No.471


 28日、互助会保証の監査役会および取締役会に出席。その後、「出版寅さん」こと内海準二さんと打ち合わせをしてから、TOHOシネマズ日比谷で日本映画「MOTHER マザー」を一緒に鑑賞しました。映画館はガラガラでしたが、内海さんとはかなりの距離のソーシャル・ディスタンスを取りました。最新設備のTOHOシネマズ日比谷は非常に換気も良く、過密な飛行機よりもはるかに安全だと思いました。でも、感染者がこのまま増え続けたら、また緊急事態宣言が発令されて、映画館も休業するかもしれませんね。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「実際に起きた祖父母殺害事件をベースに、社会の底辺で生きる母親と息子を取り巻く過酷な現実を描いた人間ドラマ。『新聞記者』などに携わってきた河村光庸が企画・製作を手掛け、『タロウのバカ』などの大森立嗣が監督を務めた。社会の闇へ落ちていくシングルマザーを長澤まさみ、内縁の夫を阿部サダヲ、息子を演技未経験ながら初めてのオーディションで選出された奥平大兼が演じるほか、夏帆、仲野太賀らが共演」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「男にだらしなく自堕落な生活を送るシングルマザーの秋子(長澤まさみ)は、息子の周平に異常に執着する。秋子以外に頼れる存在がいない周平は、母親に翻弄されながらもその要求に応えようともがくが、身内からも絶縁された母子は社会から孤立していく。やがて、17歳に成長した周平(奥平大兼)は凄惨な事件を引き起こしてしまう」

 こんなにも胸糞悪いというか、嫌な気分になる映画を観たのは久しぶりです。これだけ人を嫌な気分にさせるというのも、ある意味、映画のパワーかもしれません。一条真也の映画館「園子温の世界」で紹介した「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「恋の罪」などの園子温監督の一連の映画、一条真也の映画館「凶悪」で紹介した白石和彌監督の映画など、実際の犯罪をモデルにした映画は多いですが、この「MOTHER マザー」ほどは胸糞悪くありませんでした。本当に観ていて腹が立って仕方がないというか、何度も人生をやり直すチャンスがあったのに、少なくともわが子を社会復帰させるチャンスがあったのに、すべて自分でぶち壊してしまう負のスパイラルにストレスを感じました。ブログ「4連休明けに東京へ!」で紹介したように、前日にスターフライヤーの機内で、わたしはNPO法人「抱樸」の奥田知志理事長にお会いしました。奥田理事長は生活困窮者を救済するプロ中のプロですので、ぜひ、この映画を観てほしいと思いましたね。
 どうして、金もないのに、パチンコやゲーセンやホストクラブに通うのか? どうして、育てる能力もないのに子どもを産むのか? どうして、クズそのもののDV男(内縁の夫)に未練を抱くのか? さまざまな疑問が暗い想念となって、わたしの心に溜まっていきます。自分からどんどん泥沼にはまっていく人間の姿に、愚かさよりも恐怖を感じました。そう、この映画はどんなホラー映画よりも怖かったです。

「MOTHER マザー」は、一条真也の映画館「コンフィデンスマンJP プリンセス編」で紹介した映画と同じく、長澤まさみの主演作です。コロナ禍で公開のタイミングがたまたま合致したとはいえ、正反対と言ってもよい、まったく違ったタイプの人格を見事に演じ切る彼女の役者魂には敬意を表したいです。彼女は「コンフィデンスマンJP プリンセス編」では大富豪の遺児の母親になりすます詐欺師の役でしたが、「MOTHER マザー」では本物の母親を演じます。しかし、それは実の息子に実の両親を殺させるという、とんでもない毒親でした。血族を殺害する「尊属殺」は最も罪が重く、また一般に「人の道」から最も外れた行為として知られますが、この女、なんと三代にわたって家族を破滅させたのです。

