No.522


一条真也の映画館「スパイラル:ソウ オールリセット」で紹介したスリラー映画に続いて、日本映画「ムーンライト・シャドウ」をTOHOシネマズ日比谷のレイトショーで観ました。両作品とも北九州では公開されていません。「ムーンライト・シャドウ」は満月の夜が明けるときに愛する死者との再会を果たすというグリーフケアの物語だと知っていたので、どうしても観たい作品でした。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「吉本ばななのベストセラー『キッチン』に収められた短編小説を映画化したラブストーリー。最愛の恋人を亡くした女性が、満月の夜の終わりに起こるという"月影現象"に導かれる。主人公を『恋は雨上がりのように』『糸』などの小松菜奈が演じ、恋人に『his』などの宮沢氷魚がふんする。監督は『アケラットーロヒンギャの祈り』『Malu 夢路』などのエドモンド・ヨウが務める」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「さつき(小松菜奈)と等(宮沢氷魚)は出会って間もなく交際に発展。さつきと等、等の弟の柊(佐藤緋美)とその恋人ゆみこ(中原ナナ)は四人で過ごす時間が増えていくが、等とゆみこが事故で亡くなってしまう。憔悴した二人は不思議な女性・麗(臼田あさ美)との出会いにより生きる気力を取り戻し、満月の夜の終わりに死者と会えるという"月影現象"に惹きつけられていく」

 この「ムーンライト・シャドウ」という映画、ネットでの評価が高くありません。というより低いです。たしかにグリーフケア映画ではあるのですが、グリーフケアの別名であるカタルシスを得にくいという複雑な作品になってしまっていました。主人公のさつきが恋人の等と死別して、満月の夜明けに再会するという原作を膨らませて、等の弟の柊(佐藤緋美)とその恋人ゆみこが登場人物に加わるのですが、柊が精神的に病んでいたり、ゆみこには出生のトラウマがあったりと、ちょっとテーマが拡がりすぎた感がありました。また、主演男優の宮沢氷魚には透明感のある美しさがあったのに比べて、主演女優の小松奈々があまり美しく描かれていなかったように思います。アメリカの映画情報サイト「TC Candler」が発表する「世界で最も美しい顔100人」に何度もランクインした彼女なのに、もったいないですね。でも、恋人の死の悲嘆を乗り越えたときに空腹をおぼえて食事をする彼女の表情は生命力に満ちていて、非常に魅力的でした。

 この映画の原作小説である「ムーンライト・シャドウ」は、吉本ばなな氏が1987年3月に日本大学芸術学部文芸学科の卒業制作として書いたもので、ベストセラーとなった『キッチン』に収録されています。日大芸術学部長賞および泉鏡花文学賞を受賞しました。同じ1987年には、日本文学史に残る大ベストセラーが誕生しています。村上春樹氏の『ノルウェィの森』です。同作は「死」がテーマですが、吉本氏の処女作である「ムーンライト・シャドウ」も、次に書かれた「キッチン」も、その続編の「満月」も、いずれも、「死」がテーマです。どの作品でも、主人公の身近な人間が死んでゆき、読者は「死」について考えさせられます。当時、わたしは、「死」をテーマにした小説が次々と記録的なベストセラーになった現象を社会の「ハート化」の表われの1つとして見ました。しかし、最も注目すべきことは、これらの作品には「月」がいずれも重要な場面で出てくることでした。
f:id:shins2m:20131014005812j:imageロマンティック・デス』(国書刊行会)



 80年代後半というバブル絶頂期にこそ、死や月こそが通奏低音であり、それが物質的価値観から精神的価値観(ハート化)への移行を示すものだったような気がしてなりません。1991年に刊行された拙著『ロマンティック・デス』(国書刊行会)には、『ノルウェイの森』や「ムーンライト・シャドウ」について考察しています。両作品とも、満月の光の下で死者の姿が浮かび上がるのですが、満月の夜は幽霊が見えやすいという話をよく聞きます。おそらく、満月の光は天然のホログラフィー現象を起こすのではないでしょうか。つまり、自然界に焼きつけられた残像や、目には見えないけれど存在している霊の姿を浮かび上がらせる力が、満月の光にはあるように思えます。

 南方熊楠といえば、日本の民俗学者、人類学者、植物学者として、特に粘菌の研究家として非常に優れた業績を残した「知の巨人」です。彼は20歳でアメリカへ渡って独学をしながら、生まれながらの天才的な記憶力によって広範な知識を身につけます。帰国後、熊野の那智に入り、そこで粘菌や植物の研究をはじめます。その時の不思議な体験を「履歴書」として原稿用紙にして150枚くらい書いていますが、その内容によると、熊楠は幽霊を何度も見たといいます。そこで、「幽霊が現わるるときは、見るものの身体の位置の如何に関せず、地平に垂直にあらわれ申し候」と書いています。熊楠はこの幽霊によって、ナギランなどの新しい植物種のありかをはじめ、さまざまなことを教えられている。しかし彼の最も重要な発見は、幽霊が現われる時は地平に90度の角度で現われるということでしょう。それに対して、幻は見る者の顔に平行して現われるといいます。このへんに、幽霊のホログラフィー性を強く感じてしまいます。

