No.383
日本映画「マスカレード・ホテル」を観ました。一条真也の読書館『マスカレード・ホテル』で紹介した小説を映画化したものです。原作は、当代一のベストセラー作家である著者の作家生活25周年記念作品です。予想以上に良く出来たホテル映画でした。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「東野圭吾の小説『マスカレード』シリーズ第1弾『マスカレード・ホテル』を実写化したミステリー。連続殺人事件の新たな現場になるとされたホテルを舞台に、エリート刑事とホテルの従業員が犯人を追う。主演は『HERO』シリーズや『武士の一分』などの木村拓哉、バディ役は『散歩する侵略者』などの長澤まさみ。『HERO』シリーズで木村と組んだ鈴木雅之がメガホンを取る」
ヤフー映画の「あらすじ」は次の通りです。
「現場に不可解な数字の羅列が残される殺人事件が3件発生する。警視庁捜査一課の刑事・新田浩介(木村拓哉)は、数字が次の犯行場所を予告していることを突き止め、ホテル・コルテシア東京で4件目の殺人が起きると断定する。だが、犯人の手掛かりが一向につかめないことから、新田が同ホテルの従業員を装って潜入捜査を行う。優秀なフロントクラークの山岸尚美(長澤まさみ)の指導を受けながら、宿泊客の素性を暴こうとする新田。利用客の安全を第一に考える山岸は、新田に不満を募らせ......」
公開前、この映画のネットでの評価は最低でした。
しかし、公開されるや大ヒットを飛ばし、評価もうなぎ登りに上昇しています。わたしはチャチャタウン小倉内の「シネプレックス小倉」で鑑賞したのですが、10館あるうちの2番目に大きいシアターが満員でした。公開前の低評価は、おそらく主演の木村拓哉が原因でしょう。SMAPが解散して3年目を迎えましたが、キムタクはいまだ裏切り者扱いされ、ネット上ではバッシングの対象になっているようです。でも、そんなネット民たちを、キムタクは圧巻の演技で蹴散らしました。
キムタクのホテルマン役は本当によく似合っていました。一条真也の映画館「検察側の罪人」で紹介した映画以来の主演ですが、やはり彼は一流の俳優だと思いました。なによりハンサムです。もう1人の主演である長澤まさみも良かった。さすがは天下の東宝の看板女優だけあって、美貌も演技力もピカイチです。これまで石川恋もカワイイと思っていましたが、長澤まさみと並ぶとオーラの違いが一目瞭然。ホテルのフロントにキムタクと長澤まさみが並んで立つ姿はまさに「美男美女」......そう、映画という夢にとって何より必要なのは美男美女であることを再確認しました。
主演の2人以外のキャストも豪華絢爛で、多彩な顔ぶれでした。もともと映画に「グランドホテル形式」という専門用語が存在するように、ホテルとか客船とかいった不特定多数の人々が集う施設は群像劇の舞台に向いています。「マスカレード・ホテル」の出演者の中には、わたしの好きな松たか子も出ていました。一条真也の映画館「来る」で紹介した映画では彼女の怪演ぶりが印象的でしたが、今回の「マスカレード・ホテル」でも堂々たる怪演を見せてくれました。かつての名作ドラマ「ラブ・ジェネレーション」ではキムタクと松たか子が共演しましたが、今回の二人の絡みはあまりにも強烈で面白かったです。他にも、新婚夫婦である勝地涼と前田敦子の絡みも強烈で笑ってしまいました。ネタバレになるので詳しくは言えませんが。
この映画、東京・日本橋の水天宮にあるロイヤルパークホテルで撮影されました。ただし、キムタクと日向井文世が密談するチャペルのシーンだけは、わが全互連の仲間である日冠さんの結婚式場「アンフェリシオン」で撮影されました。ブログ「全互連新年行事」やブログ「全互協新年行事」で紹介した業界の行事が開催された今月22日・23日に同施設を連日訪問しましたが、そのとき1階のエレベーター前に「マスカレード・ホテル」のポスターが飾られていたので、「もしや?」と思って日冠の小泉社長に質問したところ、ロケ地であることが判明した次第です。それにしても、これだけの大作のロケ地になるなんて凄いですね。
さて、この映画の原作は、わたしも単行本の発売直後に読みました。「ダンディ・ミドル」ことゼンリン・プリンテックスの大迫益男会長から「ホテルのことをよく描いているから、読むといいよ」と薦められたからです。東野圭吾の本は読んだことがありません。もちろん当代一のベストセラー作家であることは知っていますが、なにしろ作品の数が膨大なので、いったん手をつけたら大変だという思いがありました。それに、東野圭吾は「ミステリー」の作家なので、「ホラー」や「ファンタジー」を好むわたしの関心外だったのです。しかし、それまで大の読書家である大迫会長から薦められた本にはどれもハズレがなかったので、迷わず同書を購入し、一気に読みました。
