No.529
10月2日、コロナシネマワールド小倉で映画「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」を観ました。「死霊館」シリーズの最新作です。このシリーズはわたしの大好物ですが、今回も楽しませてもらいました。基本的には「エクソシスト」や「エミリー・ローズ」といった過去の悪魔映画へのオマージュという印象が強かったですが、地下のトンネルに設置された黒魔術の祭壇がじつに興味深かったです。
ヤフー映画の「解説」には、「著名な心霊研究家のエド、ロレイン・ウォーレン夫妻の実体験をベースにしたホラー『死霊館』シリーズの第3弾。殺人を犯しながらも悪魔の仕業だと無罪を主張する青年を救うため、ウォーレン夫妻が真相解明に挑む。『ラ・ヨローナ~泣く女~』などのマイケル・チャベスが監督を務め、同シリーズの生みの親であるジェームズ・ワンが製作に名を連ねる。ウォーレン夫妻役でパトリック・ウィルソンとヴェラ・ファーミガが続投するほか、ルアイリ・オコナー、サラ・キャサリン・フック、ジュリアン・ヒリアードらが出演」とあります。
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1981年、アーニー・ジョンソン(ルアイリ・オコナー)は家主を惨殺し、裁判で無罪を主張する。その理由は、悪魔にとりつかれていたからというものだった。アーニーを凶行に走らせたという悪魔の存在を証明するため、心霊研究家のエド、ロレイン・ウォーレン夫妻(パトリック・ウィルソン、ヴェラ・ファーミガ)が調査を開始。警察の協力を得て調査を進めていくうち、夫妻はすさまじく邪悪な"何か"に追い詰められていく」
「死霊館」シリーズでは、そこで描かれるアメリカ社会における教会の役割とか神父の存在が興味深いです。アメリカはプロテスタントの国ですが、プロテスタントの祖であるルターは悪魔の存在を信じていたことで知られています。バチカンにはエクソシストの養成所がありますし、悪魔の存在を認めているという点では、カトリックもプロテスタントも共通しています。わたしは上智大学グリーフケア研究所の客員教授を務めていますが、上智といえば日本におけるカトリックの総本山です。それで神父や修道女の方々にも知り合いが増えたのですが、カトリックの文化の中でもエクソシズム(悪魔祓い)に強い関心を抱いています。なぜなら、わたしは、エクソシズムとグリーフケアの間には多くの共通点があると考えているからです。
エクソシズムは憑依された人間から「魔」を除去することですが、グリーフケアは悲嘆の淵にある人間から「悲」を除去すること。もちろん愛する者との死別などの際に悲しみ、泣くことは自然なことであり、ある意味で必要です。しかし、過剰な悲嘆は命を脅かす非常に危険なものです。「魔」も「悲」も人間の精神力を弱らせ、「死」(自死を含む)へと至らせるネガティブな力を持っています。ですから、エクソシズムとグリーフケアは非常に似た構造を持っているといえるのです。
「エクソシズム」という言葉を日本人が知ったのは、何といっても映画「エクソシスト」(1973年)が公開されてからでしょう。タイトルの「エクソシスト」とは「悪魔祓い師」という意味ですが、この映画はホラー映画の歴史そのものを変えたとされています。少女に憑依した悪魔と、自らの過ちに苦悩する神父の戦いを描いたオカルト映画の代表作であり、その後さまざまな派生作品が制作されました。この「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」は「エクソシスト」へのオマージュ的作品となっており、悪魔に憑依された少年が首や身体を変な方向に曲げるシーンや、悪魔が少年から他の人間へ憑依の対象を変えるところなどに顕著に表れています。
「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」は、悪魔の存在を法廷で証明するという実話に基づく映画です。その意味で、同じく悪魔裁判の実話に基づく「エミリー・ローズ」(2006年)へのオマージュ的作品だとも言えます。1976年にドイツで発生したアンネリーゼ・ミシェル(1952年~1976年)の保護責任者遺棄致死事件を題材に製作されたものです。アンネリーゼ・ミシェルという少女が病気と診断され、長年治療していたが改善する気配がなく、その後の異常行動からカトリック教会教区より正式に「悪魔憑き」と判断され、悪魔祓いを実施中に栄養失調等で彼女が死亡したため、裁判となった事件でした。
