No.418
日本映画「アルキメデスの大戦」を観ました。戦艦大和の建造をめぐるさまざまな謀略を描いた三田紀房による同名マンガを映画化した話題作です。マンガ原作の映画は苦手なので、あまり期待せずに鑑賞したのですが、ものすごく面白いエンターテインメント大作でした。観て、良かったです!
ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『週刊ヤングマガジン』連載の三田紀房のコミックを原作にした歴史ドラマ。1930年代の日本を舞台に、戦艦大和の建造計画を食い止めようとする数学者を描く。監督・脚本・VFXを担当するのは、『ALWAYS』シリーズや『永遠の0』などの山崎貴。主演は『共喰い』や『あゝ、荒野』シリーズなどの菅田将暉。軍部の陰謀に数学で挑む主人公の戦いが展開する」
ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「昭和8年(1933年)、第2次世界大戦開戦前の日本。日本帝国海軍の上層部は世界に威厳を示すための超大型戦艦大和の建造に意欲を見せるが、海軍少将の山本五十六は今後の海戦には航空母艦の方が必要だと主張する。進言を無視する軍上層部の動きに危険を感じた山本は、天才数学者・櫂直(菅田将暉)を軍に招き入れる。その狙いは、彼の卓越した数学的能力をもって大和建造にかかる高額の費用を試算し、計画の裏でうごめく軍部の陰謀を暴くことだった」
原作の『アルキメデスの大戦』第1巻のアマゾン「内容紹介」は、以下の通り。
「時は1933年。前年に満州国樹立を宣言した日本と中国大陸を狙う欧米列強の対立は激化の一途を辿っていた。世界が不穏な空気に包まれていく中、日本の運命を左右することになる重大な会議──新型戦艦建造計画会議──がいま海軍省の会議室で始まろうとしていた。それは次世代の海の戦いを見据える"航空主兵主義"派と日本海軍の伝統を尊重する"大艦巨砲主義"派の権力闘争の始まりでもあった......」
わたしは基本的にコミックが原作の映画を好まないのですが、これは別です。映画を観て興味を引かれ、原作を読んでみたくなりました。
この物語の主人公は、ある意味で「戦艦大和」と言えるでしょう。大和は、大和型戦艦の1番艦(ネームシップ)です。2番艦の武蔵とともに、史上最大にして唯一46センチ砲を搭載した戦艦でもありました。呉海軍工廠で建造され、昭和20(1945)年4月7日、特攻作戦に参加して沈没しました。映画「アルキメデスの大戦」は、いきなり戦艦大和が轟沈するシーンから始まります。もちろん悲惨な光景なのですが、VFXの名手である山崎貴監督が手掛けただけあって、非常にリアルでドラマティックです。ハリウッド映画の「タイタニック」の巨大客船の沈没シーンを連想しました。
沖縄特攻作戦に向かう途上、米艦載機の攻撃を受け沈没した「大和」には乗員3332名が乗船していましたが、そのうち3056名が大和と運命を共にしました。しかし、大和建造の技術は生き続け、世界一の大型タンカー建造にとどまらず、自動車や家電品の生産など幅広い分野で応用され、戦後の日本の復興を支えてきました。「アルキメデスの大戦」は、その大和の誕生秘話とも言えるのですが、なぜ「大和」と名付けられたのかがラスト近くで設計者より明かされます。それは衝撃的なもので、わたしは慄然としました。そして、沖縄特攻作戦の考案者であった大西瀧治郎海軍中将の想いにも通じる祖国への深い愛情を感じました。国力で圧倒的に劣るアメリカとの戦争で、日本の敗戦が確実視される中、零戦と戦艦大和が誕生した背景には共通した未来への「想い」があったのです。
大西中将があえて特攻に固執した真意は何だったのか。大西中将についての書『修羅の翼』を書いた角田和男氏は、直属の参謀長であった小田原俊彦少将から直接に聞いた話として、以下の大西談話を紹介しています。
「これは、九分九厘成功の見込みはない。これが成功すると思うほど大西は馬鹿ではない。ではなぜ見込みのないのにこのような強行をするのか、ここに信じてよいことが2つある。1つは万世一系仁慈をもって国を統治され給う天皇陛下は、このことを聞かれたならば、必ず戦争を止めろ、と仰せられるであろうこと。2つはその結果が仮に、いかなる形の講和になろうとも、日本民族が将に亡びんとする時に当たって、身をもってこれを防いだ若者たちがいた、という事実と、これをお聞きになって陛下御自らの御仁心によって戦さを止めさせられたという歴史の残る限り、5百年後、千年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう、ということである」
