No.447
ヒューマントラストシネマ有楽町で映画「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」を観ました。東京で映画鑑賞するときは、地元の北九州では観ることのできない作品を選んでいますが、とても興味深い内容でした。わたしも出版業界の末端に関わる人間の1人なので、いろいろと考えさせられました。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「映画化もされた世界的ベストセラー『インフェルノ』の出版秘話から生まれたミステリー。情報漏えいを防ぐため各国の翻訳家たちを完全に隔離した実話を題材に、発売前の小説の流出危機が描かれる。『神々と男たち』などのランベール・ウィルソン、『その女諜報員 アレックス』などのオルガ・キュリレンコ、ドラマシリーズ「このサイテーな世界の終わり」などのアレックス・ロウザーらが出演。『タイピスト!』などのレジス・ロワンサルがメガホンを取った」
ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「ミステリー小説『デダリュス』完結編を世界で同時に発売するため、洋館の地下室に9か国の翻訳家が集められる。彼らは外部との接触を禁止され、毎日20ページだけ渡される原稿の翻訳作業に没頭していた。ある夜、出版社の社長(ランベール・ウィルソン)のもとに、『デダリュス』の冒頭をインターネットに公開したというメールが届く。そこには、指定時間内に金を支払わなければ次の100ページ、要求を拒めば全てのページを流出させると書かれていた」
9人の翻訳家を演じた俳優陣はいずれも個性派揃いですが、わたしはオルガ・キュリレンコが演じた美しき女流翻訳者に目が釘付けになりました。彼女を最初に知ったのは一条真也の映画館「ある天文学者の恋文」で紹介したイタリア映画でしたが、ウクライナ生まれのミステリアスな容姿を見て、一発でファンになりました。「ある天文学者の恋文」は、天文学者エド(ジェレミー・アイアンズ)と、教え子のエイミー(オルガ・キュリレンコ)の物語です。2人は愛し合っていましたが、エイミーのもとにエドが亡くなったという知らせが飛び込みます。悲しみと混乱の中、死んだはずのエドからのメール、手紙、プレゼントが次々と届きます。まあ、ここまで書くと、ロマンティックなグリーフケア映画のようにも思えますが、実際は身の毛もよだつ不気味なストーカー映画でした。「ある天文学者の恋文」は2016年の映画ですが、主人公エイミーを演じたオルガ・キュリレンコは36歳でした。ということは2019年公開の本作では39歳ということになりますが、「世界一のアラフォーじゃないか?」と思うぐらい妖艶で美しかったです。
「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」は、ダン・ブラウン原作の小説『インフェルノ』出版の際に各国の翻訳家を地下室に隔離したという実話から着想を得たフィクション映画です。ストーリーそのものは、ダン・ブラウン作品とは何の関係もありません。世界的ベストセラーである『デダリュス』の出版権を獲得した出版社のオーナーであるエリック・アングストローム(ランベール・ウィルソン)は、世界10カ国で同時発売すると宣言し、翻訳家9人をフランス郊外の邸宅へと招待しました。各国の編集者たちが集められたのは厳重に管理された屋敷で、その地下にはシェルターがありました。翻訳家は厳重なボディチェックを受け、スマホなどの持ち込み禁止機器を預けて中へと入っていきます。
9人の翻訳家に対して、エリックは「1日に原稿を20ページずつ渡す」「最初の1ヵ月間で翻訳すること」「次の1ヵ月間で推敲すること」とスケジュールを説明します。翻訳作業が行われる図書室には監視のために屈強なボディーガードが4人張り付き、彼らは徹底的に監視されます。外部の情報は定期的に届く新聞のみで、インターネットの接続はもちろん、外部への連絡は一切認められないという契約でした。軟禁状態の翻訳作業が始まって数週間が経過した頃、エリックの元に「1通のメール」が届くところから物語が動き出します。それは『デダリュス』の冒頭10ページをネットに流出させたこと、そして今後も金を支払わなければ順次公開するという脅迫でした。怒り狂ったエリックは翻訳家たちのプライバシーを踏みにじる身辺チェックを行います。そして次第にエリックは暴力的になっていき、ついには死者まで出るのでした。おっと、ここまで。これ以上はネタバレになってしまいます。
