱い厳重注意の危険物だということがわかりますね。そして、単なる一介の魔術師にすぎなかったクロウリーなどよりも、ヒトラーがはるかに巨大な力を持つ黒魔術師であったかを思わずにはいられません。
ヒトラーは、さまざまな自らの欲望を「引き寄せ」ました。権力の頂点に立つという権力欲しかり、他国の領土を侵略して奪うという所有欲しかり。何よりも、異常なまでに強く憎んだユダヤ民族を根絶やしにしたいという破壊欲に、彼の「呪い」は最大限に発動しました。ヒトラーはまさに、「一人でも多くのユダヤ人をこの世から消し去りたい」という願望を引き寄せたのです。人類史上、これほど巨大な「呪い」が実現したことがあったでしょうか。
21世紀におけるファンタジー界の大事件といえば、なんといっても『ハリー・ポッター』シリーズの登場です。この全世界で3億冊以上も読まれたという新時代のファンタジーはすでに古典の風格さえあり、宗教学者の島田裕巳氏のように「現代の聖書」と呼ぶ人さえいます。この作品が歴史的ベストセラーになった原因について、わたしも色々と考えましたが、最大の要因として「ホグワーツ魔法魔術学校」の存在があると思います。「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」には、そのホグワーツがふんだんに登場して、ハリポタ・ファンを狂喜させました。
ホグワーツへのプラットフォーム
ブログ「ファンタジーの旅」に書いたように、わたしはかつてロンドンを訪れ、ハリー・ポッターゆかりの場所を回りました。キングス・クロス駅のホームにあるというホグワーツ魔法魔術学校へのプラットフォーム、ホグワーツのモデルとなったクライスト・チャーチにも行きました。ここは、かの『不思議の国のアリス』を書いたルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンが数学の教授として勤務していたことでも有名です。改めて、イギリスがファンタジー王国であることを痛感します。
「ホグワーツ」のモデルになったクライスト・チャーチで
『ハリー・ポッター』シリーズが歴史的ベストセラーになった最大の要因として「ホグワーツ魔法魔術学校」の存在があると思います。魔女や魔法使いになるために教育を受けなければならないという設定は説得力があります。このシリーズが現れるまで、ファンタジー文学に登場する人物はふつうの人間と魔女・魔法使いとに二分されていました。
作者のローリングは、ふつうの人間でもいくばくかの才能があり、良い教育を受けることができれば、魔女や魔法使いになれるという設定を考案しました。まるで、スポーツ選手や芸術家になるのと同じように。これこそ、ファンタジー文学にとって大きな躍進でした。しっかりした教育を受けていない、あるいは訓練を怠った魔女・魔法使いは、ただの人間にすぎません。
じつは、わたしは常々、接客サービス業に携わる人間とは「魔法使い」をめざすべきだと言っています。サン=テグジュペリの『星の王子さま』には、「本当に大切なものは、目には見えない」という言葉が出てきます。本当に大切なものとは、思いやり・感謝・感動・癒し、といった「こころ」の働きだと思います。そして、接客サービス業とは、挨拶・お辞儀・笑顔・愛語などの魔法によって、それを目に見える形にできる仕事ではないかと思うのです。
「星の王子さま」から「ハリー・ポッター」へ
もちろん、それらのホスピタリティ・スキルを身につけるのには教育と自らの訓練が必要になります。『星の王子さま』で示された「本当に大切なもの」が、『ハリー・ポッター』の方法論で目に見える形になったわけです。21世紀において、魔法について書かれた本が世界中で読まれたこと自体が、最大の魔法ではないかと思います。そんな『ハリー・ポッター』の世界観をそのまま受けついだ『ファンタスティック・ビースト』シリーズも世界中の人々に愛されています。