大西中将の真意について詳しく知りたい方は、「航空特攻司令長官・大西瀧治郎海軍中将の残した遺書」クリックして、お読み下さい。彼が命を懸けて考案した特攻作戦をテーマにした小説が一条真也の読書館『永遠の0』で紹介した百田尚樹氏の大ベストセラーであり、それを映画化したのが一条真也の映画館「永遠の0」で紹介した山崎貴監督の作品です。主演は岡田准一で、第38回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞しました。2013年12月21日から全国430スクリーンで公開され、初日2日間の観客動員数は約42万9000人、興行収入約5億4200万円。その後興行成績で8週連続第1位となりました。幅広い客層を集めてロングランが続き、観客動員数は700万人、累計興行収入86億円を突破、歴代の邦画実写映画で6位にランクインする大ヒットを記録し、文化通信社調べによる2014年邦画興行収入第1位を記録しました。サザンオールスターズが主題歌「蛍」を歌いました。
平成に作られた戦争映画の超大作といえば、「男たちの大和/YAMATO」を忘れることができません。角川春樹氏の実姉である辺見じゅん著『決定版 男たちの大和』を原作に、終戦60周年を記念して制作、東映が配給しました。この映画では、菊水作戦における戦艦大和の乗組員の生き様を描かれました。2005年12月17日に東映邦画系で全国劇場公開され、同年の邦画興行収入1位となりました。戦後60年企画として、広島県尾道市にはオープンセットとして190メートルにも及ぶ原寸大戦艦大和のセットを建造した総製作費25億円をつぎ込んだ超大作です。長渕剛が主題歌「CLOSE YOUR EYES」を歌いました。
これが「10分の1戦艦『大和』」だ!!
戦艦大和といえば、 ブログ「大和ミュージアム」で紹介したように、わたしは2012年9月に「大和ミュージアム」こと「呉市軍事歴史科学館」を訪れました。ここには、明治時代以降の造船の街あるいは軍港・鎮守府としての呉の歴史や、基幹となった製鋼や造船などの科学技術を展示しています。日露戦争・日本海海戦から100年目、太平洋戦争終戦60年目にあたる2005年(平成17年)4月23日に開館しました。メインとなる展示物は「10分の1戦艦『大和』」ですが、やはりものすごい迫力でした。
大和の造形に「美」を感じました
わたしは、大和の造形に「美」を感じました。
そして、「威厳」を感じました。「崇高」でさえあると思いました。しかし、映画「アルキメデスの大戦」に登場する舘ひろし演じる山本五十六らは「美」など戦争に不要なものであるとし、効果の期待できる空母の建設を求めます。物語は、ここから意外な方向に動きます。映画評論家の尾崎一男氏は、「映画.com」で以下のように述べています。 「大型戦艦建造の提案を見積もりの不正から反証していくという、恐ろしく斬新な視点で反戦行為を描いた戦争映画になっているし、物語も主人公の櫂(菅田将暉)が機密保持によって一切の情報を与えられず、戦艦の実測からデータを割り出していく展開や、発注業者に聞き込みし、人件費や材料費を逆算していくスリリングな推移に迫るなど、戦争を産業という視座から捉えて新鮮かつ刺激的だ」
山本五十六らの訴えるように、戦争に「美」は不必要なのか。一条真也の読書館『「永遠の0」と日本人』で紹介した本で、著者の小川榮太郎氏は「日本人にとって戦争とは何であったか」と問い、次のように述べています。
「日本人にとっての戦は美を生きるということであった。死と一番接している戦争に、日本人は、敵の皆殺しを考えなかった。大量殺戮と無縁な、しかし世界一美しく強靭な刀を日本人は生み出した。戦は皆殺しをし、征服し、敵の所有物を奪うものではなく、日本男児にとって、最も美しく死に旅立つ儀式だったのである。だからこそ、武具は、合理的であると同時に、死装束であり、死に旅立つ男性の美学の粋でなければならない。刀はその象徴なのである。そして、大東亜戦争における零戦こそは、その美学が20世紀まで持続していることの象徴だった」
