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2月7日の日曜日、パンを買いに行った帰りに、ベーカリーと同じ商業施設の中にあるシネプレックス小倉で日本映画「花束みたいな恋をした」を観ました。ネットでの高評価は知っていたものの、あまり期待しないで観たのですが、恋愛の本質を見事に描いた名作でした。どこにでもいる現代の大学生の21歳から26歳までを描いていますが、わたし自身のいろんな思い出が蘇ってきて、センチメンタルな気分になりました。有村架純と菅田将暉の主演2人の演技も最高でした。早くも、今年の「一条賞」候補作品に出合いました!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『コーヒーが冷めないうちに』などの有村架純と『帝一の國』などの菅田将暉を主演に迎えた恋愛物語。東京・井の頭線の明大前駅で終電を逃してたまたま出会った男女と、全ての事柄が絡み合いながらリンクしていく様子を描写する。有村が主演を務めた『映画 ビリギャル』などの土井裕泰が監督を務め、ドラマ『東京ラブストーリー』『カルテット』などの脚本家・坂元裕二が脚本を書き下ろした」
ヤフー映画の「あらすじ」は、「ある晩、終電に乗り遅れた大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は、東京・京王線の明大前駅で偶然出会う。お互いに映画や音楽の趣味がよく似ていたこともあり、瞬く間に恋に落ちた二人は大学卒業後、フリーターとして働きながら同居を始める。ずっと一緒にいたいと願う麦と絹は、今の生活を維持することを目標に、就職活動を続ける」となっています。
誰にでも経験がある(だろう)学生時代の恋愛の記憶。何を話しても意見が合うし、趣味も合う。偶然とは思えないような不思議なシンクロニシティもバンバン起こる。そうして、人は「運命の相手に出会った」と思って、恋に落ちる。何をしていても、相手のことばかり考える。少しでも一緒の時間を過ごしたいと願い、同棲するカップルもいる・・・・・・そんな若い日の情熱的な恋愛をこの映画はよく描いています。とにかく坂元裕二氏の脚本が素晴らしいです。さすがは、「東京ラブストーリー」「カルテット」「Mother」「最高の離婚」などで男女の心の機微を描き続けた人気脚本家だけのことはあります。別れた2人が数年後に再会するオープニング・シーンも秀逸で、一気に物語に引き込まれました。
若い2人は同棲を始めますが、当然ながら2人の親は不安です。特に、絹の両親は不安で、2人の住むマンションを訪れます。絹の母親がフリーターを続ける麦に言った「就職するというのは風呂に入るようなもの。入るまでは面倒臭いけど、入ったみたら良かったと思う」という言葉や、同じく絹の父親が麦に言った「人生は責任だよ」という言葉は、まことに的を得ていました。絹の両親に従ったわけではないでしょうが、麦が将来に不安に感じて就活を始めたときの「本を買うのだって、映画を観るのだって、お金がかかるよ」という一言も心に残りました。さらに、麦の先輩で自殺したカメラマンが「社会性とか協調性なんてものは、芸術の邪魔でしかない」と言い放つシーンも印象的でした。じつは、彼の葬儀に参列してから麦と絹の心は決定的に離れていき、共通の友人の結婚式で別れを決意します。葬儀と結婚式が物語の中で重要な役割を果たしたという意味で、この映画には冠婚葬祭映画の側面がありました。
この映画には、たくさんの固有名詞が登場します。かつての田中康夫氏の『なんとなく、クリスタル』みたいな良く言えばスタイリッシュ、悪く言えばスノッブな固有名詞ではなく、2人が好きな作家、コミック、ゲーム、イベントの名前など、オタク的な匂いのする固有名詞です。「映画com.」で、映画評論家の大塚史貴氏は「それにしても、今まで以上に固有名詞に溢れている。ふたりの距離を一気に縮める重要な役割を果たした押井守にいたっては本人役で出演しているし、その後も天竺鼠、ミイラ展、ジャックパーセル、今村夏子、ゴールデンカムイ、宝石の国など、書き出したらきりがない。今作の脚本を読んでから本編を改めて鑑賞してみて感じるのは、坂元の脚本は役者が声に出してセリフとして発した瞬間、観る者に一番届くのだと実感させられる。固有名詞の波状攻撃を浴び、気持ち良くのみ込まれ身を任せていると、不意に忘却の彼方へ追いやっていた何十年も前の記憶がよみがえり、心が震えている...という体験をすることになる」と書いています。まったく同感ですね。
