No.593


 5月17日の夕方、日比谷のホテルで出版関係の打ち合わせをした後、TOHOシネマズシャンテで映画「オードリー・ヘプバーン」のレイトショーを観ました。映画界およびファッション界のアイコンとして知られたベルギー生まれのイギリス人女優オードリー・ヘプバーンの伝記映画ですが、わたしはもともと彼女の大ファンであり、非常に興味深い作品でした。
 
 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『ローマの休日』『暗くなるまで待って』などで知られるオードリー・ヘプバーンのドキュメンタリー。永遠の妖精と呼ばれた彼女の素顔を、アーカイブ映像と近親者のインタビューなどによって映し出す。監督を担当するのはヘレナ・コーン。ヘプバーンの息子のショーン・ヘプバーン・ファーラー、孫であるエマ・キャスリーン・ヘプバーン・ファーラーをはじめ、『ラスト・ショー』シリーズなどのピーター・ボクダノヴィッチ監督や、『グッバイガール』などの俳優リチャード・ドレイファスらが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。 「1929年、ベルギーで生まれたオードリー・ヘプバーンは、第2次世界大戦中にはナチスドイツ占領下のオランダで過ごす。当初はバレエダンサーを目指すものの女優に転身し、『ローマの休日』の王女役に抜てきされてスターダムを駆け上る。その後も『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』などの作品に出演する一方、1989年にはユニセフ国際親善大使に就任する」


 この映画を観て、オードリーの原点がバレエにあったということを再確認しました。「ローマの休日」の大ヒットで世界的な人気者になった彼女ですが、バレエの素養があるゆえに姿勢がとても良いです。姿勢が良いから立ち姿が美しいのですね。また、この映画、事前情報でルーニー・マーラがオードリー役で主演と聞いていました。なので、てっきりドラマ仕立ての伝記映画だと思っていました。しかし実際は完全なドキュメンタリーで、かつて日本テレビ系列局で毎週日曜日に放送されていた「知ってるつもり?!」みたいな内容でした。「ルーニー・マーラは一体どこに出ていたの?」と思ったら、どうやらドラマの伝記映画は別作品で、来年以降の公開のようです。ルーニー・マーラ自身のプロデュースおよび主演で、監督は映画「君の名前で僕を呼んで」でアカデミー賞作品賞にノミネートされたことがあるルカ・グァダニーノ、脚本は映画「エジソンズ・ゲーム」や「ギヴァー 記憶を注ぐ者」を手がけたマイケル・ミトニックというから楽しみですね! 


 オードリーといえば、横顔のエレガントな鼻筋が印象的ですが、本人は鼻にコンプレックスを抱いていたといいます。こんな絶世の美女が自らの容貌に自信が持てなかったとは意外ですが、母親から「あんたはブサイクだね」と言い続けられてきたからだそうです。この母親は父親に捨てられていますので、その腹いせで娘であるオードリーに辛く当たったのかもしれませね。というのも、オードリーの鼻は父親にそっくりだからです。この映画で彼女が父親と再会したツーショット映像を見て、彼女が父親似だということがわかりました。父親は貴族で非常にダンディです。ものすごく女性にモテそうな感じです。もしかすると、母親は娘であるオードリーに自分を捨てた憎い男の面影を見ていたのかもしれません。 


 この映画、上映時間が100分ですが、前半の50分はオードリーの女優としてのサクセスストーリーになっています。ハリウッド黄金時代に活躍した女優であるオードリーは、イギリスで数本の映画に出演した後に、1951年のブロードウェイ舞台作品「ジジ」で主役を演じ、1953年には「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を獲得。その後も「麗しのサブリナ」(1954年)、「尼僧物語」(1959年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)、「シャレード」(1963年)、「マイ・フェア・レディ」(1964年)、「暗くなるまで待って」(1967年)などの人気作、話題作に出演しました。女優としてのヘプバーンは、映画作品ではアカデミー賞、ゴールデングローブ賞、英国アカデミー賞を受賞。舞台作品では1954年のブロードウェイ舞台作品「オンディーヌ」でトニー賞を受賞。さらに死後にグラミー賞とエミー賞も受賞しており、アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の受賞経験を持つ数少ない人物の1人です。


 オードリーの出世作および代表作が、巨匠ウィリアム・ワイラー監督の「ローマの休日」です。ヨーロッパ最古の王室の王位継承者であるアン王女(オードリー)は、欧州各国を親善旅行で訪れていました。ローマでも公務を無難にこなしていくアン。だが実は、彼女はこれまでのハードスケジュールで疲れやストレスが溜まっていたのです。主治医に鎮静剤を投与されるものの、気の高ぶりからか逆に目が冴えてしまった彼女は、こっそり夜のローマの街へ繰り出すことに。やがて、薬が効いてくるとベンチで寝入ってしまうアン。そこへ偶然通りかかったアメリカ人の新聞記者ジョー(グレゴリー・ペック)は、彼女を一国の王女であることも知らずに自分のアパートで休ませるのでした。

 わたしが一番好きなオードリーの映画は、「麗しのサブリナ」です。名匠ビリー・ワイルダーがメガホンを取り、大富豪の兄弟と、美しく変身したお抱え運転手の娘との恋を描いたロマンチックコメディーです。シックなドレスやサブリナパンツを着こなすオードリーのファッション、そして彼女のキュートな魅力に夢中になりました。物語は、大富豪ララビー家のお抱え運転手の娘サブリナ(オードリー)が、主の次男デイヴィッド(ウィリアム・ホールデン)に恋心を抱くも、彼女の父は身分違いの恋を忘れさせるため娘をパリへ送り出します。2年後、洗練された淑女に変身した彼女が帰国すると、デイヴィッドはすっかり夢中に。婚約中の弟を案じる長男ライナス(ハンフリー・ボガート)は、やがて自分はサブリナが好きなことに気付きます。サブリナ役のオードリーが最高に輝いていました。