零戦はよく日本刀と比較されますが、小川氏は「要するに、零戦とは、戦う勇士の、鍛え抜かれた心身の延長として構想され、実現されたものなのだ。刀剣がそうであるように、それは人を殺す道具であるには、あまりにも美しい繊細さに息づく」と述べています。ならば、「大和」と名づけられた世界最大の戦艦に「美」を求めることは当然でした。零戦が日本刀なら、戦艦大和は名城の美を感じさせます。
「美」といえば、映画「アルキメデスの大戦」のヒロインの尾崎鏡子を演じた浜辺美波が美しかったです。彼女は現在18歳ですが、2011年、第7回「東宝シンデレラオーディション」に応募、ニュージェネレーション賞を受賞し芸能界入り、東宝芸能のシンデレラルーム所属となります。同年公開の映画「アリと恋文」主演で女優デビューしています。しかし、なんといっても、映画「君の膵臓をたべたい」で主人公(山内桜良役)を演じたことが大きな話題になりました(公開は2017年7月。最終的に興行収入が35億円を超えるヒット作品になりました)。同作で第42回報知映画賞新人賞、第30回日刊スポーツ映画大賞新人賞、第41回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています。
何を隠そう、わたしは浜辺美波の大ファンであります。一条真也の映画館「君の膵臓をたべたい」には、「この映画、とにかく、山内桜良を演じた浜辺美波がかわいい! これまで若手女優では、広瀬すずが一番かわいいと思っていましたが、これからは浜辺美波を推します。まるでアニメの声優のように透明感のある声もいいし、顔もキュートで、表情も豊かです。特に、笑顔が素晴らしい。その笑顔の愛苦しさは、古手川祐子以来ではないでしょうか。実際、2人は母娘のように似ていると思います」などと書いています。映画「アルキメデスの大戦」の予告編に出てくる浜辺美波の顔はくしゃくしゃの泣き顔になっていて残念です。しかし最近では、京都きもの友禅のCMで途方もなくまばゆい輝きを放っています。このCMで、彼女は明治・大正・昭和・平成・令和と、5つの時代の振袖姿を披露しており、もう溜息の出るような美しさです。
『法則の法則』(三五館)
さて、映画「アルキメデスの大戦」では、菅田将暉演じる天才数学者の櫂直が尾崎鏡子の「美」の正体を計るために、彼女を床に寝そべらせて、その顔に巻き尺を当てるシーンが登場します。そこで、櫂は「やはり白銀比だ!」と叫ぶのですが、わたしは思わずニヤリとしました。拙著『法則の法則』(三五館)は、さまざまな「法則」を紹介し、それらに一貫するメタ法則を求めるという前代未聞の本でした。「法則」というと自然科学の法則を最初に連想する人が多いと思います。物理学に代表される自然科学は一般に客観的な世界だとされているので、「法則」のイメージにぴったりです。逆に、主観的な世界を扱う芸術などはもっとも「法則」から縁遠い印象がありますね。ところが、驚くべきことに、芸術の世界にさえも「法則」は存在するのです。「白銀比」もその1つです。
白銀比は、「日本の黄金比」という別名があるくらい、伝統的に日本人の美意識に合うとされ、日本で好まれてきました。白銀比が取り入れられていることで有名なのは、何といっても法隆寺です。五重塔の庇(ひさし)、金堂正面の幅、西院伽藍の回廊など、至るところに「1対√2」の比率を見ることができます。法隆寺を建立したのは聖徳太子とされていますが、その太子と二人の皇子を描いたと伝えられる肖像画にも白銀比が用いられているという説があります。皇子たちの身長を「1」とすると、聖徳太子は「√2」だというのです。また、日本の風景画や美人画などにも白銀比はよく見られます。雪舟の「秋冬山水図」や菱川師宣の「見返り美人」などが代表とされています。
さらに驚くべきことに、いまや日本を代表する文化になった観のあるマンガやアニメのキャラクターにも白銀比が使われているという人もいます。多摩大学教授でイラストレーターでもある秋山孝氏によれば、のらくろ、鉄腕アトム、天才バカボンなどの顔を重ねてみると、「目の位置がほとんど同じ」「耳や角、帽子などの突起物がある」などの共通の特徴をあげ、キャラクターたちの全身は白銀長方形にぴったり収まるというのです。デザイナーである木全賢氏は、ハローキティやマイメロディといったサンリオのキャラクターが白銀比にほぼ収まると述べています。われらが浜辺美波チャンも、ほとんどサンリオ・キャラクターの世界に生きているのですね!
