No.523
9月17日から公開された日本映画「マスカレード・ナイト」をシネプレックス小倉で観ました。一条真也の映画館「マスカレード・ホテル」で紹介した映画の続編ですが、安定の面白さでした。ホテル業の本質について、いろいろと考えさせられました。そして、最近のわたしは何の映画を観てもグリーフケアの要素を見つけてしまうのですが、今回もやはりそうでした。連続殺人の犯人の目的は、なんと自身のグリーフケアだったのです!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「東野圭吾のミステリー小説シリーズを、木村拓哉と長澤まさみの共演で映画化した『マスカレード・ホテル』の続編。カウントダウン仮装パーティーが開催されるホテルを舞台に、招待客の中に紛れ込んだ殺人犯を逮捕すべく、破天荒な潜入捜査官と優秀なホテルマンが奮闘する。メガホンを取るのは前作に続き『HERO』シリーズなどの鈴木雅之。そのほか小日向文世、梶原善、石橋凌、渡部篤郎といった前作からのキャストをはじめ、中村アン、田中みな実、石黒賢、沢村一樹、勝村政信らが新たに出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「ある日、警察に匿名の密告状が届く。それはホテル・コルテシア東京で大みそかに開催されるカウントダウンパーティー"マスカレード・ナイト"に、数日前に起きた殺人事件の犯人が現れるというものだった。パーティー当日、捜査のため再びフロントクラークとしてホテルに潜入した刑事・新田浩介(木村拓哉)は、優秀なホテルマン・山岸尚美(長澤まさみ)の協力を得て任務に当たる。しかし、500人の招待客は全員仮装し顔を仮面で隠しており、二人は殺人犯の特定に苦戦する」
東野圭吾の小説『マスカレード』シリーズ第1弾を実写化したミステリー映画「マスカレード・ホテル」は2019年1月に公開されました。連続殺人事件の新たな現場になるとされたホテルを舞台に、エリート刑事とホテルの従業員が犯人を追うバディものです。現場に不可解な数字の羅列が残される殺人事件が3件発生。木村拓哉演じる警視庁捜査一課の刑事・新田浩介は、数字が次の犯行場所を予告していることを突き止め、ホテル・コルテシア東京で4件目の殺人が起きると断定します。しかし、犯人の手掛かりが一向につかめないことから、新田が同ホテルの従業員を装って潜入捜査を行います。長澤まさみ演じる優秀なフロントクラークの山岸尚美の指導を受けながら、宿泊客の素性を暴こうとする新田ですが、利用客の安全を第一に考える山岸は新田に不満を募らせるのでした。
前作に続いて、チャペルのシーンは冠婚葬祭互助会の日冠さんが経営する東京・亀戸の結婚式場アンフェリシオンで撮影されていました。木村拓哉、長澤まさみ、麻生久美子、日向井文世の4人がそのチャペルで重要な演技を見せるのですが、映画を観ていて、仲間の互助会の施設がスクリーンに映ると嬉しいものですね。主演の木村・長澤コンビ以外のキャストも豪華絢爛で、じつに多彩な顔ぶれでした。とにかく東京・日本橋にあるロイヤルパークホテルで撮影されたホテル・コルテシア東京の入口から日本映画界を代表する男女のスターが次々に入ってきます。
もともと映画には「グランドホテル形式」という専門用語が存在するように、ホテルとか客船とかいった不特定多数の人々が集う施設は群像劇の舞台に向いています。今回も、キムタクのホテルマン役は本当によく似合っていました。やはり、彼は一流の俳優だと思いました。なによりハンサムです。あと、痩せていてスタイルが良い。総支配人役の石橋凌をはじめ、鶴見辰吾、石黒賢といったホテルマンを演じた俳優陣がみんな全盛期よりもかなりふくよかになっているのに比べ、さすがはキムタクです。彼以外では、渡部篤郎と沢村一樹も細かったですね。きっと彼らは想像を絶するような節制をしているのでしょうね。俺も、もう少し頑張らないと!(笑)
ただ、スタイルが良いのは結構なことなのですが、キムタクは痩せすぎのようにも感じました。郷ひろみ、田原俊彦といったジャニーズ事務所出身の先輩たち同様に永遠のアイドル体型なのはいいですが、これから演じる役の幅を広げていく上では、貫禄のある人物を演じるために体重増が求められる時も来るかもしれません。あと、キムタクのメイクが濃すぎるように思えましたね。もう1人の主演である長澤まさみも相変わらずの美貌で、2人が並んで立つ姿はまさに「美男美女」......そう、映画という夢にとって何より必要なのは美男美女であることを再確認しました。長澤まさみ以外では、映画の冒頭シーンでキムタクとアルゼンチン・タンゴを踊る中村アンが魅力的でした。
「マスカレード」シリーズのテーマは、キムタク演じる新田浩介の職業である刑事、長澤まさみ演じる山岸尚美の職業であるホテルマンという、2つの職業のミッションの衝突です。刑事は宿泊客を疑い、犯人を逮捕すべく動きます。一方、ホテルマンは宿泊客を信じ、彼らに幸福な時間を過ごしてもらうために行動します。ホテルの宿泊客には不倫をはじめとして、さまざまな「秘密」があります。刑事はその秘密を暴こうとし、ホテルマンは秘密を決して暴かず、お客様のプライバシーを尊重します。それでは、刑事とホテルマンの仕事は水と油で、彼らのミッションは決して相容れないのか? 映画を観る限り、一見そうです。長髪の新田刑事がホテルの従業員用の理髪店で髪を切ってもらうシーンに始まって、とにかくホテルの中の刑事は異次元の世界に迷い込んだようにも見えます。
