No.396


 映画「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」を観ました。今年に入って、「ヴィクトリア女王 最期の秘密」「女王陛下のお気に入り」と、英国王室を題材にした映画の日本公開が続きましたが、あまり英国王室に関心のないわたしはそれらを観ていません。じつは、この映画も鑑賞前はそれほど期待しておらず、他に観たい映画もなかったので観たのですが、予想に反して非常に面白かったです。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「スコットランド女王メアリー・スチュアートとイングランド女王エリザベスⅠ世の波瀾万丈の人生を描いた伝記ドラマ。『ブルックリン』などのシアーシャ・ローナンがメアリー、『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』などのマーゴット・ロビーがエリザベスⅠ世を演じるほか、ジャック・ロウデン、ジョー・アルウィン、ガイ・ピアースらが共演。数多くの舞台演出を担当してきたジョーシー・ルークが本作で長編監督デビューを飾った」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「18歳で夫のフランス王を亡くしたメアリー・スチュアート(シアーシャ・ローナン)は、スコットランドに帰国して王位に就くが、故郷はイングランド女王エリザベスI世(マーゴット・ロビー)の支配下にあった。やがて、メアリーが自身のイングランド王位継承権を主張したことで両者の間に緊張が走る。さらにそれぞれの宮廷で生じた内部抗争などにより、ふたりの女王の地位が揺らぐ」

 この映画、とても興味深い内容でしたが、ネットでの評価はあまり高くありません。同じ女性が主役の映画でも、アメコミが原作の「キャプテン・マーベル」のほうがずっと高評価です。けっして上から目線で言うわけではありませんが、この「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」を楽しむには、ある程度の教養が求められます。そのため、大衆向けのエンターテインメント作品のような幅広い支持は得られにくいと思います。その求められる教養とは、主に世界史とキリスト教についての知識に基づきます。

 まず、世界史の知識から。この物語の舞台は16世紀です。主人公は、メアリー・スチュアート。彼女は0歳でスコットランド女王、16歳でフランス王妃となりますが、18歳でフランス国王の夫を亡くし、未亡人となって祖国スコットランドに戻ります。祖国で女王となった勝気な彼女は、女王エリザベスⅠ世が統治する隣国イングランドの王位継承権を主張します。メアリーとエリザベスは従姉妹同士でありながら互いに恐れ合い、それぞれ陰謀渦巻く宮廷の中で運命に翻弄されていくのでした。f:id:shins2m:20131002121457j:imageユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)

 次にキリスト教の知識ですが、この物語にはカトリックとプロテスタントの対立という大きなテーマが背景にあります。一般にカトリックは「旧教」、プロテスタントは「新教」と、キリスト教の中では位置づけられています。拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に詳しく書きましたが、「プロテスタント」とは「抗議する者たち」という意味です。プロテスタントの信徒は『聖書』を読んでもローマ教会のやっていることはどこにも書かれておらず、根拠がないことをやっているのはおかしいという抗議の声をあげました。

 宗教革命の主役であるドイツ人マルティン・ルターやフランス人ジャン・カルヴァンは、『聖書』の翻訳作業を進めていたことで知られます。それまで『聖書』はラテン語に訳されたのみであり、教会の司祭、司教、大司教などの聖職者たちしか読めませんでした。中世イタリアでもラテン語は古い言葉になっていて、当時のイタリア語は読めてもラテン語はわかりませんでした。一般人が読む言葉ではなかったのです。そのため免罪符などのインチキがやり放題であり、それに異議を唱えたのがプロテスタント運動というわけです。

『聖書』の翻訳、普及が可能となり、人々が実際にその内容を知ることによって、ルターやカルヴァンの宗教改革が成功したわけです。プロテスタント運動以降、一般の信者も自国の言葉で読めるようになり、1人1冊ずつ『聖書』を持つ時代を迎えました。これに対して、カトリック教会の側でも、自己改革が企てられます。その中心となるのは、イグナティウス・デ・ロヨラによって1534年に設立され、長期に及んだ「トリエント公会議」において会則が正式に決まった「イエズス会」です。ちなみに、わたしが客員教授を務めている上智大学はイエズス会の日本総本部であります。

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上智大学はイエズス会の日本総本部です

 イエズス会が誕生した1534年にはもう1つの国民教会である「英国国教会」がローマ教会から分離しました。宗教上の衝突と、カルヴァン派のピューリタンによる権力の掌握は、やがてイギリス革命の原因となります。1642年のピューリタン革命です。「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」の時代は、まさにピューリタン革命の前史です。本来は従姉妹同士であるメアリーとエリザベスですが、メアリーはカトリック、エリザベスはプロテスタントの信者でした。スコットランド対イングランドの覇権闘争に、カトリック対プロテスタントの宗教対立が重なります。