この物語には、東京都内で起きた不可解な連続殺人事件が描かれています。3つの現場に残されたメッセージを解読すると、次の犯行現場として、超一流ホテルの「コルテシア東京」が浮かび上がってきました。殺人を阻止するため、警察は潜入捜査を開始します。ここで登場するのが、「東野作品史上、最高にカッコイイ」とされるニューヒーローの新田浩介です。警視庁のエリート刑事なのですが、彼が加賀恭一郎(加賀シリーズ)、湯川学(ガリレオシリーズ)に続く「第三の男」だというのです。新田浩介はホテルマンに扮して、第4の殺人の発生を防ぐためにコルテシア東京のフロントで働く才媛・山岸尚美とコンビを組みます。本書のダブル・キャストともいえる2人は、最初はいがみ合いつつも互いに認め合っていくのでした。
ネタバレになってしまいますので、ストーリーを詳しく書くことは遠慮します。しかし、冒頭の1ページ目からいきなり物語の世界に没入させる著者の筆力は「さすが!」だと思いました。その後も、ぐんぐん引き込まれ、最後まで一気に読めました。文章もとても読みやすく、これなら中学生でも楽しめるでしょう。ただ、ネットを使ったトリックの説明が少々わかりにくかったです。それと、ラストが急展開すぎて、ちょっとバタバタした印象を受けました。この物語の魅力は、トリックよりも人間の心理を見事に描いているところでしょう。ホテルを舞台としているだけあって、ホテルのカスタマーサービスのあり方、クレーマー対応の事例が描かれています。
石ノ森章太郎の『ホテル』を連想しましたが、『マスカレード・ホテル』の事例のほうがより現代的で、実務の参考にもなります。ちなみに小説舞台となったホテルのモデルは、映画のロケ地でもあるロイヤルパークホテルだとか......。中には、「これは、ちょっと」という非現実的な設定もありました。しかし、フロントに配属された新田刑事が、ホテルマンとして成長していく過程などは、そのまま新人ホテルマンの研修に使えます。わたしはミステリーのことはよくわかりませんが、「ホテル小説」としては第一級の部類に入るのではないでしょうか。次の新田と尚美の会話が「ホテル小説」としての本書の核心であり、タイトルの説明にもなっています。
「でも改めて思いますが、ホテルというところは本当にいろいろな人間が来るものですね。誰もが腹に一物あるように感じられます」
彼の言葉に尚美は頬を緩めた。
「昔、先輩からこんなふうに教わりました。ホテルに来る人々は、お客様という仮面を被っている、そのことを絶対に忘れてはならない、と」
「ははあ、仮面ですか」
「ホテルマンはお客様の素顔を想像しつつも、その仮面を尊重しなければなりません。決して、剥がそうと思ってはなりません。ある意味お客様は、仮面舞踏会を楽しむためにホテルに来ておられるのですから」
(『マスカレード・ホテル』単行本p.367)
『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)
それにしても、ホテルという非日常空間はまさに夢の世界です。この映画に登場するホテルマンたちは、利用客がホテルを出ていくとき、必ず「お気をつけて行ってらっしゃいませ」といいます。それはホテル内では完璧な安全を保障し、自分たちもあらゆるフォローをするけれども、一歩でもホテルの外に出てしまえば自分たちは無力であり、お客様の無事を祈ることしかできないという想いが込められています。そう、ホテルとは一種のユートピアなのです。拙著『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)では、「ユートピアのモデル」として、ホテルの存在を挙げました。ホテルこそは、最も確実にユートピアあるいは未来都市に進化しうる都市施設だからです。
一流のホテルにはCSCS(クリーン、セーフティ、コミュニケーション、スピーディ)が満たされています。ホテルとは清潔であり、安全であり、人とのふれあいがあり、サービスがスピーディに行われる場所です。また、ホテルの中にはありとあらゆる楽しみが詰まっています。おいしい料理や酒があり、様々な高級店があり、楽しいイベントやエンターテインメントがあります。何より暖かりベッドとアメニティの高い空間がある。そんな理想郷としてのホテルを拡張させた都市、それこそ未来のユートピアなのかもしれません。
また、ホテルは極端なプライバシーと極端なパブリック性が共存する場所です。環境デザイナーの泉眞也氏によると、それは情報化社会における個人と公共の関係に非常によく似ているといいます。誰もが自由に大量の情報が得られる社会では、反面、情報に対する公私の別を厳密にもたないと、プライバシーや企業機密、国家機密などの保持が難しくなります。たとえドアの鍵1つ、壁1枚といえども、それは厳然と公私のテリトリーを峻別する存在であり、また、互いの利益を保証する存在でなければなりません。消費原則においてもホテルは未来的です。ホテルの客室には料金に格差がつけられていますが、それは主として部屋の広さによっています。もちろん設備や調度品、それに部屋からの眺望などの差が多少はありますが、広い空間の使用に対してより多額の費用を要求するのが原則です。すでに現在でもそうですが、空間についてのこのような消費原則は、未来の都市生活においてはより強調されて現れるでしょう。