9月17日の朝、松柏園ホテルで話しました
しかし、わたしは「マスカレード・ナイト」を観ているうちに、刑事とホテルマンという2つの職業に橋を架ける魔法のキーワードを発見してしまいました。それは「ケア」です。ブログ「持続可能な志を!」でも紹介したように、この映画を観た朝、わたしは松柏園ホテルで、 サンレーグループの課長以上の社員を前に「サービスからケアへ」という話をしました。そして、「ケアとは人間尊重そのものである!」と言いました。ホテル業というのはサービス業の代表とも見られていますが、わたしは、縦の関係(上下関係)である「サービス」から横の関係(対等な関係)である「ケア」への転換というものを考えています。学生のアルバイトに代表されるようにサービス業はカネのためにできますが、医療や介護に代表されるようにケア業はカネのためにはできません。
「サービスからケアへ」について語りました
無縁社会に加えてコロナ禍の中にある日本において、あらゆる人々の間に悲嘆が広まりつつあり、それに対応するグリーフケアの普及は喫緊の課題です。葬祭業は、サービス業というよりもケア業です。他者に与える精神的満足も、自らが得る精神的満足も大きいものであり、いわば「心のエッセンシャルワーク」あるいは「ハートフル・エッセンシャルワーク」と呼ばれるでしょう。これは葬祭業に限らず、ブライダル・ビジネスでも同様です。これからの冠婚業は新郎新婦をはじめ、祝われる方々のさまざまなケアを心掛けなければいけません。もちろん、ホテルの宿泊者に対する行為はケアそのものです。「ケア」に似た言葉に「ホスピタリティ」がありますが、ケア施設の代表ともいえるホスピタル(病院)も、ホテルも、ともに「親切なもてなし」を意味するホスピタリティを語源とします。
「お客様は神様です」というのは三波春夫の名セリフでしたが、今でもホテルを中心としたサービス業にはその考え方が生きています。しかし、それではサービスを提供する側が自分を殺して、燃え尽きてしまう。ホテル・コルテシア東京には、さまざまな顧客が訪れます。そして、彼らはコンシェルジェである尚美にさまざまな要望あるいは要求を突きつけます。冒頭に登場する田中みな美が演じる女性客の要望は「ホテルの部屋にいる間は一切、人の顔を見たくない」というものでした。また、沢村一樹演じる男性客の要望は「プロポーズをする相手とレストランで2人きりにして、バラの花道を作ってほしい」というものでした。プロポーズ相手に振られた彼は、さらに「マスカレード・ナイトの仮面舞踏会でのダンス・パートナーを紹介してほしい」などという無茶な要求までしてきます。
それに対して、尚美は「ホテルマンには『無理です』という言葉は禁句」という考えで必死に対応するのですが、それには限界があります。サービス業として「神様」であるお客様の要求に応じ続けるのは、ホテルマンのバーンアウト(燃え尽き)を招いてしまうのです。それが「サービス」という上下関係ではなく、医師と患者、ケアワーカーと要介護者といった「ケア」の関係ならば、バーンアウトに陥らないより良き道が見つけられるのではないでしょうか。ネタバレになるので詳しいことは言えませんが、この映画には、双子の妹を自死によって失い、心に大きな悲嘆を抱えている女性宿泊者も登場します。彼女に対して、ホテル側は見事なグリーフケア的対応をします。さまざまなコンプレックスやストレスやグリーフを抱えている宿泊客をもてなすホテル業とはまさに「ケア業」なのです。
そして、意外や、刑事という職業もケア業であると思います。取調室で机を蹴飛ばしたり、容疑者の髪を引っ張って威嚇するシーンなどはよく映画やドラマで見たものですが、もちろん現在ではそんなことは許されません。それよりも、さまざまなコンプレックスやストレスやグリーフを抱えている容疑者にケア的対応をした方が自白を誘導するという目的を果たしやすくなるのではないでしょうか。わたしは、けっして突拍子もないことを言っているわけではありません。暴力的な刑事より、容疑者の苦悩や悲嘆に寄り添った取調べをする刑事の方が優秀であるというのは明白な事実です。そして、刑事の最大のミッションというのは、「いのち」を守ること。思えば、数多くのストーカー殺人事件などでも、犠牲者たちが最寄りの警察署に相談したとき、「何か具体的な被害に遭ったら、また来て下さい」などと突き放さずに、担当の警察官たちがケア的対応をしていれば、悲劇は防げたのではないでしょうか。
刑事の仕事も「ケア」が求められるのであり、その意味ではホテル業と同じです。というよりも、すべての人間を相手にする仕事はケア業になりえます。何よりも重要なことは、「ケア」とは他人を尊重し、他人のために尽くす営みであり、「差別」や「いじめ」や「ハラスメント」などの対極にあるということです。いくらカネを稼いでいるビジネスマンや膨大な再生回数を誇るYouTuberであっても歪んだ万能感を抱き、差別・いじめ・ハラスメントを肯定する者など人間のクズです。彼らの仕事はハートレスなブルシット・ジョブであると言えるでしょう。反対にハートフル・エッセンシャルワーカーとしてのケア業に従事する人々は「人間尊重」の精神に基づいています。というわけで、映画「マスカレード・ナイト」を観終わって、わたしは、「ケア業が世界を救う」という最近の持論が正しいことを再確認したのであります。