No.473


 21日に公開されたばかりの日本映画「糸」を観ました。4月に公開予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、この日にようやく封切りを迎えた作品です。いやあ、ものすごく良かったです!
 正直、わたしは4回泣きました。結婚式のシーンも、葬儀のシーンも両方あるのですが、どちらも感動的で、素晴らしい冠婚葬祭映画でした。コロナ禍であまり映画を観ることができない状況が続きますが、この映画は今年の「一条賞」の最有力候補です!

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「中島みゆきの楽曲『糸』を基に描くラブストーリー。『アルキメデスの大戦』などの菅田将暉と『さよならくちびる』などの小松菜奈が主演し、日本やシンガポールを舞台に、平成元年生まれの男女の18年を映し出す。『ヘヴンズ ストーリー』などの瀬々敬久が監督を務める。『スマホを落としただけなのに』などの平野隆が原案と企画プロデュース、『永遠の0』などの林民夫が脚本を担当した」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「北海道で暮らす13歳の高橋漣(菅田将暉)と園田葵(小松菜奈)は、互いに初めての恋に落ちるが、ある日突然葵の行方がわからなくなる。彼女が養父の虐待から逃れるために町を出たことを知った漣は、夢中で葵を捜し出し駆け落ちしようとする。だがすぐに警察に保護され、葵は母親と一緒に北海道から出て行ってしまう。それから8年、漣は地元のチーズ工房に勤務していた」

 ともに旬の俳優である菅田将暉と小松菜奈のW共演で、主題歌が中島みゆきの「糸」とくれば、これはもうヒット間違いなしでしょう。しかも、脇を固める俳優陣の顔ぶれも豪華でした。観る前から、ある程度どんな映画かは想像がつきます。よもや泣くことはあるまいと高を括っていましたが、想定外に感動の津波が何度も襲ってきて、わたしの涙腺は崩壊してしまいました。最初の涙は、榮倉奈々が演じる香の葬儀のシーンです。香は漣が働くチーズ工場の先輩で、2人は職場結婚するのですが、香は子宮がんに冒され、若くして亡くなります。役作りのために、榮倉奈々は1ヵ月で7キロも減量したそうです。香には、自らの生命の危険を冒してまで生んだ娘がいました。香は娘に「泣いている人や、悲しんでいる人が抱きしめてあげるんだよ」という教えを残して旅立って行ったのですが、香の葬儀で棺にすがって亡き崩れている香の父の姿を見た幼い娘は、とことこと祖父のところまで行って、その背中を抱きしめてあげるのでした。このシーンで、わたしは最初にハンカチを濡らしました。ちなみに香の両親は、永島敏行と田中美佐子が演じています。あの名作映画「サード」と「ダイアモンドは傷つかない」に、それぞれ主演した2人が老夫婦を演じるなんて!

 2回目と3回目の涙は、ともに小松奈々演じる葵が食事をするシーンです。シンガポールに行ってネイルサロンの会社を立ち上げた葵は成功を収めますが、共同経営者だった親友の高木玲子(山本美月)に裏切られ、一文なしになります。ボロボロになってシンガポールの夜の街をさまよう葵は、ある日本料理店でカツ丼を注文し、それをモリモリ食べ始め明日。食べているうちに涙が出てくるのですが、葵は「大丈夫、大丈夫」とつぶやきながら、カツ丼を食べ続けるのでした。このシーンを見て、わたしは2回目の涙を流しました。3回目は、彼女が北海道の美瑛にある子ども食堂で食事をするシーンです。同居する母親の恋人から虐待を受けていた葵は、いつもこの子ども食堂で食事をさせてもらっていたのです。食堂を営む村田節子(賠償美津子)に久々に再会し、節子の作ってくれた食事を食べながら、「ここの御飯が一番美味しい」「わたしにも帰る場所があったんだ」と言って泣きながら食べる葵。このシーンで、わたしの涙腺は3回目の崩壊を起こします。それにしても、小松奈々は泣きながら飯を食う演技が抜群にうまい! かつて「ジョゼと虎と魚たち」や「涙そうそう」で妻夫木聡が素晴らしい「泣き」の名人芸を見せてくれましたが、「糸」の小松奈々も「泣き名人」の仲間入りです!

