No.382
KBCシネマで「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」のレイトショーを観ました。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「圧倒的な歌唱力で世界を魅了したミュージシャン、ホイットニー・ヒューストンに迫るドキュメンタリー。48歳という若さで不慮の死を遂げた彼女の真の姿を、貴重な映像や音源、関係者の証言からひもとく。監督は『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』で第72回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したケヴィン・マクドナルド。家族、元夫のボビー・ブラウンや『ボディガード』で彼女と共演したケヴィン・コスナーらが出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「アメリカのポップスシーンに輝く歌姫、ホイットニー・ヒューストン。驚異的な歌唱力で世界的な人気を誇り、出演した『ボディガード』は全世界で4億ドルを超えるヒットを記録した。しかし、薬物問題や複雑な家庭事情がメディアで取り上げられるようになり、やがて48歳でこの世を去ってしまう。陽気なイメージの裏にあった素顔に迫る」
なぜ、この映画を博多で観たかというと、北九州では上映されていないからです。昨年からこの映画を観たいと思っていたのですが、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生からのメールに「1月4日に『ホイットニー』のを観ました。最後はドラッグ中毒だったんですね。声も出ていなくて悲惨でしたが、その生涯はブラッドリー・クーパー同様、問いかけるものがあります」とのメールが届きました。ブラッドリー・クーパーとは、一条真也の映画館「アリー/スター誕生」で紹介した映画の監督で、同作に出演もしたミュージシャンです。映画「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」は、まさにリアルなスターの誕生劇であり、同時に転落劇でもありました。
わたしは、ホイットニー・ヒューストンと同じ年に生まれました。彼女がいかに偉大な歌手であるかは、あえて説明するまでもないかとは思いますが、映画公式HPの「BIOGRAPHY」には、こう書かれています。
「1963年8月9日、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。有名なゴスペル・グループ、スイート・インスピレイションズのメンバーであるシシー・ヒューストンを母に、ディオンヌ・ワーウィックを従姉妹に持つ。幼い頃よりシシーにスターになるべく育てられ、11歳の時にニューアークのニューホープ・バプテスト教会でゴスペルを歌い、聴衆を驚嘆させる。母シシーがコンサートツアーに出ている間は親戚の家に預けられた」
続いて、公式HPの「BIOGRAPHY」には以下のように書かれています。
「その後、父ジョンに連れられて一家はイースト・オレンジ郊外の中流住宅地に移り住むが、やがて両親は離婚。ホイットニーは家を出て、ニューヨークでモデルを始める。83年頃からスタジオ・セッション・シンガーとして頭角を現し、アリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィスに見出され、85年2月に『そよ風の贈りもの』でデビュー。『すべてをあなたに』『グレイスト・ラブ・オブ・オール』『すてきなSomebody』などが大ヒットを記録し、7曲連続全米ナンバーワンの記録を打ち立てる」
さらに、公式HPの「BIOGRAPHY」には以下のように書かれています。
「92年7月、ボビー・ブラウンと結婚。翌年3月には長女ボビー・クリスティーナ・ブラウンを出産。92年『ボディガード』にケヴィン・コスナーと共に主演、女優デビューとともに映画は世界的大ヒットを記録。主題歌『オールウェイズ・ラヴ・ユー』は音楽史上最高の売り上げを記録したシングルの一つである。95年には『ため息つかせて』に出演、96年には『天使の贈り物』でデンゼル・ワシントンと共演する。
2012年2月12日、薬物摂取の器具に囲まれたビバリーヒルズホテルの浴槽で不慮の死を遂げた。グラミー賞には8度輝き、生涯でリリースしたアルバム7枚、サウンドトラックアルバム2枚は全世界で計2億枚以上を売り上げ、まさに80年代~90年代を代表する世界的女性シンガーである」
わたしは彼女と同年齢ということもあり、ホイットニーの音楽をリアルタイムで聴いてきました。最初に彼女の存在を知ったのは、1977年のモハメド・アリの伝記映画『アリ/ザ・グレーテスト』の主題歌でジョージ・ベンソンが歌った「グレーテスト・ラブ・オブ・オール」のカバー曲でした。もう、この世にこんな美しい歌声が存在するのかと思って陶然としました。その後も「ユー・ギヴ・グッド・ラヴ(そよ風の贈りもの)」、「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー(すべてをあなたに)」、「ハウ・ウィル・アイ・ノウ(恋は手さぐり)、そして「オール・アット・ワンス」などを聴くたびに全身が雷で打たれたように感動!
