No.427
TOHOシネマズ日比谷で映画「トールキン 旅のはじまり」をレイトショーで観ました。
ヤフー映画 の「解説」には、こう書かれています。
「『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズの原作『指輪物語』や『ホビットの冒険』などの著者J・R・R・トールキンの半生に迫る人間ドラマ。母親や学生時代の仲間とのエピソード、運命の女性との恋模様などを映し出す。『X-MEN』シリーズなどのニコラス・ホルトが主人公、『あと1センチの恋』などのリリー・コリンズが彼の最愛の女性を演じる」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「トールキン(ニコラス・ホルト)は3歳のときに父が他界し、イギリスの田舎で母と弟と生活していた。だが母親も12歳のときに突然亡くなり、母の友人のモーガン神父が後見人としてトールキンを救ってくれた。やがてトールキンは名門キング・エドワード校に入学して3人の友人と出会い、芸術で世界を変えることを約束する」
この映画の主人公であるジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン(1892年1月3日-1973年9月2日)は、言うまでもなく高名なファンタジー作家で、『ホビットの冒険』や『指輪物語』の著者です。また、英国の文献学者であり、作家、詩人、イギリス陸軍軍人でもあります。オックスフォード大学で学び、同大学ローリンソン・ボズワース記念アングロ・サクソン語教授(1925年―1945年)、同大学マートン学寮英語英文学教授(1945年 ―1959年)を歴任しました。ちょうど数日前に、次女が留学先のオックスフォードから帰国してきたのですが、映画に登場するオックスフォード大学を見ながら、次女の留学の様子を想像しました。
トールキンは、文学討論グループ「インクリングズ」のメンバーで、同会所属の英文学者C・S・ルイスとも親交が深かったことで知られています。ルイスは『指輪物語』と並ぶファンタジー大作『ナルニア国物語』の著者です。トールキンはまた、カトリックの敬虔な信者でもありました。1972年、エリザベス2世からCBE(大英帝国勲章コマンダー勲爵士)を受勲しています。
トールキンは「中つ国」という、まったく架空の世界を想像しました。彼の 没後、息子のクリストファは彼の残した膨大な覚え書きや未発表の草稿をまとめ、『シルマリルの物語』、『終わらざりし物語』、『中つ国の歴史(英語版)』などを出版しました。これらは、生前に出版された作品とあわせ、「中つ国」と呼ばれる架空の世界に関する物語、詩、歴史、言語、文学論の体系を形作っています。1951年から1955年にかけ、トールキンはこのような書き物の総体をlegendarium (伝説空間、伝説体系)と呼んでいました。「中つ国」について、わたしは監修書の『よくわかる伝説の「聖地・幻想世界」事典』(廣済堂文庫)で詳しく紹介しました。
『伝説の「聖地・幻想世界」事典』(廣済堂文庫)
完全に架空の世界を想像し、その歴史を構築し、さらには架空の言語を考案するなど、人間の想像力のレベルを超えているというか、ただごとではありません。そのように図抜けた想像力の持ち主であったトールキンは、オレンジ自由国(現在は南アフリカ共和国の一部)のブルームフォンテーンで、イギリスの銀行支店長アーサー・ロウエル・トールキンと妻メイベル・トールキン(旧姓サフィールド)の間に生まれました。ヒラリー・アーサー・ロウエルという弟が1人います。
3歳のときに父を脳溢血で亡くした後、 母はバプテストであった親戚の猛烈な反対を押し切ってローマ・カトリックに改宗しました。そのため、全ての財政援助は中断された。その母も、トールキンが12歳のときに糖尿病で亡くなり、トールキンは母が信仰の殉教者であったと思うようになりました。この出来事はカトリックへの信仰に深い影響をもたらしました。トールキンは敬虔なクリスチャンとして生き、友人のC・S・ルイスをキリスト教に改宗させました。しかし、その後、ルイスがカトリックから英国国教会に改宗して、大いに失望しています。
孤児となったトールキンを育てたのは、バーミンガムのエッジバーストン地区にある、バーミンガムオラトリオ会のフランシス・シャヴィエル・モーガン司祭でした。16歳のときに3歳年上のエディス・メアリ・ブラットと出会い、恋に落ちますが、フランシス神父は、会うことも話すことも文通することも21歳になるまで禁じます。トールキンは、胸を焦がしながらも、この禁止に忠実に従いました。
1911年、トールキンが通うキング・エドワード校に在学中の3人の友人のロブ・キルター・ギルソン、ジェフリー・バッチ・スミス、クリストファ・ワイズマンと共に、半ば公然の「秘密結社」である「T.C.B.S」を結成します。これは、学校の近くのバロウズの店や学校図書館で不法にお茶を飲むことを好むことを示す「ティー・クラブとバロヴィアン・ソサエティ」の頭文字を取った名でした。学校を去った後もメンバーは連絡を保ち続けました。わたしはアフタヌーンティーが大好きですので、このバロウズという店、一度行ってみたい!