 子ども食堂で泣いている葵の背中を、たまたまそこに居合わせた、今は亡き香の娘が見つけます。彼女は、葵の背中をぎゅっと抱きしめてあげます。「泣いている人がいたら、抱きしめてあげなさいって、お母さんが言ったの」という娘に、葵は「いいお母さんね」と言うのですが、その後、葵は娘を迎えに来た父親が漣であることを知るのでした。漣を演じた菅田将暉も良い俳優になりましたね。一条真也の映画館「アルキメデスの大戦」で紹介した映画でも感じましたが、そこに居るだけで、何とも言えない色気を放つ役者です。この映画、斎藤巧とか高杉真宙とか片寄亮太とか、やたらに色っぽい男優がたくさん出ているのですが、誰も菅田将暉の色気には敵いません。いま、菅田将暉と小松奈々は実際に交際中とのことですが、この2人ならお似合いだと思います。

 菅田将暉と小松奈々のW主演作といえば、「溺れるナイフ」(2016年)がありますが、個性的な美を感じさせる2人は、これからも日本映画界を牽引してくれると思います。ちなみに、4回目にわたしが泣いたのはエンドロールでの結婚式のシーンでした。やはり、結婚式は最高のハッピーエンドなのです。
 この映画にはもう1つ結婚式が登場します。漣と葵の中学の同級生同士が結婚し、東京のゲストハウスウエディング会場で披露宴を挙げるのですが、そこで2人は8年ぶりに再会し、いったん止まっていた物語が再び動き始めるのです。結婚式だけでなく葬儀もそうですが、冠婚葬祭というのは思わぬ人に再会して縁を繋ぎ直す、つまり「出会い直し」の場でもあるのです。

 あと、子ども食堂を営む老婆役の賠償美津子が良かったです。彼女は1946年生まれで御年73歳ですが、じつにいい感じの「お節介ばあさん」を演じていました。かつては、‟燃える闘魂"アントニオ猪木の妻として、創立間もない新日本プロレスを支え、新宿伊勢丹前で猪木と一緒に買い物をしているときに ‟狂えるインドの虎"タイガー・ジェット・シンに襲撃され、負傷した猪木を気丈に介抱した倍賞美津子。新日本プロレスのパキスタン遠征に帯同したとき、試合で猪木がアクラム・ペールワンに勝利し、相手の肩を折ったことで暴動が起きかねなかった状況下で、猪木のマネージャーだった‟過激な仕掛人"新間寿に「新間さん、私はいいからアントンを頼むわ」と冷静な対応をした倍賞美津子。ブログ「前田日明のトークがいい!」で紹介した ‟新格闘王"が新弟子時代に猪木の自宅を初めて訪問したとき、ノーブラで応対し、前田に「目のやり場に困った」と言わしめた倍賞美津子。

 そんな数々の伝説を持つ、あの倍賞美津子サンが73歳になったとは信じられない思いです。倍賞サンと猪木は1971年に結婚しましたが、当時、「1億円の結婚式」で話題になりました。1988年に離婚。原因は猪木の不倫騒動でしたが、倍賞サン自身もその後萩原健一との熱愛が囁かれたことがあります。それでも、猪木と離婚後は独身を貫かれています。夫人に先立たれた猪木が最近めっきり弱っているそうですが、2人がまた仲良くなってくれれば、ずっと2人のファンだった自分として嬉しいですけどね。一度切れた「糸」がまた繋がるというのは、この映画のテーマそのものではないですか。

 この映画のもとになった中島みゆきの名曲「糸」には、「縦の糸はあなた、横の糸はわたし」という歌詞が登場します。結ばれる男女を縦横の糸に例えているわけですが、わたしはよく縦の糸を「先祖」、横の糸を「隣人」に例えます。現代人はさまざまなストレスで不安な心を抱えて生きています。ちょうど、空中に漂う凧のようなものです。そして、凧が安定して空に浮かぶためには糸が必要です。さらに安定して空に浮かぶためには縦糸と横糸が必要です。縦糸とは時間軸で自分を支えてくれるもの、すなわち「先祖」であり、「血縁」です。映画「糸」では、沖縄の人々が先祖の墓の前で宴会を行い、カチャーシーを舞うシーンがありました。また、横糸とは空間軸から支えてくれる「隣人」であり、「地縁」です。映画に登場する北海道の子ども食堂はまさに隣人愛の場所でした。
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ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)



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隣人の時代



 この2つの糸があれば、安定して宙に漂っていられる、すなわち心安らかに生きていられる。これこそ、人間にとっての真の「幸福」の正体ではないかと思います。冠婚葬祭業とは、まさに先祖と隣人を大切にし、血縁と地縁を強化するお手伝いをする仕事です。人間が心安らかに生きていくための縦糸と横糸を張る仕事であり、それは人間の「幸福」そのものに直結しているのです。なお、わたしは、縦糸の張り方については『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で、横糸の張り方については『隣人の時代』(三五館)で詳しく書きました。
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この世には縁がある!



