No.528
10月1日から公開された日本映画「護られなかった者たちへ」を観ました。今年は日本映画の力作が揃っていますが、この作品も公開前から評価が高かったです。東日本大震災に関連した物語なので、もちろんグリーフケアの要素があるのですが、正直言って、それほどの傑作だとは思いませんでした。名優たちの競演は見応えがあったものの、ストーリーにリアリティが感じられなかったからです。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「映像化もされた『さよならドビュッシー』などの中山七里の小説を原作にしたミステリードラマ。宮城県で発生した連続殺人事件の容疑者となった青年と、彼を追う刑事の姿から日本社会が抱える格差の実態を浮き彫りにする。監督は『楽園』などの瀬々敬久。『るろうに剣心』シリーズなどの佐藤健、『のみとり侍』などの阿部寛のほか、清原果耶、倍賞美津子、吉岡秀隆、林遣都らが出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「東日本大震災から9年が経った宮城県の都市部で、被害者の全身を縛った状態で放置して餓死させるむごたらしい連続殺人事件が起こる。容疑者として捜査線上に浮かんだのは、知人を助けるために放火と傷害事件を起こし、刑期を終えて出所したばかりの利根(佐藤健)。被害者二人からある共通項を見つけ出した宮城県警の刑事・笘篠(阿部寛)は、それをもとに利根を追い詰めていく。やがて、被害者たちが餓死させられることになった驚くべき事件の真相が明らかになる」
この映画には、殺人事件が登場します。殺人を描くためには、動機や殺し方が重要となります。しかし、この映画における殺人の動機も殺し方もリアリティがありませんでした。標的となる3人の善人を緒方直人、吉岡秀隆、永山瑛太が演じていますが、なんという豪華なトリオでしょうか! しかも、この3人は同じ職場で働いていたのです! そして、連続殺人事件の犯人が彼らを狙った理由というのが、わたしにはまったく納得がいきませんでした。そんなことで殺されていては命がいくつあっても足りません。それに彼らはある意味で、国や行政の方針に従っただけであって、法も犯していませんし、単に職責を全うしただけだと思います。しかも、彼らの中には津波で倒壊した墓を独力で修復したり、縁もゆかりもない他人の葬儀に参列して涙を流す心優しい者もいたのです!
この映画には「死んでいい人なんていないんだ」というセリフが出てきますが、本当にその通りです。殺された人々は拘束されたまま放置され、餓死させられたのです。そんな残忍な方法で殺そうとする犯人は明らかに精神を病んでいます。東日本大震災の津波で肉親を失ったショックで病んだのかもしれませんが、わたしは、どうしても犯人に同情や共感はできませんでした。また、避難所や遺体安置所の描写にも、あまりリアリティが感じられませんでしたね。一条真也の映画館「遺体 明日への十日間」で紹介した映画の切実さにはとても及びません。わたしは、細部のリアリティがあってこそ完成度の高いフィクションが創られると思っていますので、「護られなかった者たちへ」はその点が残念でした。結局のところ、脚本が失敗だと思います。
しかし、主演の佐藤健をはじめ、阿部寛、林遣都といった俳優陣の演技は素晴らしかったです。特に、佐藤健の目力が凄かったです。彼は最初は険しく怖い目つきで登場しますが、最後はひたすら優しく哀しい目をしており、その表情の変わりように感心しました。阿部寛の無骨な刑事もなかなか良かったですし、彼の相棒となる林遣都も警察署で浮いた存在で、バディなのにまったく2人の息が合っていない感じを絶妙に演じていました。笑ったのは、ヤフー映画に「豪華キャストの無駄遣い」として、「もったいない作品。どうしても阿部寛は新参者に見えるし、林はおっさんずラブに見えるし、吉岡はドクターコトーに見えるし、物語に入り込めない!!」というレビューが投稿されていたことです。これには、思わず爆笑してしまいました。
女優陣も負けじと素晴らしく、生活保護を申請する老女を演じる倍賞美津子も迫真の演技でした。 一条真也の映画館「糸」で紹介した映画では、北海道の「子ども食堂」を営む女性の役でしたが、あれからずいぶん老け込んだ印象ですね。そして、なんといっても、ヒロインの円山幹子を演じた清原果耶が良かったです。幹子の子ども時代を演じた子役の女の子も良かったです。その子は髪を短く切っていたので、最初は男の子かと思い、自分のことを「わたし」と呼ぶまで女の子だと気づきませんでした。彼女がそのまま成長して清原果耶になるというのは、あまり違和感がありませんでした。清原果耶といえば、現在放映中のNHK朝ドラ「おかえりモネ」で主演の永浦百音を演じています。ネタバレになるので詳しく書くのは控えますが、よく、この「護られなかった者たちへ」の円山幹子役をNHKが許したなと驚きました。しかも、物語のカギになるのは「おかえり」という言葉なのです。さらには、『護られなかった者たちへ』の原作本はNHK出版から刊行されているのです!