『ハートフル・カンパニー』(三五館)
拙著『ハートフル・カンパニー』(三五館)所収の「ホテルと百貨店は資本主義の華」にも書きましたが、イエス生誕時のエピソードにも登場するように、旅人を泊める宿屋は古代から存在しました。中世から近世初期にかけて宿屋のことをイギリスではインやタヴァン、フランスではオーベルジュ、オランダではハーバーグと呼んでおり、ホテルという言葉はまだ使われていませんでした。やがて18世紀も後半に入ると、都市の大旅館は「ホテル」と呼ばれるようになりました。その頃まだ細々と生きながらえていた、客室20~30室程度の小規模旅館(イン)と区別するために、大旅館だけに使われたのがそもそもの始まりでした。
もともとは「旅人や客を温かくもてなす」という意味のフランス語を語源とし、「客を温かくもてなすための大きな建物」という発想から、収容能力の大きい大型旅館に使われ始めたとみるのが妥当でしょう。ついでながら付け加えておくと、料理店をさす「レストラン」という言葉も、フランス語で「元気を回復させる」という意味で、これも18世紀の末ごろ、パリで使われ始めたのが世界に広がるきっかけであったと言われます。なるほど、食事をすれば人は元気を回復することになるわけですから、この言葉もなかなか言い得て妙ですね。「何度も帰るところ」を意味するフランス語から派生した「リゾート」も同様です。
現在のようにホテルが社交場として気軽に利用されるようになったのは比較的最近のことです。庶民にとって敷居の高かったホテルが広く利用されるようになった原因は色々とありますが、まず真っ先にあげられるのがモータリゼーションの進展、航空機のジェット化と新幹線の登場、さらにはジャンボ機の就航など、一口に「交通革命」と呼ばれる現象です。交通革命のおかげで、外国からの観光客が急増したばかりでなく、日本人の国内旅行も飛躍的に増え、それがホテルへの需要を大きく喚起する結果となったのです。
その他にも見逃すことのできない原因があります。そもそも日本のホテルが急速に発達し始めたのは東京オリンピック直後の昭和40年代ですが、この時期は日本人の生活意識に微妙な変化が見られた時代でした。高度成長に支えられた昭和元禄の風潮のなかで、日本人の海外旅行熱は徐々に高まり、外国に旅行した日本人が国内に帰ってからもホテルを身近なものと考えるようになったからです。それが一般の日本人をも巻き込んで、ホテルという公共的な施設を誰にでも親しまれる存在にしたと言ってよいでしょう。
ホテルも高度成長に対応して、それまでの宿泊施設一本やりの方針から脱皮して、結婚式をはじめ祝賀会、各種パーティーといった社交の機能を重視するようになり、和・洋・中華の料飲提供はもとより、バー、パブ、イタリアン・レストランなどのテーマ別の飲食施設を工夫したり、アスレチッククラブ、プールなどのスポーツ施設を設けたり、神殿やチャペル、衣装、美容、写真などのブライダル施設、ファッションを中心とする出店をアーケードに設けたりして、新しい顧客の掘り起こしに努めるようになりました。いわゆる、総合シティホテルの誕生です。こうしたホテル側の努力が顧客のニーズとうまくマッチして、ホテルへの需要が爆発的に換気される結果となったのです。
NEW 松柏園ホテルの外観
とはいえ、一般にホテル経営は非常に難しいとされています。わが社かつてはホテル経営で苦しんだ時期がありましたが、わたしの生誕の地であり、わが社の創業の地に建つ松柏園ホテルは婚礼に特化して成功を収め、今また新館「ヴィラルーチェ」が絶好調で大きな話題を呼んでいます。まさに総合シティホテルであった松柏園グランドホテルも高齢者にターゲットを絞ったサンレーグランドホテルとして生まれ変わり、これまた大成功。本当に、みなさんの努力に支えられてすべてが良い方向へと向かっており、わたしほど幸運かつ幸福な経営者はいないと心の底から感謝しております。
『ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)
さて、「マスカレード・ホテル」には、さまざまなクレーマーの姿が描かれています。拙著『ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)所収の「感情労働のプロとして怒りをどう扱うべきか?」にも書きましたが、現代は、モノを生産したり加工したりする仕事よりも、人間を相手にする仕事をする人、すなわち「感情労働者」が多くなってきました。感情労働とは、肉体労働、知識労働に続く「第三の労働形態」とも呼ばれます。「感情社会学」という新しい分野を切り開いたアメリカの社会学者アーリー・ホックシールドは、乗客に微笑む旅客機のキャビンアテンダントや債務者の恐怖を煽る集金人などに丹念なインタビューを行い、彼らを感情労働者としてとらえました。ホックシールドは言います。マルクスが『資本論』の中に書いたような19世紀の工場労働者は「肉体」を酷使されたが、対人サービス労働に従事する今日の労働者は「心」を酷使されている、と。
