No.472
14日、この日から公開された映画「ファヒム パリが見た夢」をシネプレックス小倉で観ました。東京のミニシアターでしか鑑賞できないと思っていたら、地元のシネコンで公開初日に観ることができました。実話に基づいたヒューマンドラマで、75回目の「終戦の日」の前日に、「国家」「民族」「宗教」「自由」「平等」「博愛」などについて考えさせられました。
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「フランスであった実話をベースにしたドラマ。政治難民としてバングラデシュからパリへと逃れた天才チェス少年が、強制送還を回避するためにフランスで行われるチェス大会の優勝を目指す。メガホンを取るのは、ピエール=フランソワ・マルタン=ラバル。『ハニートラップ 大統領になり損ねた男』などのジェラール・ドパルデュー、『ママはレスリング・クイーン』などのイザベル・ナンティのほか、アサド・アーメッド、ミザヌル・ラハマンらが出演する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「チェスの才能に恵まれた8歳の少年ファヒム(アサド・アーメッド)は、家族が反政府組織に属していることやチェス大会での連勝に対する嫉妬などから脅迫を受けていた。危険を感じた父親は彼を連れ、パリへ逃れる。政治難民として政府の保護を受けようと奔走するなか、ファヒムはフランス屈指のチェス・コーチであるシルヴァン(ジェラール・ドパルデュー)と出会う。彼の指導を受けながらチェスのトーナメントを目指すファヒムだったが、政治難民の申請を移民局に拒否された父親が姿を消してしまう
わずか8歳で母国バングラデシュを追われたファヒムは、母親と引き離され、父親と二人でフランスのパリにたどり着きます。この父子は、いわゆる難民です。亡命者として政治的保護を求めますが、言葉も文化も違う異国ではなかなかうまくいきません。そんなとき、故郷でチェスの天才と呼ばれていたファヒムは、フランス国内でも有数のトップコーチであるシルヴァンと出会います。ファヒムが運命を切り拓くことができたのは、シルヴァンというチェスの名コーチの存在が大きいです。彼は2016年に53歳で亡くなったそうで、この映画は彼に捧げられています。
国籍も年齢もかけ離れた師弟は、ぶつかり合いながらも信頼関係を築いていきますが、ファヒム父子の亡命は認められず、強制送還の脅威にさらされます。解決策はただ1つ、ファヒムがチェストーナメントでフランス王者になることでした。観終わって、正直、「おいおい、そんなことってあるかよ!」と言いたくなりましたが、これは実話なのですから、文句のつけようがありません。主人公ファヒムを演じるのは、撮影3ヶ月前にバングラデシュからフランスに移住したばかりのアサド・アーメッドです。ファヒムを演じるにあたって、彼自身の体験も反映されているのでしょう。
アサド・アーメッド(公式サイトより)
アサド・アーメッド少年演じるファヒムがチェスの対戦をするときのシーンは緊迫感がありました。一般にチェスは「ゲーム」とされています。ポイントを争う競技であり、トーナメントで優勝するためには大事な対戦で引き分けてもいいのですが、ファヒムはチェスのことを「戦闘」ととらえ、ひたすら攻めまくります。わたしは、もともとチェスや将棋は「戦争のシミュレーション」だと思っていますが、この映画を観て、それを再確認しました。サッカーなどの集団スポーツにも「戦争の代用品」という側面があります。映画の中で、対戦相手のフランス人の少年が「アラブ人はサッカーの方が向いているんじゃないの?」と言い放つシーンがありますが、サッカーなら貧しくてもできるけれど、チェスは豊かでないとできないというイメージがあります。しかし、チェスの本質は頭脳戦であり、難民の子であるファヒムは自らの頭脳という武器だけを頼りに運命を切り拓いていったのです。
ジェラール・ドパルデュー(公式サイトより)
シルヴァンを演じたのは、フランスを代表する名優ジェラール・ドパルデューです。彼がじつに良い味を出していました。1948年生まれの彼は、73年にベルトラン・ブリエ監督作品「バルスーズ」で注目され、82年にアンジェイ・ワイダ監督の「ダントン」に出演し、83年の第18回全米批評家協会賞主演男優賞を受賞。その後も、85年にモーリス・ピアラ監督の「ソフィー・マルソーの刑事物語」で第42回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞に輝くなど多数の映画賞を受賞。90年に主演したジャン=ポール・ラプノー監督の「シラノ・ド・ベルジュラック」では第63回アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされ、第43回カンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞するなど、フランスを代表する俳優の1人として、97年には第54回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞・特別功労賞を受賞しています。