 この映画の公開に合わせるようにして、今月、毒親が起こした胸糞の悪い事件が明るみに出ました。
 1つめは、東京都大田区蒲田の自宅マンションに長女を8日間置き去りにして死亡させたとして、保護責任者遺棄致死の疑いで母親が警視庁に逮捕された事件です。彼女の育児放棄の末、幼い命が奪われました。捜査関係者によると、母親が6月13日まで8日間過ごした鹿児島県の交際男性の元から帰宅すると、幼女はごみが散乱する6畳居間のマットレスの上で亡くなっていたそうです。

 もう1つは、3歳と1歳の幼い子どもを11日間にわたって鹿児島市内の自宅に置き去りにしたまま、ホテルに滞在していたとして、20代の夫婦が保護責任者遺棄の疑いで逮捕された事件です。夫婦はこの期間、食事を与えるため、自宅には数回戻る程度だったということで警察は、日常的なネグレクト=育児放棄があったとみて調べを進めているそうです。今月21日の夕方、3歳の長女が自宅近くを歩いていたところを通りがかった人が見つけたほか、その日の夜には部屋の前を通りがかったマンションの住人が、半開きになっていたドアから1歳の次女が裸で倒れているのを見つけ、いずれも警察に通報したため、事態が発覚したということです。両事件ともに鹿児島が関係しているのは奇遇ですが、「世も末だ」と思ったのは、わたしだけではないはずです。

 ネグレクトを扱った映画といえば、多くの人が「誰も知らない」(2004年)を思い浮かべることでしょう。「巣鴨子供置き去り事件」を題材として、是枝裕和監督が15年の構想の末に映像化した作品です。この事件は、東京都豊島区で1988年に発覚した保護責任者遺棄事件です。父親が蒸発後、母親も4人の子を置いて家を出ていき、金銭的な援助等を続けていたとはいえ実質ネグレクト状態に置かれていました。都内の2DKのアパートで暮らす4人の兄妹の父親はみな別々で、学校にも通ったことがなく、3人の妹弟の存在は大家にも知らされていませんでした。映画「誰も知らない」では、母(りょう)の失踪後、過酷な状況の中で幼い弟妹の面倒を見る長男(柳楽優弥)の姿を通じ、家族や周辺の社会のあり方を問いかけました。

 さて、映画「MOTHER マザー」のモデルになった事件とは、どういう内容だったのか。産経ニュースが2014年7月16日に配信した「次女、強盗も認める老夫婦殺害追起訴公判埼玉」という記事には、「川口市西川口のアパートで3月、住民の無職、小沢正明さん=当時(73)=と妻の千枝子さん=同(77)=が殺害された事件で、強盗罪に問われた夫妻の次女、立川千明被告(41)=窃盗罪で公判中=の追起訴審理公判が15日、さいたま地裁(井下田英樹裁判長)で開かれた。立川被告は『(間違いは)ありません』と、窃盗罪に続き起訴内容を認めた。起訴状などによると、立川被告は3月26日、息子の少年=強盗殺人と窃盗の非行内容で検察官送致=が小沢さん夫妻を殺害したことを知った上で、共謀して現金約8万円やキャッシュカードを奪ったなどとしている。検察側は、夫妻に約30万円の借金があった立川被告が、さらに借金をしようと少年に『殺してでも借りてこい』と指示したなどと指摘。また事件当日、借金を拒んだ夫妻を殺害した少年と現場近くの公園で合流した際には『お金はどうすんのよ』などと迫り、少年が再び夫妻方に戻って金品を奪ったなどと主張した」と書かれています。
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ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)