この映画はミステリー映画です。それも、トリックが最大のポイントになっています。要するに、「全員が監禁されて自由を奪われていたのに、どうして外部と接触して、原稿をネット流出させることができたのか?」という謎解きです。犯人は9人の翻訳者の中にいました。じつは、ある超有名なミステリー作品とネタが同じなのですが、映画の中でその作品の名前が堂々と登場するので、その名作へのオマージュ的要素があるのでしょう。いわゆる密室ミステリーですが、蓋を開けてみれば「なるほど!」というトリックです。わたしも見事に騙されましたが、最後まで違和感が残って「気持ちよくダマされた!」という爽快感はありませんでした。それは、いくらベストセラー確実な作品とはいえ、たかが小説のために人命が失われるという違和感です。
「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」は、ある町の本屋に積み上げられ崩れた本が燃えているシーンから始まります。本が燃えている場面は、名作「華氏451度」(1966年)を思い出します。レイ・ブラッドベリの原作SFをフランソワ・トリュフォーが映画化した作品で、わたしの大好きな映画です。思想統制のために読書を禁止した超管理国家が、あらゆる本を焼き尽くすという物語です。「華氏451度」というのは紙が発火する温度なのですが、わたしのような本好きには胸が痛む内容でした。
「華氏451度」とは違った意味で、「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」も胸が痛みます。そこには現在の出版界が抱える悩ましい問題が描かれているからです。それは、ネットのタダ読み問題、海賊行為などです。出版社や書店にとっては深刻な問題です。わたしも、優れた物語を提供してくれる作家と出版社が危機に瀕することは許せないと思っています。しかしながら、超ベストセラーの出版権を入手した出版社を経営するアングストロームが、世界同時発売&内容流出を防ぐために、集めた翻訳家たちを監禁し、あろうことか暴力をふるう場面には呆然とし、次に怒りを感じました。どんなに素晴らしい物語であろうと、人の生命を奪っていいはずがありません。結局、アングストロームは『デダリュス』を「本」ではなく「金」ととらえているのです。そこには、出版という営みへの「志」がありません。
不遜ながら、わたしには、日本人の自死者数や孤独死の数を減らしたい、あるいは無縁社会を乗り越えて有縁社会を再生したい、さらには「死」を「不幸」と呼ばない社会を呼び込みたいという志があります。わたしは冠婚葬祭業を営んでいますが、けっして本業に直結した本しか書かないわけではありません。本業を通じて、気づいたこと、世の人々に伝えたいことを書きたいと思っております。もともと、本を書いて出版するという行為は志がなくてはできない行為ではないでしょうか。なぜなら、本ほど、すごいものはありません。自分でも本を書くたびに思い知るのは、本というメディアが人間の「こころ」に与える影響力の大きさです。
子ども時代に読んだ偉人伝の影響で、冒険家や発明家になる人がいます。1冊の本から勇気を与えられ、新しい人生にチャレンジする人がいます。1冊の本を読んで、自殺を思いとどまる人もいます。不治の病に苦しみながら、1冊の本で心安らかになる人もいます。そして、愛する人を亡くした悲しみを1冊の本が癒してくれることもあるでしょう。本ほど、「こころ」に影響を与え、人間を幸福にしてきたメディアは存在しません。そして、わたしは読んで幸福になれる本こそ、本当の意味で「ためになる本」であると思います。
最近、日本の出版業者の中にも、ちょっとベストセラーが出たくらいで浮かれてしまい、志を忘れた者がいるように思えてなりません。ベストセラーはもちろん出るにこしたことはありませんが、それだけがすべてではないはずです。出版の本義は「人のこころを豊かにすること」、そして「社会を少しでも良くすること」。これを忘れた出版社など潰れたほうがいいでしょう。本来、出版業とは拝金主義とは最も離れた場所にあるはずなのに、拝金主義に侵された出版業者が多いのは嘆かわしいことです。「9人の翻訳家 囚われたベストセラー」を観て、そんなことを考えました。