イザベル・ナンティ(公式サイトより)
わたしはチェスをやらないので詳しいことはわからないのですが、この映画ではファヒムがさまざまな奇策で大事な対戦を制した様子が描かれています。この映画に登場する最大の秘策は、チェス学校を経営する女性マチルドがラジオでフランス首相が国民の質問に答える番組に電話したことではないでしょうか。彼女が「フランスは人権という言葉を唱えるだけの国ですか? それとも、本当の人権宣言の国ですか?」と電話で首相を問い詰めるシーンは圧巻でした。マチルドを演じたイザベル・ナンティは1962年生まれで、91年、第16回セザール賞有望女優賞にノミネートされたエチエンヌ・シャンティリエ監督の「ダニエルばあちゃん』で注目を浴びました。その後、2002年に第27回の同賞では最優秀作品賞を受賞したジャン=ピエール・ジュネ監督の「アメリ」、2004年に第29回の同賞ではアラン・レネ監督の「巴里の恋愛協奏曲」で助演女優賞にノミネートされています。
さて、最近、読んだコロナ後の社会を予見する論考集の中に、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、フランスのマクロン大統領が「これは戦争です!!」と何度もメッセージを繰り返したことが紹介されていました。そして、食料品店以外は全て営業停止、国民は外出を控えるように発表されました。ウィルスがフランス国内をまわっているのではなく、人がウィルスを運んでいるのだから、人の動きを止めなければならないと訴えたわけです。「これは戦争だ」というマクロン発言は切り取られて批判されましたが、そこにはフランスという国の事情もありました。とにかく移民の数が多いのです。それゆえに、現在のフランス国民を1つにまとめるには大変な苦労があるようです。グローバル社会のシンボル都市の1つであるパリにおいて、歓迎されるのは「観光客」であり、歓迎されないのは「難民」であるとも書かれていました。
『隣人の時代』
たしかに、観光客と難民というのは、グローバリズムの光と闇かもしれませんね。映画では難民であるファヒムの父親が観光客相手にエッフェル塔のミニチュアを売ろうとしますが、グローバリズムの光と闇を同時に描いた象徴的なシーンであると思いました。一見、パリの街は難民に不寛容なように見えます。イザベル・ナンティが演じたマチルドも「フランス人は他人の不幸を見ないフリをする」と言っていました。ところが、ファヒム少年はシルヴァンやマチルドやチェス学校の仲間たちや、その親たちから親切にされます。いくらファヒムがチェスの天才であったといっても、彼らの友愛はそれだけが原因とは思えません。わたしは、拙著『隣人の時代』(三五館)にも書いたように、わが社が長年開催し続けている「隣人祭り」がパリで生まれたことを思い出しました。
『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』
そう、フランスの首都であり、世界のファッションの中心地であるパリは、カトリックの「隣人愛」が最も発揮された街でもあったのです。イスラム教徒(ムスリム)であったファヒムはキリスト教徒たちの隣人愛に助けられたのです。拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)にも書いたように、ユダヤ・キリスト・イスラムの3つの「一神教」は、もともと同じ神を信仰する「三姉妹宗教」です。ヤーヴェも、ゴッドも、アッラーも、呼び名は違っても同じ唯一絶対神であり、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も『旧約聖書』を信じる民であって、本来はいがみ合うこと自体がおかしいのです。フランス革命のスローガンにして、フランス共和国の標語は「自由・平等・博愛」ですが、わたしはこの映画を観て、パリに息づく「博愛」の精神を感じました。この映画のタイトルは「パリが見た奇跡」とありますが、そんな奇跡が生まれたのも、フランスが基本的に「自由・平等・博愛」の国だったからではないでしょうか。