それにしても、デビューと同時にいきなり全盛期を迎えたホイットニーの輝きには目を見張ります。85年にリリースした「そよ風の贈りもの」で爆発的人気を獲得し、2作目のシングル「すべてをあなたに」から7曲連続で全米シングルチャート1位の記録を打ち立てました。この記録はビートルズの6曲連続を超える新記録であり、いまだに破られていないそうです。87年の2枚目のアルバム「ホイットニーII~すてきなSomebody」は、日本のオリコン洋楽アルバムチャートでも87年6月15日付から通算11週1位を獲得しました。
91年には、第25回スーパーボウルで試合前に米国国歌を斉唱しました。この斉唱は史上最高の国歌斉唱と絶賛され、後にシングルとしても発売されています。また、その年後にアメリカ同時多発テロ事件のチャリティとして再リリースされ、ヒットしています。米国国歌に対して、多くの黒人は複雑な思いを抱いているといいます。米国国歌とは戦争の歌であり、米国民の主流をなす白人の敵意はソ連やベトナムやイラクといった敵国だけでなく、マイノリティである黒人にも向けられているからです。その米国国歌を見事に歌い上げたホイットニーは、子どもの頃、色が薄い黒人として、色の濃い黒人たちから差別を受けていたといいます。
また、この映画で初めて知ったのですが、94年には南アフリカでアパルトヘイトが廃止されて最初にコンサートを開いた歌手がホイットニーだったそうです。そのとき歌ったナンバーはどれも素晴らしいものでしたが、映画でも流れた「オールウェイズ・ラヴ・ユー」の歌唱は、いま聴いても感動的で泣けてきます。彼女の圧倒的な存在感は、性別、国境、世代、そして人種までをも超えて、同時代を生きた人々に大きな活力を与えたのです。まさに彼女の歌は、人類にとっての「こころの世界遺産」であったと思います。
そんな神から天使の歌声を与えられたホイットニーがなぜ、転落していったのか。なぜ、麻薬に溺れたのか。わたしは、ずっと、「それは、きっと、彼女があまりにも早く栄光をつかんでしまったからだ」と思っていました。わたしは人生には「慣性の法則」というものが働いており、高く上がったものはそれだけ低く沈むのではないかと考えています。ホイットニーの人生は、ちょうどその法則に当てはまるような気がしていました。しかし、この映画を観て、彼女は誰にも知らない心の闇を抱えていたことを知りました。幼少期に体験した不幸な出来事から生まれた心の闇は、彼女をドラッグへと走らせたように思えてなりません。
「悲劇の歌姫」と呼ばれた歌手は、ホイットニーだけではありません。アジアの歌姫」と呼ばれたテレサ・テンもそうですし、「日本の歌姫」と呼ばれた美空ひばりもそうです。彼女たちは早くこの世を去りましたが、彼女のたちの歌声は人々の心に永遠に残っています。
「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」は、ホイットニー・ヒューストン財団の初公認作品だそうです。「ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実」などを手掛けたアカデミー賞受賞監督ケヴィン・マクドナルドがメガホンを取りました。マクドナルドは、膨大な映像記録を丹念にリサーチを敢行しました。初公開となるホームビデオや貴重なアーカイブ映像、未発表音源とともに、家族、友人、仕事仲間などの証言を紡ぎ合わせ、ホイットニーの真の姿を浮き彫りにしています。
「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」を観て、一条真也の映画館「ボヘミアン・ラプソディ」で紹介した大ヒット作と比較する人は多いと思います。しかし、両作品は基本的に異なる映画だと言えます。クイーンとフレディ・マーキュリーの物語である「ボヘミアン・ラプソディ」はあくまでも「実話に基づく」映画ですが、「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」は完全な実話、つまりドキュメンタリーだからです。この映画はホイットニーの実際のライヴ映像やミュージックビデオなども登場するにしろ、ほぼインタビューだけで2時間を構成しています。しかし、まったく退屈しません。
「ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~」は傑作ドキュメンタリーですが、わたしには観たいドキュメンタリー作品があります。それは、アメリカのケーブルテレビチャンネルのHBOが2018年4月10日(現地時間)に放送した86分間のドキュメンタリー作品「アンドレ・ザ・ジャイアント」です。
プロレス界が誇る「世界の大巨人」が亡くなってから早や25年、「世界第8の不思議」とまで呼ばれた伝説のプロレスラーの生涯を描いた意欲作です。ハルク・ホーガン、アーノルド・シュワルツェネッガーをはじめ、多くの人々のインタビューと実際の本人映像で構成されているそうですが、ぜひ観たいです!