No.592


 沖縄復帰50年となる15日の日曜日、シネプレックス小倉で日本映画「流浪の月」を観ました。ネットでの評価が高い作品ですが、人間の悲嘆を正面から見つめた傑作でした。死別の悲嘆からの回復を描いたグリーフケア映画というよりも、生きることそのものの悲嘆から魂を救うようなスピリチュアルケア映画でした。

 ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『2020年本屋大賞』で大賞を受賞した凪良ゆうの小説を原作にしたドラマ。10歳の少女を自分の部屋に入れたために誘拐罪で逮捕された男が、15年後に成長した彼女と再会する。メガホンを取るのは『ブルーハーツが聴こえる』などの李相日。『一度死んでみた』などの広瀬すず、『空白』などの松坂桃李らが出演する」

 ヤフー映画の「あらすじ」は、「雨の公園で、10歳の少女・家内更紗がびしょ濡れになっているのを目にした19歳の大学生・佐伯文。更紗に傘を差し出した文は、引き取られている伯母の家に帰りたくないという彼女の気持ちを知り、自分の部屋に入れる。そのまま更紗は文のもとで2か月を過ごし、そのことで文は誘拐犯として逮捕されてしまう。被害女児、加害者というらく印を押された更紗と文は、15年後に思わぬ再会を果たす」です。

 原作小説はベストセラーになりましたが、アマゾンには「2020年本屋大賞受賞作」として、「愛ではない。けれどそばにいたい新しい人間関係への旅立ちを描いた、息をのむ傑作小説」「あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。新しい人間関係への旅立ちを描き、実力派作家が遺憾なく本領を発揮した、息をのむ傑作小説」と書かれています。

「流浪の月 エピソード0」のダイジェスト版をYouTubeで観ることができます。この完全版はU-NEXTで独占無料配信中ですが、W主演を務めた広瀬すずと松坂桃李の対談を中心に、共演した横浜流星、多部未華子、監督・李相日のインタビューを交え、彼らがどのように作品に向きあい、作り上げていったのかをドキュメンタリータッチで紹介。恋人同士を演じた広瀬すずと横浜流星の初対面の瞬間や、松坂桃李と多部未華子の2人きりのカフェでのオフショットなど、彼らの素顔が垣間見える貴重な映像も紹介しています。

 映画「流浪の月」は、観ていて辛くなるような、ひたすら悲しい物語でした。両親と別れた後、叔母の家に引き取られ、そこの中学生の息子から性的虐待を受けていた10歳の少女・更紗。彼女の成長した姿を演じた広瀬すずの演技が素晴らしかったです。彼女が李相日監督の映画に出演するのは、 一条真也の映画館「怒り」で紹介した2016年の作品以来です。現場に「怒」という血文字が残った未解決殺人事件から1年後の千葉、東京、沖縄を舞台に3つのストーリーが紡がれる群像劇で、広瀬すずは、米兵にレイプされる沖縄の少女を体当たりで演じました。

 その「怒り」に続いて広瀬すずが出演した「流浪の月」には、彼女の濡れ場が登場します。最初は「李相日は、彼女を脱がせたいのか?」とも思いましたが、どうも恋人と抱き合う彼女に悦びは感じられませんでした。素の彼女は明るい性格のようですが、「流浪の月」ではひたすら暗かったです。彼女の恋人役を演じたのは横浜流星。いつもはカッコ良い彼ですが、この映画ではこれ以上ないほどカッコ悪い役でした。一条真也の映画館「嘘喰い」で紹介した主演映画などより、この「流浪の月」の方がずっと難しい演技を求められたと思います。役者として一皮剥けたのではないでしょうか。撮影後に広瀬すずがテレビで横浜流星の姿を見ただけでも涙が出てきたというくらい、最低のゲス野郎っぷりが素晴らしかった!

 広瀬すずとW主演だった松坂桃李もひたすら暗かったです。引きこもりでロリコンというキャラ設定もあり、本当に「これぞ陰キャ」といった感じでした。一条真也の映画館「空白」で紹介した2021年の映画では、万引きした女子中学生を追ううちに車に衝突して死なせてしまったスーパーの店主の役でした。「空白」でも「ロリコン野郎」などと誹謗中傷されていましたので、今回の「流浪の月」の佐伯文に重なります。しかし、「空白」で彼が演じた男性は実際はロリコンではありませんでしたが、「流浪の月」の文は本当にロリコンでした。といっても、少女に性的なことをするわけではなく、女性に対して性的行為をすること自体が苦手なので、大人の女性よりも少女の方が落ち着くという理由からですが。

 大人の女性と恋愛ができない、さらに言えば、大人の女とセックスできないがゆえに、少女に安らぎを求める文。そんな彼を世間は「ロリコン」と呼んで蔑みます。しかし、よく考えてみれば、「LGBTQ」といって同性愛などは社会的に認められつつあるのに、少女愛だけがいつまでも「悪」のままというのはどうなのでしょうか。同性愛も少女愛も、子どもを産むという生産性につながらないので歴史において「悪」と見られてきたように思います。しかし、LGBTQに理解は示しても、世間はロリコンの男性のことを「気持ち悪い」と思い、「犯罪者」と決めつけて、迫害します。映画の中で文が泣きながら湖に浮かぶシーンがあるのですが、その姿はこの世のすべての悲しみを一身に背負った死せるオフィーリアのようでした。

 ロリコンは正確には「ロリータ・コンプレックス」といいます。ロシア生まれのアメリカ合衆国の作家、ウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』(1955年)から生まれた言葉です。少女性愛者ハンバート・ハンバート(1910年生まれ)と、彼が心惹かれた少女ドロレス・ヘイズ(1935年生まれ)との関係を描いた長編で、全体はハンバートの手記の形を取っています。ヒロインの愛称である「ロリータ」は、今日でも「魅惑的な少女」の代名詞として使われており、ロリータ・コンプレックスやロリータ・ファッションなど、多くの派生語を生んでいいます。また、世界的なベストセラーになった同書は、1962年にスタンリー・キューブリック監督が、1997年にエイドリアン・ライン監督が、それぞれ映画化しています。

 最後に、「流浪の月」には、夜空に月が浮かぶシーンが何度も出てきました。その月は満月ではなく、常に欠けていたのが印象的です。人間の深層心理において、月はよりプリミティブなものと結びつけられています。明らかに、月は人類文明の初期に、その地ならしを完了させているからです。そのため、わたしたちは表層では明晰なる太陽の原理に従っていながらも、その深層では依然として月の支配を受けています。詩、夢、魔法、愛、瞑想、狂気、そして誕生と死。そのすべての神秘性を、月は常に映し続けています。月の古語「ツク」からは「尽く」という言葉も派生しました。「尽く」とは「果て」「極限に達する」という意味です。そして、「底を尽く」というように、その果てにすべては無になります。月に映し出される神秘や謎や不思議とは、われわれの魂の働きを底の底まで尽くした果ての真実にほかなりません。その意味で、「流浪の月」はまさに月の映画でした。月といえば、16日は満月です。「ムーンサルトレター」を書かなければ!