No.569
2月24日の夜、日本映画「前科者」をTOHOシネマズ日比谷のレイトショーで観ました。ネットでの評価が非常に高い作品で早く観たかったのですが、北九州では上映時間がどうしても合いませんでした。一条真也の映画館「白い牛のバラッド」で紹介した映画と同日ダブルヘッダー鑑賞したわけですが、2本とも超ヘヴィーな作品でしたね。でも、観て良かったです!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「罪を犯した『前科者』たちの更生や社会復帰を手助けする保護司の奮闘を描く、香川まさひとと月島冬二による社会派コミックを映画化。かつて殺人を犯した男の社会復帰を支える主人公が、保護司としてさまざまな現実と向き合う。監督・脚本などを『二重生活』や『あゝ、荒野』シリーズなどの岸善幸が担当。自身も壮絶な過去を持つ主人公を『花束みたいな恋をした』などの有村架純、過去を背負いながらも彼女のもとで更生を目指す『前科者』を『ヒメアノ~ル』などの森田剛が演じる」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「罪を犯した者や非行歴のある者の更生、社会復帰を助ける保護司の阿川佳代(有村架純)は、さまざまな『前科者』のために日々奮闘していた。彼女が保護観察を担当する男で、職場のいじめにより同僚を殺害した過去のある工藤誠(森田剛)は、実直な生活態度で社会復帰も間近と見られていた。しかし、彼はある日突然姿を消し、再び警察に追われる身となってしまう。一方そのころ、街で連続殺人事件が発生し、捜査の進展につれ佳代の過去が明らかになっていく」
この映画の原作は、原作:香川まさひと、作画:月島冬二によるコミック『前科者』です。「ビッグコミックオリジナル」(小学館)にて2018年1号より連載中。2019年、第3回「さいとう・たかを賞」の最終候補作品に選ばれました。保護司の女性が、罪を犯した「前科者」たちの更生・社会復帰に向けて正面から彼らと向き合う姿を描いた物語です。主人公の阿川佳代は保護司ですが、奨学金で大学に通った事と会社員時代に患った病気が原因で借金を抱えており、保護司に加えてコンビニエンスストアと新聞配達の仕事も掛け持ちしています。料理が得意です。
その阿川佳代を有村架純が演じたWOWOWドラマ「前科者 -新米保護司・阿川佳代-」が2021年放送されました。その映画版が本作「前科者」です。ネットで高評価にもかかわらず、全国のシネコンでは早朝および夜遅くのみの1日2回上映が多いです。これは製作会社が日活ということも影響しているようです。東宝や東映や松竹の作品に比べて配給面で不利というわけです。それでも、わたしが訪れたTOHOシネマズ日比谷の10番シアターの21時半からの回は半分ぐらいの席が埋まっていました。どんな時間であれ、良作を求める映画好きが集まってきますね。
映画「前科者」は、有村架純と森田剛の演技合戦が凄かったです。2人とも素晴らしい俳優であると思いました。有村演じる阿川佳代が森田演じる元受刑者の工藤に対して「帰ってきて。人間に帰って!」と懇願するシーンがあるのですが、「殺人犯というのは「人」ではないのだなと思いました。では、何かというと殺人鬼という「鬼」です。人は人を殺めることによって「鬼」になるわけですが、それを「人」に戻すのが保護士の役目です。そんな大事な仕事である保護士が無償と知って、驚きました。民生委員なども無償ですが、こういう社会に必要な仕事が無償というのは絶対に間違っています。国も、心優しき人の善意を利用してはなりません。
この映画、冒頭に阿川佳代が勤務先に出勤しない元受刑者のアパートの部屋の窓を傘で叩き割ったり、刑事が元警察の重症患者を痛い目に遭わせて尋問したり、「それは、ちょっとリアリティがないんじゃないの?」というシーンもいくつかありました。「マンガかよ?」と思えるシーンでしたが、実際にマンガが原作なのだから仕方ないですね。刑事役の磯村勇斗と有村架純のラブシーンがあるのですが、ブログ「ひよっこ」で紹介したNHK朝ドラの名作で2人が夫婦役を演じたことを思い出し、懐かしかったです。また、石橋静河演じる斉藤みどりと佳代との友情も描かれていました。みどりは、恐喝・傷害罪の懲役二年で、仮釈放の身です。ドラマでは、佳代の初めての保護観察対象者として描かれています。自由奔放な性格で佳代を振り回しますが、名コンビだと言えるでしょう。
それにしても、森田剛の演技力には目を見張るものがありました。元アイドルとは思えない、泥臭くて人間臭い演技です。2016年に公開された「ヒメアノ~ル」を思い出しました。「行け!稲中卓球部」「ヒミズ」の古谷実による同名コミックを、当時は「V6」のメンバーだった森田剛主演で実写映画化した作品です。森田が、次々と殺人を重ねていく主人公の快楽殺人犯・森田正一役を演じ、「純喫茶磯辺」「銀の匙 Silver Spoon」などを手がけた吉田恵輔監督がメガホンを取りました。森田剛の妻は宮沢りえですが、最近、石橋貴明が自身のYouTube動画で「今までで一番きれいだと思った芸能人は?」という問いに「宮沢りえ」と答えていましたね。
映画「前科者」には、さまざまな社会問題が描かれています。犯罪者の更生はもちろん、DV、児童虐待、いじめ・・・・・・いろいろな問題が絡み合って、不幸の連鎖を生んでいます。ただ、この映画で描かれる連続殺人の動機については、一条真也の映画館「護られなかった者たちへ」で紹介した日本映画に通じるものがありました。すなわち、復讐です。復讐といっても、直接、自分に危害を加えた人間だけでなく、自分の愛する者を結果的に見殺しにした人物などに対して殺意が向けられています。「護られなかった者たちへ」の場合は逆恨みの面が強く、またその復讐方法も非現実的な残虐な殺人であり、まったく共感できませんでした。一方、「前科者」の復讐の動機については説得力があります。しかし、いずれにせよ、復讐で殺人を犯すのは許されることではありません。
森田剛演じる工藤の罪は、務めていた工場の先輩をナイフで刺し殺したことです。なぜ、そんなことをしたかというと、常日頃、工藤をいじめていた先輩が「おまえは生きている必要のない人間だ。お前の母親と同じだ」と彼と彼の母を侮蔑したからでした。わたしは、少し前に読んだは『Dignity』(幻冬舎)という翻訳書の内容を思い出しました。同書はハーバード大学心理学教授のドナ・ヒックスが「尊厳」について書いた本ですが、その中に「人はみな、人生において何度も尊厳を傷つけられる経験をし、苦しんできました。そして尊厳を傷つけられるたびに、私たちは本能的に反応することを繰り返し、次第にそれが当たり前になってしまったのです。人間のヴァルネラビリティ(心の脆さ、傷つきやすさ、弱さ)を受け入れ、また、人間が自己防衛のためにはお互い傷つけ合うことも厭わない性質を持っているのだと知らない限り、私たちは尊厳を傷つけ合う悪循環の中に囚われたままになるでしょう。しかし、尊厳には『自制』という側面もあり、人は餌に食いつかないように自らを制することができます」(ワークス淑悦訳)と書かれています。映画「前科者」を観て、人間の「尊厳」について考えさせられました。