現代とは感情が商品化された時代であり、労働者、特に対人サービスの労働者は、客に何ほどか「心」を売らなければならず、したがって感情管理はより深いレベル、つまり感情自体の管理、深層演技に踏み込まざるをえない。それは人の自我を蝕み、傷つけるというのです。冠婚葬祭業にしろホテル業にしろ、確かに気を遣い、感情を駆使する仕事です。お客様は、わたしたちを完全な善意のサービスマンとして見ておられます。もちろん、わたしたちもそのように在るべきですが、なかなか善意の人であり続けるのは疲れることです。みなさんは、感情労働のプロとして、ホスピタリティを提供しているのです。
よく、高齢者の介護施設などで働く人々が高齢者を虐待した、などという事件が起きます。報道によれば、容疑者は普段は優秀な介護者で、評判も高いようです。もちろん彼らの行為はけっして許されませんが、やはり、善意の人であり続けるのは大変なことのようです。接客業で一番辛いのは、お客様の理不尽な態度に接する時ではないでしょうか。中にはクレーマーと呼ばれる人もいますが、サービスを提供する人間に罵声を浴びせ、人間性を否定するような暴言を吐く者もいます。それでも相手はお客様ですから、怒ってはならない。我慢しなければならない。 怒りをこらえるというのは、本当に辛いですね。わたしも相当に気の短い人間なので、気持ちは良く理解できます。でも、わたしは怒りっぽい自分の性格を恥じてもいます。
これも『ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)所収の「苦情は最高の贈り物 されど、クレーマーには要注意!」にも書きましたが、いま、日本で一番権力を持っているのは誰かというと、明らかに消費者でしょう。その消費者の中でも無視できないのが「苦情を言う人」、すなわち「クレーマー」の存在です。「クレーマー」とは、企業・医院・学校・行政その他において、必要でない顧客を指すようです。もちろん、どんな顧客でも、意見の中には提案としてありがたくいただくものや、企業や行政などの戒めとなるものがあります。わたしも毎日のようにお客様アンケートを読んでいますが、グッドコメントにせよバッドコメントにせよ、謙虚にありがたく受け止めています。
しかし、まさに快楽として「困らせよう」としている人、大きく常識を逸脱し、度を超えて意見をする人、詐欺行為に近い行動で金品を求める人なども存在します。こういった人々がクレーマーなのです。彼らには、徹底した対抗が必要になります。サービス業において「テロリスト客」とも呼べる危険な顧客が存在することも事実です。ベストセラーになった『となりのクレーマー』の著者である苦情・クレーム対応アドバイザーの関根眞一氏によれば、サービス・マネジメントの世界では次の3つの場合は、顧客をクビにすべきであるという考え方が定説となっているそうです。すなわち、1、経済的損失。2、従業員に対する心理的な損失が大きすぎるとき。3、企業が大切にしている価値観が侵害されるとき、です。
最初の経済的損失というのは難しい部分がありますが、2番目と3番目は大賛成です。従業員のプライドを打ち砕き、意欲をそぐような悪質なお客は、もっとサービスしがいのあるお客様へのエネルギーを奪ってしまいます。また、暴力やセクハラや暴言などの反道徳的行為がある場合はもちろん、「人間尊重」という当社の大ミッションを冒涜する人、例えば差別主義者などの場合は、お引取り願っております。 お客様をクビにするにはあらゆる手段を尽くした後にすることは当然です。でも、社員のみなさんには、この世には金よりも大切な「誇り」というものがあることを忘れないでいただきたいです。
わたしは社長として、社員のみなさんの人間としての尊厳を絶対に守りたいと思っています。当社のミッションである「人間尊重」はお客様だけではなく、社員のみなさんにも向けられているのです。それでも、わが社の松柏園ホテルのスタッフたちは、どんな嫌なことがあっても、いつも笑顔を絶やさずにいます。そんな彼らを短気で怒りっぽいわたしは、ひそかに尊敬しているのです。
最後に、27日に同ホテルでお母様の「古希の祝い」を開かれたお客様がいるのですが、大変喜んで下さり、「松柏園ホテルを選んで良かったです」「松柏園のお・も・て・な・しはとても素晴らしかった」という内容のLINEを送って下さいました。こんなに嬉しいことはありません。「マスカレード・ホテル」を観た夜に、わたしはホテル業の素晴らしさを再確認したのでした。