その後、彼らは第一次世界大戦に出征し、ロブとジェフリーは戦死します。ロブはキング・エドワード校の校長の息子でした。ジェフリーは詩作の才能があり、トールキンは彼の詩集を出版したいと思います。そこで、思い出のバロウズの店にジェフリーの母親であるスミス夫人を呼び出し、詩集出版の許可を得るのでした。その序文はトールキン自身が書きました。スミス夫人は「姉は3人の息子を亡くしました。わたしは2人を亡くしました。すべて、同じ週にです」と語るのですが、改めて巨大なグリーフ発生装置としての戦争の怖ろしさを痛感する言葉です。バロウズの店で、亡き親友たちの思い出を語るトールキンの姿は、とにかく泣けます。「親友を亡くすことは、自分の一部を失うこと」と語ったグリーフ・カウンセラーがいましたが、本当にその通りだと思います。大作『指輪物語』の第1部は「旅の仲間」というタイトルがついていますが、トールキンにとっての旅の仲間とは、なつかしい「T.C.B.S」のメンバーだったのです。
『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)
映画では、戦後に大量発生した遺族を前に、フランシス神父が「彼らに何と言えばいいのか。あなたの大切な人は、戦争を終わらせるための戦争で亡くなったのですよ、とでも言うか。いや、ミサの言葉くらいしか思い浮かばないな」というシーンが登場し、グリーフケアの難しさを再確認しました。愛する息子を亡くしたスミス夫人が「詩集など出して、何の役に立つのですか」と質問するのですが、トールキンは「詩人や作家や芸術家は、こんな時代こそ必要なんです」と言います。こんな時代とは、第一次世界大戦が終了して、多くの人命が奪われた時代です。そこには大量の「愛する人を亡くした人」たちが存在しました。わたしは、詩や小説などの文学、その他の芸術は、「愛する人を亡くした人」たちのためにある、つまりはグリーフケアのためにあることを再確認しました。わたしは現在、読書や映画鑑賞やカラオケによるグリーフケアを研究・実践していますので、トールキンの言葉に我が意を得た思いでした。
さて、トールキンとエディスですが、トールキンの21歳の誕生日の晩、エディスに愛を告白した手紙を書いて、自分と結婚してほしいとプロポーズしました。しかし、エディスからの返信には「自分を忘れてしまったと思ったので、婚約した」と書かれていました。2人は鉄道陸橋の下で出会い、愛を新たにします。エディスは指輪を返し、トールキンと結婚する道を選びました。1913年1月にバーミンガムで婚約後、エディスはトールキンの主張に従いカトリックに改宗しました。そして、1916年3月22日にイングランドのウォリックで結婚しました。エディスという女性は、作家トールキンに大きな影響を与えた人でした。彼女は大のワグネリアン(ワーグナーの崇拝者)で、特に「ニーベルンゲンの指輪」を好みましたが、これがトールキンの『指輪物語』を生むことになるのです。わたしもワーグナーが好きなのですが、この映画で、ワーグナーからトールキンへの「ロマン」のDNAを知って、胸が熱くなりました。
その『指輪物語』は、1960年代のアメリカの多くの学生たちの間で好評を博し、ちょっとした社会現象となりました。現在でもロングセラーである『指輪物語』は、販売部数も人気も評価も、20世紀における最も人気の高い小説の1つとなりました。英国のBBCとWaterstone's bookstore chainが行った読者の世論調査で『指輪物語』は20世紀の最も偉大な本と認められました。amazon.comの1999年の顧客の投票では、『指輪物語』は千年紀で最も偉大な本となりました。その人気は英語圏だけにとどまらず、2004年には100万人を超えるドイツの人々が、『指輪物語』が広範囲の文学のうち最も好きな作品として投票しました。
トールキンは当初、『指輪物語』を『ホビットの冒険』のような児童書にしようと考えていたそうです。しかし、書き進めるにつれ次第に難解で重々しい物語となっていきました。『ホビットの冒険』と直に繋がる物語であるにもかかわらず、より充分に成熟した読者を対象とするようになり、また後に『シルマリルの物語』やその他の死後出版された書籍に見られるような膨大な「中つ国」の歴史を構築し、それを背景にして書き上げたのです。この手法と出来上がった作品群の緻密で壮大な世界観は、『指輪物語』の成功とともに誕生した「ファンタジー文学」というジャンルに多大な影響を残しました。オックスフォードのWolvercote墓地にあるJ・R・R・トールキンとエディス・トールキン夫妻の墓があり、「中つ国」の最も有名な恋物語の1つから、「ベレン」そして「ルーシエン」という2人のエルフの名が刻まれています。
トールキンの『指輪物語』は、ハリウッドで「ロード・オブ・ザ・リング」として映画化されました。わたしも夢中になってロードショーで観ましたし、2人の娘たちもDVDを何度も鑑賞したようです。ただ、映画「ロード・オブ・ザ・リング」では、合戦の場面がメインになるということに大きな違和感をおぼえました。これでは、「天と地と」や「乱」と変わりありません。夢を与えるはずのファンタジーが、リアルな戦争描写に終始しているのは違和感が残るとともに、残念です。そのことは、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)にも書きました。
『涙は世界で一番小さな海』(三五館)
トールキンの作品は、ヨーロッパの神話伝承から多くの影響を受けているとされます。『ベーオウルフ』に代表されるアングロサクソンの古伝承、『エッダ』、『ヴォルスンガ・サガ』をはじめとする北ゲルマン人の神話体系(北欧神話)、アイルランドやウェールズなどのケルトの神話やフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』などですが、それらの影響で戦争の描写があるのはわかるとしても、 第一次世界大戦で死線を彷徨ったトールキンならば、戦争のない世界を描いてほしかったと思うのは、わたしだけでしょうか?