 孫が祖父母を殺害するというのは、最も罪の重い「尊属殺」です。祖父母とは孫にとって「先祖」でもありますが、わたしは『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で、先祖というものの意味を考えました。わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。その流れを意識したとき、何かの行動に取り掛かる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは次のように考えるのです。「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」こういった先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。それらの「恥」や「責任」の意識が失われたからこそ、現代日本社会の荒廃ぶりがあり、ハートレス社会となった現状があるわけですが、「恥」や「責任」の意識の欠片もない「MOTHER マザー」の秋子という主人公は、まさにそのハートレス社会のシンボルです。殺人を犯した息子は12年以上の懲役刑でしたので、まだ刑務所の中にいるかと思いますが、読書が趣味とのことですので、可能ならば、『ご先祖さまとのつきあい方』をぜひ読んでほしいです。わたしが差し入れできるのなら、そうしたいです。
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葬式は必要!』(双葉新書)



 また、この映画で秋子が息子や娘について、「わたしが生んだんだから、どんなふうに育てようが、わたしの勝手だよ!」と何度も言うシーンがあるのですが、この言葉には強い違和感を覚えました。言うまでもなく、子どもというのは親の所有物ではありません。それは、葬儀の場から家族以外の人をロックアウトする「家族葬」、通夜も告別式もせずに火葬場に直行する「直葬」といった最近の「薄葬」化の風潮とも通じるように思います。そもそも「家族葬」などという言葉が誤解を招くもとになっていますが、故人は家族だけの所有物ではありません。友人や知人や周囲の人々との縁や絆があって、はじめて故人は自らの「人生」を送ることを忘れてはなりません。拙著『葬式は必要!』(双葉新書)にも書いたように、生物としての「ヒト」はその生涯を終え、葬儀で多くの他人に弔ってもらうことによって初めて社会的存在としての「人間」となるのです。「わたしの家族なんだから、葬式をしようがするまいが、わたしの勝手だよ!」というのは、絶対に通用しません。

 さて、この映画で長澤まさみとともに強烈な存在感を放っていたのが阿部サダヲです。秋子の内縁の夫となる名古屋在住のホストを演じますが、この男がこれ以上ないぐらいのクズで、最後は金を借りたヤクザに追い込まれて、たぶん殺されています。こいつは秋子や子どもに殴る蹴る暴行を加えるだけでなく、ラブホで子どもがいる前で秋子を抱くような恥知らずの男です。彼が名古屋のホストクラブで秋子を接客しているシーンがあるのですが、シャンパンを一気飲みする秋子を囲んでホストたちが「いい女!」とか掛け声を上げる、いわゆる「コール」で盛り上げる場面が印象的でした。いま、東京で感染者が増大している大きな原因として、夜の街、それもホストクラブの存在が指摘されています。他の飲食店のように、アクリル板やフェイスシールドで接客するならまだ感染リスクも低いのでしょうが、「コール」や「デュエット」や「アフター」などのホストクラブ独自の接客スタイルが封印されない限り、ホストたちに未来はないでしょう。

 最後に、この映画、なんといっても、長澤まさみの汚れ役の凄まじさに圧倒されます。彼女の大ファンだという内海さんも、「あの長澤まさみがこんな汚れ役をやるとは!」と驚いていました。たしかに、彼女のデビュー作「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)のヒロインの薄幸な運命に涙した者からすれば、今回の彼女の怪演は目を見張ります。わたしの最も好きな女優である岩下志麻は、「40歳までに汚れ役をやらないと、役者としての成長がないよ」と野村芳太郎監督から説得されて、松本清張原作の「鬼畜」(1978年)で鬼のような女を演じましたが、よく考えたら、「MOTHER マザー」も「鬼畜」も同じ種類の映画ですね。

 わたしは基本的に「美人女優は汚れ役など演じる必要はない」と考えている昔かたぎの男です。でも、「青春の門」の吉永小百合にしろ、「怒り。」の広瀬すずにしろ、美女であればあればあるほど、「キレイ」「かわいい」と言われるだけでは物足りず、役者としての実力を試したいと思うもののようですね。ただ、長澤まさみの場合、「MOTHER マザー」で体当たりの演技をしたと言いますが、それならば、もう少し脱ぐべきだったと思います。せっかく濡れ場が何度もあったのに、下着姿にとどまり、セミヌードのシーンすらなかったのは中途半端で、少々残念でした。