No.400


 シネプレックス小倉に行って、映画「ハンターキラー 潜航せよ」を観ました。「ワイルド・スピード」の製作陣が放つ、潜水艦アクションの傑作でした。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ジョージ・ウォーレス、ドン・キースの小説を原作にしたアクション。消息を絶ったアメリカ海軍原子力潜水艦の捜索に向かった潜水艦の運命を描く。監督は『裏切りの獣たち』などのドノヴァン・マーシュ。キャストには、『エンド・オブ・キングダム』などのジェラルド・バトラー、『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』などのゲイリー・オールドマンらがそろう」

 ヤフー映画の「あらすじ」は以下のように書かれています。
「ジョー・グラス(ジェラルド・バトラー)が艦長を務めるアメリカ海軍の攻撃型原子力潜水艦ハンターキラーに、ロシア近海で行方不明になった同海軍原潜の捜索命令が下る。やがてハンターキラーは、沈没したロシア海軍の原潜を発見し、生存していた艦長を捕虜として拘束する。さらに、ロシアで極秘偵察任務にあたるネイビーシールズが、世界の命運を左右する巨大な陰謀をつかむ。それを受けてハンターキラーは、敵だらけのロシア海域に潜航する」

 わたしはあまり観たことがないのですが、「潜水艦モノ」というアクション映画のジャンルがあるそうです。1980年代~90年代に大ヒットを飾ってきたとか。潜水艦とは、深海の逃げ場のない密室です。その中で、乗員たちはソナー音を頼りに己の耳と経験値だけで見えない敵と戦うわけですが、そこには極限の緊張感が漂います。また、彼らは不屈の闘志で、あらゆる危機的状況に立ち向かっていきます。そんな濃密な人間ドラマが人気を呼びましたが、21世紀になると、このジャンルは途絶えてしまいました。理由は、最新鋭の潜水艦テクノロジーに映像技術が追い付かなかったからです。それが2019年、元潜水艦艦長による原作と米国防総省×米海軍全面協力により、ついに超弩級の潜水艦アクション大作が復活しました。

 潜水艦とは何か。Wikipedia「潜水艦」の「概要」には、「戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦などの水上艦と潜水艦とを分ける最大の違いは、潜水艦が水中を航行できることである。特に第二次世界大戦以降の潜水艦は水中航行を主な目的としている」として、以下のように書かれています。
「レーダーの電波や可視光線がほとんど届かず、唯一捜索手段として有効な音さえも水の状況で伝播状況が複雑に変化する水面下で『深く静かに潜航』した潜水艦を探知・撃沈することは最新鋭の探知装置と対潜兵器を備えた現代の対潜部隊にとっても容易なことではない。潜水艦は自らの存在を気づかれることなく、敵哨戒網を突破して敵艦艇や輸送船を沈め、機雷を敷設し、そのほか特殊部隊の潜入支援や情報収集任務などに運用することができる。潜水艦のなかには巡航ミサイルによる対地攻撃、さらには核弾頭を搭載した弾道ミサイルの運用が可能なものも存在する。また、敵の潜水艦を攻撃したり、水上艦を敵の潜水艦から護衛することもある」

 また、Wikipedia「潜水艦」の「概要」には、以下のようにも書かれています。
「そして水面下の『どこか』に魚雷、あるいはミサイルを持った潜水艦がいるという事実(「はったり」のこともあるが、それは潜水艦を探知するか、潜水艦から攻撃を受けない限りわからない)は敵に対して心理的圧力をかけ、結果として抑止にもつながるのである。その意味で潜水艦の持つ最大の武器は隠密性にある。潜水艦がたびたび『究極のステルス兵器』(Ultimate stealth weapon)と呼ばれ、潜水艦部隊が『沈黙の軍隊(あるいは不言実行の軍隊)』(Silent Service)と称されるゆえんである。
 潜水艦は隠れることで真価を発揮するため浮上しないことが望ましいが、海中から航空機を攻撃することは難しく、攻撃すれば存在を知らせることになるため対空装備を有しないのが基本である。このため対潜哨戒機には一方的に捜索・攻撃されることになる」

 わたしは子どもの頃、アメリカのSFドラマである「原潜シービュー号 海底大作戦」が大好きでした。また、東宝の特撮映画である「海底軍艦」も好きでした。SFといえば、"SFの父"と呼ばれたジュール・ヴェルヌの『海底2万マイル』のノーチラス号は最も有名な潜水艦です。SF作品に登場するロマンティックな潜水艦とは違って、「ハンターキラー 潜航せよ」に登場する潜水艦アーカンソーは最新鋭の軍事兵器です。海中でアメリカとロシアの潜水艦が激しく交戦するようすは迫力満点で、わたしがこれまで体験したことがないようなスリルを味わいました。

「ワイルド・スピード」シリーズ製作陣により、潜水艦×特殊部隊ネイビーシールズのダイナミックな共闘も見ごたえがありました。ネイビーシールズといえば、アメリカ海軍特殊戦コマンドの管轄部隊で、「世界最強」とも言われています。「ハンターキラー 潜航せよ」を観て、わたしはネイビーシールズが大活躍する一条真也の映画館「キャプテン・フィリップス」で紹介した映画を思い出しました。実際に2009年に起きたソマリア海域人質事件をテーマにした緊迫感あふれるドラマです。