 また、オカルト研究の分野で有名だったイギリスの作家コリン・ウィルソンの『ミステリーズ』に紹介されているイギリスの民俗学者トム・レスブリッジのエピソードも興味深いです。ある日、レスブリッジは近くの丘に立っていた際に、ふと下方をのぞき込んだところ、少し離れた水車小屋の傍に1人の女性が佇んでいるのに気がつきました。奇妙なことにその女性が身につけていた衣服は40年ほど前の風俗でした。幽霊現象です。普通こういう場合、その女性が過去において、この土地に何らかの因縁を持っていたと考えるもので、ブリッジも当然そう考えました。ところがブリッジが調べたところ、当時、彼が見たような女性はその周辺に住んでいなかったことが判明したのです。

 不思議に思った彼は、さらにその一帯の調査を進めました。そしてその結果、レスブリッジはこの奇怪な幽霊の正体について次のような考えに至ったのです。かつて誰かが丘の上に立ってその女性を見たことがありました。その時に引き起こされた激しい情緒が水車小屋のある小川の磁場に刻印され、幽霊現象を発生させた、と。さらに彼は、この体験をきっかけとして研究を進め、超常現象が起きる空間には、大地のエネルギーによって特異な場が形成されているという結論を得ました。つまり、レスブリッジの理論によれば、大地のエネルギー流は空間にホログラフィーを発生させる作用を持つことになるのです。この理論が正しいとすると、心霊現象やUFOの目撃がしばしば特定の地点で多発する謎も説明がつきますね。

 わたしも、大地のエネルギー流は人間の感情や意識に影響を与えることはもちろん、過去の映像を記憶する作用をも持っていると思います。そして、その過去の映像は月光によって浮かびあがるのです。おそらく、南方熊楠が那智山中で幽霊を見たのも、レスブリッジが丘の上で奇妙な女性を見たのも、満月の夜だったのではないでしょうか。満月でなかったとしても、少なくとも月の出ている夜ではあったはずです。「ムーンライト・シャドウ」に登場する"月影現象"とは、満月の夜の終わりに死者と会えるという現象です。その条件として、必ず近くに川が流れている場所ということになっていますが、まさに、ホログラフィー発生のメカニズムによる現象ではないでしょうか。

 大ヒットしたデミ・ムーア主演の映画「ゴースト」(1990年)の日本版には「ニューヨークの幻」というサブタイトルがつけられていましたが、主人公の男性の霊は死んでからずっと自分の存在を生き残った恋人に知らせることができませんでした。しかし、霊媒を通じて自分の存在を知らせ、恋人の危機を救った夜、天上からまばゆい光が降り注ぎます。すると、彼の姿が映像化されて幻のように浮かび上がり、彼女と別れのくちづけをするのでした。そして彼はその天上の光の中に帰っていくという非常に感動的なラストシーンで、この映画は終わります。わたしは、その光は満月から来たものであり、彼の姿が浮かび上がった「ニューヨークの幻」とは、月光による天然のホログラフィー現象と同じ種類のものであると思いました。

「ムーンライト・シャドウ」においても、月が非常に重要な役割を果たします。さつきは、巫女のような魔女のような黒衣の謎の女性・麗(臼田あさ美)計らいで、死に別れた恋人の等と再会するべく、川に来ます。夜明け近くの橋の下には、月光が降り注いでいます。そこで、彼女はなつかしい恋人の姿と再会するのでした。麗によれば、100年に1回くらいの割合で、偶然が重なりあってああいうことが起きることがあるそうです。場所も時間も決まっていませんが、川のある場所でしか起こりません。人によっては、まったく見えません。死んだ人の残留した思念と、残されたものの悲しみがうまく反応した時に陽炎のように見えるのだといいます。死者の残留した思念と生者の悲しみがうまく反応するのは、月のせいでしょう。死者の思念に月光が降り注ぐ時、ホログラフィーが発生します。それは、ムーンライト・シャドウという「愛の奇跡」なのです。

 アメリカの神経学者カール・プリブラムや、イギリスの物理学者デイヴィッド・ボームは、この世界はホログラフィーのように、映し出された立体像の方にではなく、それを映し出した干渉板のフィルムの中にリアリティは巻き込まれているのではないかとの考えを打ち出しました。そして、その1つ1つの部分は全宇宙を宿していて、一即多、多即一、すなわち部分と全体は互いに他を含みあい、かつ空間にみられる巻き込みのように、時間も過去から未来にかけてのすべてがそこに巻き込まれているのではないかという世界のモデルを提出しています。
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唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)



 このホログラフィー理論は、全宇宙の記憶が刻まれているというアカーシック・レコードにも通じていますし、実在界と現象界という宗教的世界観とも共通しています。この世(現象界)のすべてのものは、あの世(実在界)から投影されている幻影にすぎないという考え方です。だとすれば、わたしたちもまた、ホログラフィーによって浮かび上がったヴィジュアライズされた霊、すなわち幽霊ということになります。わたしたち自身も幽霊なら、いたずらに霊を恐れずに、死者たちといかに理想的な関係を築いていくかを考えなければならりません。拙著『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)にも書きましたが、死者と生者の間に理想的な関係を築くこと、これこそ、「葬」の最大のテーマではないかと思いました。