 さらに、2人の女王は、世継ぎを産むか産まないかの選択が、即、国家の存亡を左右する女性ならではの問題に直面するのでした。メアリーは美貌に恵まれ、恋愛、結婚、出産とすべて経験した上で、イングランドの王位継承権をも主張します。一方のエリザベスは、戦争を避けるために女性としての喜びは捨て、自ら男になる決意を固めます。その後、彼女は「処女王」と呼ばれました。スコットランドに比べて圧倒的に強大なイングランドの女王であるエリザベスのほうが強者であるのですが、彼女はメアリーに対してコンプレックスを抱くのでした。

 メアリーとエリザベスのような関係は、いつの時代のどこの国にも見つけることができるのではないでしょうか。女性がいくら権力や地位や財産を得たとしても、美貌というものは根本的なコンプレックスになります。また、相手が恋愛、結婚、出産を経験しているのに、自分はそれらを経験していないとしたら、これもまた根本的なコンプレックスとなるようです。もちろん、世の中には結婚していなくても、子どもがいなくても、充実した人生を送っている女性がたくさんいることは事実です。しかしながら、人間の根本的なコンプレックスというのはじつに厄介なものであると思います。

 でも、メアリーとエリザベスには確固たる共通点があります。それは2人とも「女王」であるという事実です。それゆえ、エリザベスは「この気持ちがわかるのは、もうひとりの女王だけ」という想いをメアリーに対して抱くのでした。映画評論家の清藤秀人氏は「映画.com」掲載の「ふたりの女王はコインの裏表。対照的な役作りで挑む女優対決の軍配は......!?」で、「2人は一見対照的だが、どちらも女性が国を統治することの困難さを誰よりも知っている者同士。つまり、コインの表裏の関係にあったというのが本作の提案だ。表向きは女王たちに仕えながら、影で陰謀を張り巡らし、己の野望を実現することしか眼中にない男たちの情けない実態が、現代の社会構造を暗示していることは言うまでもない」と述べています。まったく同感です。

 それにしても、メアリーを演じたシアーシャ・ローナン、エリザベスを演じたマーゴット・ロビー、2人とも素晴らしい熱演でした。メアリーとエリザベスが王位継承権を巡って対立する物語はこれまでも度々映画化されています。「クイン・メリー 愛と悲しみの生涯」(1972年)では、メアリーをヴァネッサ・レッドグレイブ、エリザベスをグレンダ・ジャクソンが演じました。また、エリザベスⅠ世が主役の「エリザベス」(1998年)では、ケイト・ブランシェットがエリザベスを演じました。しかし、今回のローナンとロビーの2人の最も旬な女優による競演が一番という声が多いようです。個人的にはシアーシャ・ローナンの美しさに惹かれました。

 また、この映画で知った名言が2つあります。
 処刑される直前にメアリーが言ったという「我が終わりは、我が始まりなり」という言葉。これは17世紀にフランスの哲学者ルネ・デカルトが唱えた「我思う、ゆえに我あり」に並ぶ名言であると思います。
 そして、もう1つはエリザベスの「美はいずれ朽ちるが、知は永遠に輝き続ける」という言葉です。2人の女王による2つの名言には唸りましたが、わたしは最近、銀座の某所でお会いした1人の女性のことを思い浮かべました。その女性は映画の翻訳者を目指されており、海外の映画ロケ地を紹介する素晴らしいサイトを運営されている方なのですが、正直言って、ものすごい美女です。中山美穂や伊藤美咲に似ていますが、その2人よりも綺麗です。このブログは家族や社員も読んでいるのでちょっと書きにくいのですが(笑)、わたしの生涯で出会った中でも三本の指に入る美女です。

 しかしながら、それほどの輝く美貌の持ち主でありながら、その彼女はデカルトの哲学に興味を持ち、東京の赤坂にある女子大を卒業した後、わざわざ慶應義塾大学に再入学して哲学を学んだ経歴の持ち主でもあるのです。わたしは、彼女と「我思う、ゆえに我あり」について意見交換させていただきました。その考え方がまた非常に深くて感服しました。いやはや、「天は二物を与えず」とは言いますが、日本にも凄い方がいるものだと感心した次第です。「美」と「知」が合体したとき、"鬼に金棒"的な真の輝きを発するようで、わたしはあまりの眩しさにクラクラしてしまいました。彼女には、ぜひ、この映画を観ていただきたいと思います。