 2009年4月。アメリカのコンテナ船マースク・アラバマ号は、援助物資5000トン以上の食糧を積んでケニアに向かうべくインド洋を航行していました。リチャード・フィリップス船長と20人の乗組員にとっていつもと変わらない旅でした。しかし、ソマリア沖に入った時、事態は思わぬ方向へ暗転します。アラバマ号が海賊に襲われ、占拠されてしまったのですね。フィリップス船長は乗組員を救う為、身代わりとなり、海賊の人質になるという勇気ある決断をする。ソマリア海賊たちとの命がけの息詰まる駆け引きが続く中、アメリカも国家の威信を賭けた闘いに直面します。そして、海軍特殊部隊ネイビー・シールズが出動するのでした。

 この「キャプテン・フィリップス」を観る前は、「アポロ13」や「キャスト・アウェイ」といったトム・ハンクスが出演した名作と似た内容をイメージしていました。つまり、極限状態に置かれた人間の知恵を描いた感動の物語です。でも、「キャプテン・フィリップス」は同じくトム・ハンクス主演の戦争映画「プライベート・ライアン」によく似ており、それほど感動はできませんでした。また、実際のフィリップス船長が英雄だとも思えませんでした。
 真の海の英雄とは、大日本帝国軍人で、最後は海軍大尉であった第六潜水艇の佐久間勉艇長のような人物ではないかと思います。1910年4月15日、第六潜水艇は山口県新湊沖で半潜航訓練中沈没して佐久間以下14名の乗組員全員が殉職した。同年4月17日に第六潜水艇が引き揚げられ、艇内から佐久間の遺書が発見されたのです。

 その遺書の内容は同年4月20日に発表されるや大きな反響を呼び、同日中に殉職した乗組員14名全員の海軍公葬が海軍基地で執り行われた。殉職した乗組員は、ほぼ全員が自身の持ち場を離れず死亡しており、持ち場以外にいた乗組員も潜水艇の修繕に全力を尽くしていました。佐久間自身は、艇内にガスが充満して死期が迫る中、明治天皇に対して潜水艇の喪失と部下の死を謝罪し、続いてこの事故が潜水艇発展の妨げにならないことを願い、事故原因の分析を記した後、遺書を残したのです。
 わたしの本名も佐久間というのですが、わたしは佐久間艇長を心から尊敬しており、素晴らしいリーダーであったと思っています。「ハンターキラー 潜航せよ」も「リーダーとは何か」を問う映画でした。大統領のリーダーシップ、艦長のリーダーシップ......いずれも、極限状況の中でのリーダーシップが描かれました。

20131002133108.jpg
龍馬とカエサル』(三五館)

 理想のリーダー像について、わたしは『龍馬とカエサル』(三五館)で詳しく書きました。リーダーたる者、場合によっては、独断で異常な決断をもしなければなりません。それがリーダー自身の運命だけではなく部下の人生も決定し、かつまた歴史をも変えるということもあるのです。かのユリウス・カエサルがルビコン川を渡るあの時のあの決断、ローマ人たちは彼がそこを越えてきたら反乱軍とみなすという脅しをかけ、よもやその境を越えまいと思っていたところへ、シーザーはわずかの手勢を率いて川を渡り、奇襲をかけました。これによってカエサルの政権が誕生し、かつまた部下たちも繁栄したのです。

f:id:shins2m:20131002120304j:image
ハートフル・ソサエティ』(三五館)

「ハンターキラー 潜航せよ」には、2人の潜水艦艦長が登場します。アメリカのグラス艦長とロシアのアンドロポフ艦長です。この2人は「水の中で生きてきた」という共通点もあってか、敵味方を超えた信頼感を抱き合い、強い絆で結ばれます。そのとき、潜水艦アーカンソーは一種の心の共同体と化していました。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)で描いたような平和で平等な共同体です。それには、舞台が潜水艦内部という「深海」であったことも大きく影響していると思いました。

 わたしはつねづね、交通網と情報網が高度に発達した現代において、人類のとって真の秘境とは3つだけであると考えています。宇宙と深海と霊界です。そして、その3つの秘境では、人類にとっての普遍的な意識が目覚めるように思えます。宇宙空間で宇宙飛行士たちが国家や民族を超えた「人類愛」のようなものを抱いたと同じく、深海でも同じ現象が起きたのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20131003132504j:image涙は世界で一番小さな海』(三五館)

 拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)で詳しく書きましたが、人類の歴史は四大文明からはじまりました。すなわち、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明です。この四つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。大事なことは、河というものは必ず海に流れ込むということです。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということです。チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出ます。

 人類も、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは河の流れとなって大海で合流するのではないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。それがユングのいう「集合的無意識」の本質ではないかと、わたしは考えます。
 その意味で、深海でアメリカとロシアが協力し合う物語の「ハンターキラー 潜航せよ」は「究極の平和映画」であると言えますが、これから迎える「令和」が平和な時代であることを願ってやみません。

 しかし、平和というのは「戦争のない平和が続きますように......」と祈っているだけでは得られるものではありません。「ハンターキラー 潜航せよ」を観た同じ映画館で「空母いぶき」の予告編が流れていました。
 20XX年、12月23日未明。未曾有の事態が日本を襲います。沖ノ鳥島の西方450キロ、波留間群島初島に国籍不明の武装集団が上陸、わが国の領土が占領されたのです。海上自衛隊は直ちに小笠原諸島沖で訓練航海中の第56護衛隊群に出動を命じましたが、た。その旗艦こそ、自衛隊初の航空機搭載型護衛艦《いぶき》でした。
 日本が平和であり続けるためには、日本にもアメリカのような自助努力が求められる......「空母いぶき」の予告編を観ながら、わたしはそのように考えました。
「令和」への改元まで、あと10日です。