白銀長方形を生み出す日本のノウハウは、折り紙や風呂敷などにも見られます。それぞれ、どんどん折ったり畳んだりすると、自然に白銀比長方形が現れるのです。また、日本の伝統的建築は、城から神社仏閣、民家にいたるまで木造ですが、建築に際しては木材の寸法を正確に測定することが大前提となります。そのための道具が「曲尺(かねじゃく)」です。「サシガネ」とか「カネザシ」などとも呼びますが、普通の直線定規を途中から直角に曲げたような形をしています。この曲尺を使って丸太から角材を取ると、なんと自動的に「√2」が出てくるのです。その秘密は二種類ある曲尺の目盛りにあるのですが、とにかく日本人は古来から、ありとあらゆる方法で自分たちが「美しい」と感じる白銀比を無意識に、あるいは意識的に創造してきたようです。このように、西欧人にしろ日本人にしろ、「美」にさえも法則を求めてきたわけです。人間って面白いですね!
天才数学者である櫂直は「数はウソをつかない」と言い、美しい数式を黒板に書き連ねていきます。彼のそんな姿を見て、第74回アカデミー賞の作品賞に輝いた映画「ビューティフル・マインド」を連想しました。ノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュという天才数学者の生涯を描いた2001年のアメリカ映画です。わたしは、この映画を観てから数学の魔力にとりつかれ、ハンス・マグヌスエンツェンスベルガーの『数の悪魔』をはじめとした多くの数学関連書を読みました。数学と聞いただけで嫌な顔をする人もいるかもしれませんが、数学ほど面白いものはありません。
「関ヶ原の合戦」の翌年に生まれたフェルマーの最終定理が証明されたのは約360年後の1995年。有史以来の最高の数学者と評されるガウスが天才ぶりを発揮していたのは、謎の浮世絵師・写楽と同じ江戸時代ですし、ピタゴラスやユークリッドは紀元前の人です。受験とは無縁の世界で遊んでみると、数学は俄然面白くなります。
「万物は数である」とはピタゴラスの言葉ですが、考えてみれば、あらゆるものは数に置き換えられます。1人の人間は、年齢・身長・体重・血圧・体脂肪・血糖値などで、国家だって人口、GDP、失業率などで表されます。そして、もちろん企業も、売上・原価・利益・株価といった諸々の数値がついてまわります。しょせん万物は数ならば、数を嫌わず、数と仲良くしたいものです。
さて、「アルキメデスの大戦」で違和感をおぼえたのは、山本五十六の描写です。舘ひろし演じる山本五十六は、誰よりも戦争に反対し続けた軍人でありながら、真珠湾攻撃によって自ら開戦の火ぶたを切って落としたことで知られます。 一条真也の映画館「聯合艦隊司令長官 山本五十六」で紹介した2011年の映画は、役所広司が主演し、「悲劇の連合艦隊司令長官」の実像を描いたヒューマン大作でした。しかし、「アルキメデスの大戦」では、山本五十六は反戦家などではなく、大胆な作戦を立てる好戦家として描かれているのです。これは、ちょっと物議を醸すかもしれません。
いずれにしても、先の戦争について思うことは、あれは「巨大な物語の集合体」であったということです。真珠湾攻撃、戦艦大和、回天、ゼロ戦、神風特別攻撃隊、ひめゆり部隊、沖縄戦、満州、硫黄島の戦い、ビルマ戦線、ミッドウェー海戦、東京大空襲、広島原爆、長崎原爆、ポツダム宣言受諾、玉音放送・・・挙げていけばキリがないほど濃い物語の集積体でした。それぞれ単独でも大きな物語を形成しているのに、それらが無数に集まった巨大な物語の集合体。それが先の戦争でした。実際、あの戦争からどれだけ多くの小説、詩歌、演劇、映画、ドラマ、アニメ、コミックなどが派生していったことか・・・その数たるや、想像もつきません。
「物語」といっても、戦争はフィクションではありません。紛れもない歴史的事実です。わたしの言う「物語」とは、人間の「こころ」に影響を与えうる意味の体系のことです。人間ひとりの人生も「物語」です。そして、その集まりこそが「歴史」となります。そう、無数のヒズ・ストーリー(個人の物語)がヒストリー(歴史)を作るのです。