 中島みゆきさんの解釈にせよ、わたしの解釈にせよ、「糸」というのは「縁」のメタファーであることは同じです。この世には「縁」というものがあります。すべての物事や現象は、みなそれぞれ孤立したり、単独であるものは1つもありません。他と無関係では何も存在できないのです。すべてはバラバラであるのではなく、緻密な関わり合いをしています。この緻密な関わり合いを「縁」と言うのです。冠婚葬祭業というのは、結婚式にしろ、葬儀にしろ、人の縁がなければ成り立たない仕事です。わたしの口癖ですが、この仕事にもしインフラというものがあるとしたら、それは人の縁にほかなりません。「縁」の不思議さ、大切さを誰よりも説いたのが、かのブッダです。

 ブッダは生涯にわたって「苦」について考えました。そして行き着いたのが、「縁起の法」です。縁起とは「すべてのものは依存しあっている。しかもその関係はうつろいゆく」というものです。 モノでも現象でも、単独で存在しているものはないと、ブッダは位置づけました。わたしたちはすべて関わり合っています。つまり、「縁」によって結ばれているのです。そもそも、社会とは縁ある者どものネットワークであり、すなわち「有縁」です。「無縁社会」という言葉がありますが、これまでにも何度も言ってきたように、これは言葉としておかしいのです。なぜなら、社会とは最初から「有縁」だからです。最初から「無縁社会」など、ありえないのです。

 さて、この「糸」という映画は平成の物語です。主人公の漣も葵も平成元年に生まれ、平成が終わる年に2人の人生は大きな転機を迎えます。リーマンショックや東日本大震災など、平成の大事件も次から次に登場します。わたしは平成元年に結婚し、平成5年に長女が生まれ、平成11年に次女が生まれました。そして、平成13年に社長に就任しました。わたしにとっても思い出深い平成ですが、映画に出てくる大学の入学式、サークルによる新入生の勧誘、飲み会、カラオケ、結婚式・・・・・・この映画に登場するさまざまなシーンが、コロナ禍の今、すべてが「過去のもの」となっていることに愕然としました。

 平成の日常の光景が、令和2年の現在、あり得ない光景と化しているのです。思えば、令和に改元してから何も良いことがありません。奈良時代や平安時代には疫病が流行するたびに改元したので、コロナ禍の今、もう一度改元すべしという声もあります。天皇陛下はそのまま在位されて、元号だけ「令和」から改めるというのです。まあ、新型コロナウイルスの感染拡大は日本だけでなく世界的な問題なので、改元すれば良しとはならないでしょうが・・・・・・。

 いろんな思いが胸によぎりますが、糸が「縁」のメタファーならば、最大の「縁」とは結婚にほかなりません。わたしはいつも、「結婚というのは、なんという驚異か」と思います。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「哲学は驚きから始まる」という言葉を残していますが、結婚ほど驚くべき出来事はないのではないでしょうか。「浜の真砂」という言葉がありますが、数万、数十万、数百万人を超える結婚可能な異性の中からたった1人と結ばれるとは、何たる驚異か! わたしには2人の娘がいます。名曲「糸」は、「逢うべき糸に出逢えることを人は仕合わせと呼びます」という歌詞で結ばれますが、2人の娘たちにも「逢うべき糸に出逢えること」ができて、「仕合わせ」になってほしいと心から思います。
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函館にて、平成元年に結婚した妻と



 最後に、映画「糸」の感動のラストシーンの舞台は函館でした。平成元年に結婚したわたしたち夫婦は、ちょうど結婚30年目の年に函館を訪れました。ラストシーンを見ながら、そのことを思い出しました。その函館は、冠婚葬祭互助会業界の総会で訪れたのですが、現在、日本中の同業者のみなさんが新型コロナで将来に不安を感じておられると思います。しかし、冠婚葬祭が変わることがあっても、冠婚葬祭がなくなることは絶対にありません。この素晴らしい冠婚葬祭映画を観終わって、そのことを強く感じました。
 冠婚葬祭に関わるすべての方々に、そして、幸せになりたいと願っているすべての日本人に、ぜひ、映画「糸」を観ていただきたいです。