さて、映画館にはマスク姿の若いカップルも多かったですが、わたしは「彼らはどんな恋愛をしているんだろう?」と思いました。愛する2人が手をつなぐ、ハグする、キスをする、同じコーヒーを回し飲みする......そんな恋人同士なら当たり前の光景が、現在は新型コロナウイルスの感染防止で「当たり前」ではありません。いま、初めてのデートをすること、初めてキスをすること、そして初めて男女の仲になることの難易度の高さを想うと、現代の大学生や若者たちが気の毒でなりません。このままでは婚姻率も出生率も低下する一方です。日本の将来が心配になるのは、わたしだけではありますまい。恋愛事情も結婚事情もコロナ禍では暗いわけですが、なんでも不倫だけは逆に盛んになっているとの説もあるそうです。
「週刊文春」2021年2月11日号
不倫といえば、一昨日、金沢のコンビニで「週刊文春」の最新号を買ったら、「小川彩佳アナ180億円夫の『産後不倫』写真」という特集記事が掲載されていました。小川アナの夫は大変なエリートで、かつ資産家です。菅首相にも信頼されているとか。しかし、この記事が事実なら、わたしが小川アナの父親だったら許せませんね。しかも、不倫相手の女性は「おなにーしちゃった」というLINEを送ってきたり、文春の記者に対して「彼と"ヤる"のは好きだけど」と発言したり、いたずらに小川アナを挑発しているようにしか見えません。そういえば、坂元裕二氏には『往復書簡 初恋と不倫』という著書があります。初恋と不倫は正反対の行為なのか、それともピュアであるという点において同質の行為なのか......わたしは同書を読んでいないので、真意はわかりませんが。
また、この映画では麦も絹も、ともに就活に励む様子が描かれます。いつまでも自由を謳歌したい二人にとって就活はけっして楽しいことではありません。特に、女子大生である絹は連日、圧迫面接を受けて心が折れそうになります。でも、まだ彼女の場合は良かったと思います。じつは、わたしの次女が大学3年生で、就活の真っ最中ですが、コロナ禍で苦労しています。慣れないリモートで面接を受けたり、試験を受けたり、インターンシップに戸惑いながら参加しているようですが、「コロナさえなければ、普通に就活ができたのに...」と、ついつい不憫に思ってしまいます。東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長による女性蔑視発言ではありませんが、まだまだ日本の社会は女子が不利な場面も多く、その中で藻掻いている次女をはじめとした女子大生たちの心中を想うと、映画を観ながら心が痛くなりました。
あれほど愛し合った麦と絹も4年後には分かれてしまいます。わたしは、アメリカの人類学者であるヘレン・E・フィッシャーが書いた『愛はなぜ終わるのか』という本の内容を思い出しました。拙著『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)でも紹介した本ですが、愛は4年で終わるのが自然であり、不倫も、離婚・再婚をくりかえすことも、生物学的には自然だと説く衝撃の書です。フィッシャーによれば、不倫は一夫一妻制につきものであり、男も女も性的に多様な相手を求め、結婚を繰り返すことは生物学的な人間性に合致しているといいます。事実、世界の多くの国々で、離婚のピークは結婚4年目にあるそうですが、この4年という数字の秘密を狩猟採集時代にまで遡って解明します。このような現状は、人類の進化の過程に合致するものだとか。もっとも、社会的・文化的な変容はあり、狩猟社会から鋤で耕す農耕社会になってからは女性が男性に従属するなど、イレギュラーなことはありましたが、工業社会になってから女性が働くようになったので、以前のような状況になっているというのです。