この映画には、食べるものもなく餓死せざるをえないような人が登場します。本来はそういう人は生活保護を受けるべきですが、不正受給する輩なども後を絶たず、申請の現場は過酷です。映画ではそのへんのシーンはけっこうリアルに描かれていて、胸が痛みました。現在、世界的にSDGsが重視されています。SDGsといえば、環境問題が注目されがちですが、人権問題も貧困問題も児童虐待も、すべての問題の根が繋がっています。そういう考え方に立つのがSDGsであるわけです。その意味で、わが社は、貧困に苦しむお子さんや高齢者の方々に出来ることはないかと考えており、近く実行に移す予定です。ブログ「10月度総合朝礼」で紹介した10月1日のサンレー本社での社長訓示でもそのことを話しました。
そして、この映画は東日本大震災の後日談であることが重要です。2011年3月11日は、日本人にとって決して忘れることのできない日になりました。三陸沖の海底で起こった巨大な地震は、信じられないほどの高さの大津波を引き起こし、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に壊滅的な被害をもたらしました。福島の第一原子力発電所の事故も引き起こしました。亡くなった方々の数は1万5900人、いまだ2525人の行方が分かっていません。関連死は3767人、さらには4万1241人の方々が今も避難生活を送っておられます。未曾有の大災害は現在進行形で続いているのです。
大津波の発生後、しばらくは大量の遺体は発見されず、多くの行方不明者がいました。火葬場も壊れて通常の葬儀をあげることができず、現地では土葬が行われました。海の近くにあった墓も津波の濁流に流されました。葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない......まさに「ない、ない」尽くしの状況は、今回の災害のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、「人間の尊厳」が問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳という2つの「人間の尊厳」がともに問われ続けたのです。「葬式は、要らない」という妄言は、大津波とともに流れ去ってしまいました。
映画「護られなかった者たちへ」の最後には、桑田佳祐の名曲「月光の聖者達~ミスター・ムーンライト」が流れます。2011年に宮城県の被災地を訪れたとき、わたしは瓦礫の山に呆然としました。夕方になって空を見上げたとき、そこに満月がありました。ブログ「東日本大震災10年」に、わたしは、震災で愛する人を亡くした人々に「どうしても悲しくて、辛いときは、どうか夜空の月を見上げて下さい。そこには、あなたの愛する人の面影が浮かんでいるはずです。愛する人は、あなたとの再会を楽しみに、気長に待ってくれることでしょう。東日本大震災から10年、多くの死者たちに支えられて、わたしたちは生きていきます。そう、わたしたちは、これからも生きていくのです。ブッダは、満月の夜にあらゆる生きとし生けるものの幸せを願って『慈経』を説きました。幸せであれ 平穏であれ 安らかであれ」と書きました。
また、この歌を歌いたい!
「月光の聖者達~ミスター・ムーンライト」には「今がどんなにやるせなくても、明日は今日より素晴らしい♪」という歌詞がありますが、これは最高の祈りの言葉です。わたしも、やるせない気分のときはカラオケでよくこの歌を歌いました。長かった緊急事態宣言は開けましたが、カラオケを歌える日は近いのでしょうか? そういえば、よくこの歌を歌った東京は赤坂見附のカラオケスナックは、新型コロナウイルスの感染拡大による2回目の緊急事態宣言中に、ついに力尽きて閉店してしまいました。東日本大震災で「護られなかった者たち」がいたように、コロナ禍の中でも「護られなかった者たち」あるいは「護られなかった店たち」の存在があったのです。ようやく4回目の緊急事態宣言が解除された今、コロナ禍で絶望したすべての人々に、心から「明日は今日より素晴らしい♪」という祈りの言葉を捧げたいです。
明日は今日より素晴らしい♪