 そして、トルーマン・カポーティ原作の小説を映画化し、オードリーが真の意味で大女優となった「ティファニーで朝食を」も忘れられません。大都会ニューヨークでリッチな男性との結婚を夢見るヒロインがさまざまな問題を乗り越え、真実の愛にたどり着くまでをコミカルかつ繊細に描き出したエレガントなラブストーリーです。主人公ホリー(オードリー)はニューヨークのアパートで、名前のない猫と自由に暮らしています。そんな彼女のお気に入りはまだ人気のない早朝、パンとコーヒー片手に5番街にある高級店ティファニーのウインドーを眺めつつ朝食を取ることでした。そんなある日、彼女の住むアパートに自称作家のポール(ジョージ・ペパード)が入居してきます。

「ティファニーで朝食を」の音楽は、巨匠ヘンリー・マンシーニが担当。オードリーが歌う名曲「ムーン・リバー」はもとより、小悪魔的彼女の魅力満載の小粋なストーリーがたまりませんでした。オードリーは声域が狭かったそうで、この曲でも1オクターブ+全音の音域しか使っていません。作曲者のマンシーニは彼女の歌声を生かすのに苦心したことだと思います。じつは、映画会社の上層部がオードリーが「ムーン・リバー」を歌うシーンをカットしようとしたそうですが、彼女はそれに抗議して徹底的に戦ったといいます。その結果、映画音楽史に残る美しい名曲が生まれました。この映画のヒロインであるホリーはいわゆる悪女ですが、この「ムーン・リバー」が歌われるシーンには、彼女の本当の優しさや純粋さがよく表現されています。この映画のラストシーンは記憶に残っていませんが、オードリーが自分の声で「ムーン・リバー」を歌うシーンだけは強く心に残っています。映画「オードリー・ヘプバーン」のエンドロールでも「ムーン・リバー」のインストゥルメンタルが流れましたが、この永遠の名曲は彼女の人生そのもののテーマソングとなりました。

 前半でサクセス・ストーリーが描かれたオードリーの伝記映画ですが、後半50分は悲しみの色合いが濃くなっていきます。幼い頃に父親に捨てられた彼女は、それがトラウマとなって、男性と恋愛するときも相手に父親の面影を求めるようになります。その結果、3度の結婚をすることになるのですが、最初の夫である俳優・映画監督のメル・ファーラーはまだしも、二人目の夫である医師のアンドレア・ドッティは許せません。なにしろ、オードリーという世界的な美女を妻としながら、なんと200人もの女性と不倫をしたのです。アンジャッシュの渡部健の多目的トイレ不倫の報道が出たとき、「佐々木希という美しい妻がいながら、なぜ?」と思ったものですが、このアンドレア・ドッティに比べれば可愛いもんですね。離婚やパパラッチといったストレスから、オードリーはチェーンスモーカーとなっていきます。

 オードリーは貴族の出でありながら、戦争で食べるものがないという苦労を経験しました。ひもじさのあまり、チューリップの球根まで食べたといいます。ヒトラーを崇拝していた父親に捨てられ、少女時代は愛情に飢えました。2度の結婚生活も破綻しました。世界一人気のある映画女優として多くのファンから愛された彼女は、ずっと愛に飢えていたのです。彼女は、常人には測り知れないような巨大なグリーフを抱えていました。そして、彼女は自分なりのグリーフケアを発見したのです。それは、愛されたい思いが叶わない代わりに、他者をひたすら愛することを選択したことです。70年代以降の彼女はたまに映画に出演するだけで、後半生の多くの時間を国際連合児童基金 (ユニセフ)での仕事に捧げました。ユニセフ親善大使として、1988年から1992年にはアフリカ、南米、アジアの恵まれない人々への援助活動に献身しています。この映画には、「愛する対象を見つけられるだけで幸いなのだ」という彼女の言葉が出てきますが、彼女は自らのグリーフを人類愛にまで昇華させたのです。ユニセフでの貢献は本当に偉大であり、戦後のユニセフの発展は彼女の存在があってこそのものだったと、この映画を観て知りました。

 わたしが若い頃、ユニセフで活動する彼女の姿をテレビで観て、「オードリー・ヘプバーンもシワクチャのお婆さんになったなあ」と思ったことがあります。しかしながら、還暦を目前にして鑑賞したこの映画での晩年のオードリーはとても美しいと思いました。皺も美しいと思いました。マハトマ・ガンディーやマザー・テレサなどと同じく、人類愛に貢献したオードリーは偉人です。彼女は、他人に対して無償の愛を抱き続け、利他の人生を生き抜きました。1992年末にはアメリカ合衆国における文民への最高勲章である大統領自由勲章を授与されましたが、この受勲1カ月後の1993年に、彼女はスイスの自宅で虫垂ガンのために63歳で死去しました。あまりにも早過ぎる死でした。もっと長生きして、ノーベル平和賞を受賞してほしかったと心から思います。「永遠の妖精」と呼ばれたオードリー・ヘプバーン......まさに、外見の美と内面の美をパーフェクトに兼ね備えた奇跡のような人生でした。