「花束みたいな恋をした」の麦は売れないイラストレーターとしての生活に限界を感じ、就職して営業マンになります。そんな彼がイベント会社勤務の絹と4年間の同棲生活を続けるわけですが、かつて、フリーのイラストレーターの男性と広告会社勤務の女性が一間のアパートで同棲する漫画が大ヒットしました。上村一夫の『同棲時代』です。『同棲時代』の主人公は、今日子と次郎の2人です。自由であり、不安定でもある2人の暮らしは愛と性の間で揺れ続け、今日子の精神状態は次第に崩れていきます。そして、妊娠に気がついた今日子は、ある決断を下すのでした。
1973年に誕生した、この作品のきっかけは、上村によれば、映画「愛の狩人」の中の同棲シーンだったそうです。また、漫画家の安部慎一が同棲していることを知ったことも理由の1つでした。同棲経験のない上村は、林静一の『赤色エレジー』のパロディとして始めたといい、当初は10回程度の連載を終了する予定でした。しかし、人気が出て80回の長期連載となり、「同棲」は流行語にもなり社会現象ともなりました。73年2月18日には、早くも梶芽衣子と沢田研二の主演でTBSで90分の単発ドラマ化され、脚本を山田太一が担当しました。同年4月14日には松竹制作による映画「同棲時代 今日子と次郎」が公開されました。由美かおると仲雅美が主演し、監督は山根成之、脚本は石森史郎でした。
映画「同棲時代 今日子と次郎」の主題歌は、大信田礼子が歌いました。じつは、大信田礼子が歌った「同棲時代」、わたしの大好きな歌です。高校生の時に、麻田ルミ(なつかしい!)主演の「おさな妻」というドラマの再放送にハマったのですが、「おさな妻」について調べているうちに「同棲時代」の存在を知りました。その後、「恋すれど廃盤シリーズ」というレトロ歌謡曲のCDセットを購入したのですが、その中に大信田礼子の「同棲時代」が入っていたのです。「ふたりは~いつも~傷つけ合って暮らした♪」という歌いだしから、「愛の暮らし~同棲時代♪」という終わりまで痺れました。カラオケでもよく歌いましたね。
「花束みたいな恋をした」のエンディングは、別れた2人が数年後にカフェで再会するオープニング・シーンの続きです。今はもう別々の恋人がいる2人は、お互いの存在に気づき、一瞬だけ目を合わせますが、互いの恋人に気づかれないように言葉も交わさず、そのまま離れます。そして、カフェを出た後にエレベーターを降りて、2組のカップルは別々の方向に歩き出しますが、麦と絹はそれぞれ後ろ向きに手を振るのでした。このシーンは筋金入りのロマンティストであるわたしのハートを直撃しましたが、大好きなユーミンの「グッドラック・アンド・グッドバイ」を思い出しました。「グッドラック・アンド・グッドバイ」には、別れた元恋人たちが偶然再会するというシチュエーションが歌われています。別れるときは負の感情があっても、再会時には相手にエールを送る心境になっているというハートフルなナンバーです。
一般に元カレや元カノに再会し、相手に新しいパートナーがいる姿を見たときは心中穏やかではないでしょうが、そこをスマートに対処するのが大人のたしなみというもの。わたせせいぞうさんの『ハートカクテル』にも、そんなエピソードがあります。カフェで再会した元カレにコンパクトでメッセージを送るというオシャレなショート・ストーリーの「思い出ワンクッション」です。そういえば、まだ学生時代の恋愛の記憶も新しいときに書かれたわたしの処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)では、「グッドラック・アンド・グッドバイ」を「女のセンチメンタリズム」、「思い出ワンクッション」を「男のセンチメンタリズム」の代表例として挙げたのでした。どんなに別れが辛くても、恋愛の経験はきっとその人の心を強くし、人生を豊かにしてくれるでしょう。願わくば、わたしの2人の娘たちが「花束みたいな恋」をして、最後はその相手と結ばれますように...。
最後に、「花束みたいな恋をした」の上映前に「キネマの神様」の予告編が流れました。松竹映画100周年記念作品である「キネマの神様」です。映画界を代表する豪華キャストで贈る山田洋次監督の最新作で、"映画の神様"を信じ続けた男とその家族に起きる奇跡の物語を描きます。一条真也の読書館『キネマの神様』で紹介した原田マハさんの小説が原作ですが、わたしの大好きな作品です。48年前にドラマ「同棲時代」で主演した沢田研二と「花束みたいな恋をした」で主演した菅田将暉のW主演で、4月16日に公開されます。これは楽しみ! 春よ来い! 早く来い!