アンネリーゼ・ミシェル事件では、悪魔祓いの様子が写真や録音で詳細に残っていました。その後、神父が法廷で裁かれ、悪霊の仕業なのか、精神病だったのか(医療ミスの可能性も内包)が、法廷の論争となりました。また、悪魔祓いの様子が一部(海外)TV番組や、インターネットなどで公開されています。この少女が美しく、かつ敬虔なるクリスチャンであったことなどから、世間の注目を浴びました。映画「エミリー・ローズ」のジャンルはホラー・サスペンスですが、大半の場面は法廷劇となっています。
「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」のモデルとなった事件は、1080年、ウォーレン夫妻はグラツェル家の依頼を受け、11歳のデヴィッド・グラツェルを調査することになったことから始まります。一家はデヴィッドに悪魔が取り憑いていると信じ切っており、その恐怖からすっかり疲弊していました。調査の結果、ウォーレン夫妻は一家の主張が真実であると判断し、カトリックの司祭たちと共にデヴィッドの悪魔祓いを行うことにしました。実際、悪魔の憑いた少年は次々に信じられない凶暴な姿を見せ続けました。数日間にもおよぶ儀式が終わった後、デヴィッドの異変はようやく収まりました。
それから数ヶ月後、グラツェル家の近所で殺人事件が発生しました。アルネ・シャイアン・ジョンソンが家主のアラン・ボノを殺害したのです。裁判の場で、ジョンソンは「デヴィッドに取り憑いていた悪魔が今度は私に取り憑いた。アランを殺したとき、私は悪魔に操られていた。だから、当時の私に責任能力はなく、無罪判決が妥当だ」と主張しました。映画「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」は、いわゆる「悪魔が私に殺させた」事件をウォーレン夫妻の視点から描き出した内容となっています。アメリカには数多くの心霊研究家が実在するが、なかでも1960年代から活躍を始めたウォーレン夫妻(夫:エド・ウォーレン、妻:ロレイン・ウォーレン)は、数々の心霊現象を解決し、その名を馳せてきました。
夫のエドはカトリック教会が唯一公認した非聖職者の悪魔研究家であり妻のロレインも透視や霊視能力を持っている。ふだん夫妻のもとに寄せられる数多くの"事件"は、実はその大半が科学的に解明できるもので、彼らもそれをありのままに報告している。しかし、本物の心霊事件として、アナベル事件(アナベル 死霊館の人形)、エンフィールド事件(エンフィールドのポルターガイスト)、アミティビル事件(オーシャン・アベニュー112番地)、ペロン一家事件(死霊館)などを主張。なお、映画「悪魔の棲む家」で有名なアミティビル事件に関してはジョージ・ラッツとディフェイオ事件犯人弁護士の金儲けのための嘘であったことが発覚しています。
「死霊館」ユニバースは2013年に脚本家のチャド・ヘイズとケイリー・W・ヘイズが創始したホラー映画のシリーズです。超常現象研究家のエド&ロレイン・ウォーレン夫妻(英語版)が遭遇した事件を題材にしており、本作を入れてこれまで7作品が発表されています。それらの公開順とストーリー上の時系列は一致していません。時系列順に作品を並べると、1.「死霊館のシスター」(1952年)→2.「アナベル 死霊人形の誕生」(1958年)→3.「アナベル 死霊館の人形」(1970年)→4.「死霊館」(1971年)→5.「アナベル 死霊博物館」(1972年)→6.「死霊館 エンフィールド事件」(1977年)→7.「死霊館 悪魔のせいなら、無罪。」(1981年)となります。( )内はストーリー上の年代です。
『儀式論』(弘文堂)
「死霊館」ユニバースの各作品は本格的なオカルト映画であり、わたしの大好きなジャンルです。今回も大いに堪能させてもらいました。最後に、この映画には地下トンネルに設置された黒魔術の祭壇が登場します。この祭壇がじつに重要な役割を果たします。この映画では、儀式における祭壇の重要性を見事に描いていますが、ちょうど10月1日のサンレー本社での本部会議の席上で葬儀における祭壇の意味について意見交換したばかりだったので非常に興味深かったです。ポケモンカードゲームなどでも祭壇が重視されているそうですが、魔術や呪術やオカルトといったコミックやアニメの主要アイテムでは儀式が大きな存在感を放っているのです。儀式を侮ってはなりません!