No.568


 イラン・フランス合作映画「白い牛のバラッド」をTOHOシネマズシャンテで観ました。コロナ禍にもかかわらず、映画館がほぼ満席だったことに驚きました。映画は人間の深い悲嘆を描いた大傑作でした。今年の一条賞の大賞候補作です!

 ヤフー映画の「解説」には、「イランの法制度を背景に描く社会派サスペンス。夫を冤罪で失った妻と幼い娘の前にある男性が現れる。共同で監督を手掛けるのは、マリヤム・モガッダムとベタシュ・サナイハ。主演も担当するモガッダムのほか、アリレザ・サニ・ファル、プーリア・ラヒミ・サムらが出演する。第71回ベルリン国際映画祭コンペティション部門に出品された」と書かれています。

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「シングルマザーのミナ(マリヤム・モガッダム)は、テヘランの牛乳工場で働きながら聴覚障害のある娘ビタを育てている。ある日、裁判所に呼び出された彼女は、1年前に殺人罪で処刑された夫のババクが無実だったと告げられショックを受ける。裁判所に通い、死刑宣告をした担当判事に謝罪を求める中、ミナは夫の友人だと名乗る男性レザ(アリレザ・サニ・ファル)の訪問を受ける」

 この映画には、非常に深い悲嘆が描かれています。しかしながら、グリーフケア映画ではありません。物語が進むうちに登場人物たちの悲嘆はより深くなり、より大きくなるという救いのないグリーフフル映画でした。夫を冤罪で処刑された未亡人ミナの前に現れた謎の男レザは、この世の悲しみをすべて抱えている表情をしていました。そのミナは夫を身実の罪で処刑されたのみならず、一人娘は耳が聞こえなず、口がきけません。障害を持つ娘を連れて牛乳工場で働いていますが、住んでいる家も追い出され、この世の不幸を1人で背負っているようです。レザは「人はみな、最後は死ぬ運命にある」と言いますが、ミナは「それでも死に方は違う」と言います。わたし自身は「死は最大の平等である」と考えながらも、わが社では自死や孤独死を減らすために、「グリーフケア」の推進や「隣人祭り」の開催に取り組んできました。とにかく、この映画は、この上なく重い話です。日本だと、松本清張が原作で、監督は野村芳太郎といった感じでしょうか?

 この映画の冒頭には、夫が処刑される日、妻であるミナが刑務所を訪れるシーンから始まります。日本の刑務所のように面会室でのガラス越しの面会ではなく、夫が囚われている部屋に妻が入れられ、外から鍵が掛けられます。この場面には非常に驚きました。密室で2人が心中でもしたらどうするのでしょうか? この映画、母国のイランで上映中止になったそうです。イランは懲罰的な死刑制度を現在まで維持し、その死刑執行数は中国に次いで世界2位、人口一人当たりの数としては最も多いとも報告されています。国連の死刑廃止条約が発効されて30年が経過しますが、現在における法律上もしくは事実上の廃止国は加盟国の7割以上にのぼるとされます。もちろん、イランと同じく日本でも死刑は廃止されていません。不可逆という言葉がありますが、死刑執行してしまうと失われた命を再生することは不可能です。執行された死刑がじつは冤罪だった可能性を考えると、本当に恐ろしいことです。

「白い牛のバラッド」を観て、改めて痛感するのはイスラム教国家生きる人々への『コーラン』の影響の大きさです。裁判所は冤罪をあっさりと認め、無実の罪で夫を失ったミナは謝罪を求め続ける......日本では考えにくい正義を求める姿勢は、やはり唯一絶対神であるアッラーの存在あってのものでしょう。この映画は、『コーラン』の「雌牛の章」に記されている預言者モーセの言葉から始まります。「モーセは民に言った。"神は牛を犠牲せよ"と命じた。民は答えた。"我々を嘲るのですか"」。『コーラン』の引用の後は、刑務所の広場の壁伝いに囚人たちが並び立ち、広場の中央に白い牛が一頭立っています。
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ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教



 拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に詳しく書きましたが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は源を1つとする三姉妹宗教であり、『旧約聖書』は共同の聖典です。カナン定住前にモーセが預言を受けてイスラエルの民に伝えた「申命記」では、何者かに刺殺された者が野に放置されているのを見た場合、殺された者の町の近くの町の者もそのまま見捨てておかず殺人犯を探すことが義務づけられます。殺人犯が見つからない場合、事件をそのままにしておきません。使役にも使ったこともない雌の子牛を身代わりとして首を折り、以後はその事件に関して罪のない者の血を流すことがないようにと教えています。この映画の共同監督マリヤム・モガッダムによれば、「白い牛」は「死を宣告された無実の者」のメタファーだそうです。グリーフ映画としてはもちろん、イスラム教映画としても最高の傑作だと思います。